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2007年11月20日
このところ、機械に全く弱い友人のパソコン指南役をおおせつかっている庵主。今まではなんだかんだと逃げていたのを、意を決してついに立ち向かおうと相成ったわけで、手取り足取り。何度でも言ってもらって自分でやらないと絶対に覚えられないのだと、何度も何度も同じ作業を忍耐強く繰り返しています。

三余堂の先回の記事から、そうそう、世阿弥の風姿花伝にも、と何年か前の作品を引っ張り出してみました。


稽古は強かれ諍識(じょうしき)はなかれとなり
Soyez dur à l’exercices, évitez la vanité prétentieuse


稽古は強かれ   La plume d'oie©鵞毛庵 2003 サイズ ハガキ大
                                                                                                                                                                                                                  
                                                                                         

                  La plume d'oie©鵞毛庵 2005 サイズ 38x25  稽古は強かれ

この諍識(じょうしき)の諍とは、争う心の意味に当たりますが、簡単に言えば、稽古には厳しく研鑽を積み、おごりや虚栄心は避けることといった意味。

耳がちょっと痛い。というのは、日本の駅の券売機が以前は庵主が帰国の際にもっとも苦手でした。使い方が判らないなどというのが人に知れるのも嫌で、見得もあるし、結局後ろの人たちから罵声を浴びせられたりが何度あったことか。
最近は多少齢を重ねて、三余堂が言うところの妙齢の婦人にはまだちとかかりますが、その手前のオバサンが板についたのか、何か不案内になると、すみません、判らないんですが、としっかりちゃっかり人に教えを請うようになりました。そうなるとやはり覚えるもので、スムーズにことが運びます。親切な人に感謝するやら、以前の自分を反省するやらしながら新しい技術を取得!駅で切符を買うのも怖くない! あ、先回はsuicaを購入しました。さらなる一歩前進。

前述の友人、まさに「稽古に強かれ」をまっしぐらの最中です。といっても、時々、そんなこと、もう判ってる!と、勢い良く言って貰いたいとも密かに願っている指南役なのですが。身に付くまでにはまだまだかかりそう....


投稿日 2007年11月21日 3:24:38
最終更新日 2007年11月21日 3:24:38
修正
2007年10月20日
                秋草

                      野の宮乃秋の千草の花車 我も昔に廻り来にけり
             Au temple de la Lande sur mon char fleuri des mille herbes de l’automne
                  Moi-même du temps jadis je suis venue me ressouvenir


すでに能の花Vol.3の作品紹介で掲載した野宮の作品今回は装飾頭文字を少々拡大して秋草のお話を。

秋草

この作品の書体にはゴティック体を使用したので、頭文字に金箔を置き装飾に秋草をあしらってあります。萩、尾花、女郎花と桔梗と七種類すべては描ききれなかったのですが、装束などの秋草文様を参考にデザインしました。

さて、この秋の七草といわれているものは、万葉集にある山上憶良が詠んだ歌

    秋の野に咲きたる花を指折り かき数ふれば七種の花
    萩が花 尾花 葛花 撫子の花 女郎花 また藤袴 朝貌の花


からきています。この歌に詠まれている「朝貌(あさがお)の花」は、諸説ありましたが、今は桔梗に落ち着いています。私たちが朝顔と云っている花は平安時代以降に日本に渡り、山上憶良の時代にはまだ存在していません。その後も歌や文様では混同されていることが多かったようです。


帰国中に鎌倉能舞台にお邪魔した帰りに、近くの長谷観音に立ち寄ったら、こんな綺麗な桔梗がたくさん咲いていました。まだまだ暑い時期でしたが、旧暦ではすでに秋。

                  
               秋草

投稿日 2007年10月21日 0:01:50
最終更新日 2007年10月21日 0:01:50
修正
2007年09月27日
風姿花伝

                     秘すれば花   La fleur est matière à secret.


今回はハガキ大の作品より、同じテーマでそれぞれ違った技法の作品をご紹介します。画像をクリックして拡大してご覧ください。


              能の花 Vol.3 作品紹介 その8   
                       ハガキ大  ©La plume d’oie 鵞毛庵 2007                        

違う質感の組み合わせでのコントラスト。四角で囲まれた中はゴティック体を平筆で重ね書きし、その上に太いラインを乗せ、面相筆で自由書体を重ねました。


能の花 Vol.3 作品紹介 その8     
ハガキ大  ©La plume d’oie 鵞毛庵 2007  

こちらの書体はローマ時代の草書体からアレンジ。草書体といっても、ローマンキャピタルと呼ばれる石に刻まれていた書体が手書きにやわらかく変化したもの。
ここでもマスキングゴムを使用して白抜きしたりBOUSTROPHEDONブストゥロフェドンに挑戦。
ブストゥロフェドン(舌をかまないように!)というのは、昔の畑仕事の牛車のわだちから由来していて、ギリシャ語のBOUSが牛、STREPHEINが回すという意味。一行目は普通に左から右に書いて、二行目は一行目の右端の直ぐ下から左右に反転した文字で左に向かって書き、その次の行も同様に文字を反転させて、つまり普通の文字になって続いてゆくというもの。真ん中の黄色い蚕豆状のぽわぁんと浮かんでいる部分と、左下の赤い部分がその技法です。右上の緑の部分はFLEUR を散らばせています。
 

                          能の花 Vol.3 作品紹介 その8  
                
                           ハガキ大 ©La plume d’oie 鵞毛庵 2007

三枚目の作品は、同じローマ時代の書体のアレンジですが、白抜きの部分は鏡文字になっています。

どれも同じ内容でさまざまな技法で書いてみるのが目的で、色合いやデザインなどは、やはり鵞毛庵の頭の中を抜け出して部屋に浮かんできたもの。そして金箔でボリュームも少し与えてみました。

シリーズでの展覧会の作品紹介は今回で一応終了ですが、全作品を掲載していないので、折に触れてまたご紹介したいと思います。お楽しみ!

