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2009年07月01日
カテゴリ : [案内望遠鏡]
2006年秋の初見参以来 三余堂月次の補いにと始めた毎月一日の 案内望遠鏡の項。
案内望遠鏡 とはguiding telescope。
写真撮影用の望遠鏡に平行に取り付けてある望遠鏡で、視野広く対象星を
追跡し易くするために添えたものということである。 と、
紹介しながら、 一方でその補いが 反って 邪魔をしているかもしれない、とも書いた。
勝手なことを言いながら  ほとんど能楽さんぽは 毎月、あらぬ方へのさんぽになる。
ご案内! ということであれば まぁ 何でもご案内申し上げるということで…


先日 岩田いくま杉並区議のメールマガジンで サイトの紹介があった。
文部科学省のホームページで 開設1ヶ月、17万件のアクセスを記録した 
深海ワンダーなるものだ。
最近は啓発や教育を目的として 動画を活用したり、インターネットテレビで配信したりと 
官公庁が 企画制作会社と作り上げた作品がいろいろとあるということは 何となく承知している。
ご時世だなぁ〜  と云ったって そうそう誰もがパソコンを使いこなしている訳でもなし、
と 複雑な思いで 深海ワンダー を覗く。


潜水調査船「深海ワンダー号」で、人工頭脳「ジュール」をパートナーとして、深海探検の旅に出発。
要は ゲーム。と 侮ることなかれ。
世界に誇る日本の深海研究の現状、文部科学省の果たしている役割などについて
理解が出来るようにと作成したものというが、老若男女、それぞれの立場で 一見の価値あり。
内容のご案内より 先ず ちとご覧ナれ。


この うっとうしい季節に 涼を呼ぶ。



深海ワンダー

 http://www.mext.go.jp/wonder/
投稿日 2009年07月01日 14:46:00
最終更新日 2009年07月01日 14:46:00
修正
2009年06月20日
往時渺茫

La plume d’oie ©鵞毛庵 2007  能  善知鳥より (部分)

往時渺茫としてすべて夢に似たり
Des choses d’antan le reflet lointain n’a plus de consistance qu’un rêve


月探査機の「かぐや」から送られた地球の姿は目を見張る青さだったが、アポロの足跡の映像も送られて、ああ、あの日、双眼鏡片手に月を見つつ、実況中継を見ていたなァとぼんやり思い出しました。
これじゃ、うさぎさん、落着いて餅つきできませんな〜〜。

先日、三十年ぶりに幼馴染み数人と再会する機会があった庵主は、往時渺茫たる気持ちになるも、しばらくすると、みな、たちまち幼い頃の顔と声がよみがえり、夢ではない楽しいひと時を過ごすことができた次第。
しかし、人の記憶、それも子供の頃の記憶というのは曖昧なもので、同じことを話しているのに、食い違ったり、覚えていなかったりで、やはり往時渺茫であったかも。
投稿日 2009年06月20日 11:19:18
最終更新日 2009年06月21日 0:30:58
修正
2009年06月12日
カテゴリ : [三余堂月次]
       2009.06.11. 月よりの使者読売新聞夕刊





以前 月に願いを! セレーネに託して と題して 稿を興した。
それに鵞毛庵は 月はひとつと 応えた。
2007年2月の空を眺めて、短歌だ俳句だと 〈かぐや〉 が月に運ぶメッセージで空騒ぎ。
その〈かぐや〉が月に着いた。というより、任務終了にともなって 月の表側に落下させられた。
今年の2月には すでにこの かぐやの子衛星の 〈おきな〉 が月の裏側に落とされている。
爺さんは 先にご用済みで もう一基の子衛星 〈おうな〉 婆さんはまだ軌道を回っている。
普段は気にも留めないが、新聞紙上にその文字を見て、 打上から1年半の命か… と思う。


月周回衛星〈かぐや〉は、宇宙航空研究開発機構が2007年9月に打ち上げた月探査機。
目的は 月の起源と進化の解明の科学データを取得することなど。
アポロ計画以来最大規模の本格的な月の探査を行ってきたということだが、
今はもうひとつ 実感がなく、 あっ そぅ! というのが正直なところである。
ただ 41万人のメッセージが月の表面に届き その中に三余堂も雑ぜて頂いたと思うと
改めて空を見上げ、なんて送ったんだっけ??? そんなもンだ。
そしてもうひとつ 勝手によそ様の地へ大きな、おおきな 塊を落としてきてご迷惑さま、さま、                                                          なこった とも。


〈かぐや〉が月面に衝突した閃光の撮影結果の提供を、国内外に呼び掛けているところとか。
日本時間6月11日(木)3:25、東経80.4度、南緯65.5度へ制御落下。 
すさまじい光が 夜明け前の梅雨空を突き抜けたのだろうか。 東京では 雨がしきりだった。


