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2006年10月20日
三余堂が「半蔀」のシテをつとめるのに合わせて、その題材となった源氏物語の夕顔の歌「心あてにそれかとぞ見る白露の 光添へたる夕顔の花」に挑戦。

    夕顔は蔀戸を半分押し上げた室内におり、その蔀戸には夕顔の花が絡んでいる。その隙間からちらりと覗いた影。それを光源氏だと確信して扇に歌をしたためたという。

    その瞬間を表現したくとも、なかなか思い通りにままならず。

                             半蔀

                            (c)鵞毛庵 La plume d'oie
投稿日 2007年01月10日 10:42:18
最終更新日 2007年01月10日 10:43:05
修正
2006年10月30日
秋口は結婚式など多く、何かとお祝い事がつづく。

そんな中、ある古希祝いのためにデザインした頭文字の装飾。ゴチック様式の典型的な装飾である。頭文字の中に白でアカンサスの葉のねじり模様を入れ、背景は金箔を置く。頭文字の一部から、やはりアカンサスの葉が枝分かれして絡んで伸びる。色調は青や赤、緑が写本によく見られる。このアカンサスの葉は、遠い昔はコリント様式の柱頭の飾りや、いわゆるアラベスク模様や唐草模様の原型となっている。だから、西洋の典型的な模様の中に、実はすでに日本でもお馴染みの模様のもとが登場している。
                        古希祝い

本来なら甲冑や紋章が描かれる場所に鼓を配し、ヨーロッパの森に多く住む動物がリアルに描かれるところを、日本の伝統的な図案化された鶴と亀にして、不自然にならないように日本の風味を取り入れた。

                     古希祝い (c)鵞毛庵 La plume d'oie


投稿日 2006年12月04日 5:53:45
最終更新日 2006年12月04日 5:54:00
修正
2006年11月20日
鵞毛庵の制作の題材が「能」なので、色合いは装束や内容からイメージすることが殆どである。 従って、日本画の顔彩を使用することが多い。

先日、三余堂がしげしげと何色か揃っている顔彩の箱を眺めているので、西洋と日本では色合いが違うために用途によって顔彩を使い分けている旨説明した。

  「じゃあ、瓶覗きは?」

さすがに三余堂である。
 ちょいといいとこついてくるじゃありませんかねぇ。

残念ながら「瓶覗き」は持っていなかった。

日本の色には本当に面白い名前が多い。その中でもこの「瓶覗き」はすこぶるカッコいい。
別名「白殺し」ともいうらしい。

どんな色かというと、極々薄い水色。藍染の瓶に布をさっと通して染めた色である。白では場合によってはきついので、藍をほんのり染めて、白を殺すのである。歌舞伎の浅葱幕よりももっともっと薄い水色。

水色系を取り入れたいと思うと、いつも「瓶覗き」を一番に頭に描くけれど、決して成功したことがなく、別の色を使う庵主である。




               秋乃水
                       「江口」より  秋乃水 漲(みなぎ)り落ちて 去るふねの
                    Sur les eaux de l’automne qui se gonflent et retombent, la barque fuit

                                (c)鵞毛庵 La plume d'oie

「秋の水」というと、澄み渡って冷ややかな水を指し、俳句では秋の季語になっている。川や湖水ならば紅葉が水面に映っているのだ。
秋乃水 同じく「江口」より (c)鵞毛庵 La plume d'oie


日本のなんとも表現しがたい色合いのひとつ。
投稿日 2006年12月04日 6:19:07
最終更新日 2006年12月11日 8:17:29
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2006年12月20日
   世阿弥のこの言葉を耳にしたことがある方は非常に多いと思う。世阿弥の言葉でこれほど人口に膾炙したものはない。だが、その本当の意味は殆ど誤解されて使われている。それは「初志貫徹」のような意味に解釈されているからである。世阿弥が言いたかったのは、「初心」とは「初めての経験」「未熟な演技」などを指すもので、「初志」を言っているのではない。世阿弥が言う「初心」とは恥ずべきものなのである。 

この言葉は「花鏡」の中の三か条の口伝で、
      
      是非初心忘るべからず
      時々の初心忘るべからず
      老後の初心忘るべからず

とある。
つまり、初心の頃の未熟な芸をこころして上達過程の判断材料にせよ、齢を重ねるごとに年相応の芸をひとつづつ忘れずに幅広い芸域を求めよ、老後に至っては老いるという至難を乗り越えてこれまでの経験を生かして芸力を極めよ、ということなのだ。

                        初心忘るべからず
              (c)La plume d'oie2005 鵞毛庵 「初心忘るべからず」 37cmx62cm 
                  BON OU MAUVAIS N'OUBLIEZ PAS VOS DEBUTS
                  N'OUBLIEZ PAS VOS DEBUTS DANS CHAQUE PERIODE
                  N'OUBLIEZ PAS VOS DEBUTS DANS LA VIEILLESSE

  
   
この作品の書体は二種類あるが、両方ともローマ時代の書体で、石などに刻まれていた御馴染みの大文字書体ローマン・キャピタルと違い、手書きのローマ草書体である。ポンペイの遺跡などにみられるもの。下地はローマン・キャピタルを柔かく崩したような行書風な形で、黒地に白抜きの書体は完璧な草書体で、綴りによって崩し方にも変化がさまざまで、書くのが楽しい。しかし難読。画像をそれぞれクリックして大きくしてご覧ください。

       初心忘るべからず         初心忘るべからず  

       ローマン・キャピタルの例 鵞毛庵撮影       (c)La plume d'oie2005 鵞毛庵  上記作品部分


  よくタレントやスポーツ選手などが「初心に返ってその気持ちを忘れずに、これからも一生懸命がんばりたいと思いマ〜ス」などと誇らしげに言っているのを耳にするたびに、おいおい、それは初心じゃなくて初志ですぜ、とつぶやく庵主である。
恥ずべきことを貫徹されては困りモノ。

さてはて、わたくし鵞毛庵自身は如何なりや...。 
 
  
投稿日 2006年12月20日 21:11:06
最終更新日 2006年12月20日 21:11:06
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2007年01月20日
もうすっかり正月気分も抜けていますが、一応1月ですので 月並みですが(笑) 新年にちなんでおめでたい「高砂」より。

  鵞毛庵のサイトLa plume d’oie ラ・プリュム・ドワでも「高砂」の作品を取り上げていますが
http://www.maya-g.com/monthly/index.html >(2005年10月参照) 

こちらでは「四海波静まりて」の一節から。


              四海波
                  38x50 鵞毛庵© 2005         「高砂」 四海波静まりて 
                     SUR QUATRE MERS LES VAGUES APAISEES

  ゴティック書体のひとつである手書きの草書体を庵主風にアレンジしたもの。
  ゴティック書体というのは主にドイツ語圏で発達したもので、グーテンベルグの印刷術が発明されたの(15世紀)と、ヨーロッパでは大学が発生し、それまでの聖書が中心だった書物の需要と供給が一般的に一気にひろがった時代の書体。印刷用の活版文字、手書き文字、場所や用途により、実に多くの種類があります。ゴティックというとどうも硬い印象を受けがちですが、手書きの流れるような書体も日常生活の中では存在していたわけです。


またまたここで「かめのぞき」色を試みている庵主ですが...  静かな潮騒の音が聞こえてくるでしょうか?? 
                       四海波

                  鵞毛庵© 2005     「高砂」 四海波静まりて  部分 


  さて、おめでたいと云えばよく結婚式で謡われるのが「高砂」。時代劇やドラマなどで耳にするのは、その殆どが「高砂や この浦舟に帆をかけて」の部分ですが、これは厳密にいうと何かの出立を祝う時にふさわしく、結婚式では本来は「四海波静まりて」の部分を謡います。

  この風習は江戸時代に一般庶民の間でかなり流行したそうです。当時は能は武家のたしなみであって、普通の人は勧進能とか町入能とかいう特別な催しの際だけが実際に目にする機会だったのですが、謡はかなり浸透していた様子で、そのおかげで寺子屋での課程に組み入れられたり、謡を習ったり、そのために読み書きを覚える町人の数はかなり多かったとか。ここ数年、日本の学校教育で日本の古典芸能の実習や体験などを教科課程に取り組んでいる様子。それが効をなしてひとりでも多くの方にもっと気軽に能を楽しんでいただけるようになるかしらん。

ところで、平成19年の日本ならびに世界の四海波はどうなることか。
               
投稿日 2007年01月21日 9:52:41
最終更新日 2007年01月21日 10:28:50
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2007年02月20日
               月はひとつ
                      (c)La plume d'oie 鵞毛庵 2007 「松風」  27cm x 22cm

