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2009年08月20日
カテゴリ : [鵞毛庵能の花シリーズ]
昨年7月には夏の風物として納涼でお化けのお話をした鵞毛庵ですが、今年は別の風物で、蝉。
朝から夜遅くまで、ミンミン、じりじりと賑やかな蝉。この声を聞くと、ああ夏だァと暑さが増すものの、なんだかうれしい。
と、いうのは、長年住み暮らしたフランスでは、南にくだらないと蝉が生息していないのでパリでは全く馴染みがなく、夏=蝉という方程式が成り立たちません。
南仏に夏のヴァカンスで行った際には蝉の声がたっぷり聞けて一人ではしゃいで友人達に変な顔されたこともありました。蝉は南仏のプロヴァンス地方では夏の太陽いっぱいで幸せのシンボルとして置物や布のモチーフに使われているのに、普通のフランス人にとってはただの騒音で馴染みのない昆虫なのです。
Une douce brise s'élève du chant des cigales
La plume d’oie©鵞毛庵 2002
画像はクリックすると大きくなります。
花鳥風月シリーズとして2002年に書いた作品から「そよ風は蝉の声より起る哉」という小林一茶の句。芭蕉の句「閑さや巖にしみ入る蝉の声」も好きだけど、この一茶の句の閑かさも好き。
しかし、ベランダのコンクリートの壁に鎮座して長いこと鳴かれると、ちと、うるさすぎるぞォ〜〜〜ッ、と、気分は仏蘭西人に。
朝から夜遅くまで、ミンミン、じりじりと賑やかな蝉。この声を聞くと、ああ夏だァと暑さが増すものの、なんだかうれしい。
と、いうのは、長年住み暮らしたフランスでは、南にくだらないと蝉が生息していないのでパリでは全く馴染みがなく、夏=蝉という方程式が成り立たちません。
南仏に夏のヴァカンスで行った際には蝉の声がたっぷり聞けて一人ではしゃいで友人達に変な顔されたこともありました。蝉は南仏のプロヴァンス地方では夏の太陽いっぱいで幸せのシンボルとして置物や布のモチーフに使われているのに、普通のフランス人にとってはただの騒音で馴染みのない昆虫なのです。
Une douce brise s'élève du chant des cigales
La plume d’oie©鵞毛庵 2002
画像はクリックすると大きくなります。
花鳥風月シリーズとして2002年に書いた作品から「そよ風は蝉の声より起る哉」という小林一茶の句。芭蕉の句「閑さや巖にしみ入る蝉の声」も好きだけど、この一茶の句の閑かさも好き。
しかし、ベランダのコンクリートの壁に鎮座して長いこと鳴かれると、ちと、うるさすぎるぞォ〜〜〜ッ、と、気分は仏蘭西人に。
投稿日 2009年08月20日 21:04:00
最終更新日 2009年08月20日 21:11:32
【修正】
2009年08月12日
カテゴリ : [三余堂月次]
ボルサリーノのパナマの帽子に ローンのハンカチ。
颯爽とした白いスーツ姿の紳士は、 むっとする 重苦しい空気を追いやるために 胸のポケット
から扇子を出してパタパタと首筋に風を運ぶ。
百貨店の一階で 花が閉じ込められた氷柱を 子供たちが取り囲む。
氷に手を当てて騒ぐ子らを見守るように、薄物に身を包む和装の婦人が 白檀の扇子を
ハンドバックから取り出して そっと胸元へ風をおくる。
映画や、小説でなくとも 昭和30年代までは そんな姿を見かけた。
今、この様相を銀座のデパートでみたら 何とも風変りな姿に映るだろう。
洋装の男性も 和服の女性も その手にする扇子。
開閉自在で場所を取らず 涼を呼ぶばかりでなく、孫の手代わりも務め、護身用も果たす
すぐれものは 日本で生まれた。
白檀の夏扇子、茶扇に 鉄扇?