YouTube JAXAchannel で動画配信を見ることができる。
文字であれ、絵画であれ、歌舞音曲であれ、最先端技術であれ 時を越えて
月よりの使者のお届けものは 美しく、神秘である。






宇宙航空研究開発機構 
投稿日 2009年06月12日 23:10:03
最終更新日 2009年06月12日 23:10:18
修正
2009年06月01日
カテゴリ : [案内望遠鏡]
仏教で 釈迦入滅のときの伝説によって聖木とされる 沙羅の木。
釈尊涅槃の際、東西南北に生えていて時ならぬ花を咲かせたと伝えられる木。
二本づつあった為に双樹、沙羅双樹、裟羅双樹と云われる木。
インド北部が原産で 日本では温室でなければ育たないという木。


よって 日本でいうところの 沙羅の木は ツバキ科のナツツバキということらしい。
茶花として 白く清楚な花が軸に添って飾られる。 朝に開花し、夕方には落花する一日花。

祗園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色
盛者必滅の理をあらはす おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし

てなわけで この沙羅双樹の花の色は 夏椿のことのようである。
名の如く 花は椿によく似た姿をもつが 秋には薄く、やわらかなその葉は 紅葉して散る。
初夏、 “ボッサッッ…” と 音ともならぬ気配が 落花の時を告げる。
この時期になると、国立能楽堂の中庭には 大きく育った夏椿、沙羅の木が見事な白い花をつけ、
それはみごとな落ちっぷりである。

本来の沙羅双樹は インドの高地などに生える高木の 二葉柿(フタバガキ)科のサラノキ。
こちらが お釈迦様入滅ゆかりの木で、葉の1枚が20センチにもなり、花は小さな房状で芳香あり。
インドのお釈迦様も日本でお釈迦様になると 花木も天竺風から和風へ となるってことで。


和風の沙羅の木には 伊豆半島より以西の山地に自生するという 花や葉の小振りなものがある。
花は梅花ほどの大きさで 姫沙羅という。 庭木や盆栽などでも栽培されている。
箱根にはヒメシャラ林がある。 神奈川県の天然記念物に指定されていることを知った。

以前、三余堂には 夏椿と姫沙羅が それぞれ双樹となって配していた。
日当たりの具合か、今 沙羅双樹は沙羅無樹となり、姫沙羅一本のみが独特の木肌をみせている。
葉は 重なり合いながらも 緑の紗をかけたように日の光を透し、
白い小振りの五弁の花が 黄色のしべを包む。
“ボッサッッ…” という 落花の気配は 姫 というには驚くほどの大きさで 陽の傾きを知らせる。
また、あしたに新しい花を咲かせる為に 本日の了を告げる ということか。


             姫沙羅  沙羅双樹


独特の木肌 沙羅双樹



            沙羅双樹 葉が陽を透かして
















投稿日 2009年06月06日 19:55:40
最終更新日 2009年06月06日 19:55:57
修正
2009年05月20日
                        万緑  

                  La plume d’oie © 鵞毛庵 2007

                      高砂 松も色そい春ものどかに
               Des pins la couleur profonde et du printemps la sérénité

すっかり万緑の季節になりました。この万緑(ばんりょく)とは、 草木の緑が最も色濃い様子を言い、俳人中村草田男(1901−1983)が「万緑の中や吾子(あこ)の歯生え初(そ)むる」と使ったことにより、新しい季語となったものです。新しく芽吹いた木々の力強さが感じられます。

この春からアトリエを東京に移した庵主は、近所にこんもりと大きな木を再発見。これは樹齢200年以上になるという杉並区の保護樹のケヤキで、この界隈では「トトロの樹」と親しまれているものでした。なんでも、マンション建設計画で伐採されるところを、近所の住民が猛反対。区がこの土地を買い上げて公園にすることになり、「トトロの樹」は無事救われたとのこと。アトリエのバルコニーから真正面に見えるまあるい大きな樹は、今、まさに万緑のエネルギーに満ちています。


万緑  「トトロの樹」
                         ただいま土地の整備中。
                                 
投稿日 2009年05月20日 17:32:09
最終更新日 2009年05月20日 17:32:09
修正
2009年05月12日
カテゴリ : [三余堂月次]
JR荻窪快速ホームの階段を駆け上がると ピッーピー ピッーと鳥の声がしていた。
発着のアナウンスに被って耳に残る。
電車のドアは閉まりムットする人いきれが車内に充ちている。
あの拡声器から流れていたのは何だったのか。
息が整うと間もなく、次のホームで電車のドアは開いた。 アサガヤ〜 アサガヤァ〜
野鳥の声は ない。