  今月は今年の歌会の「お題」に因んでお月様がらみで「松風」の一節より。

     月はひとつ 影はふたつ  La lune est une et ses reflets sont deux

  「松風」は、須磨の浦の二人の美しい海女の姉妹、松風と村雨がかつて流罪となってそこに滞在していた中納言在原行平(業平の弟)の寵愛を受けたことから、後年、この姉妹が亡霊となって旅の僧の前に姿を現し、昔語りに松風は行平の形見の衣を身にまとい、心乱れて舞うという物語。海辺で昔日の思いを語りつつ汐汲みをする場面で、ふたつの汲み桶に月が写っているところ。

この作品は既存のさまざまな書体から庵主が考案した自由書体で、細い文字は面相筆を使用。夜の海辺に煌々と照る月や装束の色合い、潮騒に漂っている思慕を想定した作品です。現在の須磨の海岸ではこんな情緒は望めませんね。


  月はひとつ  月はひとつ
上記作品部分  (c)La plume d’oie 鵞毛庵 2007         部分 Lune(月)  (c)La plume d’oie 鵞毛庵 2007

今までも何回かいろいろな書体で書いている一節です。鵞毛庵サイトでも「こんな1枚」に違う作品を掲載しています。 http://www.maya-g.com/monthly/2003/09/index.html

 さて、今月の「三余堂月次」で取り上げている セレーネ 「月に願いを!」ですが、それに応募するのだと張り切った三余堂亭主。字数制限があるので自ら詠んだ歌二首を俳句に変換せよ!との命が鵞毛庵に届けられました。 やれやれ
早速、変換作業に取り掛かった庵主。

  月は冴へ あたりも澄みて 妙生寺の 鏡もひときは ひびくこの夜
   陽の落ちて 月の光の見るにつけ 思い出づるは 君と会ひし日
    どなたのことかしらん

その結果、二首目の歌を俳句に変換した 月光の彼方にありし逢瀬かな が採用されたのですが、翌日次のようなことになって戻ってきました。

  月光のかめんにありし あふせかな 
         
この再変換は庵主のつぼにかなりはまって、みごと一本とられました。

でも、やはり仕切りなおしせねばと、「松風」の作品と連想して庵主の応募句はさらに気取った練り直し版へ。     

  古の月華の逢瀬抱きをり (いにしへのげつかのあふせいだきをり) 
  注:月華とは月光のこと  

  融や行平の時代に詠われたのも、松風村雨が涙したのも、三余堂のかつての逢瀬の月も、巴里の月も、みな同じ月ひとつ。
投稿日 2007年02月21日 3:01:21
最終更新日 2007年02月21日 3:03:20
修正
2007年03月20日
ご存知「安宅」。

旅の衣は篠懸の...の篠懸(すずかけ)とは篠懸衣(すずかけい)とも呼ばれる山伏など修験者が着る法衣。これは露を払い易いように麻が用いられています。スズカケとは鈴懸とも書き、プラタナスのこと。なんで山伏の法衣が篠懸と呼ばれるかというと、首から纏う結袈裟(ゆいげさ)の丸い房がスズカケの実に似ていることからきているとか。なぁる。
パリの街路樹にはこのスズカケ、つまりプラタナスが多いので実があちこちでみられます。


旅の衣は篠懸の 鵞毛庵撮影 パリにて 2007 

こうやってしげしげ眺むるに。。。確かに似てますね。昔の人の着眼点は面白い。
せっかく実の証拠写真も撮ったし、ちょっとそれらしい雰囲気も加えてATAKAを自由書体で表現してみました。 
 

                       旅の衣は篠懸の  
                     はがき大 「安宅」© La plume d’oie 鵞毛庵 2007  

先回の個展で能の曲目イメージを桐箱に描き、いくつか父に目を通してもらったのですが、その際に そりゃぁ弁慶だ!安宅ッ!と一発でどんぴしゃだった色合いをもとにしています。

今月の23日から30日まで鵞毛庵が住むパリのオペラ座ガルニエで団十郎・海老蔵の「勧進帳」の公演が催されます。それゆえに今月の作品に「安宅」が登場。

歌舞伎の「勧進帳」は能の「安宅」が原曲の松羽目物。能の「安宅」では弁慶は富樫に対して関所を通さないと仏罰が下るとかなんだとか脅しをかけて強引に押し切りますが、歌舞伎では富樫は疑いつつ、最終的には確信しつつも もののふの情け から関所を通すという泣ける展開。この違いは、「安宅」が作られた時代には、一般的に山伏の存在がかなり怖いものだったらしいのに対して、江戸時代ではその権力が低下、判官びいきでお涙頂戴的な娯楽要素が高まった仕立てからきています。

今回のこの歌舞伎パリオペラ座公演は「勧進帳」のほかに、やはり能から題材をとった「紅葉狩」が演じられます。「安宅」の色調が春らしくないのでちょっと寂しいから色を添えて、と思いましたが これも季節物にあらず。昨年11月の三余堂月次で「紅葉狩」に触れた際には庵主撮影の紅葉の写真を掲載しましたが、ここではあの紅葉狩を思い出しながらの作品。
  

旅の衣は篠懸の  
はがき大 「紅葉狩」© La plume d’oie 鵞毛庵 2007

成田屋親子のパリ公演は千秋楽に観に行きますので、観劇報告は後々に鵞毛庵日記にて。
来月は4月らしい作品を掲載せねば!
投稿日 2007年03月20日 19:29:13
最終更新日 2007年03月20日 19:29:13
修正
2007年04月20日
 入相の鐘に花ぞ散りける、とはなんとも優雅ですが......怖い怖い女性のお話、「安珍清姫伝説」を題材にした「道成寺」の一節。清姫に思いを寄せられ、追いかけられて鐘に身を隠した僧安珍。その鐘ごと清姫に焼き殺されてしまいます。 おおこわッ!!
 能「道成寺」は、その後日譚で、久しく鐘のなかった紀州道成寺で鐘の再建供養が行われることに。その際、女人禁制となっていたのになぜか忽然と一人の白拍子があらわれ、舞を舞ううちに鐘に飛び込んで落としてしまいます。この白拍子が清姫の化身だと気づいた時にはもう遅い。祟りで落ちた鐘ならば、法力で持ち上げようという僧侶と大蛇となった清姫の怨念の戦い。最後はもちろん法力に敗れて大蛇は川に飛び込んで消えうせます。

 今月は、この「道成寺」より同じ題材でまったく違うタイプの作品をふたつご紹介します。

 こちらはシテの装束から着想してdojojiの文字を重ね書きしてデザインし、詞章の部分はゴティックの草書体をアレンジして仕上げました。


                春の夕暮れ来てみれば
                         「道成寺」 65x50  ©La plume d’oie 鵞毛庵 2003
                   Au crépuscule de printemps, suis venue voir au son de cloche du coucher,
                   fleurs au vent se dispersent, fleurs au vent se dispersent, fleurs au vent se dispersent

                   春の夕暮れ来てみれば入相の鐘に花ぞ散りける、花ぞ散りける、花ぞ散りける

こちらは自由書体によるもの。

春の夕暮れ来てみれば道成寺」 28x38 ©La plume d’oie 鵞毛庵 2007

 嫉妬や怨念を抱えながらも、散り行く花の美しさに惹かれている微妙な心を想像してみました。
怨念のかたまりとなっても、花を愛でる心はなくさないというところは、懺悔の気持ちの現れであるかもしれません。なんだか女性として共感してしまうのは
   おっと、アブナイ、アブナイ 

 しかし、美しい桜はそれ自体、すでにじゅうぶん妖気を放っており、パリでもっとも妖しい桜「白妙」の花満つ折、吸い込まれそうな異次元空間をかもし出します。この幹、大蛇がくねくねしているような、いないような。。。。
                パリ植物園にて ©La plume d’oie 鵞毛庵 春の夕暮れ来てみれば
投稿日 2007年04月23日 5:28:03
最終更新日 2007年04月23日 5:28:03
修正
2007年05月20日
               頼政
                           La plume d’oie ©鵞毛庵 2003 「頼政」 
                埋もれ木の 花咲くこともなかりしに 身のなる果は あはれなりけり 
                Sur le bois fossile, jamais la moindre fleur ne s’est épanouie
                Et mon ultime destin fut affligeant plus encore



  6月に三余堂がつとめるとのことで、能の花の第一シリーズより「頼政」です。頭文字の装飾技法にゴティックの草書体を自分流にアレンジした作品。
頭文字の「S」は意外だと思われる方も多いかと思いますが、日本の方のみならず、一般的なフランス人にも馴染みがあまりない字。西洋のアルファベットも昔のものとなると想像がつき難いものが結構あります。ゴティック体は主にゲルマンのドイツ語圏で発達した書体で、ドイツ語をちょっとでもかじった方にはお判りと思いますが、文頭だけでなく、文中でも名詞の最初は大文字で書きます。従って大文字の使用頻度が高く、それに伴い多くのバリエーションが存在します。


