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2011年05月01日
楷書
カテゴリ : [案内望遠鏡]
眼鏡をかけたり、はずしたり…   記入は楷書ではっきりと! との注意書きである。
そもそも、楷書とは何ぞや。
漢字の書体の一つ。 一画の中に起筆、送筆、収筆がはっきりとしている書体。
ようするに、いつの間にか始まって、いつとは無しに終わっちゃぁいけない。
はじまるよぉっ! はい、いくよォ〜  さぁ、おしまいっ。 
角にきたら向きをかえて、さぁ、いくぞぉっ〜っ てな具合の文字ということか。
以前、テレビで見た宝塚音楽学校の生徒の廊下での歩き方のようだ。

三世紀の中ごろ、日本は邪馬台国の卑弥呼の時代に 大陸で楷書の芽生えがあったという。
それから要すること二百年。 標準書体として完成したそうで、さすが、大陸時間は尺度が大きい。
勿論、楷書誕生の前が、これまた長い。紀元前三世紀に篆書 (てんしょ) が現れたっていうから、
ごそごそと旅券を引っ張り出す。日本国旅券と書かれた文字が篆書。 そして 挟まっている紙を引き出す。
と、なんと日銀券。 篆書さがしで儲かった!  これにあるハンコもしかり、要は実印の文字である。
この篆書は、紙はおろか、筆のない時代の文字である。堅いものを引っ掻いた文字が残存している
わけだ。


楷書 篆書 
楷書 隷書


その篆書から二百年、隷書 (れいしょ) が成立。
これはいやに扁平で、一画の中に波を打ったような形がある。
そして、また二百年、楷書が芽を出し、五世紀に完成。
漢代に、と言ったってえらく長いので、雑駁に寛大に…  良く整った隷書を楷書といったり、
後漢書では手本のことを楷則と呼んでいたというから、楷書は装飾的にしたり、省略したりしない文字
という事だったのかもしれない。 真書、正書、とも言われていたという。
漢代の標準書体だった隷書に代わって、南北朝から隋、唐にかけて標準となった楷書。
華やかな唐文化では かの太宗皇帝が王羲之の書を好んだことからますます、書体が洗練された
という。
そして 何だかんだの末に、三月案内望遠鏡の『雁塔聖教序』に登場の褚遂良が誕生してくる
ということだ。
木版印刷は唐時代に遡るというが、宋代に印刷された楷書体は洗練され、明代後半には書物の
商業的な印刷やら、刊行などが盛んになって、明朝体が発明されたというから さすがに大陸文化。
今でもお世話になる明朝体は、能率的に版が彫れて、読みやすい字体として生まれたという。
楷書を活字体つまり、明朝体だと思っているご仁があるという。
明朝体はその後の時代、清朝の康熙帝や乾隆帝の好んだ書風の影響を受けつつ今日ある
というから、なかなかややこしい。
流れを鑑みるに初唐に確立した伝統の楷書体、唐太宗が好んだ文字と明朝体とは 
ちと、異なるなぁ〜 と思いつつ、
書体の名称として楷書と呼ぶのは宋代以降らしいから、
やはり楷書は真書、正書ってことに…  と、ますますややこしい。
が、眼鏡の奥から、印刷用の書体ではない!ということだけは了解した。







投稿日 2011年05月01日 0:32:24
最終更新日 2011年05月01日 1:53:05
修正