                           
投稿日 2007年09月27日 22:59:01
最終更新日 2007年09月27日 22:59:01
修正
2007年09月24日
               能の花 Vol.3 作品紹介 その7

                  ©La plume d’oie 鵞毛庵 2007 作品サイズ 72x28cm

風姿花伝            人々心々(にんにんこころごころ)の花なり。
                  La fleur varie selon les hommes et leur tournure d’esprit.


この作品も、マスキングゴムを装飾や白抜きの文字に使用しています。
書体はメロヴィンガ朝(481~751年)の頃の書体で、一文字づつ一応決まった形はあるものの、ひとたび文章になると、どんどん繋がってくっついて文字が変化してしまうという厄介な書体です。しかし、それゆえに、解読は判じ物を読むようで面白く、書く際も、いかに崩して繋げて判りにくく書こうか?などと楽しさ満点。


能の花 Vol.3 作品紹介 その7 ©La plume d’oie 鵞毛庵 2007 部分

この装飾や色使いに何か意図があるのですか?というご質問がかなりありました。
書体を決めたものの、どうしようかなぁと悩んでいたら、部屋中にふわふわ見えてきたのを書き留めた、といったところでしょうか。鵞毛庵の頭の中はこんな具合なのです。


 ©La plume d’oie 鵞毛庵 2007 部分 能の花 Vol.3 作品紹介 その7

画像はクリックすると拡大されます。

投稿日 2007年09月25日 6:57:21
最終更新日 2007年09月25日 6:59:49
修正
2007年09月20日
これはどうやって書いているのですか?と、よくご質問を頂いたのが白抜きの字。
マスキングゴムとかドローウィングゴムという液状のゴムを使用して書いています。このゴムで字を書き、乾いた後に擦り取れば白く抜ける技法です。
マスキングゴムは字を書くだけでなく、装飾の枠取りにも使用されます。これはペルシャやインドの写本でも枠取りに使われている技法です。下記でご紹介する「頼政」の扇面や「善知鳥」の装飾部分などはこの技法で枠取りしています。


高砂

能の花 Vol.3 作品紹介 その6

28x39(c)La plume d’oie 鵞毛庵2007

        松も色そい春ものどかに
Des pins la couleur profonde et du printemps la sérénité


松の青々とした感じに合わせて色を選びました。白抜きの件で一番質問攻めにあった作品。書体は白抜きの部分も中央の細かい部分も既存の書体をアレンジしたもの。

頼政 

39x56 (c)La plume d’oie 鵞毛庵2007  能の花 Vol.3 作品紹介 その6



          埋もれ木の 花咲くこともなかりしに 身のなる果は あはれなりけり 
           Sur le bois fossile, jamais la moindre fleur ne s’est épanouie  
               Et mon ultime destin fut affligeant plus encore



5月に取り上げた頼政ですが、これは扇の芝に着想を得た作品。細い書体は面相筆を使用しての自由書体です。緑の部分は和紙のコラージュ(貼り付け)、二番目の扇面が白抜きの技法です。この部分の書体はゴティックのフラクトゥール体。下方の扇面の書体はゴティック書体からのアレンジでYORIMASAと書いてあるのですが、文武両方に長けていたという老武将をイメージして。画像をクリックして拡大してご覧ください。

善知鳥

                      能の花 Vol.3 作品紹介 その6

                        39x56  (c)La plume d’oie 鵞毛庵2007

                           往時渺茫としてすべて夢に似たり
           Des choses d’antan le reflet lointain n’a plus de consistance qu’un rêve


色合いは「善知鳥」で用いる装束や扇からイメージ。往時渺茫(おうじびょうぼう)Des choses d’antan le reflet lointain の書体はリュスティカという古くローマ時代のものをアレンジ。白抜きの部分は自由書体とアンティカとかユマニスティックと呼ばれる書体です。

投稿日 2007年09月22日 5:11:41
最終更新日 2007年09月22日 5:49:15
修正
2007年09月17日
今回は「杜若」の作品を3つご紹介いたします。

今までも必ず「杜若」をいくつか書いてきましたが、定番にしているのが


   「花前に蝶舞ふ」de fleur en fleur dansent les papillons

です。

能の花 Vol.3 作品紹介 その5  

28x39  (c)La plume d’oie 鵞毛庵2007

ゴティック書体をいろいろアレンジして重ね書きしています。色合いは装束より着想。

はがき大 (c)La plume d’oie 鵞毛庵2007
 能の花 Vol.3 作品紹介 その5

こちらは同じ内容でも、ローマ時代の古い書体をアレンジし、ちょっと雰囲気を変えてみました。

                能の花 Vol.3 作品紹介 その5

                        28x39  (c)La plume d’oie 鵞毛庵2007 

                    明るく東雲の浅紫の杜若の花の心開けて
               S’éclairent nuées à l’orient de pourpre pâle de l’iris.
                   La fleur à l’illumination ouvre son coeur.