頼政 これはほんの一例ですが、どれも大文字の「S」です。
La plume d’oie ©鵞毛庵

  そしてもうひとつ、苦労しながらも楽しいのは頭文字の装飾。この作品では西洋の昔ながらの技法を取り入れて、柄は能の修羅扇を用いています。 

能の二番目ものといわれる修羅物で使用する扇が修羅扇。この修羅扇には旭日に老松の柄の勝修羅、立浪に入日の柄の負修羅の二種類があります。勝修羅扇を使用する能は「屋島」「田村」「箙」の三番のみで、平家ものやその他は負修羅扇ですので、「頼政」もそうなります。

                                    

              負修羅扇 ©三余堂撮影 頼政

  西洋の古文書ではこの作品のように装飾の頭文字自体に黒を用いることは稀なのですが、修羅扇の黒い骨は軍扇を表しているという説があるので、くっきりと黒の文字にして庵主としては力作のひとつだったのですが...これを見た父がバッサリ。

       こいつぁ日が沈んでないねェ、浪が少ねェや     

あはれにも庵主自身が沈んでゆきにけり...。
投稿日 2007年05月22日 3:25:39
最終更新日 2007年05月22日 3:25:39
修正
2007年06月20日
                        花なくして 28x39cm
        La plume d’oie © 鵞毛庵 2005   この作品は現在、鎌倉能舞台に展示させて頂いております。  
     花なくして萎れどころ無益なり。  Sans la fleur, l’évanescence serait sans objet.

 今月の三余堂月次で、花の見せ処の話が出たので、それにつられて風姿花伝の一説よりの作品です。上記の作品は「萎れどころ」にイメージを置いて、色調を控え目に仕上げたのに対して、下の新作のほうは「花なくして」に焦点を当てたもの。両作品とも、書体はゴティック体を基礎にした自由書体で、竹や葦を削ったペン(カラム)や筆を使用しています。

La plume d’oie © 鵞毛庵 2007花なくして 28x39cm
 花の見せ処を間違えると、ただむなしく枯れて散っておしまいになってしまうのは、人の人生でも同じこと。などと言うは易し。はたして己はいかがであろうか......


 三余堂付近では枇杷も夾竹桃も今年はことさら際立っている様子。パリの鵞毛庵のアパートの前は街路樹の泰山木数本が満開。10年ぐらい前に歩道拡張の際に新しく植えられたもので、3年前の酷暑も生き延びて、順々に咲いてはよい香りを放っています。こちらも今年は例年に比べて花の数がものすごく多く、まさに見てくれ!といわんばかり。その自信ありげな咲きっぷりと、真っ白な花があっという間に惜しげもなく茶色く萎れてしまうのはあっぱれ。   
花なくして  泰山木の花あまたなり風わたる 

まだまだつぼみがたくさんあり、出かけるたびに当分いい香りを楽しませてくれそう。しかし、立ち止まって頭上の花をしげしげ眺めているのは庵主ぐらいなもの。  さらに写真まで撮ったりして! 

 はたして、他の人たちはこの香りに気づいているんだろうか、まったくもってアヤシイところです。
投稿日 2007年06月21日 4:52:06
最終更新日 2007年06月21日 4:52:51
修正
2007年07月20日
                能の花
                 「源氏供養」 La plume d’oie©鵞毛庵 2007 28x39
 
   8月の鵞毛庵の東京での展覧会が近づいてまいりました。能の花シリーズ第3段です。

  今回は源氏物語を題材にした能の曲目の作品を多く書きました。能で演じられる源氏物語関連の曲目は実はそれほど多くはありません。

  夕顔と光源氏の出会いの「半蔀」、その夕顔がもののけに襲われてはかない死をとげる「夕顔」、葵上が六条御息所の生霊に悩まされる「葵上」、その六条御息所が後年、野宮に逗留の際に光源氏と再会する「野宮」、須磨で隠遁生活をする光源氏「須磨源氏」、光源氏が住吉神社で偶然にも明石の上と再会する「住吉詣」、夕顔の娘玉鬘の話「玉鬘」、二人の男性から求愛されて悩んだ末に入水した浮舟の話「浮舟」のほか、紫式部が登場して僧侶に光源氏の供養を頼む「源氏供養」の九曲です。

   
   「夕顔」La plume d’oie©鵞毛庵2007 39x56能の花

                     山の端出でし月影のほの見えそめし夕顔の
               A la clarté de la lune qui a franchi les crêtes impécise apparue la belle du soir


能の花「葵上」 La plume d’oie©鵞毛庵 2007 39x56
人間不定芭蕉泡沫の世の習い 昨日の花は今日の夢と 
L’homme est précaire autant que la feuille du bananier ou l’écume légère
Fleur hier songe aujourd’dui


五木田摩耶カリグラフィー展
能の花 vol.3
於 小津ギャラリー
2007年8月21(火)〜25(土) AM10:00〜PM6:00(最終日はPM4:00まで)





   

投稿日 2007年07月21日 8:47:21
最終更新日 2007年07月21日 8:47:21
修正
2007年08月20日
                    搬入

今日はカリグラフィー展の搬入を済ませました。
ひとりでも多くの方に、実際に能の花シリーズの作品を見ていただければ幸いです。

搬入 
蝉時雨に覆われた暑さが続いておりますが、
                            搬入

皆様のお越しをお待ちしております。
投稿日 2007年08月20日 23:43:57
最終更新日 2007年08月20日 23:47:14
修正
2007年09月03日
8月26日の案内望遠鏡でお知らせしたように、毎月曜と木曜に少しづつ展示作品をご紹介いたします。

展覧会期間中、よく皆様から伺ったのは、「これは絵なのでしょうか??」

いえいえ、字です!
しかし、必ずしも解読できるように書いているわけではありません。色合いは能の装束やテキストの内容などから着想し、既存のオーソドックスな書体を自分流にアレンジしています。


葵上

能の花 Vol.3  作品紹介 その1   28x39cm  (c)La plume d’oie鵞毛庵2007
   
昨日の花は今日の夢と   Fleur hier songe aujourd’hui 


※各画像をクリックすると拡大されます。

生霊となって葵上にとりついてしまう六条御息所は源氏の君から受けた寵愛をなんとか取り戻そうと必死。昨日までの栄華に激しくしがみつくも、今でははかない夢物語というわけで、動きとともに強い描写をベースにsonge aujourd’hui 今日の夢 は細々と表現。 
7月20日の記事 の中でご紹介している「葵上」も同じ題材の作品です。

野宮                      
               能の花 Vol.3  作品紹介 その1
            

                       56x78cm (c)La plume d’oie鵞毛庵 2007

                    野の宮乃秋の千草の花車 我も昔に廻り来にけり 
                   Au temple de la Lande sur mon char fleuri
                   des mille herbes de l’automne 
                   Moi-même du temps jadis        
                   je suis venue me ressouvenir


能「野宮」は源氏物語の賢木を題材にしており、嵯峨野の野宮の旧跡で、旅僧が六条御息所の霊に出会うお話。そこで御息所は昔、葵上との車争いの際の屈辱や光源氏の寵愛を失った悲しみなどを語って嘆きます。
ゴティック書体のアレンジを重ね書きして全体に秋草のイメージで包み、中心のテキストはゴティック書体のうちの草書体を多少アレンジしたものです。頭文字の装飾にも秋草をあしらい、車争いの屈辱を忘れきれぬ思いながら、旧懐ということで多少は角がとれて柔らかくなった御息所の気持ちを表現。


野宮

38x56cm  (c)La plume d’oie鵞毛庵 2007    能の花 Vol.3  作品紹介 その1
                                             

         昔を偲ぶ花の袖    Souvenir du temps jadis de mes manches fleuries

こちらも野宮より。昔日の栄華への旧懐に、花の袖が優雅に舞っているだろうか。。。。
投稿日 2007年09月05日 8:23:40
最終更新日 2007年09月07日 10:59:49
修正
2007年09月06日
能「半蔀(はじとみ)」は源氏物語の夕顔が題材になっており、昨年10月の三余堂月次や同じく昨年10月の鵞毛庵の記事でも取り上げています。

この夕顔は、やはり六条御息所にとりつかれて儚い最期を迎えます。
げに、おそろしや。 

半蔀  

                          能の花 Vol.3 作品紹介 その2

                          56x78cm (c)La plume d’oie 鵞毛庵2007

                寄りてこそそれかとも見めたそがれに ほのぼのみつる 花の夕顔
                     Si venez plus près pour sûr la reconaîterez
                     celle que dans l’ombre du soir entrevue
                        Fleur de la belle du soir


ゴティックの草書体をアレンジしたもので大部分を重ね書きして埋め、頭文字の装飾は能「半蔀」で使用される作り物から着想。光源氏への想いを美しく描いた曲目です。


半蔀 部分 (c)La plume d’oie 鵞毛庵2007  能の花 Vol.3 作品紹介 その2

半蔀 
能の花 Vol.3 作品紹介 その2  28x39cm (c)La plume d’oie 鵞毛庵2007

心あてにそれかとぞ見る白露の光添へたる夕顔の花
Elle vous intriguait parée de l’éclat de la blanche rosée cette fleur de la bele du soir


背景はゴティック体をアレンジしたものと和紙のコラージュ(貼り付け)で、蔀戸に絡んだ夕顔の奥にかすかに光の君が見えたような見えないような。

画像はそれぞれクリックして頂くと、大きくなります。 



投稿日 2007年09月07日 10:57:05
最終更新日 2007年09月07日 10:58:37
修正
2007年09月10日
能「半蔀」は光源氏への想いを美しく描いた曲目ですが、「夕顔」は同じ題材でもちょっぴり悲しいストーリーです。 光源氏と夕顔が忍び逢ったという旧跡に現れた夕顔の霊が、その逢瀬の最中に物怪にとりつかれて死に至ったことを語り、昔を懐かしむ物語。

夕顔

                          能の花 Vol.3 作品紹介 その3
 
                        
                        56x78cm ©La plume d’oie 鵞毛庵 2007

                     山の端の心も知らで行く月はうはの空にて影や絶えなん
                            De la crête des monts  
                  ignorant le sentiment la lune qui va indifférente au ciel
                            va-t-elle disparaître?

