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2014年07月12日
鵺の季節だ!
カテゴリ : [三余堂月次]
消えた記事の掘り起しシリーズは 『鵺』。
近年の温暖化で異常な暑さも、空調の効いた能楽堂で、うとうとと過ごせる時代となった。
もっとも、この科学の力がなければ 暑い時に装束を付けて難行苦行を
演者、観客になす事は無かっただろう。
見所て゛揺らぐ扇子、絽や紗の涼しげな夏の装いこそが 清涼を呼び、夏の舞台を作ったが…



シリーズ 消えたアーカイヴ掘り起し 2012年7月の記事から

背が虎で足がタヌキ、尾はキツネだとか、サルの顔、タヌキの胴体、トラの手足で尾はヘビ、
または 頭がネコで胴はニワトリとか、諸説は紛々ながら 「ヒョーヒョー」という
気味の悪い声で鳴いたという生き物。 これが、伝説の妖怪、鵺(ぬえ) である
専ら、後白河さんの時代にご出現の もののけ。
元来、鵺とは夜に鳴く鳥のことで『古事記』や『万葉集』にも名が見られるというのだが…
鵺の正体は、現在ではトラツグミとするのが定説だ。
その寂しげな鳴き声は、当時の人々には不吉なもので、天皇をはじめ貴族たちは
鳴き声が聞こえるや、大事が起きないよう祈祷したという。




まだまだ 後白河さまが天皇になられるなど、考えも及ばない遠い頃のことでございます。
後白河さまの弟におわす近衛さまが、天皇となられたのは僅か2歳でございました。
崇徳さまは、その方々のお兄様で、天皇から、上皇となられ、政に関わることのない
閑職になられたのでごいます。これは御父 鳥羽法皇さまの御計らいでございました。
政のおもむき、ごちゃごちゃど真ん中!の様相でございます。
名誉職のような上皇はお若く、即位した天皇は御身お弱くて、15歳の頃には退位を
お申し出になられ、御所の中は大騒ぎでございました。
もちろん近衛天皇のご退位は許されず、お子も無いまま17歳の若さで亡くなられ
鳥羽院はその衝撃か、 間もなく崩御あそばす。 ここに皇位継承問題勃発!

と、歴史は展開する。
実は、あの若い天皇さんは愛宕山の天狗さんの像の目に釘を打ち付け呪詛されていたので、
眼病で目が見えなくなったとか…   死は呪詛によるものだとか…   
病気平癒の祈祷も、呪詛も、誰がだれを祈祷したやら、呪詛したやら。
その後、朝廷は後白河天皇方と崇徳上皇方に分裂して、保元の乱になっていく。


うなされる夜が続き、病に摂りつかれていた近衛さまは ヒョーヒョーという音、
辺りを覆い尽くす黒雲の光景に ますますのご不怪。 
この時、鵺と思しきもののけ退治の白羽の矢が源頼政どのに。 
頼政どの、大願成就の祈願を行い、清涼殿を覆う黒雲の中で動く影に向かって、
「南無八幡大菩薩」と念じつつ、矢を放つと、頭は猿、胴体は狸、尻尾は蛇、
手足は虎という代物が、奇っ怪な声を上げて落ちて参りました。
摂関家ご兄弟仲はごたごた、兵の家の者が朝廷に根を張りだした頃の事でございます。
戦さならいざ知らず、得体の知れないもののけ退治に推挙された 頼政殿は如何ばかりか。
所謂これが、鵺退治の一度目。
次は 後白河さまが天皇をお子の二条さまに譲ってから。
二条さまを怯えさせ、ご病気にした怪鳥退治でございました。またまた、頼政どのの功で
天皇のご体調、たちまちにしてご回復。
ご褒美に獅子王という刀を頼政殿に貰賜したのだそうでございます。




鵺退治の話を晩年の世阿弥は能にしている。
能では、鵺の亡霊が主役で、源頼政に退治され、救いのない滅びへの姿を語る。
諸説ある物の化だが、その正体は頼政の母だという伝説までもある。
退治した頼政も不可思議なさだめを持っていた。退治された鵺に救いはあったのだろうか。
世阿弥は、中央での華やかな日々、頭領としての思い、佐渡での配流の暮らし、そして
研ぎ磨き上げていった幽玄の世界をすべて背中にして、晩年に 『鵺』のような曲を作り上げた。





鵺の季節到来!この時期の曲目である。
本年2014年7月観世九皐会にて上演。三余堂は仕舞 白楽天を勤める。


投稿日 2014年07月12日 12:43:03
最終更新日 2014年07月12日 12:43:16
修正