摺畳扇、しょうじょうせんと云われる 開閉式の団扇。 これが扇、扇子である。
平安の初期 京の都で生まれた。 木札に文字を記した 木簡から派生したとされている。
檜の薄皮を重ねて束ねた 檜扇、ひおうぎは、女雛が手にしている。 檜片の枚数は身分で
決められていたという。 当初は 公家、僧侶などの儀式用の持ち物だった。
平安中期になると 紙製も登場。 いわゆる 蝙蝠扇、かわほり。
「ほほほっ ほっ ……でおじゃりまする。」 と、口元をそっと隠す、あの扇。
片面のみ紙が貼られている。その後 両面貼りとなる。
扇の先が閉じずに開いている 中啓、ちゅうけい。これは 能で使う扇の形。
で、僧侶の手にする扇の形でもある。 歌舞伎の河内山では 宗俊がほくろに中啓を持っていく。
そして 鎮折、しずめおりという 現在の一般的な形状へと変化を遂げた。
武士が登場すると 骨が竹でなく鉄で出来た鉄扇は、指揮ばかりでなく 護身用として活躍。
礼法が確立していく室町の時代には 庶民の間でも折節目に使われ、
祝儀、贈答として取り交わされていく。
室町の文化は扇をも育てた。
能の舞台では あらゆる表現に必携な扇、寸法、骨の装飾から絵柄も流儀によって
細かい決まりを持つ。
扇を末広というのは 扇の骨の先がひらいた 能扇の中啓を指しているという。
能の一部分を舞う上演形式の仕舞、地謡、後見などは いわゆる先の閉じた鎮扇を使う。
仕舞での紅入鬘扇 美人揃い
茶席で扇子は結界を示し、相手に対する礼を表す。
末広がりの形状が吉祥を現わし、扇面という画布が 名筆も名画も生み出した。
俵屋宗達は扇絵の絵師であった。
室町時代に摺畳扇は 盛んに輸出されたという。
それが 大陸へ、さらに西欧へ伝わる。絹や鳥の羽で作られ、貴婦人の間で大流行した
エバンタイユや、フラメンコのスペイン扇などは日本生まれだ。
作り上げるには 数十に及ぶ工程を 幾人もの職人の手が支える扇。
肝心かなめの要を中心に 末広がりに開く扇。
それは、扇面の下に 隠れる骨の確かな重なりの美しさに他ならない。
今日 幅広い種類をもつ扇子は 儀礼用、涼をとる夏扇から、飾り扇、
どれもが 作り手と使い手の生活の中に生きている。
颯爽とした白いスーツ姿の紳士は、 むっとする 重苦しい空気を追いやるために 胸のポケット
から扇子を出してパタパタと首筋に風を運ぶ。
百貨店の一階で 花が閉じ込められた氷柱を 子供たちが取り囲む。
氷に手を当てて騒ぐ子らを見守るように、薄物に身を包む和装の婦人が 白檀の扇子を
ハンドバックから取り出して そっと胸元へ風をおくる。
映画や、小説でなくとも 昭和30年代までは そんな姿を見かけた。
今、この様相を銀座のデパートでみたら 何とも風変りな姿に映るだろう。
洋装の男性も 和服の女性も その手にする扇子。
開閉自在で場所を取らず 涼を呼ぶばかりでなく、孫の手代わりも務め、護身用も果たす
すぐれものは 日本で生まれた。
白檀の夏扇子、茶扇に 鉄扇?

