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2012年04月20日
聖書の写本と書体の改革
   三余堂が唐代の書法やら古事記の写本やらの記事を書いていますが、時を同じくしてヨーロッパでは...。

   世界史が得意だった!という方には懐かしい響きやもしれません。そう、フランク王国の最初の王朝メロヴィングからカール大帝(フランスではシャルルマーニュといいます)のカロリング朝の頃。

   この西ヨーロッパの大部分を支配していたカール大帝(在位768-814)、カロリング朝ルネサンスという運動の中心人物でもあります。キリスト教に基づいて国を統治する目的で聖職者の質を高めるようにしたり、文化面では古典研究に力を注ぎ、だんだんと俗語化する傾向にあったラテン語を見直してラテン語教育にも力を注いだそうな。となると、聖書が重要になります。お勉強のためにあちこちの修道院から写本を取り寄せると、あらら、誤字脱字すっとばしのみならず、みんな書体がバラバラで読みづらいのなんの。

そこで困ったカール大帝は書体改革を思いついたのでした。

    ここで時を少し遡って5世紀。聖パトリックという人が、アイルランドにキリスト教を広めました。アイルランドからイングランドなどあちこちに修道院が建てられ、同時に導入されたラテン語の聖書の写本がすごく盛んになりました。先人のもたらした経典をこつこつ写すのは、洋の東西を問いません。

    特に7〜8世紀にかけて、ケルト文字やケルト風の幾何学や組紐模様、動物や奇獣をあしらった写本が数多く手がけられ、そのうちの数冊が現存しています。どういうわけかキリスト教を比較的すんなりと受け入れたアイルランド人は古来のケルト文化や民間信仰などうまく取り入れてキリスト教の聖書を書き上げていてます。日本ではちょうど遣唐使だ、古事記の編纂だ、東大寺の大仏開眼だのという時代のこと。



聖書の写本と書体の改革

ケルスの書  8世紀末 アイルランド 典礼用の四つの福音書が収められいる写本   本の宝石とも呼ばれている
最澄や空海が遣唐使として派遣された頃にはこのケルスの書が完成していました。
                        こんな風に誤字を修正も

                               聖書の写本と書体の改革

    
    やがて、このアイルランドなど北の方の修道院から優秀な学僧が多く輩出されて、今度は逆にヨーロッパ大陸の各地へ伝道に出向くということになったのです。

    そこで、カール大帝の時代に戻ると、大帝は早速イングランドのヨークからはアルクインという高僧を呼びつけ、他所からも優秀な学僧を何人か集めて教会制度や教育制度の指南役および書体を統一するための研究組織を設けたのでした。

   書き手や修道院によって様々だった書体を目にしながら頭をひねったお坊さん達が考案したのはもっとシンプルで規則正しい「カロリンヌ」という書体でした。
   そして「カロリンヌ体」は12世紀にゴシック文字へと移行するまで長きに渡ってヨーロッパで愛用されたのですから、書体改革は大成功とあいなり、ローマ字のアルファベットの基本の基になったのです。 イタリアルネサンス期に作られた活版文字も、この書体を基に考案されていて、それが現在まで息づいています。例えば a b c d e f g ←こんな活字はカロリンヌ体が基礎なのです。



聖書の写本と書体の改革

こちらは世界遺産のフランスのモンサンミッシェルの写本。ここはかつては修道院で、そこで書かれたモンサンミッシェルの写本はカロリンヌ体で書かれています。11世紀

投稿日 2012年04月20日 21:21:10
最終更新日 2012年04月20日 21:45:01
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