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![月はひとつ](http://nogakusanpo.maya-g.com/img/39-1.jpg)
(c)La plume d'oie 鵞毛庵 2007 「松風」 27cm x 22cm
今月は今年の歌会の「お題」に因んでお月様がらみで「松風」の一節より。
月はひとつ 影はふたつ La lune est une et ses reflets sont deux
「松風」は、須磨の浦の二人の美しい海女の姉妹、松風と村雨がかつて流罪となってそこに滞在していた中納言在原行平(業平の弟)の寵愛を受けたことから、後年、この姉妹が亡霊となって旅の僧の前に姿を現し、昔語りに松風は行平の形見の衣を身にまとい、心乱れて舞うという物語。海辺で昔日の思いを語りつつ汐汲みをする場面で、ふたつの汲み桶に月が写っているところ。
この作品は既存のさまざまな書体から庵主が考案した自由書体で、細い文字は面相筆を使用。夜の海辺に煌々と照る月や装束の色合い、潮騒に漂っている思慕を想定した作品です。現在の須磨の海岸ではこんな情緒は望めませんね。
![月はひとつ](http://nogakusanpo.maya-g.com/img/39-3.jpg)
上記作品部分 (c)La plume d’oie 鵞毛庵 2007 部分 Lune(月) (c)La plume d’oie 鵞毛庵 2007
今までも何回かいろいろな書体で書いている一節です。鵞毛庵サイトでも「こんな1枚」に違う作品を掲載しています。 http://www.maya-g.com/monthly/2003/09/index.html
さて、今月の「三余堂月次」で取り上げている セレーネ 「月に願いを!」ですが、それに応募するのだと張り切った三余堂亭主。字数制限があるので自ら詠んだ歌二首を俳句に変換せよ!との命が鵞毛庵に届けられました。 やれやれ
早速、変換作業に取り掛かった庵主。
月は冴へ あたりも澄みて 妙生寺の 鏡もひときは ひびくこの夜
陽の落ちて 月の光の見るにつけ 思い出づるは 君と会ひし日 どなたのことかしらん
その結果、二首目の歌を俳句に変換した 月光の彼方にありし逢瀬かな が採用されたのですが、翌日次のようなことになって戻ってきました。
月光のかめんにありし あふせかな
この再変換は庵主のつぼにかなりはまって、みごと一本とられました。
でも、やはり仕切りなおしせねばと、「松風」の作品と連想して庵主の応募句はさらに気取った練り直し版へ。
古の月華の逢瀬抱きをり (いにしへのげつかのあふせいだきをり) 注:月華とは月光のこと
融や行平の時代に詠われたのも、松風村雨が涙したのも、三余堂のかつての逢瀬の月も、巴里の月も、みな同じ月ひとつ。
2007年02月01日
カテゴリ : [案内望遠鏡]
以前は 年が明けるとお雛様の宣伝が盛んにテレビに流れた。
7段飾りだ、8段飾り、やれ家紋入りだのと。最近は あまりお目にかからない気がする。
三余堂亭主は 男ばかりの兄弟で お雛様には とんと縁がなかった。
娘が生まれた時 母上殿は 孫娘に木目込みの雛人形を作った。
三余堂は トイレットペーパーの芯で段飾りなるものを作った。
お内裏様に お雛様、 三人官女に五人囃子 左大臣 右大臣 三仕丁と
左近の桜 右近の橘。 お内裏様の纓に笏 お雛様の冠、瓔珞と 折り紙を貼って作った。
纓 エイ も 瓔珞 ヨウラク もシテ方は手に馴染みである。 それを 家内は ひとつひとつ薄紙に
包んで箱にしまい 次の年も その次の年も その次も 飾っていた。
今年も三井記念美術館で 「三井家のおひなさま」の企画展が始まる。
![雛人形](http://nogakusanpo.maya-g.com/img/36-1.jpg)
この美術館は 三井文庫別館(東京都中野区)が、平成17年10月に日本橋の三井本館に
移転して開設された。江戸時代以来300年におよぶ三井家の歴史を知ることが出来る。
勿論 能装束、面などの所蔵もある。
ここは 建物自体が 重要文化財で一見の価値ありだが お江戸の在には あまりにも見慣れた
風景に溶け込んで目に付かぬ御仁も多かろう。 どちらさまも 日本橋へお出掛けの節 一度は
立ち寄られぃ。
今年の展示は 京都・丸平文庫が所蔵するお人形もあるそうで その土地 その時を
感じられるだろうか。 作 三余堂なる 雛飾りは いつのまにかなくなった。 が、 母上殿の
八十余年になる お雛道具 調度の箪笥や長持ちはならぶ。 その長持ちの中に 樟脳と共に
薄紙に包まれた 一対の小さな 小さな 雛人形が仕舞われている。
五十余年 大切にされてきたのだろう。
ペコちゃん、ポコちゃんの お雛様である。
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三井記念美術館 http://www.mitsui-museum.jp/exhibition_02.html
7段飾りだ、8段飾り、やれ家紋入りだのと。最近は あまりお目にかからない気がする。
