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2013年05月12日
“ここに ハンコお願いします! ”
カテゴリ : [三余堂月次]
責任や権威を証明するものに印がある。
判、印判、印形、印顆、印信、判子に押印、捺印、押捺と、
聞いたような、耳慣れぬような言葉もあるが、“ここにハンコウお願いします!” のハンコである。
ちなみにこのハンコウは、版木に彫った文字や絵を刷り、発行するので、版行。
転じて認めはハンコで、判子。ハンコウと、厳密にはちと 意味合いが違う。
ハンコは、古代メソポタミアで使われるようになったというから 6、7千年もの歴史がある。
わが国で古いものと言えば 「漢委奴国王」の金印を思うが、大化の改新後、律令制定とともに
ハンコが使用されるようになったそうだ。
公文書に押されていたものが、中世には花押になる 。
これは所謂 個人のサインで今も閣僚署名は、花押で行なっている。
花押なぞ普段使用することがないので、閣僚就任とともにデザインを考えるとか。
大臣初就任の人にとっては重要優先事項ってところだろう。
昔ながらの免許状は発行者や、それを認めた責任者として、宗家、家元の花押が
印されるので、我々は 結構馴染深い。
江戸時代には何かと役所で書類にハンコを押すようになっていたようだ。 が、ご維新後、
明治政府は欧米諸国にならって署名制度の導入を試みたものの、ハンコに軍配。
その後印鑑で、個人や法人を証明する印鑑登録の制度も始まり、平成の御代も
“ハンコお願いします! ”である。
大陸で印鑑制度というか、印璽制度が確立したのは 秦の始皇帝の時代という。
皇帝は天からの授かりものの“璽” じというものを持っていた。
恐れ多くも 『ギョメイギョジ』の 璽である。
官僚任命に当たっては 印と紐を授け、“印綬をもってす”という次第で、
皇帝は最高級の玉製印璽、官僚は官職に従って 金、銀、銅と区別。
名称も璽、印、章と異なり、当然大きさも変わってくる。
秦漢の時代は役人が印に紐を通して、腰に下げ、身分を表していた。
当時の政治文書は紙ではなく、木簡や竹間なので、それらを束ねて紐でくくり、
そこに粘土を塗って、押印した。押印された粘土を封泥という。むやみやたらの開封防止の策。
故に、この時代の印は文字が凹に彫られ、粘土上の文字がくっきりと凸に浮かぶように
鋳込まれていた。その後時代が下って、紙のご登場。
隋、唐代は紙に押印することが定着すると、印は官吏への支給品でなく、役所の常備品となる。
となると、印そのものはバッジや憲章の意味より、紙の印影のほうが 重要になってきた。
大きさと印影での勝負の始まり。
漢の時代の四倍もの大きさ、二寸四方になったそうだ。
秦漢の粘土に推すものは文字が凹み、陰の状態であったが、唐代になると、文字の部分が
凸となり、紙にはっきりと文字で見えるようになる。封泥に代わる認証の誕生であった。
物を閉じるのに使う具体的な仕事から、紙に押した形という 抽象的な性格をはらんでいく。
凹から凸へ、陰から陽への反転だ。
支給物でなくなった印は 個人的なしるしとしての 印を生む。
“これ、ぼくんちの!”“ 私のものだからっねっ。” と蔵書印や書斎の号印などと使われ始めて
官僚制度から解放されていく 。
もっと時代が下って、明、清の時代。
材、装飾の彫りは勿論、その刻された文字の風雅、風化、風触を抱えて
芸術としてふるまう印が登場する。 篆刻である。
2008年、フランスのオークションで、清の第4代康熙帝のものが8億円近くで落札されたという。
凍石という石材で、重さ3キロ、縦14センチ、横10センチ。
皇帝を示す龍が彫られ、康煕帝が描いた絵画に使用されたらしい。
“ここにハンコお願いします! ”も 辿れば さまざまである。
定武蘭亭序 王羲之
2006 東京国立博物館 書の至宝 日本と中国 図録より 歴代所有者による印が夥しく押されている