これは違う詞章よりの作品。葦のカラム(ペン)を使ってKAKITSUBATAと配し、筆書きの自由書体をあしらいました。  画像では判りにくいですが、明るく東雲に光るのをイメージしてパール顔彩を使用しています。       
投稿日 2007年09月17日 17:30:19
最終更新日 2007年09月17日 17:30:33
修正
2007年09月13日
住吉詣

能の花 Vol.3 作品紹介 その4  28x39 ©La plume d’oie 鵞毛庵2007

身をづくし恋ふるしるしにここまでも めぐり逢ひける縁は深しな

A corps perdu je vous aime et le signe en est que céans
le destin qui ménagea cette rencontre est profound


能「住吉詣」は光源氏が住吉神社を詣でた際に明石の上と偶然再会し、恥らう明石の上に声をかけて歌を取り交わすのですが、想いは募りながらも心ならずも別れてゆく物語。源氏物語の筋立てとは少し違った展開になっています。身をづくし恋ふるさまの二人をイメージしての色合いで歌の上の句を表し、下の句は自由書体で。

浮舟

28x39 ©La plume d’oie 鵞毛庵2007   能の花 Vol.3 作品紹介 その4   


             たちばなの小島は色も変わらじを この浮舟ぞゆくえ知られね

           L’Ile aux orangers de couleur jamais peut-être ne changera certes
           mais la barque au gré des flots nul ne sait où s’en ira


能「浮舟」はかつて薫中将と匂宮の二人に愛され、物の怪に取り憑かれ悩んだ末に入水したと浮舟の霊が回向を求める物語。水面にはかない運命がたゆたう様子を表現。

玉鬘
               能の花 Vol.3 作品紹介 その4
                39x56  ©La plume d’oie 鵞毛庵2007

                              玉鬘 Parure précieuse

能「玉鬘」は初瀬に詣でる僧が夕顔の娘である玉葛の霊を弔っていると、恋に悩み乱れ髪を戴いた玉葛が現れ、やがて妄執を晴らして成仏する物語。その様子をゴティック書体をアレンジしてまとめた作品。
              


投稿日 2007年09月14日 18:35:17
最終更新日 2007年09月14日 18:35:17
修正
2007年09月10日
能「半蔀」は光源氏への想いを美しく描いた曲目ですが、「夕顔」は同じ題材でもちょっぴり悲しいストーリーです。 光源氏と夕顔が忍び逢ったという旧跡に現れた夕顔の霊が、その逢瀬の最中に物怪にとりつかれて死に至ったことを語り、昔を懐かしむ物語。

夕顔

                          能の花 Vol.3 作品紹介 その3
 
                        
                        56x78cm ©La plume d’oie 鵞毛庵 2007

                     山の端の心も知らで行く月はうはの空にて影や絶えなん
                            De la crête des monts  
                  ignorant le sentiment la lune qui va indifférente au ciel
                            va-t-elle disparaître?

テキストに使用したカロリンヌ体はカロリンガ王朝の頃の公式書体であり、8世紀ごろから4世紀以上にわたって長く愛用された書体です。
背景は同じテキストをそのカロリンヌ体で重ね書きしたものと、自由にアレンジした書体を重ね合わせてあります。画像をクリックして拡大してご覧ください。


能の花 Vol.3 作品紹介 その3    夕顔部分

                                                                                      夕顔             能の花 Vol.3 作品紹介 その3 
                     39x56cm ©La plume d’oie 鵞毛庵 2007

山の端出でし月影のほの見えそめし夕顔の
A la clarté de la lune qui a franchi les crêtes imprécise apparue la belle du soir

はかない花の夕顔と、夕顔自身の哀れな行く末をイメージした作品。ゴティック体のアレンジを夕顔に見立てた背景に筆書きの自由書体を重ねています。
投稿日 2007年09月11日 15:20:43
最終更新日 2007年09月11日 15:20:43
修正
2007年09月06日
能「半蔀(はじとみ)」は源氏物語の夕顔が題材になっており、昨年10月の三余堂月次や同じく昨年10月の鵞毛庵の記事でも取り上げています。

この夕顔は、やはり六条御息所にとりつかれて儚い最期を迎えます。
げに、おそろしや。 

半蔀  

                          能の花 Vol.3 作品紹介 その2

                          56x78cm (c)La plume d’oie 鵞毛庵2007

                寄りてこそそれかとも見めたそがれに ほのぼのみつる 花の夕顔
                     Si venez plus près pour sûr la reconaîterez
                     celle que dans l’ombre du soir entrevue
                        Fleur de la belle du soir


ゴティックの草書体をアレンジしたもので大部分を重ね書きして埋め、頭文字の装飾は能「半蔀」で使用される作り物から着想。光源氏への想いを美しく描いた曲目です。


半蔀 部分 (c)La plume d’oie 鵞毛庵2007  能の花 Vol.3 作品紹介 その2

半蔀 
能の花 Vol.3 作品紹介 その2  28x39cm (c)La plume d’oie 鵞毛庵2007

心あてにそれかとぞ見る白露の光添へたる夕顔の花
Elle vous intriguait parée de l’éclat de la blanche rosée cette fleur de la bele du soir