荻窪のホームで耳にした拡声器からの鳥の声は…
5月10日から野鳥週間、バードウィークである。

     東京都の広報  愛鳥週間

三余堂の庭は 隣家との狭間で都会のサンクチュアリ、自然の保護地帯となっている。
昨今の獰猛なカラスや 我物顔に徘徊する猫から身を守り、安心して餌を得、水浴の出来る
場所を提供しているということで、決して燦々と陽のあたる広大な空間を意味してはいない。
つくばいの周りが水浸しになっているのは ヒヨドリやハトの水浴びのあとで シジュウカラや
メジロなどの小型のものは 餌台の深皿にはられた水で充分にバスタイムを満喫する。
巣立ちの頃 シジュウカラの親は、枝から枝への渉り方や 餌の取り方、水浴びを教えに
まだ色も淡く柔らかな子供たちを連れてくる。 ツツッーピッ、ツッーピッと地鳴きの声が賑やかだ。 
スズメが減った都会も 気を付ければ季節、季節で鶯からつぐみ、ひたきの類に至るまで 
小さなサンクチュアリにやってくる。
愛鳥週間を機に東京都の広報で 野鳥とのかかわりを啓蒙している。
捕獲や飼育が禁止されていることから餌やりの注意、雛が地面に落ちていたら、等々…


愛鳥週間 2007.06.近隣の電線でセキセイインコ


辺りに馴染まない鮮やかな色の 野生化した飼鳥の群れをみれば 此処は何処かと足が止まるし、
夜明け前のカラスの群れの鳴き声に目を覚ますと あたりの様を思って再びの眠りは難しい。
それもこれも人の為した業だ。愛鳥週間の広報を手にして何とも言い難い。

  図鑑で日本の野鳥を確認   愛鳥週間
投稿日 2009年05月13日 8:40:21
最終更新日 2009年05月13日 8:40:30
修正
2009年05月01日
カテゴリ : [案内望遠鏡]
住宅地の中に 見たカリンの畑。 
以前は農地だったであろう処が 緑地として残すためか 今はカリンが植えられている。
カリンの前は 芋か何かの作物だったこともあった。 
その前は 栄養たっぷりの色をした土が小山のように積み上がっていた。
四月に満開だったカリンのその後は 陽の光にかがやく葉をたたえ 実を結ぶ序章。


かりんの向こうに満開のもも 三月下旬の様子 かりん


かりん  カリンの花
 

        新緑のカリン 低木に剪定  かりん 

バラ科の植物と知ると、 なるほど 同じバラ科のボケの花に似ている。
低木に花をつけたカリンは馴染がなかったので 初めは何の木かと 訝しく思った。
そのうちに 楕円形の黄色い大きな実を見た。  ほぉー カリンかぁ 〜 
きれいに剪定された低木には不釣り合いな 大きな、おおきな 実がなっていた。
10月も下旬 芳しい香りがする。
秋になる実は ビタミCなど 咳や痰、喉の炎症に効く成分があるという。
生食には御世辞にも向かない 堅さと、渋み。 
これが砂糖漬けやジャム、果実酒になるのだから 不思議なもンだ 。
ちなみに 小麦粉、砂糖、水、食塩、重曹などを練って 棒状にして油で揚げ、
黒砂糖などの蜜でからめて乾燥させた菓子は カリンの砂糖漬けのことではない。
かりんとう、花梨糖 という菓子は全く別物なのでご注意のほど。 


大きな実がいくつかに割られ、ぷかぷかと焼酎に浮かんだカリンは 飴色の酒になって
喉に良いと 風邪の季節に台所の床下から登場する。 
渋みが抜けて 甘い。 別に旨いものではない。
要するに 薬ということで ウマいからクウ というものではない。
生薬ということは 毒にもなるということで種は気をつけろ といわれている。
花もきれい、葉の緑も紅葉も美しく、芳しい香りの大きな実、 とくれば お次は 毒だなぁ…

吹く風にあたっただけで死んでしまう 附子(ぶす) という毒が入っているから絶対に近づくなと 
太郎冠者、次郎冠者に言って 出かけた主人が、隠していた砂糖をすっかり 彼らに食われてしまう、
という狂言がある。
曲名 附子。 五月九皐会で野村萬蔵師が勤める。
当時の貴重品 砂糖を猛毒のブス だと言った主人。 
この 附子は トリカブトの根の毒のことで 四谷怪談のお岩さんが飲まされたのも これだとか。
勿論 この附子、生薬で用法によっては 我らもお世話になっているわけだ。


まっ、 どの道、お里の知れないものは 遠くからそっーと 愛でているのも選択肢 !