摺畳扇、しょうじょうせんと云われる 開閉式の団扇。 これが扇、扇子である。
平安の初期 京の都で生まれた。 木札に文字を記した 木簡から派生したとされている。
檜の薄皮を重ねて束ねた 檜扇、ひおうぎは、女雛が手にしている。 檜片の枚数は身分で
決められていたという。 当初は 公家、僧侶などの儀式用の持ち物だった。
平安中期になると 紙製も登場。 いわゆる 蝙蝠扇、かわほり。
「ほほほっ ほっ ……でおじゃりまする。」 と、口元をそっと隠す、あの扇。
片面のみ紙が貼られている。その後 両面貼りとなる。
扇の先が閉じずに開いている 中啓、ちゅうけい。これは 能で使う扇の形。
で、僧侶の手にする扇の形でもある。 歌舞伎の河内山では 宗俊がほくろに中啓を持っていく。
そして 鎮折、しずめおりという 現在の一般的な形状へと変化を遂げた。
武士が登場すると 骨が竹でなく鉄で出来た鉄扇は、指揮ばかりでなく 護身用として活躍。
礼法が確立していく室町の時代には 庶民の間でも折節目に使われ、
祝儀、贈答として取り交わされていく。
室町の文化は扇をも育てた。
能の舞台では あらゆる表現に必携な扇、寸法、骨の装飾から絵柄も流儀によって
細かい決まりを持つ。
扇を末広というのは 扇の骨の先がひらいた 能扇の中啓を指しているという。
能の一部分を舞う上演形式の仕舞、地謡、後見などは いわゆる先の閉じた鎮扇を使う。
仕舞での紅入鬘扇 美人揃い茶席で扇子は結界を示し、相手に対する礼を表す。
末広がりの形状が吉祥を現わし、扇面という画布が 名筆も名画も生み出した。
俵屋宗達は扇絵の絵師であった。
室町時代に摺畳扇は 盛んに輸出されたという。
それが 大陸へ、さらに西欧へ伝わる。絹や鳥の羽で作られ、貴婦人の間で大流行した
エバンタイユや、フラメンコのスペイン扇などは日本生まれだ。
作り上げるには 数十に及ぶ工程を 幾人もの職人の手が支える扇。
肝心かなめの要を中心に 末広がりに開く扇。
それは、扇面の下に 隠れる骨の確かな重なりの美しさに他ならない。
今日 幅広い種類をもつ扇子は 儀礼用、涼をとる夏扇から、飾り扇、
どれもが 作り手と使い手の生活の中に生きている。
投稿日 2009年08月12日 1:02:11
最終更新日 2009年08月12日 1:02:36
【修正】
2009年08月01日
カテゴリ : [案内望遠鏡]
近年の夏は 急激な天候の変化に過ごし辛く、思いもよらない災害に巻き込まれる。
ご苦労されている地域の方々に、お見舞い申し上げ、一刻も早い回復を願うばかりである。
今月の災害記事
なんとも遣る方なき様相、暦の上では一週間もすると秋になり、残暑を見舞う。
まだ 梅雨も明けやらぬ 処が多い中、暦の上では秋が来る。
立秋に至って 梅雨明けが無い時、梅雨明けなし ということらしいが。
暦は、時の流れを年、月、日といった単位に当てはめたものだ。
また それを記した暦表、カレンダーも暦と云っている。
月齢、日の出、日の入り、月の出、月の入りの時刻、汐の干満、行事、吉凶を記したものも暦。
七月三余堂月次・準備中のヒトコマ でも触れたが 処変れば 暦変わるで興味がつきない。
どちらも 気候、土地、生活、習慣、宗教 による 文化そのものの反映だ。
今日は何の日 が 大好きなのは日本人ばかりだろうか。
記念日の無い日はナイ!のである。
嘉吉3年 秋立つ頃、8月8日は 能の祖とされる世阿弥元清が没した日ということになっている。
西暦でいうと 1443年。
播磨守護であった赤松満祐が、将軍足利義教を自邸に招いて殺害した
という 嘉吉の乱は1441年。
赤松満祐は 能を催し、そこへ将軍を招いての事だという話もある。
芝居がかった設定とは言え、あながち無いとは云えぬ。
面をかけたシテの大夫。 が その実は… 手にする長刀振り廻し、狙うは将軍 足利義教 なりィ !
