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2014年08月12日
扇
カテゴリ : [三余堂月次]
消えた記事の掘り起しシリーズは 『扇』。
2009年の八月の記事である。五年前はまだ扇に関して考えるゆとりのある暑さであった。
今は温度計もすっかりデジタル化となり、30という数字を切っていると誠に涼しいような気がしてくる。
平成26年の夏は立秋を過ぎたが 空調のない部屋は夜もなかなか30の数字は切れないでいる。
ボルサリーノのパナマの帽子に ローンのハンカチ。
颯爽とした白いスーツ姿の紳士は、 むっとする 重苦しい空気を追いやるために 胸のポケット
から扇子を出してパタパタと首筋に風を運ぶ。
百貨店の一階で 花が閉じ込められた氷柱を 子供たちが取り囲む。
氷に手を当てて騒ぐ子らを見守るように、薄物に身を包む和装の婦人が 白檀の扇子を
ハンドバックから取り出して そっと胸元へ風をおくる。
映画や、小説でなくとも 昭和30年代までは そんな姿を見かけた。
今、この様相を銀座のデパートでみたら 何とも風変りな姿に映るだろう。
洋装の男性も 和服の女性も その手にする扇子。
開閉自在で場所を取らず 涼を呼ぶばかりでなく、孫の手代わりも務め、護身用も果たす
すぐれものは 日本で生まれた。
摺畳扇、しょうじょうせんと云われる 開閉式の団扇。 これが扇、扇子である。
平安の初期 京の都で生まれた。 木札に文字を記した 木簡から派生したとされている。
檜の薄皮を重ねて束ねた 檜扇、ひおうぎは、女雛が手にしている。 檜片の枚数は身分で
決められていたという。 当初は 公家、僧侶などの儀式用の持ち物だった。
平安中期になると 紙製も登場。 いわゆる 蝙蝠扇、かわほり。
「ほほほっ ほっ ……でおじゃりまする。」 と、口元をそっと隠す、あの扇。
片面のみ紙が貼られている。その後 両面貼りとなる。
扇の先が閉じずに開いている 中啓、ちゅうけい。これは 能で使う扇の形。
で、僧侶の手にする扇の形でもある。 歌舞伎の河内山では 宗俊がほくろに中啓を持っていく。
そして 鎮折、しずめおりという 現在の一般的な形状へと変化を遂げた。
武士が登場すると 骨が竹でなく鉄で出来た鉄扇は、指揮ばかりでなく 護身用として活躍。
礼法が確立していく室町の時代には 庶民の間でも折節目に使われ、
祝儀、贈答として取り交わされていく。
室町の文化は扇をも育てた。
能の舞台では あらゆる表現に必携な扇、寸法、骨の装飾から絵柄も流儀によって
細かい決まりを持つ。
扇を末広というのは 扇の骨の先がひらいた 能扇の中啓を指しているという。
能の一部分を舞う上演形式の仕舞、地謡、後見などは いわゆる先の閉じた鎮扇を使う。
茶席で扇子は結界を示し、相手に対する礼を表す。
末広がりの形状が吉祥を現わし、扇面という画布が 名筆も名画も生み出した。
俵屋宗達は扇絵の絵師であった。
室町時代に摺畳扇は 盛んに輸出されたという。
それが 大陸へ、さらに西欧へ伝わる。絹や鳥の羽で作られ、貴婦人の間で大流行した
エバンタイユや、フラメンコのスペイン扇などは日本生まれだ。
作り上げるには 数十に及ぶ工程を 幾人もの職人の手が支える扇。
肝心かなめの要を中心に 末広がりに開く扇。
それは、扇面の下に 隠れる骨の確かな重なりの美しさに他ならない。
今日 幅広い種類をもつ扇子は 儀礼用、涼をとる夏扇から、飾り扇、
どれもが 作り手と使い手の生活の中に生きている。
2009年の八月の記事である。五年前はまだ扇に関して考えるゆとりのある暑さであった。
今は温度計もすっかりデジタル化となり、30という数字を切っていると誠に涼しいような気がしてくる。
平成26年の夏は立秋を過ぎたが 空調のない部屋は夜もなかなか30の数字は切れないでいる。
ボルサリーノのパナマの帽子に ローンのハンカチ。
颯爽とした白いスーツ姿の紳士は、 むっとする 重苦しい空気を追いやるために 胸のポケット
から扇子を出してパタパタと首筋に風を運ぶ。
百貨店の一階で 花が閉じ込められた氷柱を 子供たちが取り囲む。
氷に手を当てて騒ぐ子らを見守るように、薄物に身を包む和装の婦人が 白檀の扇子を
ハンドバックから取り出して そっと胸元へ風をおくる。
映画や、小説でなくとも 昭和30年代までは そんな姿を見かけた。
今、この様相を銀座のデパートでみたら 何とも風変りな姿に映るだろう。
洋装の男性も 和服の女性も その手にする扇子。
開閉自在で場所を取らず 涼を呼ぶばかりでなく、孫の手代わりも務め、護身用も果たす
すぐれものは 日本で生まれた。
摺畳扇、しょうじょうせんと云われる 開閉式の団扇。 これが扇、扇子である。
平安の初期 京の都で生まれた。 木札に文字を記した 木簡から派生したとされている。
檜の薄皮を重ねて束ねた 檜扇、ひおうぎは、女雛が手にしている。 檜片の枚数は身分で
決められていたという。 当初は 公家、僧侶などの儀式用の持ち物だった。
平安中期になると 紙製も登場。 いわゆる 蝙蝠扇、かわほり。
「ほほほっ ほっ ……でおじゃりまする。」 と、口元をそっと隠す、あの扇。
片面のみ紙が貼られている。その後 両面貼りとなる。
扇の先が閉じずに開いている 中啓、ちゅうけい。これは 能で使う扇の形。
で、僧侶の手にする扇の形でもある。 歌舞伎の河内山では 宗俊がほくろに中啓を持っていく。
そして 鎮折、しずめおりという 現在の一般的な形状へと変化を遂げた。
武士が登場すると 骨が竹でなく鉄で出来た鉄扇は、指揮ばかりでなく 護身用として活躍。
礼法が確立していく室町の時代には 庶民の間でも折節目に使われ、
祝儀、贈答として取り交わされていく。
室町の文化は扇をも育てた。
能の舞台では あらゆる表現に必携な扇、寸法、骨の装飾から絵柄も流儀によって
細かい決まりを持つ。
扇を末広というのは 扇の骨の先がひらいた 能扇の中啓を指しているという。
能の一部分を舞う上演形式の仕舞、地謡、後見などは いわゆる先の閉じた鎮扇を使う。
茶席で扇子は結界を示し、相手に対する礼を表す。
末広がりの形状が吉祥を現わし、扇面という画布が 名筆も名画も生み出した。
俵屋宗達は扇絵の絵師であった。
室町時代に摺畳扇は 盛んに輸出されたという。
それが 大陸へ、さらに西欧へ伝わる。絹や鳥の羽で作られ、貴婦人の間で大流行した
エバンタイユや、フラメンコのスペイン扇などは日本生まれだ。
作り上げるには 数十に及ぶ工程を 幾人もの職人の手が支える扇。
肝心かなめの要を中心に 末広がりに開く扇。
それは、扇面の下に 隠れる骨の確かな重なりの美しさに他ならない。
今日 幅広い種類をもつ扇子は 儀礼用、涼をとる夏扇から、飾り扇、
どれもが 作り手と使い手の生活の中に生きている。
投稿日 2014年08月12日 13:56:17
最終更新日 2014年08月12日 13:56:33
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