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2009年10月20日
カテゴリ : [鵞毛庵能の花シリーズ]
三余堂の先回の記事で隅田川のことを書いていますが、庵主は時代劇に出てくる大川ってどの川?と、よくパリで日本人に聞かれたものです。他県の人のみならず、東京出身の人にも聞かれたほど!隅田川のことだといとも簡単に答えていましたが、三余堂が語るように、隅田川の変遷はちとややこしい。
能「隅田川」 La plume d’oie©鵞毛庵2009
(画像はクリックしてご覧ください。大きくなります。)
*この作品はポストカードにしたものを、26日に鎌倉能舞台で、当日の演目の狂言「茶壷」の作品とセットで販売いたします。
在原業平の古歌に登場する都鳥はユリカモメのことらしいですが、ミヤコドリというカモメもいて、こちらもちとややこしいですね。一応、伊勢物語にある描写に近いものということで、この古歌に登場する都鳥はユリカモメに落ち着いている様子です。「都の鳥」ということで、東京都の鳥にもなっています。
カモメはパリのセーヌ川にもたくさんいます。あれが、都鳥、ユリカモメですよ、と言った日本人もいましたが、本当はどうなのか。
こちらは地中海を眺めて物思いにふけるモナコの○○カモメ
何を「いざ言問はむ」?
能「隅田川」 La plume d’oie©鵞毛庵2009
(画像はクリックしてご覧ください。大きくなります。)
*この作品はポストカードにしたものを、26日に鎌倉能舞台で、当日の演目の狂言「茶壷」の作品とセットで販売いたします。
在原業平の古歌に登場する都鳥はユリカモメのことらしいですが、ミヤコドリというカモメもいて、こちらもちとややこしいですね。一応、伊勢物語にある描写に近いものということで、この古歌に登場する都鳥はユリカモメに落ち着いている様子です。「都の鳥」ということで、東京都の鳥にもなっています。
カモメはパリのセーヌ川にもたくさんいます。あれが、都鳥、ユリカモメですよ、と言った日本人もいましたが、本当はどうなのか。
こちらは地中海を眺めて物思いにふけるモナコの○○カモメ
何を「いざ言問はむ」?
投稿日 2009年10月21日 11:27:14
最終更新日 2009年10月21日 11:28:14
【修正】
2009年10月01日
カテゴリ : [案内望遠鏡]
あちらも百年、こちらも百年、「100年記念の年」になると 昨年末三余堂月次《百萬》で書いた。
お陰さまで 全国各地で九皐会百周年の記念会は、無事進行中である。
むっ!もう一つ、百年があった。
今年三月には 早稲田大学の演劇博物館で
「世阿弥発見100年―吉田東伍と能楽研究の歩み―」と題する企画展をやっていた。
一般に世阿弥の秘伝書といわれるものは、「道のため、家のため」の書であった。
別に数百年もの間、土に埋まっていた訳でなく、自然の惠を人の手が丹精した
和紙と墨の力は、過去何千年と生き抜いた証明がある。
原本がすっかり朽ち果てるとは思えない。
室町から江戸の間は、能役者や一部の権力者、観世家、徳川家康などの大名家に秘蔵され、
人の目に触れることはなかったし、その必要もなかった。
が、御維新後、世の事情で顔を出した写本があったのだ。
明治41年に、『申楽談儀』 さるがくだんぎ を吉田東伍が翻刻・刊行し、その存在が初めて
広く知られることになった。
数百年間、伝説的であった世阿弥の姿を明らかにする大発見!
能の大成期について具体的に知ることができる貴重な『申楽談儀』は、世阿弥の芸談を子息の
元能が書き留めたものである。
どのような経緯か長い時を経て 実業家・安田善次郎の手元にあった伝書が、吉田東伍によって
翻刻・刊行され、一般の人の目に触れた。
数百年の間には勿論、それなりに、それなりの人が必要として、写本、写本、写本を繰り返す。。
なんたって 秘伝書。秘されれば 見なくちゃ、みなくっちゃっ!
