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2016年04月01日
家康さんの本棚
カテゴリ : [案内望遠鏡]
皇居乾門は桜をめでる為に人が多く集まった。
どうも今年は華やかに咲き誇る感じではなく、今一つ不満足に思いつつも 
花が目に映ればなんのその。この季節の喜びを見知らぬ人々と分かち合うことになる。
実は開花具合の都合で皇居の乾通り開放が延長になったとか。

御所乾門の近く 国立公文書館では平成28年春の特別展が二日からはじまる。
《徳川家康―将軍家蔵書からみるその生涯―》 と銘打ち、家康さんの書物好きの生涯を
所蔵資料から辿ろうというのだ。 今年は徳川家康が元和2年に駿府城で死去してから四百年。
大変な読書家であり、しかも収集家であったという。戦国一の蔵書家は儒学に関する書物などの
漢籍、要するに海外書を大陸から大量に集めていたそうだ。

幕府の役職には書物奉行なるものもあったという。
その奉行所では江戸城の紅葉山文庫の管理、図書の収集、分類、整理、保存、調査
といった 《図書館のお仕事》 をしていた。
この図書館、紅葉山文庫は江戸に幕府が開かれる前年、慶長7年(1602)に、家康さんが
貴重書を収蔵する文庫を創設した。家康さんちの本棚である、将軍の図書館誕生。
書物奉行の職は3代将軍徳川家光が設けた。寛永16年(1639)、江戸城紅葉山の麓に書庫を
新設し、以後、将軍の図書館が、紅葉山の御文庫と呼ばれるようになるという次第。
歴代の将軍や幕府の高官、学者等は、資料を文庫から取り寄せ研究、とりわけ積極的に
紅葉山文庫の資料を利用したのは徳川吉宗で、「享保の改革」の随所に活用したという。

書物奉行は、ご存知お芋の儒学者 青木昆陽、天文暦学の天文方 渋川敬直。
千島列島、択捉島を探検して「大日本恵土呂府」の木柱を立てたという 近藤重蔵などが
務めた。 この近藤重蔵は、和漢の書物を精力的に研究して紅葉山御文庫の蔵書来歴を
明らかにし、豊富な知識をもとに貴重書を鑑別、その保存の仕方や取扱いを改善したそうだ。
紅葉山御文庫の貴重書が、今日良好な状態で保存されているのは、近藤重蔵の功績に
負うところが大きいとのことである。蛇足ながら近藤重蔵は火付盗賊改方として 幕府に
勤務したことがあり、文化のルツボのような図書館の親分、お奉行様にはなかなか面白い
人材が起用されていたのだ。  書物奉行の配下には勿論、同心がいたのだそうで…
名実ともに 徳川家康さんの幕府経営にとって重要な柱だったろう、文庫は慶応2年(1866年)に
廃止されたというが、明治維新後、紅葉山文庫の蔵書は新政府に引き継がれ、今日その多くを
国立公文書館が所蔵している由。

今回「徳川実紀」の展示がある。 正式には御実紀(ごじっき)と云うのだそうだ。
これは 林述斎(はやしじゅっさい)らにより編纂された徳川幕府の正史である。
家康から十代家治に至る歴代将軍の治績を記してあるものなのだが、どちらかというと、
付録の逸話が面白い。きちんと付録としてまとめられ、全485冊で、天保14年(1843)に
完成ということだ。 江戸期の式楽としての能の様子はこの徳川実記によって色々と知る
ことができる有り難い資料である。 もとより幕府の正史なのだから 当然、お抱えの能役者の
身分、扶持の管理をはじめ、式楽としての催事の記録があるのは当然で、将軍には指南役と
称して能の稽古教授がついたことや、その稽古の様子などが窺える。
他に外蕃書翰(がいばんしょかん)。 これは 前述の近藤重蔵が編纂した幕府の外交関係資料を
編纂して作成した「外蕃通書」の参考図録として作成されたもの。 安南・オランダ・ルソン等への
渡海朱印状などの外交文書が模写されているという。 実記とともに紅葉山文庫旧蔵のもの。

家康さんは何かと献本をさせたようで、一万冊あまりの蔵書があったというから大した本棚で、
そのお文庫の棚に並ぶ献本の中には能の大夫からの伝書も含まれている。
                  分散、散逸から守り貫かれた事は 誠に有り難いことだ。







投稿日 2016年04月04日 0:55:55
最終更新日 2016年04月04日 0:56:05
修正