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2008年09月01日
黄瀬戸の笛
カテゴリ : [案内望遠鏡]
先月の鵞毛庵の写真の中で 使われていたペン置。
箸置きとして作られたものであろう。能管をかたどった黄瀬戸である。
親爺殿が昭和30年代に 瀬戸焼の窯元へ稽古に出向いたことが縁で 
パリの空の下も、東京も 黄瀬戸は活躍する。
薄茶茶碗はもとより いもの煮っころがし、香の物tが黄瀬戸の器に盛られる。 
その取り皿も 緑の斑紋のついた朽葉色の陶器。
毎年の干支の飾りもしかり。

何を思うか このネズミ   黄瀬戸の笛


小生制作、三余の銘を入れた薄茶茶碗を主催会の記念として出したこともあった。
瀬戸で制作した黄瀬戸である。
ご指導の諸先生方はさぞ御苦労であったろう ???

黄瀬戸は 瀬戸、美濃で焼かれる薄い茶というか、渋い黄の色をした陶器である。
桃山期のものが珍重されるとか、やれ 上薬の色、つまり釉色(ゆうしょく)がどうのとか
蘊蓄(うんちく)、好みはさまざまあれど…
今風にいえば 硫酸銅が出す緑の色と あの黄枯茶(きがらちゃ)の色がなんともロハスな感じィ 
ということか 拙宅では人気の焼物だ。


そもそも 瀬戸物の瀬戸は 愛知県名古屋からちょぃっと東へ行った処の地名である。
右を見たら加藤センセ、左を見たら加藤君、上を見れば 加藤さん、横を見ても遠くを見ても 加藤さぁん、瀬戸は 加藤さんの街である。 そして 陶磁器工業地でもある。
陶土が産出し、焼き物の燃料となる黒松が多かったことで、陶祖 加藤景正以来、
その名を瀬戸物として全国に馳せたのである。
1300年の歴史と伝統に 我々も一方ならぬ世話になっている。


所謂 瀬戸物。食器は勿論、セラミックス、衛生陶器つまり 便器、それから 碍子(がいし) 。
碍子(がいし)は 電柱を見上げると配線の間にみえる白いもの。

黄瀬戸の笛 多種の碍子が使われている 横チョの電柱

明治6年には、瀬戸の加藤杢左衛門(かとうもくざえもん)によって、電信碍子がつくられたそうだ。
電気を逃がさずに電線と支柱を結びつける。電線がたるんでしまうことを防ぐ役割も担っているとか。
焼物の絶縁性や、屋外でも劣化しにくい性質を生かして、碍子は陶器で作られるようになり、
あっちの加藤さんも、こっちの加藤さんもこの仕事に携わって、瀬戸市の大事な産業になった。


閑話休題  
黄瀬戸の笛は今カリグラフィーのペン置になっているようだが、パリで過ごす本物の笛は元気だろうか。
鵞毛庵、東京では笛の稽古をしていた。

黄瀬戸の笛を駆使する 迷手の奏でる 音やいかに。


笛の名手として聞こえた、清経は平重盛の三男であった。
平家一門が都落ちした後、豊前国柳浦にて入水の前に笛を吹く。享年21。
世阿弥が書いた能 清経 を6月に勤めた。黄瀬戸の笛










投稿日 2008年09月01日 9:24:06
最終更新日 2008年09月04日 21:35:48
修正