三余堂亭主は 男ばかりの兄弟で お雛様には とんと縁がなかった。
娘が生まれた時 母上殿は 孫娘に木目込みの雛人形を作った。
三余堂は トイレットペーパーの芯で段飾りなるものを作った。
お内裏様に お雛様、 三人官女に五人囃子 左大臣 右大臣 三仕丁と
左近の桜 右近の橘。 お内裏様の纓に笏 お雛様の冠、瓔珞と 折り紙を貼って作った。
纓 エイ も 瓔珞 ヨウラク もシテ方は手に馴染みである。 それを 家内は ひとつひとつ薄紙に
包んで箱にしまい 次の年も その次の年も その次も 飾っていた。
今年も三井記念美術館で 「三井家のおひなさま」の企画展が始まる。
![雛人形](http://nogakusanpo.maya-g.com/img/36-1.jpg)
この美術館は 三井文庫別館(東京都中野区)が、平成17年10月に日本橋の三井本館に
移転して開設された。江戸時代以来300年におよぶ三井家の歴史を知ることが出来る。
勿論 能装束、面などの所蔵もある。
ここは 建物自体が 重要文化財で一見の価値ありだが お江戸の在には あまりにも見慣れた
風景に溶け込んで目に付かぬ御仁も多かろう。 どちらさまも 日本橋へお出掛けの節 一度は
立ち寄られぃ。
今年の展示は 京都・丸平文庫が所蔵するお人形もあるそうで その土地 その時を
感じられるだろうか。 作 三余堂なる 雛飾りは いつのまにかなくなった。 が、 母上殿の
八十余年になる お雛道具 調度の箪笥や長持ちはならぶ。 その長持ちの中に 樟脳と共に
薄紙に包まれた 一対の小さな 小さな 雛人形が仕舞われている。
五十余年 大切にされてきたのだろう。
ペコちゃん、ポコちゃんの お雛様である。
![雛人形](http://nogakusanpo.maya-g.com/img/36-2.jpg)
三井記念美術館 http://www.mitsui-museum.jp/exhibition_02.html
投稿日 2007年02月01日 0:55:15
最終更新日 2007年02月01日 0:56:21
【修正】
2007年02月20日
カテゴリ : [鵞毛庵能の花シリーズ]
![月はひとつ](http://nogakusanpo.maya-g.com/img/39-1.jpg)
(c)La plume d'oie 鵞毛庵 2007 「松風」 27cm x 22cm
今月は今年の歌会の「お題」に因んでお月様がらみで「松風」の一節より。
月はひとつ 影はふたつ La lune est une et ses reflets sont deux
「松風」は、須磨の浦の二人の美しい海女の姉妹、松風と村雨がかつて流罪となってそこに滞在していた中納言在原行平(業平の弟)の寵愛を受けたことから、後年、この姉妹が亡霊となって旅の僧の前に姿を現し、昔語りに松風は行平の形見の衣を身にまとい、心乱れて舞うという物語。海辺で昔日の思いを語りつつ汐汲みをする場面で、ふたつの汲み桶に月が写っているところ。
この作品は既存のさまざまな書体から庵主が考案した自由書体で、細い文字は面相筆を使用。夜の海辺に煌々と照る月や装束の色合い、潮騒に漂っている思慕を想定した作品です。現在の須磨の海岸ではこんな情緒は望めませんね。
![月はひとつ](http://nogakusanpo.maya-g.com/img/39-2.jpg)
![月はひとつ](http://nogakusanpo.maya-g.com/img/39-3.jpg)
上記作品部分 (c)La plume d’oie 鵞毛庵 2007 部分 Lune(月) (c)La plume d’oie 鵞毛庵 2007
今までも何回かいろいろな書体で書いている一節です。鵞毛庵サイトでも「こんな1枚」に違う作品を掲載しています。 http://www.maya-g.com/monthly/2003/09/index.html
さて、今月の「三余堂月次」で取り上げている セレーネ 「月に願いを!」ですが、それに応募するのだと張り切った三余堂亭主。字数制限があるので自ら詠んだ歌二首を俳句に変換せよ!との命が鵞毛庵に届けられました。 やれやれ
早速、変換作業に取り掛かった庵主。
月は冴へ あたりも澄みて 妙生寺の 鏡もひときは ひびくこの夜
陽の落ちて 月の光の見るにつけ 思い出づるは 君と会ひし日 どなたのことかしらん
その結果、二首目の歌を俳句に変換した 月光の彼方にありし逢瀬かな が採用されたのですが、翌日次のようなことになって戻ってきました。
月光のかめんにありし あふせかな
この再変換は庵主のつぼにかなりはまって、みごと一本とられました。
でも、やはり仕切りなおしせねばと、「松風」の作品と連想して庵主の応募句はさらに気取った練り直し版へ。
古の月華の逢瀬抱きをり (いにしへのげつかのあふせいだきをり) 注:月華とは月光のこと
融や行平の時代に詠われたのも、松風村雨が涙したのも、三余堂のかつての逢瀬の月も、巴里の月も、みな同じ月ひとつ。
投稿日 2007年02月21日 3:01:21
最終更新日 2007年02月21日 3:03:20
【修正】