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2016年07月12日
張猛龍碑
カテゴリ : [三余堂月次]
あちこち散歩ばかりでなかなか本題に近づかないが、ここいらで本題へ。
中国大陸の話。北魏の時代は唐代と並ぶほどに仏教の隆盛期であったという。
国家の方針と後援で寺院の造営や、巨大な石窟寺院がつくられ、仏教美術が花開いた時期であった。
現存する物も仏教関連のものが多いそうで、当時は老荘思想を尊び道教が盛んであったというから、
孔子様の儒教思想は肩身を小さくしていたようだ。
とは言え、いつの世にも古びたものが新しく見え、何となく惹かれる人がいるもので、北魏の孝文帝
なんぞは儒教的な礼制を採用したという。 温故知新 孔子様もお喜びとは存ずれども…
メンドクセェオヤジが云うからさぁ〜 と従ったか、やりまっしょっ、それはいいっす!と
諸手を挙げて賛同したか。兎も角 儒学復興を志す者がいたのだ。それが脈々と続いて、隋や唐の
時代以降には各地に孔子廟が造られるようになったというから、何事も目の前のハヤリ、スタリに
惑わさちゃぁおしまいよ!

張猛龍の碑は北魏時代での儒教に関わる珍しいものということになる。
西暦522年、北魏の年号だと正光3年の正月に、魯群の長官であった張猛龍を讃える為に
建てた碑である。 山東省曲阜の孔子廟に保管されているという。
保管といっても手で触ったり、拓本を取ったりと、勝手し放題だったそうな。 
それはたまらん!と、現在はケース内に収まっている由。 ほぉ〜。





  張猛龍碑張猛龍碑 風化してボロボロに… 











投稿日 2016年07月12日 17:49:39
最終更新日 2016年07月12日 17:49:51
修正