スキャナー、コピーがあるわけでなし。
当然 加筆も、誤筆も、悪筆で訳の判らないものも出てこよう。
僕、ここだけでいいから、そっちは君写せば! ぅっわぁ〜 いいのぉ。でも、メンド!!
やっとの思いで 写本したら お茶をこぼして駄目にィってなことも … あるかもしれない!
吉田東伍の業績は 『申楽談儀』の存在を広く伝えることには寄与したが、書写を重ねた本を
底本としているし、欠損は他の写本で補ったりして厳密さを欠いたらしい。
その上、安田の手元にあった伝書は大正十二年の関東大震災によってすべて焼失!
とはいえ、吉田東伍が「能楽創始の根本史料」と記した如く、刊行した『世阿弥十六部集』は、
能楽研究の第一級資料として高く評価され、研究者による研究を生んで現在にいたる。
戦後は、表章が携わった岩波文庫版『申楽談儀』、『世阿弥 禅竹』で、いろいろな写本を
参照して原文を復原する試みを行っているので 興味のある御仁は 図書館ででも…。
書棚から引き出された『世阿弥 禅竹』
ツンドクでも結構ケースに焼けがあるなぁ…
10月10日から東大の駒場博物館で特別展
《観世家のアーカイブ ―世阿弥直筆本と能楽テクストの世界―》
と題した展示がある。
ここでも世阿弥と歴代の観世太夫に触れることができる。
文中敬称略
お陰さまで 全国各地で九皐会百周年の記念会は、無事進行中である。
むっ!もう一つ、百年があった。
今年三月には 早稲田大学の演劇博物館で
「世阿弥発見100年―吉田東伍と能楽研究の歩み―」と題する企画展をやっていた。
一般に世阿弥の秘伝書といわれるものは、「道のため、家のため」の書であった。
別に数百年もの間、土に埋まっていた訳でなく、自然の惠を人の手が丹精した
和紙と墨の力は、過去何千年と生き抜いた証明がある。
原本がすっかり朽ち果てるとは思えない。
室町から江戸の間は、能役者や一部の権力者、観世家、徳川家康などの大名家に秘蔵され、
人の目に触れることはなかったし、その必要もなかった。
が、御維新後、世の事情で顔を出した写本があったのだ。
明治41年に、『申楽談儀』 さるがくだんぎ を吉田東伍が翻刻・刊行し、その存在が初めて
広く知られることになった。
数百年間、伝説的であった世阿弥の姿を明らかにする大発見!
能の大成期について具体的に知ることができる貴重な『申楽談儀』は、世阿弥の芸談を子息の
元能が書き留めたものである。
どのような経緯か長い時を経て 実業家・安田善次郎の手元にあった伝書が、吉田東伍によって
翻刻・刊行され、一般の人の目に触れた。
数百年の間には勿論、それなりに、それなりの人が必要として、写本、写本、写本を繰り返す。。
なんたって 秘伝書。秘されれば 見なくちゃ、みなくっちゃっ!
スキャナー、コピーがあるわけでなし。
当然 加筆も、誤筆も、悪筆で訳の判らないものも出てこよう。
僕、ここだけでいいから、そっちは君写せば! ぅっわぁ〜 いいのぉ。でも、メンド!!
やっとの思いで 写本したら お茶をこぼして駄目にィってなことも … あるかもしれない!
吉田東伍の業績は 『申楽談儀』の存在を広く伝えることには寄与したが、書写を重ねた本を
底本としているし、欠損は他の写本で補ったりして厳密さを欠いたらしい。
その上、安田の手元にあった伝書は大正十二年の関東大震災によってすべて焼失!