背景はゴティック体をアレンジしたものと和紙のコラージュ(貼り付け)で、蔀戸に絡んだ夕顔の奥にかすかに光の君が見えたような見えないような。

画像はそれぞれクリックして頂くと、大きくなります。 



投稿日 2007年09月07日 10:57:05
最終更新日 2007年09月07日 10:58:37
修正
2007年09月03日
8月26日の案内望遠鏡でお知らせしたように、毎月曜と木曜に少しづつ展示作品をご紹介いたします。

展覧会期間中、よく皆様から伺ったのは、「これは絵なのでしょうか??」

いえいえ、字です!
しかし、必ずしも解読できるように書いているわけではありません。色合いは能の装束やテキストの内容などから着想し、既存のオーソドックスな書体を自分流にアレンジしています。


葵上

能の花 Vol.3  作品紹介 その1   28x39cm  (c)La plume d’oie鵞毛庵2007
   
昨日の花は今日の夢と   Fleur hier songe aujourd’hui 


※各画像をクリックすると拡大されます。

生霊となって葵上にとりついてしまう六条御息所は源氏の君から受けた寵愛をなんとか取り戻そうと必死。昨日までの栄華に激しくしがみつくも、今でははかない夢物語というわけで、動きとともに強い描写をベースにsonge aujourd’hui 今日の夢 は細々と表現。 
7月20日の記事 の中でご紹介している「葵上」も同じ題材の作品です。

野宮                      
               能の花 Vol.3  作品紹介 その1
            

                       56x78cm (c)La plume d’oie鵞毛庵 2007

                    野の宮乃秋の千草の花車 我も昔に廻り来にけり 
                   Au temple de la Lande sur mon char fleuri
                   des mille herbes de l’automne 
                   Moi-même du temps jadis        
                   je suis venue me ressouvenir


能「野宮」は源氏物語の賢木を題材にしており、嵯峨野の野宮の旧跡で、旅僧が六条御息所の霊に出会うお話。そこで御息所は昔、葵上との車争いの際の屈辱や光源氏の寵愛を失った悲しみなどを語って嘆きます。
ゴティック書体のアレンジを重ね書きして全体に秋草のイメージで包み、中心のテキストはゴティック書体のうちの草書体を多少アレンジしたものです。頭文字の装飾にも秋草をあしらい、車争いの屈辱を忘れきれぬ思いながら、旧懐ということで多少は角がとれて柔らかくなった御息所の気持ちを表現。


野宮

38x56cm  (c)La plume d’oie鵞毛庵 2007    能の花 Vol.3  作品紹介 その1
                                             

         昔を偲ぶ花の袖    Souvenir du temps jadis de mes manches fleuries

こちらも野宮より。昔日の栄華への旧懐に、花の袖が優雅に舞っているだろうか。。。。
投稿日 2007年09月05日 8:23:40
最終更新日 2007年09月07日 10:59:49
修正
2007年08月20日
                    搬入

今日はカリグラフィー展の搬入を済ませました。
ひとりでも多くの方に、実際に能の花シリーズの作品を見ていただければ幸いです。

搬入 
蝉時雨に覆われた暑さが続いておりますが、
                            搬入

皆様のお越しをお待ちしております。
投稿日 2007年08月20日 23:43:57
最終更新日 2007年08月20日 23:47:14
修正
2007年07月20日
                能の花
                 「源氏供養」 La plume d’oie©鵞毛庵 2007 28x39
 
   8月の鵞毛庵の東京での展覧会が近づいてまいりました。能の花シリーズ第3段です。

  今回は源氏物語を題材にした能の曲目の作品を多く書きました。能で演じられる源氏物語関連の曲目は実はそれほど多くはありません。

  夕顔と光源氏の出会いの「半蔀」、その夕顔がもののけに襲われてはかない死をとげる「夕顔」、葵上が六条御息所の生霊に悩まされる「葵上」、その六条御息所が後年、野宮に逗留の際に光源氏と再会する「野宮」、須磨で隠遁生活をする光源氏「須磨源氏」、光源氏が住吉神社で偶然にも明石の上と再会する「住吉詣」、夕顔の娘玉鬘の話「玉鬘」、二人の男性から求愛されて悩んだ末に入水した浮舟の話「浮舟」のほか、紫式部が登場して僧侶に光源氏の供養を頼む「源氏供養」の九曲です。

   
   「夕顔」La plume d’oie©鵞毛庵2007 39x56能の花

                     山の端出でし月影のほの見えそめし夕顔の
               A la clarté de la lune qui a franchi les crêtes impécise apparue la belle du soir


能の花「葵上」 La plume d’oie©鵞毛庵 2007 39x56
人間不定芭蕉泡沫の世の習い 昨日の花は今日の夢と 
L’homme est précaire autant que la feuille du bananier ou l’écume légère
Fleur hier songe aujourd’dui


五木田摩耶カリグラフィー展
能の花 vol.3
於 小津ギャラリー
2007年8月21(火)〜25(土) AM10:00〜PM6:00(最終日はPM4:00まで)





   

投稿日 2007年07月21日 8:47:21
最終更新日 2007年07月21日 8:47:21
修正
2007年06月20日
                        花なくして 28x39cm
        La plume d’oie © 鵞毛庵 2005   この作品は現在、鎌倉能舞台に展示させて頂いております。  
     花なくして萎れどころ無益なり。  Sans la fleur, l’évanescence serait sans objet.

