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野の宮乃秋の千草の花車 我も昔に廻り来にけり
Au temple de la Lande sur mon char fleuri des mille herbes de l’automne
Moi-même du temps jadis je suis venue me ressouvenir
すでに能の花Vol.3の作品紹介で掲載した野宮の作品。今回は装飾頭文字を少々拡大して秋草のお話を。
この作品の書体にはゴティック体を使用したので、頭文字に金箔を置き装飾に秋草をあしらってあります。萩、尾花、女郎花と桔梗と七種類すべては描ききれなかったのですが、装束などの秋草文様を参考にデザインしました。
さて、この秋の七草といわれているものは、万葉集にある山上憶良が詠んだ歌
秋の野に咲きたる花を指折り かき数ふれば七種の花
萩が花 尾花 葛花 撫子の花 女郎花 また藤袴 朝貌の花
からきています。この歌に詠まれている「朝貌(あさがお)の花」は、諸説ありましたが、今は桔梗に落ち着いています。私たちが朝顔と云っている花は平安時代以降に日本に渡り、山上憶良の時代にはまだ存在していません。その後も歌や文様では混同されていることが多かったようです。
帰国中に鎌倉能舞台にお邪魔した帰りに、近くの長谷観音に立ち寄ったら、こんな綺麗な桔梗がたくさん咲いていました。まだまだ暑い時期でしたが、旧暦ではすでに秋。
2007年10月20日
カテゴリ : [鵞毛庵能の花シリーズ]
野の宮乃秋の千草の花車 我も昔に廻り来にけり
Au temple de la Lande sur mon char fleuri des mille herbes de l’automne
Moi-même du temps jadis je suis venue me ressouvenir
すでに能の花Vol.3の作品紹介で掲載した野宮の作品。今回は装飾頭文字を少々拡大して秋草のお話を。
この作品の書体にはゴティック体を使用したので、頭文字に金箔を置き装飾に秋草をあしらってあります。萩、尾花、女郎花と桔梗と七種類すべては描ききれなかったのですが、装束などの秋草文様を参考にデザインしました。
さて、この秋の七草といわれているものは、万葉集にある山上憶良が詠んだ歌
秋の野に咲きたる花を指折り かき数ふれば七種の花
萩が花 尾花 葛花 撫子の花 女郎花 また藤袴 朝貌の花
からきています。この歌に詠まれている「朝貌(あさがお)の花」は、諸説ありましたが、今は桔梗に落ち着いています。私たちが朝顔と云っている花は平安時代以降に日本に渡り、山上憶良の時代にはまだ存在していません。その後も歌や文様では混同されていることが多かったようです。
帰国中に鎌倉能舞台にお邪魔した帰りに、近くの長谷観音に立ち寄ったら、こんな綺麗な桔梗がたくさん咲いていました。まだまだ暑い時期でしたが、旧暦ではすでに秋。
投稿日 2007年10月21日 0:01:50
最終更新日 2007年10月21日 0:01:50
【修正】
2007年10月01日
カテゴリ : [案内望遠鏡]
三余堂近くの八幡様の例大祭は、 今年、五年に一度の流鏑馬神事の年だった。
真夏の蝉が賑やかな時期から 参道に覆い被るように茂った木々の枝払いが
クレーン車を使ってなされ、9月早々には 馬場となる参道の整備がはじまった。
また、これまで神事所役のうち家臣の役を国学院の学生の奉仕に依っていたが、
今年は地元の青年も 的場、采揚、矢拾、覧筥の役として募集をした。
準備万端 、 さて当日 9月30日 ……
参道に流鏑馬の馬場を造る 準備万端
それまでの 30度を越す残暑の日々に替わって 11月半ばの気温と強い雨。
中止である。
この数年、9月の末から10月の初めは 必ず雨で祭囃子も湿り気味であった。
今までは櫓を組んで 朝7時から テケテンッ テケテンッ と例大祭を報せていた。
が、近年は 近隣からうるさいという苦情が出るようになったそうである。
今年は 櫓を止めた、囃子連中の朝も9時頃からになった。おまけに雨もちらついている。
なんともはや 言い難し。
ところで 能楽さんぽへよくお出掛け下さいました=@と 始めたこのサイトも一年になった。
号にしている三余(さんよ)とは、中国の魏の薫遇という人の
読書当以三餘 冬者歳之餘 夜者日之餘 陰雨者時之餘
(出典 魏志・王粛伝)
からの引用で 1年のうちで勉学は農作業(仕事)の出来ない冬の季節、
1日のうちでは夜、そして雨の日を有効活用せよ、といっている。
と 挨拶方々記した。せいぜい 飲んだくれて寝る前に 活用したいものだが。
遠くの祭囃子を聞きながら そんなことを想う というなら、ちと様になるが
鼻の先で ピーヒョロ テケテンッ では止めて欲しいという人もあろう。
こっちとら 浮かれちまって しごとになんねぇのが …
有志で造られた万灯神輿が青梅街道を練る
野中の一軒家とはいかない 昨今 音を出すことはどちら様も敏感になる。
初見参から 一年の祭りの日の雑感であった。
真夏の蝉が賑やかな時期から 参道に覆い被るように茂った木々の枝払いが
クレーン車を使ってなされ、9月早々には 馬場となる参道の整備がはじまった。
また、これまで神事所役のうち家臣の役を国学院の学生の奉仕に依っていたが、
今年は地元の青年も 的場、采揚、矢拾、覧筥の役として募集をした。
準備万端 、 さて当日 9月30日 ……
参道に流鏑馬の馬場を造る 準備万端
それまでの 30度を越す残暑の日々に替わって 11月半ばの気温と強い雨。
中止である。
この数年、9月の末から10月の初めは 必ず雨で祭囃子も湿り気味であった。
今までは櫓を組んで 朝7時から テケテンッ テケテンッ と例大祭を報せていた。
が、近年は 近隣からうるさいという苦情が出るようになったそうである。
今年は 櫓を止めた、囃子連中の朝も9時頃からになった。おまけに雨もちらついている。
なんともはや 言い難し。
ところで 能楽さんぽへよくお出掛け下さいました=@と 始めたこのサイトも一年になった。
号にしている三余(さんよ)とは、中国の魏の薫遇という人の
読書当以三餘 冬者歳之餘 夜者日之餘 陰雨者時之餘
(出典 魏志・王粛伝)
からの引用で 1年のうちで勉学は農作業(仕事)の出来ない冬の季節、
1日のうちでは夜、そして雨の日を有効活用せよ、といっている。
と 挨拶方々記した。せいぜい 飲んだくれて寝る前に 活用したいものだが。
遠くの祭囃子を聞きながら そんなことを想う というなら、ちと様になるが
鼻の先で ピーヒョロ テケテンッ では止めて欲しいという人もあろう。
こっちとら 浮かれちまって しごとになんねぇのが …
有志で造られた万灯神輿が青梅街道を練る
野中の一軒家とはいかない 昨今 音を出すことはどちら様も敏感になる。
初見参から 一年の祭りの日の雑感であった。
投稿日 2007年10月08日 9:36:32
最終更新日 2007年10月08日 9:36:55
【修正】