投稿日 2009年05月01日 14:09:42
最終更新日 2009年05月01日 14:09:42
修正
2009年04月20日
                   桜蘂 La plume d’oie© 鵞毛庵 2007

花なくしてしおれどころ無益なり  
Sans la fleur l’évanescence serait sans objet

今年は東京でお花見に興じた庵主。その桜もすっかり散ってしまいましたが、その後、赤みがかったガクに残った蘂(しべ)を降らせ、どんどん緑の葉が茂ってゆきます。俳句の季語に「桜蘂降る」というのがありますが、散った蘂で赤くなっている地面に桜を最後まで愛でてやまない哀愁が感じられるものです。美しい花があってこその桜蘂。


桜蘂 花の雲の下花見客賑わう小金井公園

そして街はやがて新緑から万緑の季節へ。


桜蘂 La plume d’oie© 鵞毛庵 2007

高砂 松も色そい春ものどかに
Des pins la couleur profonde et du printemps la sérénité
投稿日 2009年04月20日 19:47:57
最終更新日 2009年04月20日 19:47:57
修正
2009年04月12日
カテゴリ : [三余堂月次]
2月28日 京都清水寺で法要が営まれた。
境内の重要文化財 開山堂、通称田村堂でのことだった。
坂上田村麻呂の坐像が99年ぶりに公開されるのに先立っての御開帳法要である。
厨子の中に安置。衣冠束帯姿に彩色が施された坐像が、田村麻呂。

清水の舞台で御存知音羽山清水寺は、奈良時代の末、宝亀9年(778)の開創という。
1200年余りも前のことだ。
その翌々年 田村麻呂は仏殿を寄進し、本尊に十一面千手観音を安置した。

坂上田村麻呂は平安時代以降 武人として多くの伝説を生んだ。
今昔物語などにもその名がみられ、妻の病気の薬になるという鹿の血を求め音羽山に入った折、 
修行中の僧延鎮に出会い、殺生を戒められる。
それを機に仏に帰依して寺を創建したという。 これが清水寺。

能「田村」は、前段で清水寺創建の縁起物語、童子の姿となった田村麻呂の幽霊が登場。
後段では蝦夷征伐を若々しい武将姿の田村麻呂が舞う。
観音の霊力と加護による戦ぶり、武将の勇猛さが描かれ、祝言の能とされてきた。

さぞな名にし負う 花の都の春の空 …という詞章のごとく 花の季節に相応しい曲である。
ユネスコの世界遺産に登録されている清水寺で 坂上田村麻呂の坐像は5月31日まで公開。
九皐会では本日12日 田村が演じられる。
天も花に酔えりや 面白の春べや あら面白の春べや … と


満開となる 八重のさくら 坂上田村麻呂



           坂上田村麻呂 枝垂桜も風に散り始める


坂上田村麻呂 ついでにかりんも満開
投稿日 2009年04月12日 2:55:37
最終更新日 2009年04月12日 2:55:55
修正
2009年04月01日
カテゴリ : [案内望遠鏡]
正確な文字数が把握できる升目に、一字一字を書込む原稿用紙。
日本語の文章を書くために誂えた用紙である。小学校の作文の時間からの馴染だ。
通常用いられる原稿用紙は400字詰と200字詰の二種類で、1行を20字。
升目は正方形に近いかたちにつくられ、行と行との間に振仮名、傍点を記入しやすいように
ある程度の余白がある。行間の余白を取らず横長の升目のものもある。
老舗の原稿用紙を使って文章をしたためると、 ちょっとした文士気分で作文も上等になるかと…
あぁ 勘違いも甚だしい限りだが、名入りの原稿用紙には憧れたものだ。



原稿用紙の起源は、隠元禅師でご存じの黄檗宗が 経典の版木をつくるに当たって、
縦一行の字数を20字横10行と定め、これを1頁と定めたことによるらしい。
要するに、明朝風の出版活動が我が国に置いて活発に展開された産物 ということで 新聞活字の
明朝体もこの時の名残だということである.。
その後も 原稿用紙は、頼山陽が『日本外史』を記すのに用いた升目様の用紙であったとか、
400字詰様式の起源はやれなんだとか、あるようだ。
一字一字を区切った用紙は漢文を記す為に、適したものと深い関係があろう。
明治になってからは 活版印刷が一般的になる中で、新聞・雑誌などに原稿を掲載する際、
字数が正確に計れることが 最重要視されたことも関係する。
書かれたものの 分量の単位として原稿用紙換算が利用されている為か、日本語ワープロソフトには
原稿用紙のフォーマットがテンプレートとして入っている。  ネット検索をすると 
     原稿用紙のダウンロードができます!    の文字が溢れるように出てくる。


作家の丹羽文雄お気に入りの満寿屋の原稿用紙。 
大切な目と万年筆の保護に、永久保存の効く中性紙使用と説明書きにあり
書くために生まれてきたその書き味をぜひ一度お試しください、ともある。
洋紙の原稿用紙は相馬屋から というのは相馬屋源四郎商店 。
明治中期に和半紙だった原稿用紙を 尾崎紅葉の助言で洋紙にして売り出した。
夏目漱石、北原白秋、石川啄木、坪内逍遥といった文豪たちにご愛用頂きました、と言われては
末は 芥川賞か、直木賞。はたまた 本屋大賞か。使わずばなるまい。




