http://nogakusanpo.maya-g.com
記事移動
2015年08月21日
残暑お見舞い申し上げます。

いつもこの時期になると思うのですが、カナブンや蝉はどうしてマンションの階段の踊り場、廊下、ベランダにやってきて、そこで息絶えてしまうのでしょうか。今夏も例年同様、我が庵のベランダはカナブンや蝉の墓場となっております。南無南無。

ここ数日は東京は少しそよ風が感じられることがありますが、こんもり木が茂ったお屋敷の側を通ると蝉の大合唱のすごいこと!アブラゼミ、ミンミンゼミにツクツク法師の混成合唱はすさまじいです。

そこで、以前にも掲載しましたが、小林一茶の句のフランス語訳を書いたものを再び引っ張り出してみました。


          まだまだ暑い
  
      画像をクリックすると拡大します。


そよ風は蝉の声より起こる哉   (c)La plume d’oie

はたしてこの蝉は何ゼミだったのでしょうか?


先月お知らせした、この暑さに少しでも涼感をと企画されたCOOL TIME展は小手指のギャラリーUSHINで今月30日まで開催しています。

そこで展示されているちょっとぞわっと涼感を誘う貼り絵作品をば。



                        まだまだ暑い   画像をクリックすると拡大

鐘巻 貼り絵作品 紙屋初瀬 

「鐘巻」は能「道成寺」の原形ともいわれる曲で、黒川能では今でも「鐘巻」が演じられています。


紙屋初瀬さんの今回出展の貼り絵作品はこの「鐘巻」のほかに「夕顔」と「杜若」と、どれも能の曲目から着想を得られたものです。


COOL TIME展  於ギャラリーUSHIN

           
投稿日 2015年08月22日 23:00:21
最終更新日 2015年08月22日 23:01:23
修正
2015年08月12日
カテゴリ : [三余堂月次]
案内望遠鏡で ALOHA〜 と書いたからその勢いでアロハオエ〜 という訳でも
ないが、知人がさも披露したそうにアロハオエ〜と口ずさみ、ウクレレを抱えた
ポーズをとる。学生時代に取った杵柄らしいが、ボケ防止に始めたそうだ。 
“アロハオエ” は何といっても、ハワイアンソングの定番である。 が、何故か
昭和の香りたっぷりのハワイ感とでもいうか、少々古めかしさをおぼえる。


誠に雑駁乍ら、ハワイ諸島へ南国マルケサス諸島からカヌーでやってきた人々が
住み着いたのが、6世紀から8世紀頃らしい。 その後百年余り…
1778年にイギリス人のキャプテン・クックがハワイに来航。 これが契機となって
白人との接触が始まったという。  その頃、三人の王様がハワイを治めていたが、
カメハメハ1世が、白人の持ち込んだ銃器を駆使して、ハワイ諸島を統一。
ハワイ王国を作ったのだそうだ。
これが、1795年だというから、あの“おろしや国酔夢譚”の大黒屋光大夫が
日本に帰った頃で、北方にロシアの船がやって来ては、何じゃかんじゃと幕府を
刺激して“鎖国でござい!”と、も言っていられなくなった時期である。

カメハメハ2世の治下1820年頃、多くの宣教師がアメリカから移住して、
キリスト教文化がハワイに定着していった。この頃に讃美歌の影響で、
メロディーのついた ハワイ語の曲という、新しい音楽ジャンルが生まれた由。
一方、アメリカ人はプランテーション農場のために、土地の収奪もはじめたという。
カメハメハ3世の時代ともなると、否応なく、西洋の文化を取り込むようになり、
文字のなかったハワイ語は、アルファベットで表記されるようになったというから
当然、王族は当時の最先端の西洋教育を受け、他国との対峙に備えていった訳である。

当時の日本近海は捕鯨船の往来が盛んだったので、我国は北方どころか、
浦賀にもイギリス船は来るし、常陸にも薩摩にも船員が上陸してくる有様。
周りが海の島国は何処も 外からの刺激に向き合わなくてはならない。
そこで江戸幕府は取敢えず、“異国船打払い”の令を出す。
これは、外国から来た船に “どうぞ、目に映らない処へ行って下さ〜い” と、
海に向かって叫んでいた感じである。

