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2013年06月12日
水無月祓
カテゴリ : [三余堂月次]
今月は旧暦で水無月、 みなづき と呼ぶ。
現在の暦でも6月の別名として用いるが、旧の暦とは時季がずれる。
水無月の由来には諸説あって、聴く度にこれがまた混乱の種だ。
旧暦では6月下旬から8月上旬頃が 水無月に当たるので、文字の通り、
梅雨が明けて水が涸れて無くなる月である。
しかし、田植が終わって田んぼに水が必要な月なので、「水張月(みづはりづき)」
「水月(みなづき)」で、水無月となったとする説も有力だそうな。
だんだんに 訳が判らなくなってくる。
田植を仕終えた月で「皆仕尽(みなしつき)」、又、水無月の「無」は「の」という意味の
連体助詞「な」で、「水の月」だという説やら…
「梅雨で天の水がなくなる月」だの、「田植で水が必要になる月」だのと 後付けで
勝手なことは言える。が、それぞれがアタラズトモトオカラズといったところのようだ。
兎にも角にも 六月が水無月。

一年の半分の水無月と、その一年の歳の終いの晦日に、罪や穢れを除く為の行事がある。
6月は夏越の祓 なごしのはらえ、12月は年越の祓 としこしのはらえ という。
701年、大宝律令によって宮中の正式年中行事に定められたというから 大神事であり、
単なる大掃除ではない。 この日には、朱雀門前の広場に親王、大臣ほか官僚が集って
大祓詞を読み上げ、国の民の罪や穢れを祓ったという。
当時は衛生意識が今のように高くはなく、環境も整わない状況だった。
易疫病流行などの予防に対処する啓蒙活動の一環として、季節的に必要に迫られた
意味の重い行事であったろう。 応仁の乱頃まで、百年ほどは盛大に行われたという。
その後衰退、江戸の元禄に再開して、裾野に広まったというから、社会背景を考えさせられる。
落ち着かない世の時こそ大祓いを願いたいものであるが…

時は下り、明治4年の太政官布告で、明治新政府は「大宝律令」の「大祓」の旧儀を再興し、
全国の神社で「大祓」が行われるようになったという。お上からのお達しであった。
ご維新後の日本の姿が垣間見え、これまた時代背景が感じられる。
戦後は祭政が切り離され、「夏越神事」「六月祓」などの称も復活して現在に至るという。
この時期、無病息災を願っての茅の輪くぐりが時折ニュースで流れる。これが夏越の祓である。
夏越祓には「水無月」という菓子を食す習慣があるという。
白のういろう生地に小豆を乗せた三角の生和菓子。
小豆は悪霊祓い、三角の形が暑気払いの氷を表しているのだそうだが
云われてみれば初夏の涼味として口にしていた甘味である。

この時季には上演の観世流の能に “水無月祓 ”という曲がある。
下鴨神社の夏越の祓で 恋慕いながらも別離した男女が再び会うという大団円の
作品として描かれているが、 賀茂神社の「夏越祓」が有名であったことは、    
 
    風そよぐ奈良の小川の夕暮れは 禊ぞ夏のしるしなりける
 
と 百人一首の藤原家隆の作からもよくわかる。
今年の“水無月祓”は 能として舞台で ご高覧願うも一興か。


水無月祓 鴨川の後瀬しづかに後も逢わん 妹には我よ今ならずとも  能 水無月祓 より   
                                                                  阿香 書く






 水無月祓 2013.08.11. 於  観世九皐会定例会

投稿日 2013年06月12日 14:55:58
最終更新日 2013年06月12日 14:56:23
修正