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2016年03月12日
やっと 北魏
カテゴリ : [三余堂月次]
「張猛龍碑」誕生を探る為に北魏という国が華北を統一するまでを無謀にも
原稿用紙二枚程度で走り抜けた。中国数千年の歴史を思うと、余りにも雑駁過ぎ大反省。
大陸は広く果てしなく西方に広がり、北にも南にも広がる。何しろ土地が大きい。
何百年も同じ政権が広大な土地を支配した時もあれば、ごちゃごちゃと訳の判らないほど
入り組んだ時期もあり、大河ドラマ“真田丸”の比ではない。

兎も角、中国王朝の中から目的の北魏を見つけなければいけない。
初音ミク嬢がネギを振り振り、元気よく教えてくれるのでそれを参考に、
後漢が滅んで魏、呉、蜀の三国に分裂したところから考える。

知られた三国志は棚上げて魏に代わるのが晋。
この晋が蜀と呉を滅ぼして一旦中国を統一(265)。
とは言え、混乱がおき晋は短期ですっかりやられていく。
この頃の大陸北方は北方で、西方は西方でパカパカと馬に乗って
駆け抜け移動する民族が肥沃そうな土地へ侵入してきた。
所謂 華北と呼ばれる中国大陸の黄河を中心としたところ。
やっとこさっとこ、晋がまとめて王朝を開いたのに、北から西からよそ様が
侵入してきて、彼らの部族単位の小さな政権がたくさん生まれる。
五つの異民族によって十六の政権ができた。
これがミクちゃんも歌っている、五胡十六国時代(316〜439)。
五胡はモンゴル系の匈奴(キョウド)、羯(ケツ)、鮮卑(センピ)、チベット系のテイ、羌(キョウ)。
十六国はこれらの民族が建てた国で、広い華北の地域は大混乱。
という次第で、似て非なる十六国の王朝名に三余堂も大混乱の為省略。
やがて、その中のひとつ北魏という国が、五胡十六国の分裂状態を終わらせて華北を統一(439)。
これで前回記事と繋がった次第。

遊牧の民族が国を建てるのだから、馬で走る走る、駆ける駆ける。
五胡同士も戦い続け、華北では農村の耕地なんぞはめちゃくちゃだ。
華北の豪族たちは農民たちを引き連れて南へ、南へと…  難民状態で逃れる。
とは言え、華北には数からして漢民族が大勢いた。多勢に無勢。何といっても数は力だ。
弱体化していく政権は吸収合併になっても、たった一人で旗振りをして頑張る残党もいる。
それらをまとめ上げるまで、着々と北魏は華北経営基礎を固めていった。

勿論 南方の華南地方に逃げずに留まった漢族の豪族勢力もあった。
経営戦略としては、それらの処遇もあるし、協力も得なければいけない。
中国全土を支配するということは 北魏が鮮卑族の国家から、民族的な差別を越えた国に
発展変貌しなければならかったということである。
                    あぁ… たいへんなこっちゃ…











投稿日 2016年03月12日 12:10:49
最終更新日 2016年03月12日 12:11:02
修正