とはいえ、吉田東伍が「能楽創始の根本史料」と記した如く、刊行した『世阿弥十六部集』は、
能楽研究の第一級資料として高く評価され、研究者による研究を生んで現在にいたる。
戦後は、表章が携わった岩波文庫版『申楽談儀』、『世阿弥 禅竹』で、いろいろな写本を
参照して原文を復原する試みを行っているので 興味のある御仁は 図書館ででも…。
書棚から引き出された『世阿弥 禅竹』
ツンドクでも結構ケースに焼けがあるなぁ…
10月10日から東大の駒場博物館で特別展
《観世家のアーカイブ ―世阿弥直筆本と能楽テクストの世界―》
と題した展示がある。
ここでも世阿弥と歴代の観世太夫に触れることができる。
文中敬称略
投稿日 2009年10月01日 1:29:06
最終更新日 2009年10月01日 1:29:06
【修正】
カテゴリ : [案内望遠鏡]
この「能楽さんぽ」が La plume d'oie ラ•プリュム•ドワの兄妹サイトとして誕生したのが2006年10月。
「でもォ、アイツとじゃなぁ…」 と始めたこの 三余堂と鵞毛庵の能楽さんぽ は
また、歳を重ねることになった。 表紙の文面も 時移り事去り、そろそろ装束替えをと考えた。
ところが このサイトはそうそう手入れが出来ない代物と判明。
半年ごとのリモデル家電製品宜しく サイトの仕様も、どんどん時代遅れになっていく。
こちとらぁ 月に二度や三度のアップで、まだ三年っぱかりでぇ! と啖呵を切ったって始まらない。
簡単に 新装できないのは大した内容でもないのに小難しくタラタラ文章を並べず、
案内望遠鏡の意に沿って、視野広く対象の星を追跡しやすくするために主望遠鏡を助けるがごとく、
ご案内やらお知らせやら、訂正を掲載せよ、と 示唆されたわけだ。
そこで 表紙差替えのつもりで 改めてご挨拶を。
三余堂亭主が「能」についてのあれこれをお話しする「能楽さんぽ」が 鵞毛庵の
La plume d'oie ラ•プリュム•ドワの兄妹サイトとして誕生したのが2006年10月。
「でもォ、アイツとじゃなぁ…」 と始めた三余堂と鵞毛庵の能楽さんぽも、また、
歳を重ねることになりました。2009年は日本での活動を展開している鵞毛庵です。
当初、能に関する名所旧跡を訪ねるサイトだと思われた方もありましたが、アニハカランヤ!
能楽師と西洋の文字を綴って能を表しているカリグラファーとの 掛合漫才。
またまた、気儘なさんぽへ出ようと思います。
2009.10.01. 三余堂
「でもォ、アイツとじゃなぁ…」 と始めたこの 三余堂と鵞毛庵の能楽さんぽ は
また、歳を重ねることになった。 表紙の文面も 時移り事去り、そろそろ装束替えをと考えた。
ところが このサイトはそうそう手入れが出来ない代物と判明。
半年ごとのリモデル家電製品宜しく サイトの仕様も、どんどん時代遅れになっていく。
こちとらぁ 月に二度や三度のアップで、まだ三年っぱかりでぇ! と啖呵を切ったって始まらない。
簡単に 新装できないのは大した内容でもないのに小難しくタラタラ文章を並べず、
案内望遠鏡の意に沿って、視野広く対象の星を追跡しやすくするために主望遠鏡を助けるがごとく、
ご案内やらお知らせやら、訂正を掲載せよ、と 示唆されたわけだ。
そこで 表紙差替えのつもりで 改めてご挨拶を。
三余堂亭主が「能」についてのあれこれをお話しする「能楽さんぽ」が 鵞毛庵の
La plume d'oie ラ•プリュム•ドワの兄妹サイトとして誕生したのが2006年10月。
「でもォ、アイツとじゃなぁ…」 と始めた三余堂と鵞毛庵の能楽さんぽも、また、
歳を重ねることになりました。2009年は日本での活動を展開している鵞毛庵です。
当初、能に関する名所旧跡を訪ねるサイトだと思われた方もありましたが、アニハカランヤ!
能楽師と西洋の文字を綴って能を表しているカリグラファーとの 掛合漫才。
またまた、気儘なさんぽへ出ようと思います。
2009.10.01. 三余堂
投稿日 2009年10月01日 1:29:06
最終更新日 2009年10月01日 1:29:06
【修正】