テキストに使用したカロリンヌ体はカロリンガ王朝の頃の公式書体であり、8世紀ごろから4世紀以上にわたって長く愛用された書体です。
背景は同じテキストをそのカロリンヌ体で重ね書きしたものと、自由にアレンジした書体を重ね合わせてあります。画像をクリックして拡大してご覧ください。


能の花 Vol.3 作品紹介 その3    夕顔部分

                                                                                      夕顔             能の花 Vol.3 作品紹介 その3 
                     39x56cm ©La plume d’oie 鵞毛庵 2007

山の端出でし月影のほの見えそめし夕顔の
A la clarté de la lune qui a franchi les crêtes imprécise apparue la belle du soir

はかない花の夕顔と、夕顔自身の哀れな行く末をイメージした作品。ゴティック体のアレンジを夕顔に見立てた背景に筆書きの自由書体を重ねています。
投稿日 2007年09月11日 15:20:43
最終更新日 2007年09月11日 15:20:43
修正
2007年09月13日
住吉詣

能の花 Vol.3 作品紹介 その4  28x39 ©La plume d’oie 鵞毛庵2007

身をづくし恋ふるしるしにここまでも めぐり逢ひける縁は深しな

A corps perdu je vous aime et le signe en est que céans
le destin qui ménagea cette rencontre est profound


能「住吉詣」は光源氏が住吉神社を詣でた際に明石の上と偶然再会し、恥らう明石の上に声をかけて歌を取り交わすのですが、想いは募りながらも心ならずも別れてゆく物語。源氏物語の筋立てとは少し違った展開になっています。身をづくし恋ふるさまの二人をイメージしての色合いで歌の上の句を表し、下の句は自由書体で。

浮舟

28x39 ©La plume d’oie 鵞毛庵2007   能の花 Vol.3 作品紹介 その4   


             たちばなの小島は色も変わらじを この浮舟ぞゆくえ知られね

           L’Ile aux orangers de couleur jamais peut-être ne changera certes
           mais la barque au gré des flots nul ne sait où s’en ira


能「浮舟」はかつて薫中将と匂宮の二人に愛され、物の怪に取り憑かれ悩んだ末に入水したと浮舟の霊が回向を求める物語。水面にはかない運命がたゆたう様子を表現。

玉鬘
               能の花 Vol.3 作品紹介 その4
                39x56  ©La plume d’oie 鵞毛庵2007

                              玉鬘 Parure précieuse

能「玉鬘」は初瀬に詣でる僧が夕顔の娘である玉葛の霊を弔っていると、恋に悩み乱れ髪を戴いた玉葛が現れ、やがて妄執を晴らして成仏する物語。その様子をゴティック書体をアレンジしてまとめた作品。
              


投稿日 2007年09月14日 18:35:17
最終更新日 2007年09月14日 18:35:17
修正
2007年09月17日
今回は「杜若」の作品を3つご紹介いたします。

今までも必ず「杜若」をいくつか書いてきましたが、定番にしているのが


   「花前に蝶舞ふ」de fleur en fleur dansent les papillons

です。

能の花 Vol.3 作品紹介 その5  

28x39  (c)La plume d’oie 鵞毛庵2007

ゴティック書体をいろいろアレンジして重ね書きしています。色合いは装束より着想。

はがき大 (c)La plume d’oie 鵞毛庵2007
 能の花 Vol.3 作品紹介 その5

こちらは同じ内容でも、ローマ時代の古い書体をアレンジし、ちょっと雰囲気を変えてみました。

                能の花 Vol.3 作品紹介 その5

                        28x39  (c)La plume d’oie 鵞毛庵2007 

                    明るく東雲の浅紫の杜若の花の心開けて
               S’éclairent nuées à l’orient de pourpre pâle de l’iris.
                   La fleur à l’illumination ouvre son coeur.

これは違う詞章よりの作品。葦のカラム(ペン)を使ってKAKITSUBATAと配し、筆書きの自由書体をあしらいました。  画像では判りにくいですが、明るく東雲に光るのをイメージしてパール顔彩を使用しています。       
投稿日 2007年09月17日 17:30:19
最終更新日 2007年09月17日 17:30:33
修正
2007年09月20日
これはどうやって書いているのですか?と、よくご質問を頂いたのが白抜きの字。
マスキングゴムとかドローウィングゴムという液状のゴムを使用して書いています。このゴムで字を書き、乾いた後に擦り取れば白く抜ける技法です。
マスキングゴムは字を書くだけでなく、装飾の枠取りにも使用されます。これはペルシャやインドの写本でも枠取りに使われている技法です。下記でご紹介する「頼政」の扇面や「善知鳥」の装飾部分などはこの技法で枠取りしています。


高砂

能の花 Vol.3 作品紹介 その6

28x39(c)La plume d’oie 鵞毛庵2007

        松も色そい春ものどかに
Des pins la couleur profonde et du printemps la sérénité


松の青々とした感じに合わせて色を選びました。白抜きの件で一番質問攻めにあった作品。書体は白抜きの部分も中央の細かい部分も既存の書体をアレンジしたもの。

頼政 

39x56 (c)La plume d’oie 鵞毛庵2007  能の花 Vol.3 作品紹介 その6



          埋もれ木の 花咲くこともなかりしに 身のなる果は あはれなりけり 
           Sur le bois fossile, jamais la moindre fleur ne s’est épanouie  
               Et mon ultime destin fut affligeant plus encore



5月に取り上げた頼政ですが、これは扇の芝に着想を得た作品。細い書体は面相筆を使用しての自由書体です。緑の部分は和紙のコラージュ(貼り付け)、二番目の扇面が白抜きの技法です。この部分の書体はゴティックのフラクトゥール体。下方の扇面の書体はゴティック書体からのアレンジでYORIMASAと書いてあるのですが、文武両方に長けていたという老武将をイメージして。画像をクリックして拡大してご覧ください。

善知鳥

                      能の花 Vol.3 作品紹介 その6

                        39x56  (c)La plume d’oie 鵞毛庵2007

                           往時渺茫としてすべて夢に似たり
           Des choses d’antan le reflet lointain n’a plus de consistance qu’un rêve


色合いは「善知鳥」で用いる装束や扇からイメージ。往時渺茫(おうじびょうぼう)Des choses d’antan le reflet lointain の書体はリュスティカという古くローマ時代のものをアレンジ。白抜きの部分は自由書体とアンティカとかユマニスティックと呼ばれる書体です。

投稿日 2007年09月22日 5:11:41
最終更新日 2007年09月22日 5:49:15
修正
2007年09月24日
               能の花 Vol.3 作品紹介 その7

                  ©La plume d’oie 鵞毛庵 2007 作品サイズ 72x28cm

風姿花伝            人々心々(にんにんこころごころ)の花なり。
                  La fleur varie selon les hommes et leur tournure d’esprit.


この作品も、マスキングゴムを装飾や白抜きの文字に使用しています。
書体はメロヴィンガ朝(481~751年)の頃の書体で、一文字づつ一応決まった形はあるものの、ひとたび文章になると、どんどん繋がってくっついて文字が変化してしまうという厄介な書体です。しかし、それゆえに、解読は判じ物を読むようで面白く、書く際も、いかに崩して繋げて判りにくく書こうか?などと楽しさ満点。


能の花 Vol.3 作品紹介 その7 ©La plume d’oie 鵞毛庵 2007 部分

この装飾や色使いに何か意図があるのですか?というご質問がかなりありました。
書体を決めたものの、どうしようかなぁと悩んでいたら、部屋中にふわふわ見えてきたのを書き留めた、といったところでしょうか。鵞毛庵の頭の中はこんな具合なのです。


 ©La plume d’oie 鵞毛庵 2007 部分 能の花 Vol.3 作品紹介 その7

画像はクリックすると拡大されます。

投稿日 2007年09月25日 6:57:21
最終更新日 2007年09月25日 6:59:49
修正
2007年09月27日
風姿花伝

                     秘すれば花   La fleur est matière à secret.