 今月の三余堂月次で、花の見せ処の話が出たので、それにつられて風姿花伝の一説よりの作品です。上記の作品は「萎れどころ」にイメージを置いて、色調を控え目に仕上げたのに対して、下の新作のほうは「花なくして」に焦点を当てたもの。両作品とも、書体はゴティック体を基礎にした自由書体で、竹や葦を削ったペン(カラム)や筆を使用しています。

La plume d’oie © 鵞毛庵 2007花なくして 28x39cm
 花の見せ処を間違えると、ただむなしく枯れて散っておしまいになってしまうのは、人の人生でも同じこと。などと言うは易し。はたして己はいかがであろうか......


 三余堂付近では枇杷も夾竹桃も今年はことさら際立っている様子。パリの鵞毛庵のアパートの前は街路樹の泰山木数本が満開。10年ぐらい前に歩道拡張の際に新しく植えられたもので、3年前の酷暑も生き延びて、順々に咲いてはよい香りを放っています。こちらも今年は例年に比べて花の数がものすごく多く、まさに見てくれ!といわんばかり。その自信ありげな咲きっぷりと、真っ白な花があっという間に惜しげもなく茶色く萎れてしまうのはあっぱれ。   
花なくして  泰山木の花あまたなり風わたる 

まだまだつぼみがたくさんあり、出かけるたびに当分いい香りを楽しませてくれそう。しかし、立ち止まって頭上の花をしげしげ眺めているのは庵主ぐらいなもの。  さらに写真まで撮ったりして! 

 はたして、他の人たちはこの香りに気づいているんだろうか、まったくもってアヤシイところです。
投稿日 2007年06月21日 4:52:06
最終更新日 2007年06月21日 4:52:51
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2007年05月20日
               頼政
                           La plume d’oie ©鵞毛庵 2003 「頼政」 
                埋もれ木の 花咲くこともなかりしに 身のなる果は あはれなりけり 
                Sur le bois fossile, jamais la moindre fleur ne s’est épanouie
                Et mon ultime destin fut affligeant plus encore



  6月に三余堂がつとめるとのことで、能の花の第一シリーズより「頼政」です。頭文字の装飾技法にゴティックの草書体を自分流にアレンジした作品。
頭文字の「S」は意外だと思われる方も多いかと思いますが、日本の方のみならず、一般的なフランス人にも馴染みがあまりない字。西洋のアルファベットも昔のものとなると想像がつき難いものが結構あります。ゴティック体は主にゲルマンのドイツ語圏で発達した書体で、ドイツ語をちょっとでもかじった方にはお判りと思いますが、文頭だけでなく、文中でも名詞の最初は大文字で書きます。従って大文字の使用頻度が高く、それに伴い多くのバリエーションが存在します。


頼政 これはほんの一例ですが、どれも大文字の「S」です。
La plume d’oie ©鵞毛庵

  そしてもうひとつ、苦労しながらも楽しいのは頭文字の装飾。この作品では西洋の昔ながらの技法を取り入れて、柄は能の修羅扇を用いています。 

能の二番目ものといわれる修羅物で使用する扇が修羅扇。この修羅扇には旭日に老松の柄の勝修羅、立浪に入日の柄の負修羅の二種類があります。勝修羅扇を使用する能は「屋島」「田村」「箙」の三番のみで、平家ものやその他は負修羅扇ですので、「頼政」もそうなります。

                                    

              負修羅扇 ©三余堂撮影 頼政

  西洋の古文書ではこの作品のように装飾の頭文字自体に黒を用いることは稀なのですが、修羅扇の黒い骨は軍扇を表しているという説があるので、くっきりと黒の文字にして庵主としては力作のひとつだったのですが...これを見た父がバッサリ。

       こいつぁ日が沈んでないねェ、浪が少ねェや     

あはれにも庵主自身が沈んでゆきにけり...。
投稿日 2007年05月22日 3:25:39
最終更新日 2007年05月22日 3:25:39
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2007年04月20日
 入相の鐘に花ぞ散りける、とはなんとも優雅ですが......怖い怖い女性のお話、「安珍清姫伝説」を題材にした「道成寺」の一節。清姫に思いを寄せられ、追いかけられて鐘に身を隠した僧安珍。その鐘ごと清姫に焼き殺されてしまいます。 おおこわッ!!
 能「道成寺」は、その後日譚で、久しく鐘のなかった紀州道成寺で鐘の再建供養が行われることに。その際、女人禁制となっていたのになぜか忽然と一人の白拍子があらわれ、舞を舞ううちに鐘に飛び込んで落としてしまいます。この白拍子が清姫の化身だと気づいた時にはもう遅い。祟りで落ちた鐘ならば、法力で持ち上げようという僧侶と大蛇となった清姫の怨念の戦い。最後はもちろん法力に敗れて大蛇は川に飛び込んで消えうせます。

