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2012年05月01日
書体の変遷
カテゴリ : [案内望遠鏡]
洋の東西の写本の話が続いた。
そもそも、字が読めなくては写本もへったくれもないのだが、読むとは…
文字になった言葉を正しく発音して、理解出来る事を云う。
だから、いくら大声で読めても文字を正しく記さなくちゃぁ駄目である。

読んで、書いて、意味が判ることを識字という。 
この識字能力は、現代社会では最も基本的な教養だが、全世界の識字率は、およそ75%だそうな。
識字率というのは一般に15歳以上の人口に対して定義されるそうである。
江戸時代の日本は、庶民の就学率、識字率はともに世界一だったというからすごい。
1850年頃、嘉永年間の江戸の就学率は、70〜80%もあり、いわゆる寺子屋で読書き算盤を学んだ。
これは、武家や豪商の子弟ばかりでなく、裏長屋の子たちも学んだということで、安定した社会に
育った文化の力であり、文字を介して物を識り、伝達することの意義を理解していればこその
親の涙ぐましい教育熱の賜物だ。
 
伝達手段の文字。いくら識字の力があっても、読める体裁になって初めて役に立つってもんで、
正しく、美しく書くことを求められる。
求められた文字は多くの人が読みやすく、書きやすい形を生む。そしてその形が指標となって
定着していくことになる。文字が何に書かれるか、どんな道具で書くか、目的は何かによって
威厳も、風格も生まれるし、装飾的にもなっていく。
一方、実用的な文字は速く書くことも要求される。
時間をかけて石に刻したり、大きく板に書いたりする文字でなく、手書きで速く書き留めなければ
ならない役人や商人の事務用の文字。
速さを求めれば、字の形は崩れ、省略が生まれ、省略化されれば新しい形へと変化していく。

遣唐使が大陸に渡って文化を掴み取ろうしていた頃、唐は楷書の時代だった。
その頃文字は結構乱れていたそうな。それだけ 実用化していたということでもある。
近年の我国だって、丸文字がどうの、こうのと云っている間に、若者の書体の変化はどんどん進む。 
どの字が正しいのか、訳が判らない状態は多分、古今東西同じだろう。
唐の太宗皇帝は、氾濫する文字の正誤を 顔師古(581年 - 645年)と云う学者に命じて整えさせた。 
唐代初期の欧陽詢、虞世南といった人の書は、すっきりと簡潔な字体で読み易い文字である。
その文字の正しさ、根拠を追求していくと はてさて、切りなくどんどんと時代を遡り象形文字の
ように魚のヒレまで書くことになっては…
まっ、少々、複雑な形が復活しながらも そこそこに整理整頓。
10世紀以降、宋の時代になると、木版印刷が生まれる。当時の印刷文字が誕生。
それは木を彫るとはいえ、見栄えのよい木版文字を求めて、却って画数が増えたという。
この印刷の文字が字典に使われて、字典体と云われるようになった。
18世紀になって清の康熙帝が作らせた康煕字典の書体のことである。
漢代以降の歴代の字書の集大成として編纂したという大事業。
全42巻に収録文字数49,030の字典は、部首別漢字辞典の規範となっている。
現代はコンピュータの標準漢字コードの配列順にも使われているという。
よく分からんがあの、ユニコードってやつである。

書体も常に、往き過ぎれば戻り、また先へ進みと状況に応じて動き続ける。そんな流れができている。








投稿日 2012年05月11日 13:20:52
最終更新日 2012年05月11日 13:24:46
修正