今回はハガキ大の作品より、同じテーマでそれぞれ違った技法の作品をご紹介します。画像をクリックして拡大してご覧ください。


              能の花 Vol.3 作品紹介 その8   
                       ハガキ大  ©La plume d’oie 鵞毛庵 2007                        

違う質感の組み合わせでのコントラスト。四角で囲まれた中はゴティック体を平筆で重ね書きし、その上に太いラインを乗せ、面相筆で自由書体を重ねました。


能の花 Vol.3 作品紹介 その8     
ハガキ大  ©La plume d’oie 鵞毛庵 2007  

こちらの書体はローマ時代の草書体からアレンジ。草書体といっても、ローマンキャピタルと呼ばれる石に刻まれていた書体が手書きにやわらかく変化したもの。
ここでもマスキングゴムを使用して白抜きしたりBOUSTROPHEDONブストゥロフェドンに挑戦。
ブストゥロフェドン(舌をかまないように!)というのは、昔の畑仕事の牛車のわだちから由来していて、ギリシャ語のBOUSが牛、STREPHEINが回すという意味。一行目は普通に左から右に書いて、二行目は一行目の右端の直ぐ下から左右に反転した文字で左に向かって書き、その次の行も同様に文字を反転させて、つまり普通の文字になって続いてゆくというもの。真ん中の黄色い蚕豆状のぽわぁんと浮かんでいる部分と、左下の赤い部分がその技法です。右上の緑の部分はFLEUR を散らばせています。
 

                          能の花 Vol.3 作品紹介 その8  
                
                           ハガキ大 ©La plume d’oie 鵞毛庵 2007

三枚目の作品は、同じローマ時代の書体のアレンジですが、白抜きの部分は鏡文字になっています。

どれも同じ内容でさまざまな技法で書いてみるのが目的で、色合いやデザインなどは、やはり鵞毛庵の頭の中を抜け出して部屋に浮かんできたもの。そして金箔でボリュームも少し与えてみました。

シリーズでの展覧会の作品紹介は今回で一応終了ですが、全作品を掲載していないので、折に触れてまたご紹介したいと思います。お楽しみ!

                           
投稿日 2007年09月27日 22:59:01
最終更新日 2007年09月27日 22:59:01
修正
2007年10月20日
                秋草

                      野の宮乃秋の千草の花車 我も昔に廻り来にけり
             Au temple de la Lande sur mon char fleuri des mille herbes de l’automne
                  Moi-même du temps jadis je suis venue me ressouvenir


すでに能の花Vol.3の作品紹介で掲載した野宮の作品今回は装飾頭文字を少々拡大して秋草のお話を。

秋草

この作品の書体にはゴティック体を使用したので、頭文字に金箔を置き装飾に秋草をあしらってあります。萩、尾花、女郎花と桔梗と七種類すべては描ききれなかったのですが、装束などの秋草文様を参考にデザインしました。

さて、この秋の七草といわれているものは、万葉集にある山上憶良が詠んだ歌

    秋の野に咲きたる花を指折り かき数ふれば七種の花
    萩が花 尾花 葛花 撫子の花 女郎花 また藤袴 朝貌の花


からきています。この歌に詠まれている「朝貌(あさがお)の花」は、諸説ありましたが、今は桔梗に落ち着いています。私たちが朝顔と云っている花は平安時代以降に日本に渡り、山上憶良の時代にはまだ存在していません。その後も歌や文様では混同されていることが多かったようです。


帰国中に鎌倉能舞台にお邪魔した帰りに、近くの長谷観音に立ち寄ったら、こんな綺麗な桔梗がたくさん咲いていました。まだまだ暑い時期でしたが、旧暦ではすでに秋。

                  
               秋草

投稿日 2007年10月21日 0:01:50
最終更新日 2007年10月21日 0:01:50
修正
2007年11月20日
このところ、機械に全く弱い友人のパソコン指南役をおおせつかっている庵主。今まではなんだかんだと逃げていたのを、意を決してついに立ち向かおうと相成ったわけで、手取り足取り。何度でも言ってもらって自分でやらないと絶対に覚えられないのだと、何度も何度も同じ作業を忍耐強く繰り返しています。

三余堂の先回の記事から、そうそう、世阿弥の風姿花伝にも、と何年か前の作品を引っ張り出してみました。


稽古は強かれ諍識(じょうしき)はなかれとなり
Soyez dur à l’exercices, évitez la vanité prétentieuse


稽古は強かれ   La plume d'oie©鵞毛庵 2003 サイズ ハガキ大
                                                                                                                                                                                                                  
                                                                                         

                  La plume d'oie©鵞毛庵 2005 サイズ 38x25  稽古は強かれ

この諍識(じょうしき)の諍とは、争う心の意味に当たりますが、簡単に言えば、稽古には厳しく研鑽を積み、おごりや虚栄心は避けることといった意味。

耳がちょっと痛い。というのは、日本の駅の券売機が以前は庵主が帰国の際にもっとも苦手でした。使い方が判らないなどというのが人に知れるのも嫌で、見得もあるし、結局後ろの人たちから罵声を浴びせられたりが何度あったことか。
最近は多少齢を重ねて、三余堂が言うところの妙齢の婦人にはまだちとかかりますが、その手前のオバサンが板についたのか、何か不案内になると、すみません、判らないんですが、としっかりちゃっかり人に教えを請うようになりました。そうなるとやはり覚えるもので、スムーズにことが運びます。親切な人に感謝するやら、以前の自分を反省するやらしながら新しい技術を取得!駅で切符を買うのも怖くない! あ、先回はsuicaを購入しました。さらなる一歩前進。

前述の友人、まさに「稽古に強かれ」をまっしぐらの最中です。といっても、時々、そんなこと、もう判ってる!と、勢い良く言って貰いたいとも密かに願っている指南役なのですが。身に付くまでにはまだまだかかりそう....


投稿日 2007年11月21日 3:24:38
最終更新日 2007年11月21日 3:24:38
修正
2007年12月20日
よく頂戴する質問に、作品のデザインなどはどうやって決めるのですか?というのがあります。一番簡単で判りやすいのは、その曲目の内容や装束の色合いからなのですが、いつもいつもそうではありません。

先日の三余堂の記事にありましたが、あの藤田画伯も聞きながら絵を描いていたという広沢虎造の清水次郎長伝、何を隠そう、この鵞毛庵も聞いています!!

元はといえば、画家の友人が、一緒に唸りながら制作しているといって貸してくれたことが発端。想像の源は虎造にあり! さらには志ん生なんかの古い落語までも。

巴里の空の下、浪曲や江戸弁丸出しの古典落語を聴きながら、謡曲の詞章のフランス語訳をカリグラフィーで表現するという、こうやって文章にしみるとかなり異常行動のような、鵞毛庵ならさもありなんだと思われる方も多いことやら。ま、そんな調子で制作しているので、いきなり脳みそからぽわぁ〜〜んと変なものが浮かび出て然り、それをそのまま紙の上に置き換えるといった次第なのです。


その結果がこんなことになったり

想像の源

二人静 部分 La plume d'oie©鵞毛庵2007

                              想像の源

                            こんなことになったり。  善知鳥 部分La plume d'oie©鵞毛庵2007

いよいよ年の瀬も押し迫って参りました。クリスマスのイリュミネーションに輝くシャンゼリゼを歩きながら俳句をひねったり虎造や志ん生を聞くのも乙なもんでございますよ。

それでは皆様、どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。



                     想像の源
       
投稿日 2007年12月21日 3:06:29
最終更新日 2007年12月21日 3:08:27
修正
2008年01月20日
 ここ数年、能の花シリーズとは別に、歌会の御題にあわせて原文がフランス語のものをお書初めをしている庵主ですが、今年の「火」というのは題材としては事欠かないのだけれど、いざお書初めとなると内容が暗かったり縁起よくなかったり。さらにどうしても今まで作品にしている葵上や「道成寺」のような執念や怨念がメラメラ〜〜っというほうに気がいってしまいがち。

                     燃える魂とは...
                         道成寺 部分

 「火」から「炎」、「火焔」へいろいろと連想した庵主。能の装束にもしばしば見られる火焔文様、火焔太鼓、不動明王、ゴティック建築の後期のフランボワイヤン様式。フランボワイヤンとはまさに燃えているといった意味で、15世紀ごろになりますが、教会やお城などで見かけることができます。

