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2014年06月12日
カテゴリ : [三余堂月次]
シリーズ 消えたアーカイヴ掘り起し 2011年6月の記事から

物の怪にとりつかれた源氏の妻、葵の上。
その正体は如何にと思いきや、姿を表したのは六条御息所の怨霊。
御息所は このところすっかり足の遠いた源氏の姿を、一目見ようと加茂の祭りへ出かけた、そこで
妻の葵の上に車争いで敗れ、散々な想い。
御息所は葵の上にとりついて、その魂を抜き取ろう… とばかり、生霊に。
さぁ大変と、横川の小聖(よかわのこひじり)に祈祷をさせるも、御息所の嫉妬心が鬼女となって、
葵の上ばかりか、祈祷する小聖にも激しく襲いかかる。
が結局、御息所の怨霊は折り伏せられて、成仏するというのが 能 『葵上』の話。
能では舞台の上に置かれた一枚の小袖が、物の怪に取りつかれた葵の上として登場。
御息所の恋慕と嫉妬の情を描いている訳で、前半は『源氏物語』の巻名を散りばめ、
鬼に変貌しても高貴で、なお美しい御息所を描き出すのが後半。 という訳だ。

能 『葵上』は、賀茂の祭の車争いに破れたということで、御息所が破れ車に乗って登場する。
言わずと知れた賀茂の祭は、葵祭のことである。
567年、欽明天皇は、凶作と飢餓疫病の蔓延を振り払うため、4月の吉日を選び盛大な祭りを
行った。枕草子で祭の中の祭と言っているが、祭りといえば葵祭を指し見物場所の取り合いが、
車争いに見られるほど、人気だったということが良く判る。
祭に関わる人、社殿の御簾や牛車に至るまでフタバアオイを桂の小枝に挿して飾る為、
葵祭と謂われる。そもそも、この祭りの加茂社の神紋が葵。
加茂社の由来は諸説紛々。
雑駁で恐縮ながら、別雷神社(わけいかずち)と御祖神社(みおや)とに分かれ、
総称して加茂社。 これに関連しても、能に『加茂(賀茂)』という曲がある。
天女となって御祖神が舞い、勇ましい別雷神が舞台を駆け抜けて雷鳴を轟かす。夏の能である。

閑話休題、
神官や氏子に広まった葵の紋。
その意匠は二葉葵、三つ葉葵、立ち葵に三つ剣葵等といろいろある。
賀茂神社を氏神とする徳川家の家紋は、三つ葉葵。それが所謂、葵の御紋。 
本多忠勝も「神代以来、京都の賀茂神社に奉仕仕る賀茂族」ということで、立葵の紋を使用。
本当は、こっちの方が正統だと本多氏は言いたいのかもしれないが…


扨、加茂社の神紋葵はウマノスズクサ科カンアオイ属の多年生ツル草のフタバアオイ。
賀茂葵、日陰草、挿頭草、両葉草などと呼ばれる。
草丈もせいぜい5cmから10cmほどで、ハート型の葉が向かい合って2枚。
故に『ふたばあおい』と呼んでいる。
本州以南の山地の木陰に自生して、初春に薄い紅紫色の花をつける。誠に地味なものである。
ただ『葵』というと、立葵を示すアオイ科のタチアオイのこと。
葵紋の『双葉葵』とは別ものだ。
日を仰ぐという意味の「葵」は、美しい花で、人目も虫も寄せつける。
ハイビスカス、ムクゲに、フヨウ、オクラやワタもアオイ科で実に華やかだ。
 (葵、天竺葵の異名を持つゼラニウムは園芸種で、人為的に作った品種。念のため。)
密やかに花をつける双葉葵は、細やかな愛情という花言葉を持っているが、
葵の花言葉は平安、威厳、高貴だそうである。
能の題材となった源氏物語の葵の上。物語中で源氏の妻が葵の上とは謂っていない。
源氏の第九帖から後世、読者が勝手につけた呼び名「葵上」は 
 「はかなしや人のかざせるあふひゆえ神のゆるしのけふを待ちける」
     「かざしける心ぞあだに思ほゆる八十氏人になべてあふひを」 から来るというが。
双葉葵にしても立葵にしても、葵の上は縁のあることである。




消えた2011年6月の三余堂月次記事を改訂掲載




投稿日 2014年06月12日 14:46:29
最終更新日 2014年06月12日 14:46:29
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