名入れ百冊単位でお受けします!   原稿用紙
文士じゃあるまいし… 学校の作文の時間にはもったいねぇ。


勿論 銀座の伊東屋にも特製の原稿用紙はある。原稿用紙


利用者の便宜、製作者のこだわりなど さまざまな飾りやデザインで工夫が凝らされている 
原稿用紙。
好事家はどこにも居られるもので ○○紙店、××屋、と駆けずり回って いろいろと楽しむ。
原稿用紙を売る老舗店。どちらも 付近は文芸の香りを味わえる。
文士の利用した旅館、編集者と打ち合せに使った洋食堂のあと、わいわいと集まった飲み屋。
神楽坂の相馬屋までちょっと 用足しに行けばそんな気になれる。 か…  ?
矢来能楽堂で観能の節は御立ちよりも。   ただし 日曜は定休なり。




日曜の夕暮れ相馬屋 原稿用紙
投稿日 2009年04月03日 7:41:26
最終更新日 2009年04月03日 7:42:39
修正
2009年03月20日
春霞 たなびきにけり 久方の

彼岸のお中日 春もそこまで
羽衣を題材にした作品が 季節を知らせます

               羽衣

羽衣 朱で右下に羽衣と …




 
投稿日 2009年03月20日 0:10:10
最終更新日 2009年03月20日 0:10:10
修正
2009年03月12日
カテゴリ : [三余堂月次]
鼓に掛けられた袱紗 袱紗

袱紗はその昔、まぁ ちょんまげを結っていた時代…
進物を贈る時に三宝〈さんぼう〉や広蓋〈ひろぶた〉、にのせた品物の上に掛けたり、
貴重品などを収めた箱の上に 掛けていた布のことである。
掛布というか、敷布というか、風呂敷状のものだ。
大風呂敷は散らかし部屋の雑物を覆い、楽屋では三余堂の身ぐるみ纏めてひとくくり、
と重宝なお風呂敷。
エコだとかなんだとか見直されているのが袱紗の親分 おぉ風呂敷である。
ちなみに検事諸氏、紋入りの風呂敷で書類を包んで法廷を移動する。
 
おおきな掛け布、包み布は、実用としての歩みと共に 日本人の美意識の表現一つにもなっていく。

昔は ネコもペリカンもこぐまも贈答品を運ばなかった。
もちろん 佐川さんも軽トラなんぞで運んではくれない。
そこで、贈答品の日除け、塵埃除けとして、ふくさで包んだり、掛けたりして
道中をテクテクと行ったわけだ。
羽二重や綸子などの柔らかい布で作ったところから、ふっくらと柔らかいという意味で
「ふくさ」と言うとか。
江戸時代中期には、掛袱紗が習慣になっていたようだ。

ご存知 東映時代劇! 
忠臣蔵じゃぁ、吉良さんちに 定紋入りの掛ふくさの品々が 並んでいました。
浅野さんも 鷹の羽のぶっ違いで気張ったことでしょうが 
今一つ、二つ お三宝が不足だったのでしょうか。

元々ふくさは一枚の布地で、其の後に 裏地付きの絹布で四隅に亀房と呼ばれる房付きのものに。
慶弔行事の儀式用品として、広蓋と言われる黒塗りの盆、と併せて用いられるようになっていく。


黒塗り盆に掛ける房付きの掛けふくさ 袱紗

金封を包む小さい風呂敷を手ふくさなどというが、小さいものを 「帛紗」と書き、
掛けぶくさなどの場合には「袱紗」と書くということらしい。
茶道で茶器を拭いたりするふくさや 茶たくの代用とする出しぶくさも帛紗。

先月 鵞毛庵能の花シリーズで 「帛紗」を御覧に入れた。
大は風呂敷、小は金封用の帛紗と三余堂普段使いの愛用品である。
帛紗は四季折々の絵柄や布素材を楽しむ。
用途により、先様に応じた柄を選ぶこともなかなか面白いものである。
目的地に着くと帛紗は外され、懐にしまわれる。 ことさら先様の目に触れることはない。


袱紗 枝垂桜を待つ頃に
投稿日 2009年03月12日 2:38:42
最終更新日 2009年03月12日 2:38:45
修正
2009年03月01日
カテゴリ : [案内望遠鏡]
            狸・たぬき・他抜
         よそさんの前を御免下さいまし!