燃える魂とは...これはパリ市内にあるサン・セヴラン教会。

まさに炎です。

 不動明王の背後には迦楼羅焔(かるらえん)。この迦楼羅とは人間の三毒を食べてしまうという火の鳥のこと。百八つあるといわれる煩悩は大きく三つに分けられ、それは貪ること、怒ること、愚かなことで、三毒と云います。実は西遊記にでてくる三人の従者はこの三毒を表しているとか何とか聞いたなぁ〜などと、横道にそれ、仏教の地獄の火車、生計が苦しい状態をいう火の車、そうそう、フランス語でも状況が悪いことを云うのに似た表現があり、だけど、中国語で火車は汽車や列車のこで、と また横道へ。

 あれやこれやで、やっとヴィクトル・ユーゴの小説「笑う男」の中の一節である 

Le corp est cendre, l’âme est flamme 「肉体は灰、魂は炎(ほむら)」

になりました。これを、たとえ肉体は滅んでも、情熱は生き続けるというように解釈してペンを取った作品がこちら。


                燃える魂とは...
 さて、この「笑う男」という小説、誰に話しても知らない人ばかりで、かく言う庵主もそうでした。そこで早速検索。和訳は大正年間になされて以降、少し改定されたものの新しいものは出ていないらしく、アメリカでは1928年に映画化されているのが判りました。
あらずじはこちらで

 この映画の複雑なあらすじを読むに、これはやはり...メラメラ〜〜のほうでしょうか。
投稿日 2008年01月20日 22:28:00
最終更新日 2008年01月20日 22:28:32
修正
2008年02月20日
 足袋、たび、旅で、まめたび煎餅を食べながら旅ィゆけェばぁ〜〜、てなわけないですが、能ではよく旅の僧が何かに出会って話が展開することがしばしば。今月取り上げる作品の「石橋」はまさに旅の僧の展開です。どうして「石橋」かというと、 先日、庵主が見た春節の獅子舞がいとめでたしというのが理由。

 能「石橋」は寂昭法師が入唐し各地を巡り、清涼山で文殊菩薩のお使いとされる獅子が、咲き乱れる牡丹の花の間に勇ましく舞う姿に出会うという、千秋万歳を寿ぐおめでたい曲目。
 

                 石橋
                   La plume d’oie©鵞毛庵 2007

 この石橋は苔むして滑りやすく、狭いし長いし、谷の深さは千丈もあってそう簡単に渡れるものではないと寂昭が樵から聞かされることから着想しての作品。そんな所は自分じゃ絶対渡れやしない!と思いながらカラス口を使っての自由書体です。カラス口は製図用の線引きの道具ですが、今はコンピューターの時代となり、殆どお蔵入りにちかいもの。製造中止したメーカーもあるそうですが、それをフランスはじめ、あちこちのカリグラファー達は文字を書く道具として多いに利用しています。

 パリの中華街界隈に住む庵主は、先日2月7日の春節では例年の如くたっぷりと中国の獅子舞を
満喫!


石橋 
パリ13区にある中華大手スーパーの陳氏兄弟公司にて

 画像をご覧になって随分カラフルだなぁと思うかもしれません。これは清朝の乾隆皇帝が夢に五色の色彩豊かな聖獣を見たのが始まりだとか。 
中国にしろ日本にしろ、実際に獅子、つまりライオンが生息していたわけではないので、それぞれ文献などからの想像した姿。ライオンといっても、ジャングル大帝レオのようなタテガミふっさふさのアフリカ系ではなく、お獅子の元祖はタテガミが地味なインドライオンです。それが日本の庶民的な獅子舞の獅子頭にもみられるけど、能の「石橋」や歌舞伎の毛振りが有名な「連獅子」や「鏡獅子」の獅子頭はタテガミたっぷりです。中国も北方系のお獅子はマルチーズの親玉のような体中フサフサ。このように種類はいろいろですが、昔の情報源としてはイランあたりからシルクロード経由だと想像されますので、やはり元祖はインドライオンなのでしょう。

  このインドライオンは18世紀頃までは西アジア(インドやイラン一帯)に広く生息していたそうですが、人口増加や狩猟の対象になったりして、20世紀始めには生息数が20頭ぐらいまで減ってしまったとか。現在は絶滅寸前ながらもインドの北西にあるギルの森の自然保護区域に絶滅危機保護種として2〜300頭ぐらい生息しているそうです。検索したら上野動物園などにもいることが判明。こちらを参考までに

もし実際にご覧になる機会があれば、ははぁ〜〜ん、こいつがお獅子の元祖か、と観察してみるのも楽しいかもしれません。

 余談ですが、中国の揚州名物には豚の肉団子「獅子頭(しずとう)」というのがあります。大きな肉団子です。ご利益丸かじりで霊獣の頭をがぶりッ。

 「石橋」といえば、もうひとつ。ラジオフランスから出しているOCORAという世界の民俗音楽のアルバムがあるのですが、その日本のシリーズの中に「石橋」があります。1983年、今は亡き観世元昭師のフランス公演の際にスタジオ録音されたものです。もう25年経つのですねぇ。なんか昨日のことのよう....。


   
石橋なのになんで翁なの?と、硬いこと言わずに。                                                    石橋
この他に、雅楽、声明、薩摩琵琶、長唄などなど数枚でています。
投稿日 2008年03月14日 8:45:55
最終更新日 2008年03月14日 8:46:11
修正
2008年03月20日
                  桜色
                        La plume d’oie©鵞毛庵 2005 部分
                      大原御幸    遠山にかかる白雲は散りにし花の形見かや
                      Aux montagnes lointaines ces blancs nuages accrochés,
                      ne sont-ils pas un dernier souvenir des fleurs effeuillées ?
書体はフランスの最初の王で朝あるメロヴィング王朝の頃のもの(5世紀末〜8世紀半ば)。縦横、大小サイズも変えて重ね書きしています。
画像はクリックして拡大してご覧ください。


日本はいよいよ桜の季節!

日本人が桜を愛でるようになったのは平安期以降で、それまでは花といえば中国から伝わった梅を指していました。万葉集などに出てくる花の大半は梅。平安時代の古今和歌集になると、桜のほうがたくさん詠まれています。その頃の桜の主流は山桜なので、色は白。でも山を覆うとうっすらと桜色に。

フランスでなかなかお目にかかれないのがこの桜色。西洋でピンク系の色というと結構濃い目の派手な色合いが一般的で、白いけれどもほんのりと桜色、パステル系ともちょっと違った淡く薄いピンクなど、日本人の好みの色合いを探し出すのは困難です。
フランスで多く植えられている桜は、濃い色の八重桜だしなぁ。


桜色La plume d’oie©鵞毛庵2007 大原御幸
遠山にかかる白雲は散りにし花の形見かや
Ne sont-ils pas un dernier souvenir des fleurs effeuillées ?
幅の広いペンや面相筆を使用して自由書体で  こちらも画像をクリック!

今年ももうすぐパリの植物園の「白妙」も咲き始める頃か。白妙というくらいですから花の色は白なのですが、よく見ると花びらの一部がほんのり桜色です。ここでやっと桜色にめぐり会い。
                  桜色
            
投稿日 2008年03月20日 21:18:24
最終更新日 2008年03月20日 21:18:38
修正
2008年04月20日
ちょっとお祝い事があり宝尽しのイニシャル。

                   宝尽し  La plume d’oie©鵞毛庵2008               
              
書体はLOMBARDE(ロンバルド)といって、13世紀以降のゴティック書体のテキストの頭文字などに使われています。
従来のゴティックの写本の装飾頭文字のスタイルを現代風さらに和風にアレンジしています。


宝尽し
従来のスタイルで書かれた作品 La plume d’oie©鵞毛庵 2000

イニシャルのHは亀甲、Mは七宝で埋めてアカンサスの葉をあしらい、和風のおめでたい鶴亀と宝尽しにしました。

宝尽しは、もともと中国で瑞祥を表した道具類を集めた文様が室町時代に日本に取り入れられたもので、当時の貴重な品、縁起の良い品物で埋めつくした文様です。


               宝尽し 宝尽しの袱紗


このイニシャルでは分銅、宝珠、宝鑰(ほうやく)、打出の小槌、金嚢(きんのう)、丁子(グローブ)、書物(謡本)を配しました。

今の時代では、え〜〜?どうしてこれが縁起よいの?と思うような品物ばかりですが、昔はさまざまな理由から珍重されていたものです。

「分銅」は秤のおもりですが、金や銀で分銅型に鋳造してお金の代わりに非常時に備えたことから蓄えのシンボル。

「宝珠」は密教の法具で、如意宝珠とも呼ばれ、金銀財宝望むものなら何でも出せるというもの。

「宝鑰(ほうやく)」とは鍵のことで、蔵の鍵をかたどったもので、蔵ということから財産を象徴。

「打出の小槌」は一寸法師のお話にもありますが、望みを何でもかなえてくれるもの。

「金嚢(きんのう)」はお金を入れる巾着。巾着には香料やお金、お守りなど大切なものを入れていました。

「丁子(グローブ)」は丁字とも書き、香辛料のグローブです。平安時代に日本に輸入され、その芳香と希少価値から珍重されたもの。香料のみでなく、染料、薬にも使われました。ここで用いたデザインは、丁子入れです。今ではスーパーでも普通に売っている香辛料ですが...

