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2010年11月01日
かくれ里
カテゴリ : [案内望遠鏡]
能、絵画、陶器などに造詣が深く それらを素材としてふんだんに採り上げている 白洲正子の随筆集に
「かくれ里」がある。
藝術新潮に連載されたのは もう四十年も前のことになるが、その随筆をまとめたもので、
読売文学賞を受賞している。
最近、その愛蔵版が、野中昭夫氏他の沢山の美しい写真とともに再編集されて新潮社から発行された。
吉野、葛城、伊賀、越前や滋賀などのひっそりとした里を訪ね、歴史や伝承習俗を肌で感じ、
自然が語りかける言葉、閑寂な地の人たちに守られ続ける風景文化を筆者がつづる。
世を避けて忍ぶ村里 と、字引にあったという 「かくれ里」に 著者が見たものは 四十年たった今も
読者に浮き浮きとした気分を誘う。
…民俗学の方では、山に住む神人が、冬の祭りなどに里へ現れ、鎮魂の舞を舞った後、
いずこともなく去って行く山間の僻地をいうのだそうで、謡曲で「行くへも知らずなりにけり」
とか「失せにけり」 というのは、皆そういう風習の名残であろう 云々…
著者は里へ下って豊穣祈願の舞を舞って何時ともなく、行方も知れず失せていく山の神人の話をしている。
山に住む鬼婆とか鬼女で、人を食うと考えられている山姥。
山中を行く旅人に宿を提供する美しい女性(にょしょう)が、旅人が寝入った後に取って食うという。
山姥の説話は各地にあるが、山の神に仕える巫女が妖怪化したともいわれ、
人に福を授ける存在として登場したり、とりつかれた家は富むという伝承があったり、
山姥を守護神として祀る考えもあるから、その正体は様々である。
『遠野物語』には、山隠れする女が山姥になったという話があり、出産のために女性が入山する習俗や、
村落の祭で選ばれた女が山にこもるという風習もあったそうだ。
出産、子孫繁栄にまつわる話は古事記にまでさかのぼると思う。人を喰う恐ろしい鬼女の性格と、
柔和で母性的な面をもつ山姥は、いわゆる山の神。山岳信仰の名残りでもある。
喜多川歌麿による山姥と金太郎の浮世絵があるが、山姥伝承として、足柄山の金太郎の母もいる。
能の「山姥」は勿論、「安達原(流儀によっては 黒塚)」をはじめ 浄瑠璃、常磐津、清元、長唄などには
山姥物といわれる作品が数々ある。
能 「山姥」に、里へ下りて苗とりをしたという故事が猿楽や田楽に取り入れられた姿が垣間見られるのは、
取りも直さず、山姥が民間に信仰され親しまれていたということだろう。
山々を廻り廻る山姥は 行くへも知らずなりにけり となるのだが…
能に橋掛り、歌舞伎に花道があるように、目的地にたどり着くまでの道中に魅力を感じ、その「道草」の
なかで拾われた著者の発見云々、と綴られるエッセイは 時空を超えて身も心もその道草へ誘う。
三余堂亭主 探し物の時の常套句。 「行くへも知らずなりにけり」。 で、 諦めるときは 「失せにけり」。
さてさて、秋の夜長には 諦めずに「かくれ里」へ探し物を …
かくれ里 白洲正子著 出版社: 新潮社 愛蔵版 2010/09 発行
能 「山姥」より La plume d'oie(c)鵞毛庵 2010
「かくれ里」がある。
藝術新潮に連載されたのは もう四十年も前のことになるが、その随筆をまとめたもので、
読売文学賞を受賞している。
最近、その愛蔵版が、野中昭夫氏他の沢山の美しい写真とともに再編集されて新潮社から発行された。
吉野、葛城、伊賀、越前や滋賀などのひっそりとした里を訪ね、歴史や伝承習俗を肌で感じ、
自然が語りかける言葉、閑寂な地の人たちに守られ続ける風景文化を筆者がつづる。
世を避けて忍ぶ村里 と、字引にあったという 「かくれ里」に 著者が見たものは 四十年たった今も
読者に浮き浮きとした気分を誘う。
…民俗学の方では、山に住む神人が、冬の祭りなどに里へ現れ、鎮魂の舞を舞った後、
いずこともなく去って行く山間の僻地をいうのだそうで、謡曲で「行くへも知らずなりにけり」
とか「失せにけり」 というのは、皆そういう風習の名残であろう 云々…
著者は里へ下って豊穣祈願の舞を舞って何時ともなく、行方も知れず失せていく山の神人の話をしている。
山に住む鬼婆とか鬼女で、人を食うと考えられている山姥。
山中を行く旅人に宿を提供する美しい女性(にょしょう)が、旅人が寝入った後に取って食うという。
山姥の説話は各地にあるが、山の神に仕える巫女が妖怪化したともいわれ、
人に福を授ける存在として登場したり、とりつかれた家は富むという伝承があったり、
山姥を守護神として祀る考えもあるから、その正体は様々である。
『遠野物語』には、山隠れする女が山姥になったという話があり、出産のために女性が入山する習俗や、
村落の祭で選ばれた女が山にこもるという風習もあったそうだ。
出産、子孫繁栄にまつわる話は古事記にまでさかのぼると思う。人を喰う恐ろしい鬼女の性格と、
柔和で母性的な面をもつ山姥は、いわゆる山の神。山岳信仰の名残りでもある。
喜多川歌麿による山姥と金太郎の浮世絵があるが、山姥伝承として、足柄山の金太郎の母もいる。
能の「山姥」は勿論、「安達原(流儀によっては 黒塚)」をはじめ 浄瑠璃、常磐津、清元、長唄などには
山姥物といわれる作品が数々ある。
能 「山姥」に、里へ下りて苗とりをしたという故事が猿楽や田楽に取り入れられた姿が垣間見られるのは、
取りも直さず、山姥が民間に信仰され親しまれていたということだろう。
山々を廻り廻る山姥は 行くへも知らずなりにけり となるのだが…
能に橋掛り、歌舞伎に花道があるように、目的地にたどり着くまでの道中に魅力を感じ、その「道草」の
なかで拾われた著者の発見云々、と綴られるエッセイは 時空を超えて身も心もその道草へ誘う。
三余堂亭主 探し物の時の常套句。 「行くへも知らずなりにけり」。 で、 諦めるときは 「失せにけり」。
さてさて、秋の夜長には 諦めずに「かくれ里」へ探し物を …
かくれ里 白洲正子著 出版社: 新潮社 愛蔵版 2010/09 発行
能 「山姥」より La plume d'oie(c)鵞毛庵 2010
投稿日 2010年11月01日 1:18:04
最終更新日 2010年11月01日 1:18:18
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