こんな親子が三余堂への行きに見送り、帰りに出迎える。
風流な御仁が設えた物だ。
身の丈 1メートル50はあるか信楽たぬき。
福々とした狸殿、編み笠を被り少し首をかしげながら徳利と通帳を持って立っている。
信楽焼<しがらきやき>は、滋賀県は忍者の里 甲賀市の信楽町を中心に作られる陶磁器。
狸の置物と言えば信楽と思っている。

常滑や備前、清水などでも焼かれている徳利片手の狸だが
大狸の信楽焼置物は比較的歴史が浅いのには驚いた。
信楽では 幕末に狸の置物を造っていた記録があるというが、あの大きいのになったのは
明治以降、の作家によるものが最初らしい。
戦後、昭和天皇が信楽へ行幸の際

    をさなどき あつめしからになつかしも 信楽焼の狸をみれば

と狸たちに歓迎されたことを歌に詠まれた。
このことで 恐れ多くも、信楽の狸が全国に知られるようになったという。
「他を抜く」と書いてたぬき、よそ様を抜くということに通じるので 商売繁盛とばかりに
店の軒先に置かれることが多いという訳だ。 ご縁起物。


香合に掛軸と 茶席にも登場する気取った狸もいるし、昔話に登場して人を化かすのもいる。
憎めない その図々しさに親しみを感じるのか。
音曲から落語まで取り上げられる話題のつきない存在である。 
 
2月の鉢木が講談仕立なら 次は落語の一席で「狸」といきたいところである。
えぇーっ  先代の小さんは その風貌から狸に似ていると云われましてぇ、
お頼まれしますってぇと 色紙などにもよく狸の絵を描きまして…。
一門はたぬきの噺をすると たぬきの料簡になれ!と教わったもんでございます。
たぬきの料簡 とはなんぞや…  えぇーっ  キツネは七化け、たぬきは八化け ともうしまして〜
若い噺家の枕の受売りだ。 

いろいろあるたぬきの噺は とどのつまり 助けられた御礼話である。
劇作家の宇野信夫氏が そんな噺から 霜夜狸〈しもよだぬき〉 という作品を書いた。
1966年にNHKラジオで放送したものを ついこの間、ラジオドラマ・アーカイブスとして放送していた。
40年前のものである。
新派の大矢市次郎がとっつぁん、文学座の若き加藤武が狸。

孤独に暮らす番小屋の老人と、寒さに耐えかねて老人の死んだ息子に化けたタヌキが、
しだいに心を通わせていく……。

歌舞伎界の大御所・宇野信夫の原作を、森繁久彌が構想15年を経て完成させた人情アニメ。
森繁の語りが絶品だ。と 銘打ってDVDも売られている。 

狂言現行曲にも 狸腹鼓〈たぬきのはらつづみ〉、 和泉流のみになるが 隠狸〈かくしだぬき〉、とある。
人間とお狸さまとのかかわりは、狂言も御同様。  で、今日も 寒空の下 たぬき親子に迎えられた。



            おかえり!狸・たぬき・他抜



投稿日 2009年03月01日 0:36:47
最終更新日 2009年03月01日 0:36:47
修正
2009年02月20日
只今 編集中!

東京にある 作品をちょっとお目にかけて……


こんな実用品にもなります   no subject

風姿花伝から世阿弥の言葉などをあしらった 大小の袱紗はお土産を包んだり、出先での荷物まとめに活躍します。 
投稿日 2009年02月22日 22:31:14
最終更新日 2009年02月22日 22:31:44
修正
2009年02月12日
カテゴリ : [三余堂月次]
立春をすぎて尚さぶぅっ。鉢木伝説の情景を感じる寒さだ。
    駒とめて袖打ち払ふかげもなし佐野のわたりの雪の夕ぐれ  定家


二十年以上前のことになるか、親父殿が 能 鉢木(はちのき)を勤めた時のこと。
見所 《ケンショと読む 能を見るところ、つまり客席ですな 》に 白髪長身の紳士をはじめとした、
おじさんのグループが陣取っていた。
親父殿のころの中学の教科書に鉢木は載っていた。そこで、当時の中学の国学担任と
同級生が集ったということらしい。月次同級会をしていた仲間の鉢木鑑賞であった。
もはや、懐かしの時代となりつつある昭和の初めには 誰でも知る鉢木伝説である。

太平記では出家後の北条時頼が、旅の僧として諸国を行脚、家領を奪われた者の嘆きに
接したと伝える。旅から鎌倉に戻った前執権の北条時頼は、奪われた土地を取り返してやる。
こんな話は 北は津軽から西は肥前国まで、全国的に分布しているらしい。
時の政治向きのことが、おおいに絡んでいるのだろう。
建長寺を建立した、鎌倉幕府第五代執権北条時頼は 名君 とされている。

雪の降る夕べ、旅の僧が宿を乞うた。
家の内の貧しさに、一度は断ったが、雪中を去る僧を追いかけ、家の中に招き入れた。
佐野庄を一族の者に奪われ 雨露凌ぐばかりの家に、妻と共にわび住まいの身となっていた
主の佐野源左衛門常世。
辛うじて粟の飯を、旅の僧に勧めたが、焚き木の備えがない。夜更けと共に寒さが募る。
主は、零落後も手放さなかった梅、桜、松、三つの鉢を取り出し、次々に切り、火にくべた。
       異木よりまづ 先立てば梅を切りやそむべき
 家桜きりくべて緋桜になすぞ悲しき
         松はもとよりけむりにて薪となるも理や
火はあかあかと燃え上がり、僧の問いに応じて主は身の上を語る。
謡で薪の段と称している。 まさに たきぎの暖。
翌朝、僧は「もし鎌倉に、となれば、お訪ねあれ。」と立ち去る。


さぁて時は経ち、関東八カ国の御家人に対し、急ぎ物の具をつけて駆けつけよ、と、
鎌倉から命が下されたのでございます。


  いざっぁ  鎌倉へ! 