 今月は、この「道成寺」より同じ題材でまったく違うタイプの作品をふたつご紹介します。

 こちらはシテの装束から着想してdojojiの文字を重ね書きしてデザインし、詞章の部分はゴティックの草書体をアレンジして仕上げました。


                春の夕暮れ来てみれば
                         「道成寺」 65x50  ©La plume d’oie 鵞毛庵 2003
                   Au crépuscule de printemps, suis venue voir au son de cloche du coucher,
                   fleurs au vent se dispersent, fleurs au vent se dispersent, fleurs au vent se dispersent

                   春の夕暮れ来てみれば入相の鐘に花ぞ散りける、花ぞ散りける、花ぞ散りける

こちらは自由書体によるもの。

春の夕暮れ来てみれば道成寺」 28x38 ©La plume d’oie 鵞毛庵 2007

 嫉妬や怨念を抱えながらも、散り行く花の美しさに惹かれている微妙な心を想像してみました。
怨念のかたまりとなっても、花を愛でる心はなくさないというところは、懺悔の気持ちの現れであるかもしれません。なんだか女性として共感してしまうのは
   おっと、アブナイ、アブナイ 

 しかし、美しい桜はそれ自体、すでにじゅうぶん妖気を放っており、パリでもっとも妖しい桜「白妙」の花満つ折、吸い込まれそうな異次元空間をかもし出します。この幹、大蛇がくねくねしているような、いないような。。。。
                パリ植物園にて ©La plume d’oie 鵞毛庵 春の夕暮れ来てみれば
投稿日 2007年04月23日 5:28:03
最終更新日 2007年04月23日 5:28:03
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2007年03月20日
ご存知「安宅」。

旅の衣は篠懸の...の篠懸(すずかけ)とは篠懸衣(すずかけい)とも呼ばれる山伏など修験者が着る法衣。これは露を払い易いように麻が用いられています。スズカケとは鈴懸とも書き、プラタナスのこと。なんで山伏の法衣が篠懸と呼ばれるかというと、首から纏う結袈裟(ゆいげさ)の丸い房がスズカケの実に似ていることからきているとか。なぁる。
パリの街路樹にはこのスズカケ、つまりプラタナスが多いので実があちこちでみられます。


旅の衣は篠懸の 鵞毛庵撮影 パリにて 2007 

こうやってしげしげ眺むるに。。。確かに似てますね。昔の人の着眼点は面白い。
せっかく実の証拠写真も撮ったし、ちょっとそれらしい雰囲気も加えてATAKAを自由書体で表現してみました。 
 

                       旅の衣は篠懸の  
                     はがき大 「安宅」© La plume d’oie 鵞毛庵 2007  

先回の個展で能の曲目イメージを桐箱に描き、いくつか父に目を通してもらったのですが、その際に そりゃぁ弁慶だ!安宅ッ!と一発でどんぴしゃだった色合いをもとにしています。

今月の23日から30日まで鵞毛庵が住むパリのオペラ座ガルニエで団十郎・海老蔵の「勧進帳」の公演が催されます。それゆえに今月の作品に「安宅」が登場。

歌舞伎の「勧進帳」は能の「安宅」が原曲の松羽目物。能の「安宅」では弁慶は富樫に対して関所を通さないと仏罰が下るとかなんだとか脅しをかけて強引に押し切りますが、歌舞伎では富樫は疑いつつ、最終的には確信しつつも もののふの情け から関所を通すという泣ける展開。この違いは、「安宅」が作られた時代には、一般的に山伏の存在がかなり怖いものだったらしいのに対して、江戸時代ではその権力が低下、判官びいきでお涙頂戴的な娯楽要素が高まった仕立てからきています。

今回のこの歌舞伎パリオペラ座公演は「勧進帳」のほかに、やはり能から題材をとった「紅葉狩」が演じられます。「安宅」の色調が春らしくないのでちょっと寂しいから色を添えて、と思いましたが これも季節物にあらず。昨年11月の三余堂月次で「紅葉狩」に触れた際には庵主撮影の紅葉の写真を掲載しましたが、ここではあの紅葉狩を思い出しながらの作品。
  

旅の衣は篠懸の  
はがき大 「紅葉狩」© La plume d’oie 鵞毛庵 2007

成田屋親子のパリ公演は千秋楽に観に行きますので、観劇報告は後々に鵞毛庵日記にて。
来月は4月らしい作品を掲載せねば!
投稿日 2007年03月20日 19:29:13
最終更新日 2007年03月20日 19:29:13
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2007年02月20日
               月はひとつ
                      (c)La plume d'oie 鵞毛庵 2007 「松風」  27cm x 22cm

  今月は今年の歌会の「お題」に因んでお月様がらみで「松風」の一節より。

     月はひとつ 影はふたつ  La lune est une et ses reflets sont deux

  「松風」は、須磨の浦の二人の美しい海女の姉妹、松風と村雨がかつて流罪となってそこに滞在していた中納言在原行平(業平の弟)の寵愛を受けたことから、後年、この姉妹が亡霊となって旅の僧の前に姿を現し、昔語りに松風は行平の形見の衣を身にまとい、心乱れて舞うという物語。海辺で昔日の思いを語りつつ汐汲みをする場面で、ふたつの汲み桶に月が写っているところ。