「書物」は巻子で表されることが多いですが、ここでは書物の形で謡本です。かつては巻物や書物は知識の宝庫とされ、現在では考えられないほどとても大切にされていました。

宝珠や打出の小槌はポケットに忍ばせたいかもなぁ。
投稿日 2008年04月20日 12:45:50
最終更新日 2008年04月20日 12:46:11
修正
2008年05月20日
巴里も新緑生い茂った季節。この時期になると公園や花壇には薔薇と並んでアイリスが咲き誇ります。
このアイリスを見ると、大概の日本人が 「いずれアヤメかカキツバタ」 と悩むところの 文目 杜若 花菖蒲 が話題に。


        いずれ文目か杜若 
             La plume d’oie© 鵞毛庵 2003
                  
こちらは「杜若」の作品に用いた頭文字の装飾部分の試作。完成品(現在鎌倉能舞台で展示していただいています。)は こちらで。      

ゴティックスタイルで装飾頭文字のバックになっている柄は業平菱模様。「杜若」を演じる際の装束からデザインしています。花はもちろん「かきつばた」で花びらに白い筋、地の色に陰と光を重ねて描いてゆく中世装飾画の技法を用いています。

ではアヤメはどうかというと、花びら中央に黄や白の網目模様が入っているというのが違い早分かりのポイント。

さてはて花菖蒲は?


いずれ文目か杜若 La plume d’oie© 鵞毛庵 2008

初節句のお祝いに描いた装飾文字モノグラムです。羊皮紙に頭文字のCはゴティック風にアカンサスの葉模様、端午の節句なので兜と花菖蒲をあしらいました。 (イグアナは...お祝い先のお宅の家族の一員)。

花菖蒲は青紫系や黄色などで、花びらに黄色い筋。でもここでは筋目に光が当たっているように描いてあるので、こうやって見るとどの花なのか。。。

そして、ここでまた本来は端午の節句には花菖蒲ではなくて菖蒲だというややこしいお話。

菖蒲はサトイモ科の植物で、「尚武」にあやかって発音が同じということから端午の節句に欠かせないものとなり、菖蒲湯にも浸ったりしますね。この菖蒲の葉に似た植物で綺麗な花が咲くものを花菖蒲と呼ぶようになり、両方が混同されてしまい今に至っています。

筋目が白いのもあれば黄色いのもあるし、光琳の燕子花図だって黄色い筋目もあったりして...やはりいずれが何とやら。

しかし、どれもみなアヤメ科アヤメ属の同じ花なのです。

従って西洋ではすべてアイリス(イリス)と呼ばれて、多くみかけるのはジャーマンアイリス種です。色も大きさもさまざまに品種改良されていて綺麗ですが、今風に言うならば、アヤメや杜若が醤油系だとすれば、こちらのアイリスはソース系とでも。


                      いずれ文目か杜若 パリの公園にて

このジャーマンアイリスの日本語名称はドイツアヤメ。アヤメというぐらいですから、花びらの模様は確かに網目です。
投稿日 2008年05月21日 4:48:17
最終更新日 2008年05月21日 4:50:07
修正
2008年06月20日
三余堂が度々訪れる秋田は美人で名高く、その代表が小野小町。 絶世の美女であり歌人としても優れた小野小町は、諸説ありますが、秋田の雄勝というところが出身地とされています。

能にはこの小町を題材にした曲目に「草子洗小町」「通小町」「鸚鵡小町」「関寺小町」「卒都婆小町」があり、優れた歌人、深草少将の百夜通い、年老いて乞食となった姿などが描かれています。


小野小町La plume d’oie©鵞毛庵 2003

草子洗小町 (画像はクリックすると拡大)

霞立てば遠山になる朝ぼらけ
Quand brume s’élève,
lointaines paraissent les montagnes dans l’aube indécise
平筆でローマ時代の書体リュスティカの重ね書きの上にカラス口で自由書体。 
 La plume d’oie©鵞毛庵 2005  小野小町   

卒都婆小町 (画像はクリックすると拡大)

花を佛に手向けつつ 悟りの道に入らうよ 悟りの道に入らうよ
De mes mains tendues offrant des fleurs au Bouddha,
je veux entrer en la voie de l’illumination, je veux entrer en la voie de l’illumination
竹や葦のカラム(ペン)を使用して自由書体。

小野小町といえば能「通小町」の題材でもある有名な深草少将の百夜通い。一説には、少将に毎夜芍薬の花を持参させたというのがあり、また、百夜目の逢瀬がかなわなかったことに由来して、その昔は小町が植えたとされた99本の枝をつける芍薬があったとか。

生誕地とされる秋田県の雄勝郡雄勝町(現在は湯沢市)では、毎年6月に「小町まつり」が催され

小町芍薬苑は6月が芍薬の花まつり。

130種類6000株植えられているなんて、今頃はきっと素晴らしい光景でしょう。芍薬苑のサイトの図鑑に「小町」の名のついた芍薬がないのが意外な気もするけれど、新幹線やお米にお株を取られたのかな? 

          
                小野小町 

こちらの芍薬は「サラベルナール」。
その名前から、おそらくフランス人が改良した品種なのだろうと思います。サラ・ベルナールSARAH BERNHARDT(1844〜1923)はフランスの舞台女優として一世を風靡した人です。
立てば芍薬と、容姿端麗な女性を形容しますが、これは花も大きくて厚みがあり端麗というより豪華絢爛。

庵主は立てばギクシャク.....


投稿日 2008年06月21日 5:50:41
最終更新日 2008年06月21日 5:51:36
修正
2008年07月20日
納涼に暑気払いで怪談噺というのが日本では定番。

しかし、能の演目では季節に関係なく実によく幽霊などのこの世のものじゃないものが登場します。
 
               
                 夏といえば...                 

船弁慶   La plume d’oie© 鵞毛庵 2005 桐箱寸松庵サイズ

能「船弁慶」は源義経が兄頼朝に疎まれて西国に落ちようとする際に、静御前と別れ大物ヶ浦で平知盛の亡霊に出会うお話。

書体はフリーハンドで幅の広いペンと筆を使用し、大物浦の荒波で亡霊に出会う義経一行をイメージして仕上げました。

幅の広いペンとは、竹や葦など幅広に削ってペン(カラム)にしたものや、既製品のペン先にも幅の広いものがあり、細いラインと組み合わせてコントラストを楽しむのに頻繁に使用しています

                
                 夏といえば...

芝居だとヒュードロドロっと、太鼓の「うすどろ」に笛の音取にあわせて焼酎火がゆらゆら〜〜〜っ、
ぞ〜〜〜ォッとなって涼しくなるところですが、今では冷房が効いているからそんな効果は期待できないかも。
 
夏といえば...

冷房の普及といえば、以前は夏場には袴能といって装束をつけずに能を演じたものですが、近頃は野外での薪能の方が盛んになりました。

パリの今夏はいまのところちっとも暑くなく、でも、やっぱり夏なので、今夜は圓朝作「牡丹燈籠」か、はたまた「真景累ヶ淵」でも聞きましょうか。
いや、小林正樹の映画「怪談」(小泉八雲原作)で「耳なし芳一」かな。
 

            
投稿日 2008年07月21日 7:35:53
最終更新日 2008年07月21日 7:36:09
修正
2008年08月20日
カラス口

La plume d’oie©鵞毛庵 2007 
葵上 人間不定芭蕉泡沫の世の習い 昨日の花は今日の夢と 
L’homme est précaire autant que la feuille du bananier ou l’écume légère
Fleur hier songe aujourd’dui


先月は幽霊が登場しましたが、実は生身の人間の方がよっぽど怖い。幽霊なんざ、あいつぁ飯食ってないんだから怖いこたぁありゃしないというわけでして、生霊。生霊といえば六条御息所。

書体は自分流にアレンジした自由書体で、赤い文字は先回紹介した幅の広いペンを使用。黒字のテキストはカラス口で書きインクが乾かないうちに水をにじませています。


カラス口

2月20日の記事でも紹介しましたが、カラス口は製図用の道具。しかしコンピューターの普及によりお払い箱の憂き目にあいつつあります。

投稿日 2008年08月21日 3:55:03
最終更新日 2008年08月21日 3:55:03
修正
2008年09月20日
1週間ほど前が十五夜で中秋の名月。

月は一年中見えるけれど、秋は特にそのさやけさや清らかさが増すということから、俳句では単に「月」というと秋を指します。それで名月といったら中秋の十五夜。そして十六夜、立待(たちまち)、居待(いまち)、臥待(ふしまち)、更待(ふけまち)と毎夜、お月様には名前があります。そしてその間の月が出るまでの闇を宵闇といいます。

雪月花や花鳥風月として、美しさと四季の風情に大活躍で、中国でもよく詠われるお月様ですが、西洋ではどちらかというと、魔性の趣を秘めている意味に使われることが多く、2007年のお題にあわせての書初めで、「月」に関するフランス語の例文を探した時に苦労したものです。

謡の詞章にもたくさん出てきますが、今回ご紹介するのは「道成寺」より。



中秋La plume d’oie © 鵞毛庵 2005
月落ちて鳥啼いて... La lune descend,les oiseaux crient…

画像をクリックすると大きくなります。

書体はアングレーズ、日本ではカッパープレートといわれているものを多少アレンジしてあります。この書体は18世紀以降、貿易が盛んだったイギリスで発展。さまざまな書類を迅速に読みやすく書くという必然から生まれた書体で、カリグラフィーの書体とはして一番新しいものです。画像のようなペンで書きます。(またまた黄瀬戸の笛登場!)

