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2014年03月12日
過去の月次で消えてしまった!の復活版  李白の清平調詞
カテゴリ : [三余堂月次]
号を青蓮居士と云った詩人がいた。その名は李白。
出自は諸説紛々ながら、どうも御先祖は西域の人で、漢民族ではなかったらしい。
もっとも李白自身はパンダの故郷、四川、蜀で育った。
同時代の杜甫と共に最高の詩人とされ、後世には「詩仙」と称された人だが、
山に隠棲したり、道士の修行をしたり、25歳あたりからの10数年の間は長江下流域を中心に、
各地を放浪したそうである。
その後 家族を持ち、なんだかんだの末、42歳の時に李白は宮廷詩人として玄宗に仕える。
詩才を見込まれての3年間、李白は朝廷で詩歌を作り、詔勅の起草などをした。

盛唐以降、牡丹が花の王としてことに珍重されるようになったという。
もともと薬用として利用されていたようだが、その華やかさが玄宗のお気に召したのか、
宮廷としていた興慶宮にあった沈香亭の前には 種々、色とりどりの牡丹が植えられたそうだ。
勿論、ぼたんの鑑賞会、花見の宴開催は必須。
で、管弦にのせて、お気に入りの楊貴妃を称える歌を奏さなくてはなるまい。
李白はお召をうけて、ぱっぱっと三首。 楊貴妃の美しさを牡丹の花に例えた「清平調詞」を作る。
これを当時の名楽人、李亀年に歌わせたとか、奏させたとか。
この時、玄宗が玉笛で曲にあわせ、楊貴妃は葡萄酒を飲みながらそれに聞き入ったと…
さすが文化人の玄宗皇帝。後世の作り話にしても、さもありなん…

清平調詞 其の一
雲想衣裳花想容      雲には衣裳を想い 花には容を想う
春風拂檻露華濃      春風 檻を払って 露華濃やかなり
若非羣玉山頭見      もし群玉山頭に見るにあらずんば
會向瑤臺月下逢      かならず瑶台月下に向かって逢わん

清平調詞 其の二
一枝濃艷露凝香      一枝の濃艶 露 香りを凝らす
雲雨巫山枉斷腸      雲雨 巫山 枉げて断腸
借問漢宮誰得似      借問す 漢宮 誰か似るを得ん
可憐飛燕倚新粧      可憐の飛燕 新粧に倚る

清平調詞 其の三
名花傾國兩相歡      名花 傾国 ふたつながら相歓ぶ
常得君王帶笑看      常に得たり君王の笑いを帯びて看るを
解釋春風無限恨      解釈す 春風 無限の恨みを
沈香亭北倚闌干      沈香亭北 闌干に倚る

丹精込めて育てたのだろう、牡丹の花と自分好みの佳人。その姿を玄宗は満足に眺めて
春の風に季節を感じ、思い悩みも晴れるってわけか。

「清平調詞」 きよきひょうじょうのうた でなく、せいへいちょうしとルビが振られている。
清平調は今ではどのようなものだか不明だそうだ。
鉦鼓管弦が澄み渡るような平調の音律を奏で、歌ったのだろうか。
平調は唐楽での調べで、平調(ひょうじょう)という音を基としたものをいい、雅楽では秋の調子
とされているもので、ホ短調に当たる。 
牡丹の華やかさに相応しい調子とも思われない。尤も、花は秋にも咲くし、寒牡丹というのもある。
が、春を愛でているのだから別物だろうか…
蛇足ながら 能でも、盤渉調、黄鐘調、特別な物には平調と、雅楽の調子が登場。
兎も角、どんな調子であれ、春風の香りと想い、牡丹と楊貴妃の華やかさを
李白は七言絶句の言葉で伝えた。
同じ牡丹ながら、三余堂は彼岸の「牡丹餅」(ぼたもち)。  まもなく春の彼岸である。 







投稿日 2014年03月19日 12:59:58
最終更新日 2014年03月19日 13:00:36
修正