この作品は既存のさまざまな書体から庵主が考案した自由書体で、細い文字は面相筆を使用。夜の海辺に煌々と照る月や装束の色合い、潮騒に漂っている思慕を想定した作品です。現在の須磨の海岸ではこんな情緒は望めませんね。


  月はひとつ  月はひとつ
上記作品部分  (c)La plume d’oie 鵞毛庵 2007         部分 Lune(月)  (c)La plume d’oie 鵞毛庵 2007

今までも何回かいろいろな書体で書いている一節です。鵞毛庵サイトでも「こんな1枚」に違う作品を掲載しています。 http://www.maya-g.com/monthly/2003/09/index.html

 さて、今月の「三余堂月次」で取り上げている セレーネ 「月に願いを!」ですが、それに応募するのだと張り切った三余堂亭主。字数制限があるので自ら詠んだ歌二首を俳句に変換せよ!との命が鵞毛庵に届けられました。 やれやれ
早速、変換作業に取り掛かった庵主。

  月は冴へ あたりも澄みて 妙生寺の 鏡もひときは ひびくこの夜
   陽の落ちて 月の光の見るにつけ 思い出づるは 君と会ひし日
    どなたのことかしらん

その結果、二首目の歌を俳句に変換した 月光の彼方にありし逢瀬かな が採用されたのですが、翌日次のようなことになって戻ってきました。

  月光のかめんにありし あふせかな 
         
この再変換は庵主のつぼにかなりはまって、みごと一本とられました。

でも、やはり仕切りなおしせねばと、「松風」の作品と連想して庵主の応募句はさらに気取った練り直し版へ。     

  古の月華の逢瀬抱きをり (いにしへのげつかのあふせいだきをり) 
  注:月華とは月光のこと  

  融や行平の時代に詠われたのも、松風村雨が涙したのも、三余堂のかつての逢瀬の月も、巴里の月も、みな同じ月ひとつ。
投稿日 2007年02月21日 3:01:21
最終更新日 2007年02月21日 3:03:20
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2007年01月20日
もうすっかり正月気分も抜けていますが、一応1月ですので 月並みですが(笑) 新年にちなんでおめでたい「高砂」より。

  鵞毛庵のサイトLa plume d’oie ラ・プリュム・ドワでも「高砂」の作品を取り上げていますが
http://www.maya-g.com/monthly/index.html >(2005年10月参照) 

こちらでは「四海波静まりて」の一節から。


              四海波
                  38x50 鵞毛庵© 2005         「高砂」 四海波静まりて 
                     SUR QUATRE MERS LES VAGUES APAISEES

  ゴティック書体のひとつである手書きの草書体を庵主風にアレンジしたもの。
  ゴティック書体というのは主にドイツ語圏で発達したもので、グーテンベルグの印刷術が発明されたの(15世紀)と、ヨーロッパでは大学が発生し、それまでの聖書が中心だった書物の需要と供給が一般的に一気にひろがった時代の書体。印刷用の活版文字、手書き文字、場所や用途により、実に多くの種類があります。ゴティックというとどうも硬い印象を受けがちですが、手書きの流れるような書体も日常生活の中では存在していたわけです。


またまたここで「かめのぞき」色を試みている庵主ですが...  静かな潮騒の音が聞こえてくるでしょうか?? 
                       四海波

                  鵞毛庵© 2005     「高砂」 四海波静まりて  部分 


  さて、おめでたいと云えばよく結婚式で謡われるのが「高砂」。時代劇やドラマなどで耳にするのは、その殆どが「高砂や この浦舟に帆をかけて」の部分ですが、これは厳密にいうと何かの出立を祝う時にふさわしく、結婚式では本来は「四海波静まりて」の部分を謡います。

  この風習は江戸時代に一般庶民の間でかなり流行したそうです。当時は能は武家のたしなみであって、普通の人は勧進能とか町入能とかいう特別な催しの際だけが実際に目にする機会だったのですが、謡はかなり浸透していた様子で、そのおかげで寺子屋での課程に組み入れられたり、謡を習ったり、そのために読み書きを覚える町人の数はかなり多かったとか。ここ数年、日本の学校教育で日本の古典芸能の実習や体験などを教科課程に取り組んでいる様子。それが効をなしてひとりでも多くの方にもっと気軽に能を楽しんでいただけるようになるかしらん。

ところで、平成19年の日本ならびに世界の四海波はどうなることか。
               
投稿日 2007年01月21日 9:52:41
最終更新日 2007年01月21日 10:28:50
修正
2006年12月20日
   世阿弥のこの言葉を耳にしたことがある方は非常に多いと思う。世阿弥の言葉でこれほど人口に膾炙したものはない。だが、その本当の意味は殆ど誤解されて使われている。それは「初志貫徹」のような意味に解釈されているからである。世阿弥が言いたかったのは、「初心」とは「初めての経験」「未熟な演技」などを指すもので、「初志」を言っているのではない。世阿弥が言う「初心」とは恥ずべきものなのである。 

この言葉は「花鏡」の中の三か条の口伝で、
      
      是非初心忘るべからず
      時々の初心忘るべからず
      老後の初心忘るべからず

とある。
つまり、初心の頃の未熟な芸をこころして上達過程の判断材料にせよ、齢を重ねるごとに年相応の芸をひとつづつ忘れずに幅広い芸域を求めよ、老後に至っては老いるという至難を乗り越えてこれまでの経験を生かして芸力を極めよ、ということなのだ。

