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2011年10月01日
千草に集く虫の音 (ちぐさにすだくむしのね) 
カテゴリ : [案内望遠鏡]
今夏は六月末からけっこうな暑さだった。
三余堂では例年になく、蝉の抜殻をあちこちで発見。空っぽになった揚羽蝶の蛹もすっかり色あせたが
まだしっかりと壁に固定されて、ひとつ、ふたつと 数えられる。

千草に集く虫の音 (ちぐさにすだくむしのね) 

千草に集く虫の音 (ちぐさにすだくむしのね) 
千草に集く虫の音 (ちぐさにすだくむしのね) 



飛蝗や揚羽の幼虫に、さんざん大そう贅沢な食の饗応をした夏でもあった。
このひと月は秋の虫がその御礼にと毎夜美声を披露してくれている。 
なんとも賑やかなこって…と思いつつも有り難いことだ。
今年は特に 手を入れず鬱蒼とさせた庭をすぐそばに配することとなり、あらゆる虫の声を楽しむ。
藪蚊に悩まされても、これほど色々の色音が車の騒音に負けずに耳に入ってくるのは なかなかで、
蟋蟀はもとより、鈴虫、松虫、ツヅレサセ蟋蟀にヤブキリに、日が高くなってきてからはキリギリスと
さも聞分けが出来ているようだが、スーイッチョがいないことだけが判る程度のこと。

松虫は、昔はスズムシと呼び、鈴虫のことはマツムシと呼んだバッタ目コオロギ科の虫だ。
                                                  あぁ ややこしや 。
主に生きた植物の上にいるというが、フレッシュから枯葉まで食すと云うし、虫の死骸などなんでも
ござれの食いっぷりという。 「チンチロ、チンチロ、チンチロリン」 てな具合に鳴くことになっている。
鈴虫も同じく、バッタ目コオロギ科。 触角がえらく長いので見つかれば判りそうなものだが、夜目が
利かないと無理。 「リィーン・リーーン…」と繰り返した後 「リィィィッ、リィィィィッ…」と高く、美しく、
鳴くのが鈴虫だと教えられた。 九月も半ばになり、松虫も鈴虫も、はたまた蟋蟀も一斉に鳴き叫ぶと 
「リィッリィリリッ!! リィッリィリリッ!!」「ピッピッリリッー!!」と鋭く神経を刺すような大音量となり  
  『うるせぇ〜』と叫びたくなる。  千草にすだく虫どもは必至なのだ。

神様が出雲にお集りになる頃は、虫どもは力も尽きたのか、穏やかなその音に『聞分けをしようか』
という気にもなる。 明け方、耳をそばだてるともなく聞こえてくるのは 「リィィィィッ、リィィィィッ…」と
物憂げに謳う鈴虫や、「リ゛ッ、リ゛ッ、リ゛ィッ、リ゛ィーッ…」となく ツヅレサセコオロギだ。
                                                    と、勝手に思う。
ツヅレサセが鳴き出すと寒い季節が近づくので 『そろそろ冬着の繕い物を』 と思ったことから
「綴刺せ」と呼んだとか。 「針刺せ、糸刺せ、綴刺せ」と聞こえるからだという。 聞こえるかぁ〜 。
この虫、単にコオロギと呼んでいたこともあるようだが、コオロギは昔のキリギリスで、
今のキリギリスは昔はハタオリで…、と、ごちゃごちゃとなる。
お古い時代の話の時は心積もりがご肝心でございますな。

キリギリスは、昼間、キリギーリスというか、ギスギスギー、ギィッギーとやや騒がしいので気づく。
 『 きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに 衣かたしき独りかもねむ 』 と百人一首で馴染みだが、
キリギリスは夜は鳴かないので、これはコオロギの「コロコロ、コロコロコロッ」 というわけだ。
因みに 今のキリギリス、ハタオリは「きり、はたり、ちょう」と機織る音に聞きなされたのだろう。
機織りの音はギィッーというばかりではなく、横糸を通す音、それを打ち込む音と様々である。
虫の音の様を表すのに使われる「きり、はたり、ちょう」は 生活の音である。


「面白や 千草にすだく虫の音の機織る音は きりはたりちょう 
   きりはたりちょう 綴刺せちょう きりぎりすひぐらし いろいろの色音の中に 
別きて我が忍ぶ 松虫の声りんりんりんりんとして夜の声 冥々たり」
「草茫々たる朝の原に 虫の音ばかりや残るらん
                  虫の音ばかりや残るらん」
と 能 『松虫』で謡う。









投稿日 2011年10月01日 11:13:18
最終更新日 2011年10月01日 11:13:33
修正