千恵蔵、はたまた歌右衛門の刺客が顔を出す… 東映時代劇の一シーンじゃぁ あるまいし。
当時の能の姿は どのようなものであったか、将軍家は 代々能がお気に入りだった。
その時すでに、世阿弥は佐渡に流されて6、7年を経過していた。
世阿弥は室町時代、将軍足利義満 の特別な庇護により、能を大成し、作品や能楽論書を著した。
晩年、後援者の足利義満没後は 台頭する次の世代、音阿弥元重に人気を奪われ
佐渡へ流されるなど と不遇であったが、詳細は不明のようである。
しかし、世阿弥の残した風姿花伝等の20を越える芸道理論書、
高砂、井筒、砧、融などの人気現行曲は めんめんと引き継がれて今日に至っている。
近年解説つきの番組、要するにプログラムに 世阿弥作と ことさら書かれることもあるが、
番組に 作者を記す習慣はない。
作者の名は見当たらない能の番組
寺社仏閣、全国各地を巡り 果てに遠流となった 芸人集団の統領 世阿弥。
古今東西 そんな人物の役目は如何に! まぁ これも東映時代劇かっ。
世阿弥は時代背景を手繰ると 誠に興味をそそられる人物である 。
まずまず この立秋は森羅万象穏やかなることを願って 流された佐渡の方へ向って 遥拝!
ご苦労されている地域の方々に、お見舞い申し上げ、一刻も早い回復を願うばかりである。
今月の災害記事

なんとも遣る方なき様相、暦の上では一週間もすると秋になり、残暑を見舞う。
まだ 梅雨も明けやらぬ 処が多い中、暦の上では秋が来る。
立秋に至って 梅雨明けが無い時、梅雨明けなし ということらしいが。
暦は、時の流れを年、月、日といった単位に当てはめたものだ。
また それを記した暦表、カレンダーも暦と云っている。
月齢、日の出、日の入り、月の出、月の入りの時刻、汐の干満、行事、吉凶を記したものも暦。
七月三余堂月次・準備中のヒトコマ でも触れたが 処変れば 暦変わるで興味がつきない。
どちらも 気候、土地、生活、習慣、宗教 による 文化そのものの反映だ。
今日は何の日 が 大好きなのは日本人ばかりだろうか。
記念日の無い日はナイ!のである。
嘉吉3年 秋立つ頃、8月8日は 能の祖とされる世阿弥元清が没した日ということになっている。
西暦でいうと 1443年。
播磨守護であった赤松満祐が、将軍足利義教を自邸に招いて殺害した
という 嘉吉の乱は1441年。
赤松満祐は 能を催し、そこへ将軍を招いての事だという話もある。
芝居がかった設定とは言え、あながち無いとは云えぬ。
面をかけたシテの大夫。 が その実は… 手にする長刀振り廻し、狙うは将軍 足利義教 なりィ !
千恵蔵、はたまた歌右衛門の刺客が顔を出す… 東映時代劇の一シーンじゃぁ あるまいし。
当時の能の姿は どのようなものであったか、将軍家は 代々能がお気に入りだった。
その時すでに、世阿弥は佐渡に流されて6、7年を経過していた。
世阿弥は室町時代、将軍足利義満 の特別な庇護により、能を大成し、作品や能楽論書を著した。
晩年、後援者の足利義満没後は 台頭する次の世代、音阿弥元重に人気を奪われ
佐渡へ流されるなど と不遇であったが、詳細は不明のようである。
しかし、世阿弥の残した風姿花伝等の20を越える芸道理論書、
高砂、井筒、砧、融などの人気現行曲は めんめんと引き継がれて今日に至っている。
近年解説つきの番組、要するにプログラムに 世阿弥作と ことさら書かれることもあるが、
番組に 作者を記す習慣はない。
作者の名は見当たらない能の番組

寺社仏閣、全国各地を巡り 果てに遠流となった 芸人集団の統領 世阿弥。
古今東西 そんな人物の役目は如何に! まぁ これも東映時代劇かっ。
世阿弥は時代背景を手繰ると 誠に興味をそそられる人物である 。
まずまず この立秋は森羅万象穏やかなることを願って 流された佐渡の方へ向って 遥拝!
投稿日 2009年08月12日 7:34:32
最終更新日 2009年08月12日 7:34:34
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