                        初心忘るべからず
              (c)La plume d'oie2005 鵞毛庵 「初心忘るべからず」 37cmx62cm 
                  BON OU MAUVAIS N'OUBLIEZ PAS VOS DEBUTS
                  N'OUBLIEZ PAS VOS DEBUTS DANS CHAQUE PERIODE
                  N'OUBLIEZ PAS VOS DEBUTS DANS LA VIEILLESSE

  
   
この作品の書体は二種類あるが、両方ともローマ時代の書体で、石などに刻まれていた御馴染みの大文字書体ローマン・キャピタルと違い、手書きのローマ草書体である。ポンペイの遺跡などにみられるもの。下地はローマン・キャピタルを柔かく崩したような行書風な形で、黒地に白抜きの書体は完璧な草書体で、綴りによって崩し方にも変化がさまざまで、書くのが楽しい。しかし難読。画像をそれぞれクリックして大きくしてご覧ください。

       初心忘るべからず         初心忘るべからず  

       ローマン・キャピタルの例 鵞毛庵撮影       (c)La plume d'oie2005 鵞毛庵  上記作品部分


  よくタレントやスポーツ選手などが「初心に返ってその気持ちを忘れずに、これからも一生懸命がんばりたいと思いマ〜ス」などと誇らしげに言っているのを耳にするたびに、おいおい、それは初心じゃなくて初志ですぜ、とつぶやく庵主である。
恥ずべきことを貫徹されては困りモノ。

さてはて、わたくし鵞毛庵自身は如何なりや...。 
 
  
投稿日 2006年12月20日 21:11:06
最終更新日 2006年12月20日 21:11:06
修正
2006年11月20日
鵞毛庵の制作の題材が「能」なので、色合いは装束や内容からイメージすることが殆どである。 従って、日本画の顔彩を使用することが多い。

先日、三余堂がしげしげと何色か揃っている顔彩の箱を眺めているので、西洋と日本では色合いが違うために用途によって顔彩を使い分けている旨説明した。

  「じゃあ、瓶覗きは?」

さすがに三余堂である。
 ちょいといいとこついてくるじゃありませんかねぇ。

残念ながら「瓶覗き」は持っていなかった。

日本の色には本当に面白い名前が多い。その中でもこの「瓶覗き」はすこぶるカッコいい。
別名「白殺し」ともいうらしい。

どんな色かというと、極々薄い水色。藍染の瓶に布をさっと通して染めた色である。白では場合によってはきついので、藍をほんのり染めて、白を殺すのである。歌舞伎の浅葱幕よりももっともっと薄い水色。

水色系を取り入れたいと思うと、いつも「瓶覗き」を一番に頭に描くけれど、決して成功したことがなく、別の色を使う庵主である。




               秋乃水
                       「江口」より  秋乃水 漲(みなぎ)り落ちて 去るふねの
                    Sur les eaux de l’automne qui se gonflent et retombent, la barque fuit

                                (c)鵞毛庵 La plume d'oie

「秋の水」というと、澄み渡って冷ややかな水を指し、俳句では秋の季語になっている。川や湖水ならば紅葉が水面に映っているのだ。
秋乃水 同じく「江口」より (c)鵞毛庵 La plume d'oie


日本のなんとも表現しがたい色合いのひとつ。
投稿日 2006年12月04日 6:19:07
最終更新日 2006年12月11日 8:17:29
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2006年10月30日
秋口は結婚式など多く、何かとお祝い事がつづく。

そんな中、ある古希祝いのためにデザインした頭文字の装飾。ゴチック様式の典型的な装飾である。頭文字の中に白でアカンサスの葉のねじり模様を入れ、背景は金箔を置く。頭文字の一部から、やはりアカンサスの葉が枝分かれして絡んで伸びる。色調は青や赤、緑が写本によく見られる。このアカンサスの葉は、遠い昔はコリント様式の柱頭の飾りや、いわゆるアラベスク模様や唐草模様の原型となっている。だから、西洋の典型的な模様の中に、実はすでに日本でもお馴染みの模様のもとが登場している。
                        古希祝い

本来なら甲冑や紋章が描かれる場所に鼓を配し、ヨーロッパの森に多く住む動物がリアルに描かれるところを、日本の伝統的な図案化された鶴と亀にして、不自然にならないように日本の風味を取り入れた。

                     古希祝い (c)鵞毛庵 La plume d'oie


投稿日 2006年12月04日 5:53:45
最終更新日 2006年12月04日 5:54:00
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2006年10月20日
三余堂が「半蔀」のシテをつとめるのに合わせて、その題材となった源氏物語の夕顔の歌「心あてにそれかとぞ見る白露の 光添へたる夕顔の花」に挑戦。

    夕顔は蔀戸を半分押し上げた室内におり、その蔀戸には夕顔の花が絡んでいる。その隙間からちらりと覗いた影。それを光源氏だと確信して扇に歌をしたためたという。

    その瞬間を表現したくとも、なかなか思い通りにままならず。

                             半蔀

                            (c)鵞毛庵 La plume d'oie
投稿日 2007年01月10日 10:42:18
最終更新日 2007年01月10日 10:43:05
修正