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2013年02月12日
国のできた日 
カテゴリ : [三余堂月次]
神武天皇が即位したとされる日が、紀元前660年2月11日。
大日本帝国憲法の発布は1889年の2月11日だった。
1979年の2月11日は、イランは革命側が政権を掌握した日で、立派な髭の
ルーホッラー・ホメイニー師を中心とした革命勢力が、政権を奪取した。
現在イランは、この日がイスラム革命記念日で、いわゆる 建国の記念の日になっているそうだ。


神武天皇即位日とする2月11日は、“新暦だ、旧暦だ” その計算方法が “どうだのこうだの”と 
複雑怪奇を乗り越えて決まったようだ。
なんせ、伊邪那岐、伊邪那美の二柱の神が創り賜うた大倭豊秋津島。
二千年もたってから、日付を指定するということが そもそもそ恐れ多い。
とは云え、1872年12月15日、当時の暦で、明治5年11月15日に明治政府は
神武天皇の即位をもってこの国の「紀元」と定め、1月29日を神武天皇即位の相当日とし、
祝日にすることを定めたのだ。
この日は、明治6年 旧暦1月1日で、それを新暦に置き換えた日付。
この年の1月1日から、新暦が施行されることになっていた。なんともはや ややこし!
何をして建国とするのか色々な考えがある。国や時の政府によって異なって然る可し。


   建国記念の日となる日を定める政令をここに公布する!
御名 御璽     昭和四十一年十二月九日
と云う次第で、建国記念の日となる日を定める政令というのが出た。


戦後間もない1947年、片山内閣の祝日の法案では紀元節が「建国の日」となっていたという。
が、GHQに削除されたそうな。当然復活運動がおき、国会へ議案も出され、「紀元節」の復活は
如何なものか…、いやいや、やはり… と、賛否両論。
1966年に、「建国記念の日」を定める国民の祝日に関する法律の改正が成立。
佐藤栄作内閣は、政令で、「建国記念の日」を2月11日とした。
新たに国民の祝日に加えられたのである。 翌1967年2月11日から実施。 
昭和42年のことで、当時は喧々諤々であったが、 学校の休みは増えた。
かくして、「建国をしのび、国を愛する心を養う」という趣旨で、「建国記念の日」が祝日となる。
明治に定められ、戦後1948年に廃止された紀元節と同日の2月11日である。

明治の御代になった時、太政官布告で「年中祭日ノ休暇日ヲ定ム」として、紀元節や天長節などの祝日が定められた。
初代文部大臣 森有礼文部大臣の時に、祝祭日に学校で式典を試みたそうである。
その後、『小学校祝祭日儀式規定』なるものが制定され、文部省から校長訓話や唱歌合唱などの
式次第が事細かに規定されたという。
戦前、緊張の面持ちで正装の児童は学校での式典に参列。
 “くうもにそびゆるたかちほのぉ〜” と意味も事情も分からずに歌い、紅白の饅頭を手に下校。
とは、子供のころによく聞かされた。 戦後生まれながら三余堂も知る 『紀元節』の歌は、
現東京藝術大学音楽学部前身、音楽取調掛の長 伊沢修二先生作曲、
御歌所初代所長、初代國學院院長高崎正風先生作詞で1888年(明治21年)に発表された。


一、雲にそびゆるちほのねおろしに草も木も
  なびきふしけん大御世を仰ぐけふこそ樂しけれ

二、うなばらなせるはにやすの池のおもよりなほひろき
  めぐみのなみにあみし世を仰ぐけふこそたのしけれ

三、天つひつぎのみくら千代よろづに動きなき
  もとゐ定めしそのかみを仰ぐ今日こそたのしけれ

四、空にかがやく日の本の萬の國にたぐひなき
  國のみはしらたてし世を仰ぐけふこそ樂しけれ


興味のある御仁はYouTube でご鑑賞を! 紀元節の歌

戦後の昭和に 「国民の祝日に関する法律」がとって変わり、学校での儀式も無くなった。
平成の御代 それどころか、なんとかマンデーも加わわると、今やラッキー連休!である。
子供の頃に紅白饅頭を持ち帰った年寄りも、今日はなんで夕刊が休みなのか、と 
ボケてもいないのに言う。
「建国をしのび、国を愛する心を養う」ということが新聞紙面からは読み取りづらい今日。
夕刊もへったくれもない。

労働時間の辻褄合わせの休日となってしまったのだろうか。 
この 「国のできた日」。










投稿日 2013年02月14日 15:48:41
最終更新日 2013年02月14日 15:48:41
修正