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2014年02月12日
世阿弥の生きた時
カテゴリ : [三余堂月次]
 複雑に敵味方が入り乱れた大動乱の時代、 南北朝も、足利尊氏の孫である足利義満の
時代には終結に向けて動き出す。そんな時代に 世阿弥は生きていた。
1368年に11歳で征夷大将軍に就任した足利義満は、管領の細川頼之(1329〜92年)の
補佐を受けて政治を展開していく。 世阿弥が5歳か、6歳の頃であった。 
細川頼之は義満を助け、様々な政策で幕府権力を強化する。そして、成果を上げ、
武士の力をだんだんと大きなものにしていったという訳だ。 
明との貿易などで貨幣が流通し、手工業の目覚ましい発展もあった。 
美濃の紙、越前の鳥の子紙、近江の信楽焼や尾張の瀬戸焼、山城の製油、西陣の織物、
鋳物、蒔絵の技術も完成されていった時代である。
1378年、足利義満は京都室町に、四季折々の花を植え、花の御所と呼ばれた邸宅を建築した。
それは誠に華麗なものだったようで、世阿弥は この足利義満を通して、当時の最高の文化を
余すところなく享受した。連歌、立て花は勿論、禅僧からも多くを学び取った。
能の装束から面、小さな道具ひとつも こんな時代背景があっての充実である。

 杉本苑子著 『華の碑文』で 世阿弥の生涯を、平岩弓枝著 『獅子の座』で足利義満の生涯を 
それぞれ足利義満、世阿弥を絡めて描いている。
晩年の世阿弥は瀬戸内寂聴著 『秘花』で思いを馳せることが出来、三人の女流小説家によって、
世阿弥の生きた時代を読み比べるのも一興。
蛇足ながら 前述の室町時代に管領として活躍した細川頼之家は 戦国時代に消滅し、
細川頼之の弟である細川頼有が 江戸時代の大名、肥後熊本の細川家で、
細川護煕元首相はその子孫になる。 そう、東京都知事に立候補したあの細川氏である。

 東京都文京区目白台に細川家伝来の美術品、歴史資料などを収蔵した永青文庫がある。
細川家の屋敷跡になる永青文庫は「美術の殿様」と言われた、第16代細川護立氏(没1970年)に
よって設立され、収集品の収蔵、展示、研究をしている。
国宝保存会会長などを務めた護立氏は、美術品収集家としても著名であった。
勿論 家代々の能装束や面の収蔵もあり、展示の機会もある。

 現在の理事長は18代当主の あの細川護煕氏だ。



世阿弥の生きた時

La fleur varie selon les hommes et leur tournure d'esprit.
人人心心の花なり。  世阿弥「風姿花伝」より  (c)La plume d'oie  五木田摩耶 2013



投稿日 2014年02月12日 20:12:54
最終更新日 2014年02月12日 20:13:29
修正