判、印判、印形、印顆、印信、判子に押印、捺印、押捺と、
聞いたような、耳慣れぬような言葉もあるが、“ここにハンコウお願いします!” のハンコである。
ちなみにこのハンコウは、版木に彫った文字や絵を刷り、発行するので、版行。
転じて認めはハンコで、判子。ハンコウと、厳密にはちと 意味合いが違う。
ハンコは、古代メソポタミアで使われるようになったというから 6、7千年もの歴史がある。
わが国で古いものと言えば 「漢委奴国王」の金印を思うが、大化の改新後、律令制定とともに
ハンコが使用されるようになったそうだ。
公文書に押されていたものが、中世には花押になる 。
これは所謂 個人のサインで今も閣僚署名は、花押で行なっている。
花押なぞ普段使用することがないので、閣僚就任とともにデザインを考えるとか。
大臣初就任の人にとっては重要優先事項ってところだろう。
昔ながらの免許状は発行者や、それを認めた責任者として、宗家、家元の花押が
印されるので、我々は 結構馴染深い。
江戸時代には何かと役所で書類にハンコを押すようになっていたようだ。 が、ご維新後、
明治政府は欧米諸国にならって署名制度の導入を試みたものの、ハンコに軍配。
その後印鑑で、個人や法人を証明する印鑑登録の制度も始まり、平成の御代も
“ハンコお願いします! ”である。
大陸で印鑑制度というか、印璽制度が確立したのは 秦の始皇帝の時代という。
皇帝は天からの授かりものの“璽” じというものを持っていた。
恐れ多くも 『ギョメイギョジ』の 璽である。
官僚任命に当たっては 印と紐を授け、“印綬をもってす”という次第で、
皇帝は最高級の玉製印璽、官僚は官職に従って 金、銀、銅と区別。
名称も璽、印、章と異なり、当然大きさも変わってくる。
秦漢の時代は役人が印に紐を通して、腰に下げ、身分を表していた。
当時の政治文書は紙ではなく、木簡や竹間なので、それらを束ねて紐でくくり、
そこに粘土を塗って、押印した。押印された粘土を封泥という。むやみやたらの開封防止の策。
故に、この時代の印は文字が凹に彫られ、粘土上の文字がくっきりと凸に浮かぶように
鋳込まれていた。その後時代が下って、紙のご登場。
隋、唐代は紙に押印することが定着すると、印は官吏への支給品でなく、役所の常備品となる。
となると、印そのものはバッジや憲章の意味より、紙の印影のほうが 重要になってきた。
大きさと印影での勝負の始まり。
漢の時代の四倍もの大きさ、二寸四方になったそうだ。
秦漢の粘土に推すものは文字が凹み、陰の状態であったが、唐代になると、文字の部分が
凸となり、紙にはっきりと文字で見えるようになる。封泥に代わる認証の誕生であった。
物を閉じるのに使う具体的な仕事から、紙に押した形という 抽象的な性格をはらんでいく。
凹から凸へ、陰から陽への反転だ。
支給物でなくなった印は 個人的なしるしとしての 印を生む。
“これ、ぼくんちの!”“ 私のものだからっねっ。” と蔵書印や書斎の号印などと使われ始めて
官僚制度から解放されていく 。
もっと時代が下って、明、清の時代。
材、装飾の彫りは勿論、その刻された文字の風雅、風化、風触を抱えて
芸術としてふるまう印が登場する。 篆刻である。
2008年、フランスのオークションで、清の第4代康熙帝のものが8億円近くで落札されたという。
凍石という石材で、重さ3キロ、縦14センチ、横10センチ。
皇帝を示す龍が彫られ、康煕帝が描いた絵画に使用されたらしい。
“ここにハンコお願いします! ”も 辿れば さまざまである。
定武蘭亭序 王羲之
2006 東京国立博物館 書の至宝 日本と中国 図録より 歴代所有者による印が夥しく押されている
投稿日 2013年05月12日 14:46:13
最終更新日 2013年05月12日 19:38:01
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