佐野源左衛門常世は、錆びた薙刀をもち、痩せ馬を駆って馳せつけますぅ。 ぱっ ぱっぱっ ぱっぁ…  

  おぉ〜ぅ お〜ぉう やってまいったか !!

大雪降って寒かりしに。秘蔵せし鉢の木を切り。火に焚きあてし志をば。いつの世にかは忘るべき。
むっ! あの時の 御僧は北条時頼さまぁっ !!! 
常世は、本領佐野庄とともに、梅田、桜井、松井田の三荘を与えられたのでございますぅっ。
                                               パンパ パンパッパンッ !
これぞまさしく 梅、桜、松、三つの植木の鉢、盆栽が土地になったっというわけでございまして …
写真もなけらゃぁ、絵もなくて 佐野源左衛門常世、時頼感動の場、
ながぁいお話のうち、 パッパンパンッ
    そのほんのサワリを パンッパッ パンッ !          
 これにてご無礼。






2月 観世九皐会別会 鉢木










投稿日 2009年02月12日 0:27:52
最終更新日 2009年02月12日 0:27:52
修正
2009年02月01日
カテゴリ : [案内望遠鏡]
日頃 何気なく車で通り過ぎていた、近所の住宅の中に盆栽園をみつけた。

盆栽は、草木を鉢に植えて、枝ぶりから鉢に至るまでの姿全体を鑑賞する。
梅、桜、松 …  鉢の木、鉢木 である。
草木の自然を、鉢の上に縮尺して再現することを目指すという。
枝を針金で固定したり、曲げたり、剪定をしたり、岩や石を置いて根を這わせたり
手間と時間をかけて作っていく。 相手は生き物。常なる変化と対峙して、限りがない。


昔、中国の唐の時代に行われていた 「盆景」 が平安時代に日本へ入ってきて盆栽を生んだという。 
盆景は箱庭の親類といったら 無礼になろうか。
蛇足ながら 今や子供を伴って盆景展へ出向くむきも無かろうが
子供が会場で、人差し指を立てたら危険信号。 
しっかり手をつなぎ、空いた手から目を離す事なかれ。
山川草木が、自然の大地が、海が、小さな盆の上に再現され 思わず指が近ずく…
必ずや海にある筈のない大穴ができ、山に窪みが増える!


江戸時代には武士の間で盆栽の栽培が盛んになり、興隆する。
鬼平なんぞが チョッキン、チョッキンとしながら 与力の報告を聞いている様を思われよ。
盆栽は粋な趣味である。暴れん坊将軍では 大店の旦那も 別宅の奥で鋏を握っていた。
が、管理が大変だ。
生活環境の推移により 手間と時間が必要な趣味は愛好者が 次第に熟年層となる。
戦後は、年寄り臭い趣味とされていた。しかし、近年、盆栽が海外でも注目を集めるとともに、
若者の間でも再認識されるようになったと聞く。  どこかで聞いたような話である。

関東大震災後に、被災した東京小石川周辺の盆栽業者が移住した、埼玉県さいたま市には、
盆栽町という地名がある。日本屈指の盆栽郷とされ、海外の盆栽愛好家にも知られる地区だという。
国内外の観光客も多く訪れて 盆栽見学だそうだ。


植物にハサミを入れて形作るのは 大自然を縮尺する盆栽ばかりではない。
樹木や低木を刈り込んで動物や 球や円錐をつくったりするトピアリー がある。
こちらは 西洋の伝統的園芸技法。 盆栽の 柘植の玉仕立て の親分サイズといったところか。 
本来の樹形を生かして 仕立てる盆栽に対して トピアリーは人工的な形を目指している。


大きな鹿と大きな手  盆栽の親分サイズ

大分前になるが シザーハンズという両手が鋏の人造人間の映画があった。
最初は両手のハサミを持て余していた、ジョニー・デップ扮する人造人間。
ある時ハサミで庭木を美しく動物などの造形物に刈り取る。 見事な作品をつくりあげた。

古代ローマ時代に 奴隷の庭師が、生垣に主人と自分のイニシャルを刈り込んだのが
トピアリーの最初といわれているそうだ。この技法が普及したのは16世紀以降のヨーロッパらしい。
円錐や球体の幾何学的な形に樹木を刈り込んだトピアリーが 王宮や貴族の館で流行したという。
左右対称に整然とつくられ、トピアリーで飾られた、そんな西洋の庭園が目に浮かぶ。