                                 中秋

巴里のアパルトマンでは美しい月に笛の音色というわけにも参らず。

投稿日 2008年09月20日 19:52:32
最終更新日 2008年09月20日 19:53:40
修正
2008年10月20日
まだ日本では少し早いと思いますが、フランスはかなり色づいて来ています。

紅葉も黄葉もどちらも「こうよう」で、従ってどちらも「もみぢ」。だいたい「もみぢがきれい」などと聞くと、カエデが紅く色づいた方を想像しがちですが、広辞苑を見るに、奈良時代の頃は黄葉と書くほうが多かったとか。


 
                    紅葉黄葉 

La plume d’oie © 鵞毛庵 2008

              紅葉狩  人こそみえね秋は来て...
           Personne ne me rend visite, l’automne est déjà là

フランスで身近なところで紅くなる代表は蔦。パリ市内のアパートの壁にもびっしりという光景が見られます。
紅葉黄葉

でも、黄葉のほうが一般的に多くみられ、庵主が住む通りのユリノキも黄色くなってきました。もう少し寒くなるとニレもだんだんと黄色くなり、お天気が良ければ日を浴びて、暗くなると街灯に照らされて、まさに黄金色に。このためなのかどうか?数年前から街路樹がライトアップされるよう新しい街灯が付けられました。黄金色一色の黄葉はそれはそれで美しいものです。

                   紅葉黄葉

投稿日 2008年10月20日 20:17:29
最終更新日 2008年10月20日 20:17:29
修正
2008年11月20日
                江口

                      La plume d’oie© 鵞毛庵 2005 「江口」
                 世の中を厭ふまでこそかたからめ仮の宿りを惜しむ君かな
                 Combien il est difficile, certe, d’arriver à renoncer à ce monde
                 O, vous qui répugnez à accorder un asile d’instant

 書いた張本人の庵主でさえ、え?この字はなんだっけ?と思うメロヴィンガ朝(481~751年)の書体にての作品。

 能「江口」は旅の僧が江口の里で、かつて西行法師が詠んだ「世の中を厭ふまでこそかたからめ仮の宿りを惜しむ君かな」を口ずさむと遊女江口の君の霊に出会います。その霊が西行に一夜の宿を断ったわけを話し、さらに秋の月影での舟遊びの有様など語り、やがて普賢菩薩となって昇天するというお話。お坊さんと遊女というちょっと艶やかな物語ですが、この世の迷いを捨てれば魂は救われるということが話の根底に流れています。

実はこの「江口」の一節、お弔いの際によく謡われます。

 折りしもカトリックでは11月は死者の月とされていて、亡くなった方々を弔う季節。フランスでは11月1日の諸聖人の大祝日(万聖節)にお墓参りに行くことが習慣で、季節的なことでしょうが、なぜか墓前の花は菊。しかし、色とりどりの鉢植えをお供えするのが一般的です。



道端に菊の鉢を広げる花屋さん江口
投稿日 2008年11月20日 2:18:12
最終更新日 2008年11月20日 2:18:12
修正
2008年12月20日
ただいま編集中につき...

              no subject

          ストラスブールのクリスマスツリー
投稿日 2008年12月20日 20:18:11
最終更新日 2008年12月20日 20:18:11
修正
2009年01月20日
昨年末は腱鞘炎と多忙につき、鵞毛庵担当の記事を編集中のままとして、年を越してしまいました。いやはや。

今年は年明けすぐ、久しぶりのかなりな寒さに見舞われて巴里はすっかり雪景色に。そして連日気温は氷点下だったため、積もった雪が凍りついて溶けないままでした。ここ数日、やっと気温も上昇。

これでいいのだ! 雪のパレロワイヤル庭園

腱鞘炎は当分完全に治ることはなく、仲良く付き合っていかねばなりません。そこでせっせと中華街の鍼医通い。

鉛筆やボールペンで普通に字を書くのが非常に困難なのですが、幸い、カリグラフィーはペンを持つ指先の動きがかなり固定されているからか、多少は書けるので毎年恒例のお書初めをいたしました。

今年のお題は「生」。
              これでいいのだ!

L'essentiel n’est pas de vivre, mais de bien vivre
大切なのは生きることではなく、良く生きることである。
プラトンの格言です。


庵主のこのお書初めを見た友人曰く、「よく生きるなんてつまんない。長く生きる方が絶対いい!」。
いろんなこといっぱいやって、いろんな目にあって、山あり谷ありの繰り返しの人生が絶対楽しいと。

赤塚不二夫風に最終的には辻褄があっていれば、人生「これでいいのだ」!

そして、おいしいものもいっぱい頂かなくちゃ!と、今年もまづはひたすらガレット・デ・ロワをぱくついている庵主です。

これでいいのだ!
投稿日 2009年01月20日 21:07:45
最終更新日 2009年01月20日 21:07:45
修正
2009年02月20日
只今 編集中!

東京にある 作品をちょっとお目にかけて……


こんな実用品にもなります   no subject

風姿花伝から世阿弥の言葉などをあしらった 大小の袱紗はお土産を包んだり、出先での荷物まとめに活躍します。 
投稿日 2009年02月22日 22:31:14
最終更新日 2009年02月22日 22:31:44
修正
2009年03月20日
春霞 たなびきにけり 久方の

彼岸のお中日 春もそこまで
羽衣を題材にした作品が 季節を知らせます

               羽衣

羽衣 朱で右下に羽衣と …




 
投稿日 2009年03月20日 0:10:10
最終更新日 2009年03月20日 0:10:10
修正
2009年04月20日
                   桜蘂 La plume d’oie© 鵞毛庵 2007

花なくしてしおれどころ無益なり  
Sans la fleur l’évanescence serait sans objet

今年は東京でお花見に興じた庵主。その桜もすっかり散ってしまいましたが、その後、赤みがかったガクに残った蘂(しべ)を降らせ、どんどん緑の葉が茂ってゆきます。俳句の季語に「桜蘂降る」というのがありますが、散った蘂で赤くなっている地面に桜を最後まで愛でてやまない哀愁が感じられるものです。美しい花があってこその桜蘂。


桜蘂 花の雲の下花見客賑わう小金井公園

そして街はやがて新緑から万緑の季節へ。


桜蘂 La plume d’oie© 鵞毛庵 2007

高砂 松も色そい春ものどかに
Des pins la couleur profonde et du printemps la sérénité
投稿日 2009年04月20日 19:47:57
最終更新日 2009年04月20日 19:47:57
修正
2009年05月20日
                        万緑  

                  La plume d’oie © 鵞毛庵 2007

                      高砂 松も色そい春ものどかに
               Des pins la couleur profonde et du printemps la sérénité

すっかり万緑の季節になりました。この万緑(ばんりょく)とは、 草木の緑が最も色濃い様子を言い、俳人中村草田男(1901−1983)が「万緑の中や吾子(あこ)の歯生え初(そ)むる」と使ったことにより、新しい季語となったものです。新しく芽吹いた木々の力強さが感じられます。

この春からアトリエを東京に移した庵主は、近所にこんもりと大きな木を再発見。これは樹齢200年以上になるという杉並区の保護樹のケヤキで、この界隈では「トトロの樹」と親しまれているものでした。なんでも、マンション建設計画で伐採されるところを、近所の住民が猛反対。区がこの土地を買い上げて公園にすることになり、「トトロの樹」は無事救われたとのこと。アトリエのバルコニーから真正面に見えるまあるい大きな樹は、今、まさに万緑のエネルギーに満ちています。


万緑  「トトロの樹」
                         ただいま土地の整備中。
                                 
投稿日 2009年05月20日 17:32:09
最終更新日 2009年05月20日 17:32:09
修正