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2015年08月12日
ALOHAに続いて アロハオエ〜
カテゴリ : [三余堂月次]
案内望遠鏡で ALOHA〜 と書いたからその勢いでアロハオエ〜 という訳でも
ないが、知人がさも披露したそうにアロハオエ〜と口ずさみ、ウクレレを抱えた
ポーズをとる。学生時代に取った杵柄らしいが、ボケ防止に始めたそうだ。 
“アロハオエ” は何といっても、ハワイアンソングの定番である。 が、何故か
昭和の香りたっぷりのハワイ感とでもいうか、少々古めかしさをおぼえる。


誠に雑駁乍ら、ハワイ諸島へ南国マルケサス諸島からカヌーでやってきた人々が
住み着いたのが、6世紀から8世紀頃らしい。 その後百年余り…
1778年にイギリス人のキャプテン・クックがハワイに来航。 これが契機となって
白人との接触が始まったという。  その頃、三人の王様がハワイを治めていたが、
カメハメハ1世が、白人の持ち込んだ銃器を駆使して、ハワイ諸島を統一。
ハワイ王国を作ったのだそうだ。
これが、1795年だというから、あの“おろしや国酔夢譚”の大黒屋光大夫が
日本に帰った頃で、北方にロシアの船がやって来ては、何じゃかんじゃと幕府を
刺激して“鎖国でござい!”と、も言っていられなくなった時期である。

カメハメハ2世の治下1820年頃、多くの宣教師がアメリカから移住して、
キリスト教文化がハワイに定着していった。この頃に讃美歌の影響で、
メロディーのついた ハワイ語の曲という、新しい音楽ジャンルが生まれた由。
一方、アメリカ人はプランテーション農場のために、土地の収奪もはじめたという。
カメハメハ3世の時代ともなると、否応なく、西洋の文化を取り込むようになり、
文字のなかったハワイ語は、アルファベットで表記されるようになったというから
当然、王族は当時の最先端の西洋教育を受け、他国との対峙に備えていった訳である。

当時の日本近海は捕鯨船の往来が盛んだったので、我国は北方どころか、
浦賀にもイギリス船は来るし、常陸にも薩摩にも船員が上陸してくる有様。
周りが海の島国は何処も 外からの刺激に向き合わなくてはならない。
そこで江戸幕府は取敢えず、“異国船打払い”の令を出す。
これは、外国から来た船に “どうぞ、目に映らない処へ行って下さ〜い” と、
海に向かって叫んでいた感じである。

西洋文化を受け入れていくカメハメハ3世。
彼が編成したロイヤルハワイアンバンドというのが、今日まで続き、現在は
ホノルル市の職員待遇楽団なのだそうだ。180年の歴史となる。
それまでは 単調なリズムの詠唱だったものから、ピアノ、ギター、ウクレレと
弦楽器が音を作っていった。 カラカウア王朝では宮殿内に造られた専用の音楽室で、
日常的に音楽会が催されたという。
現在、ロイヤルハワイアンバンドの定番はハワイ州歌 『ハワイ・ポノイ』と
『アロハ・オエ』。
そう、知人が披露したい『アロハ・オエ』  それは
ハワイ王朝最後の君主リリウオカラニ女王の作品なのだそうだ。

谷に降り注ぐ大粒の雨  森の中を流れゆく  
谷の花アヒヒ・レフアの  つぼみを探して

さようなら貴方 さようなら貴方  木陰にたたずむ素敵な人
別れの前に優しい抱擁を  また会えるその時まで

                         アロハオエ〜



















投稿日 2015年08月12日 0:07:48
最終更新日 2015年08月12日 0:08:06
修正