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2012年06月20日
エッフェル
またまた面白人物伝!次なる御仁はフランスは19世紀末から20世紀初頭にかけて、その名は恐らく世界中に知られているエッフェル塔のエッフェル。

   アレクサンドル・ギュスタヴ・エッフェル(Alexandre Gustave Eiffel)、1832年12月15日生まれ、1923年12月23日パリ市内の自宅で没。もともとはドイツ系で18世紀からフランスに移住、苗字もベニックハウゼン Bönickhausen といったそうですが、この名前がフランス人は読めない。そこでご先祖の出身地だったドイツのアイフェルEifel からとって Eiffelに、そして読み方もフランス流にエッフェルと正式に改名したのは1880年のこと。結構裕福な家庭に育ち、学業は化学系でしたが、縁あって鉄道関係の仕事につきます。当時のフランスは鉄道建設ラッシュ。大規模な鉄橋建設に携わって経験を積み、やがて独立してエッフェル社を設立します。

   ここで、パリ万博のパビリオン、駅舎、鉄橋など鉄骨を用いた建設を手がけ、ヨーロッパだけでなく中国や東南アジアにまで広範囲で活躍。その特徴は鉄骨の構造をむき出しにした大胆な巨大建築。そのひとつがエッフェル塔です。

   エッフェル塔は1889年にパリで開催された万国博覧会のためのモニュメントで、当時は賛否両論でしたが、万博後も取り壊すことなく、今日ではパリを代表するシンボルになりました。実はエッフェル自身は塔の設計は直接手がけておらず、エッフェル社が塔の建設を受注して建設したので彼の名が付いています。

   いつの時代も新しいものができると不評を買うもの。詩人で作家のモーパッサンはエッフェル塔建設中から抗議文を送ったりしたものの、いざ出来上がると、その中のレストランに足繁く通ったとされます。なぜならば...そこが唯一変な鉄の塔を見ないで済むところだったからだとか。

   もうひとつ誰もが知っているエッフェルによるものに、ニューヨークのシンボルである「自由の女神」像。ギュスト・バルトルディの彫刻を元に、鉄の骨組みに銅をかぶせたもので、1886年のアメリカ独立百周年にフランスが寄贈したものです。その返礼として、1889年のフランス革命百周年にはパリ在住のアメリカ人たちがレプリカを贈りセーヌ川にも女神がいます。これもエッフェルが手がけています。


                      エッフェルパリの自由の女神像
最近ではブロンズ製のフランス政府公認のレプリカがお台場にも!


   後にエッフェルはパナマ運河建設に関わるスキャンダルに巻き込まれましたが、晩年はエッフェル塔の4階に専用の研究室を設けて気象や天体観測、無線アンテナの設置、風の研究などにいそしみました。

   エッフェルは、鉄の固まりの塔が、万博で単なる人目を惹くためだけの無用の長物ではなく、あらゆる科学に役立ち、さらには国家防衛に役立つ研究機関の一端を担うものなのだということを、自ら示そうとしていたのです。

   1909年にはエッフェル型とよばれる風洞を造りました。人工的に風の流れを発生させて、実際の流れを再現してさまざまな実験をする装置で、現在はパリ市内の別の場所に移転しています。これは航空機の進歩に多大な役割を果たし現在に至っていますし、最終的には自ら航空機の設計も手がけるに至りました。

   1921年には、その研究のすべてを国に寄贈し、1923年に91歳で永眠。結構長生きですねェ。


元万博会場だったシャイヨ宮からみたエッフェル塔エッフェル


   毎年、7月14日のパリ祭にはエッフェル塔付近で花火が打ち上げられます。2009年のエッフェル塔での花火の様子はこちらで。

そのパリ祭に寄せてのアート展が7月10日から神楽坂で開催されます。鵞毛庵も参加します。庵主はエッフェル塔をモチーフにした作品をいっぱい準備中!

パリ祭に寄せたアート展 巴里の詩

7月10日(火)〜7月16日(月)12 :00〜19 :00

神楽坂セッションハウスガーデン

絵画、版画、カリグラフィー、キャンドル、フラワーアート、ガラスなど、日仏のさまざまなアーティストが展示いたします。
パリ祭当日7月14日16時からは小倉浩二氏によるシャンソンライブ(1ドリンク付¥3500)もありますので、どうぞお出かけ下さい。
投稿日 2012年06月20日 0:49:47
最終更新日 2012年06月20日 0:51:53
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