実物大の像の親子 盆栽の親分サイズ


先日の読売夕刊紙でトピアリーガーデンが紹介されていた。

くしくも 三余堂数軒先のシャッター前。リボンをつけて、お洒落してのかわいい小鳥が二羽。 
盆栽の親分サイズ この夜寒に 無造作に置かれている






投稿日 2009年02月01日 0:37:44
最終更新日 2009年02月01日 0:37:44
修正
2009年01月20日
昨年末は腱鞘炎と多忙につき、鵞毛庵担当の記事を編集中のままとして、年を越してしまいました。いやはや。

今年は年明けすぐ、久しぶりのかなりな寒さに見舞われて巴里はすっかり雪景色に。そして連日気温は氷点下だったため、積もった雪が凍りついて溶けないままでした。ここ数日、やっと気温も上昇。

これでいいのだ! 雪のパレロワイヤル庭園

腱鞘炎は当分完全に治ることはなく、仲良く付き合っていかねばなりません。そこでせっせと中華街の鍼医通い。

鉛筆やボールペンで普通に字を書くのが非常に困難なのですが、幸い、カリグラフィーはペンを持つ指先の動きがかなり固定されているからか、多少は書けるので毎年恒例のお書初めをいたしました。

今年のお題は「生」。
              これでいいのだ!

L'essentiel n’est pas de vivre, mais de bien vivre
大切なのは生きることではなく、良く生きることである。
プラトンの格言です。


庵主のこのお書初めを見た友人曰く、「よく生きるなんてつまんない。長く生きる方が絶対いい!」。
いろんなこといっぱいやって、いろんな目にあって、山あり谷ありの繰り返しの人生が絶対楽しいと。

赤塚不二夫風に最終的には辻褄があっていれば、人生「これでいいのだ」!

そして、おいしいものもいっぱい頂かなくちゃ!と、今年もまづはひたすらガレット・デ・ロワをぱくついている庵主です。

これでいいのだ!
投稿日 2009年01月20日 21:07:45
最終更新日 2009年01月20日 21:07:45
修正
2009年01月12日
カテゴリ : [三余堂月次]
毎年暮れに晩白柚を賜る。
正月飾りとして玄関に設えられ、柑橘の香りを放つ。
直径は25cm、重量は2キロ以上。重いものになると3キロを優に越えるという晩白柚、ばんぺいゆは
柑橘類では最大級の大きな、おおきな果実。


       晩白柚 ばんぺいゆ リンゴとレモンを隣にして


晩生で果肉が白っぽく、中国語で丸い柑橘という意味の柚に由来して、晩白柚。
原産はマレー半島。日本にはベトナムから大正期に伝わったが、普及には至らず、その後
台湾から鹿児島県果樹試験場に株が導入され、適産地の熊本県八代に根付いたという。
もともと 八代はざぼんの産地であった。晩白柚は、その一品種だそうだ。

これは、これは 人の頭ほどに育ったざぼんでござる  と思っていた三余堂である。

今は八代の特産品であるのみならず、熊本の代表的な産品として 年末年始の需要が大。
2、3年前、テレビ、新聞などでもてはやされ、話題となったことを御記憶のご仁も居られよう。
風土、文化に合うように長い時間をかけてきた晩白柚。
剪定、灌水、摘蕾、人工授粉、摘果、摘果、袋付け、除草、袋はずし、収穫…
研究者、生産者の丹精が見事な物を産出した。

香り、大きさ、保存性の良さから 三余堂では正月の一役を担い、食べごろになると下げられる。
包丁での解体作業後、見事な一房が現れるのだが、さぁて 御味のほどは如何に。
これがまた なかなかの代物であとを引く。
その厚い皮は甘煮にもなるが、専ら湯船に浮かび 晩ぺい湯 となる。



厚い皮に包まれて ばんぺいゆ


ばんぺいゆ 湯に浮かぶ前の一仕事 ハイ ポーズ!



隠れた手間暇は大きな実りとなって 香りを聞かせ、目を楽しませ、味わう喜びを与え、
最後に疲れを癒す晩ぺい湯となる。

あぁ〜  今夜の風呂は言っていた。 隠れた手間暇を惜しまず事にあたれよ、と。







投稿日 2009年01月12日 23:25:49
最終更新日 2009年01月12日 23:26:08
修正
2009年01月01日
カテゴリ : [案内望遠鏡]
恭賀新年

                   年始ご挨拶

 冷たい北風の吹く 東京の元日。三余堂窓から 遥拝にて初詣終了。
気持も新たに 2009年の朝を迎え 思うこと。
旧臘、弁当に折り込まれた料亭の用紙の一言。
 
 
 花は色 人はこころ   と…

隅にも一言  季節により内容が変わります!  




投稿日 2009年01月01日 0:01:45
最終更新日 2009年01月01日 0:01:45
修正