西洋文化を受け入れていくカメハメハ3世。
彼が編成したロイヤルハワイアンバンドというのが、今日まで続き、現在は
ホノルル市の職員待遇楽団なのだそうだ。180年の歴史となる。
それまでは 単調なリズムの詠唱だったものから、ピアノ、ギター、ウクレレと
弦楽器が音を作っていった。 カラカウア王朝では宮殿内に造られた専用の音楽室で、
日常的に音楽会が催されたという。
現在、ロイヤルハワイアンバンドの定番はハワイ州歌 『ハワイ・ポノイ』と
『アロハ・オエ』。
そう、知人が披露したい『アロハ・オエ』  それは
ハワイ王朝最後の君主リリウオカラニ女王の作品なのだそうだ。

谷に降り注ぐ大粒の雨  森の中を流れゆく  
谷の花アヒヒ・レフアの  つぼみを探して

さようなら貴方 さようなら貴方  木陰にたたずむ素敵な人
別れの前に優しい抱擁を  また会えるその時まで

                         アロハオエ〜



















投稿日 2015年08月12日 0:07:48
最終更新日 2015年08月12日 0:08:06
修正
2015年08月01日
カテゴリ : [案内望遠鏡]
酷暑お見舞い申し上げます。


子供の頃の夏休み どのチャンネルに回しても エセル中田が大きな花を髪に着けて
ウクレレやスチールギターを背中に歌っていた気がする。
ハワイアンが多流行りした時期があった。今は、フラが大人気なのだそうだ。
そう言えば、新聞の折込みで、カルチャーセンターの講座広告には必ずフラクラス
の宣伝がある。レイを首から掛けて、腰がぐっと入る独特のスタイルで、両手を広げて
白い歯が如何にも 元気、元気 と手招いているようだ。

Akahai   やさしさと思いやり
Lokahi   調和と融合
Olu’oiu   喜びをもって柔軟に
Ha’a a Ha’a  謙虚に
Ahonui  我慢と忍耐

それぞれの頭文字を取って ALOHA ということで、Let’s Hula 〜 という訳か。

九月になると本場ハワイから 最高峰のフラと音楽を東京で楽しめるそうだ。
総勢160人もの出演で、男性、女性、古典から現代に至るまで、なかなかの
プログラムが組まれている由。公演は大盛況なのだそうだが、全国で300以上もの
フラスクールがあるというから、集客も見込めるというものだ。
日本でも毎年全国大会やら 競技会があるというから、歌に合わせてふらふら、
というような ゆるぅい ゆらゆらとした物ではないようである。 

     ALOHA!





日本に大々的に 踊りであるフラが紹介されたのが、常磐ハワイセンターの開園時らしい。
常磐炭鉱の斜陽化を観光業に転換するという、町おこし事業に伴って、ハワイセンター
なるものが出来た。その経緯を描いたのが、 映画“フラガール”なのだが、映画で
蒼井優が、頑張って踊るのはタヒチアンというもので、フラとどうも、ごちゃ混ぜになって
理解している気がする。 
まっ、他所から見ると、能も歌舞伎も 仕舞も日舞もイッショクタ …
フラは、神様への宗教的行為がその始まりという。芸能の根本の姿である。
それを、そのまま今に伝える“カヒコ”と呼ばれる古典もあるし、歌に合わせて
踊るものもある。19世紀以降に西洋の音楽を取り入れて、新しく作ったのが、
フラ・アウアナというもので、映画でフラガールたちが“大地に光を〜”と踊っていたので、
新作も、日本作も“有り”なのだろう。

蛇足ながら フラもダンスも 踊りということなので、今は専らフラというのだそうな。
終日、ハワイミュージックのアロハジョーラジオで、砂浜の波でも思いながら、
爽やかな曲をBGMに 酷暑の8月を過ごそうと存ず。ALOHA 



投稿日 2015年08月02日 18:06:45
最終更新日 2015年08月02日 18:07:00
修正