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2011年02月01日
カテゴリ : [案内望遠鏡]
節分を控えた、今の東京は乾燥の極みで 皮をむいた食べかけのミカンは瞬く間にカラカラとなる。
そんなミカンの仲間、大きいものはバンペイユのような人の頭ほどの実から
キンカンのような小さなものまでさまざまで どれもこれも、蜜柑の仲間らしいことは判るが 名前となると…
砂糖漬けにするミカンという程度の認識であったが、ザボンという大きな柑橘類のことは知っていた。
江戸時代初期に渡来したというザボンは文旦(ブンタン)とも云うが、原産地は東南アジアなどの
南方のようで、その呼称は清の人の名だとか、なんだとか。 清の船が薩摩沖でも座礁したのか、
船を助けた折に礼として貰ったことがきっかけで日本国内に広まったと聞いたことがある。
真偽のほどは判らない。が、当たらずとも遠からずと勝手に思っている。
ザボンは、高さ3mほどまで育つというから結構な高さの樹で、品種も多種あるようだ。
果実は直径15から25センチ、重さは500gから2kgぐらいまでになるという。
ちなみにナツミカンやハッサクは御親戚とのこと。
昨年末に遠方の知人から庭先に出来たものだろうか、御裾分けに預かった。
皮の厚い果実は、果汁が少なく、少々ぱさぱさした感じで、酸味が強く砂糖を振りかけた。
もっとも、賞味せよと賜ったのではなく正月飾りにでも、ということだったらしい。果実の収穫は年末頃が
多いとのことで、濃き緑の葉を付けて、目に鮮やかな黄色く大きな実は正月の飾りに持ってこいだった。
歳時記にも冬の季語としてある ザボン。朱欒と書く。
今年になって三余堂にほど近い、三階建てのビルの横に顔を出している大きな果実を見つけた。
それも電信柱と競わんばかりの上方に子供の頭ほどの実を見た。 一瞬身構える!
街なかの、あの高さ、あんな大きさの実。 熟して落下か、 収穫するのか。
いやはや、その下を歩いていたのか。
ザッボォッンッ! 頭上に落下したら… なんて思ってはいられない。
一体何時から生息していたのか〜
そんなミカンの仲間、大きいものはバンペイユのような人の頭ほどの実から
キンカンのような小さなものまでさまざまで どれもこれも、蜜柑の仲間らしいことは判るが 名前となると…
砂糖漬けにするミカンという程度の認識であったが、ザボンという大きな柑橘類のことは知っていた。
江戸時代初期に渡来したというザボンは文旦(ブンタン)とも云うが、原産地は東南アジアなどの
南方のようで、その呼称は清の人の名だとか、なんだとか。 清の船が薩摩沖でも座礁したのか、
船を助けた折に礼として貰ったことがきっかけで日本国内に広まったと聞いたことがある。
真偽のほどは判らない。が、当たらずとも遠からずと勝手に思っている。
ザボンは、高さ3mほどまで育つというから結構な高さの樹で、品種も多種あるようだ。
果実は直径15から25センチ、重さは500gから2kgぐらいまでになるという。
ちなみにナツミカンやハッサクは御親戚とのこと。
昨年末に遠方の知人から庭先に出来たものだろうか、御裾分けに預かった。
皮の厚い果実は、果汁が少なく、少々ぱさぱさした感じで、酸味が強く砂糖を振りかけた。
もっとも、賞味せよと賜ったのではなく正月飾りにでも、ということだったらしい。果実の収穫は年末頃が
多いとのことで、濃き緑の葉を付けて、目に鮮やかな黄色く大きな実は正月の飾りに持ってこいだった。
歳時記にも冬の季語としてある ザボン。朱欒と書く。
今年になって三余堂にほど近い、三階建てのビルの横に顔を出している大きな果実を見つけた。
それも電信柱と競わんばかりの上方に子供の頭ほどの実を見た。 一瞬身構える!
街なかの、あの高さ、あんな大きさの実。 熟して落下か、 収穫するのか。
いやはや、その下を歩いていたのか。
ザッボォッンッ! 頭上に落下したら… なんて思ってはいられない。
一体何時から生息していたのか〜
投稿日 2011年02月01日 0:07:47
最終更新日 2011年02月01日 0:07:47
【修正】
2011年02月19日
カテゴリ : [鵞毛庵能の花シリーズ]
先日は東京もいきなりの雪に見舞われ、一瞬にして辺り一面白妙の景色となりました。
©2010 La plume d’oie 鵞毛庵 能「葛城」
雪はさておき、題のガリガリ。昨年夏には大人気で売り切れ続出だったアレではありません!
鉄筆でガリガリと蝋引きされた謄写版の原紙を切る音です。故にガリ版という名を賜っていたわけで、なんとも懐かしいものに小津和紙で再会。
最近、和紙の博物館以外に公開を始めた特別展示室を、小津文化教室のカリグラフィーの講習会の折に見学しました。
今はもう作り手が絶えてしまった和紙などが展示されています。
その中で、おおおッ、これは!!と思わず声が出てしまったのが謄写版原紙。ロウ紙と呼ばれる薄葉紙は和紙だったと再発見。その薄葉紙にパラフィンなど塗ったものが謄写版の原紙です。
原紙をやすりの板の上に乗せて鉄筆で文字を書くと、原紙を傷つけてロウ状の塗料が削れ その部分に細かな孔が開き透かしのようになります。そして木枠に網をかけたものの下に原紙を置き、ローラーでインクを押し付けると一番下に置いた紙に印刷ができるという仕組み。
電気が要らず、原紙とインクさえあれば印刷できるという手軽さから、日本では学校での印刷物のほか、同人誌、チラシなどいろいろなものに随分と活用されました。
鵞毛庵も中高生の頃、部活の資料づくりなどで鉄筆を手によくガリを切りました。思い起こせば、あの頃の授業で配られる資料や試験の問題用紙などすべてわら半紙にガリ版。
日本でガリ版が大いに普及した理由のひとつに、文字の数。アルファベットに比べて、漢字、ひらがな、カタカナと、今風に言うと「半端ない」。ああ、言っちゃった!この言葉もいずれの日にか辞書に載るのだろうか?
欧米のように活版印刷となると手間ひまかかり、費用もかかり、というわけで、お隣の中国でも同様にガリ版印刷が多く使われていたようです。
自分でガリガリやったものは手元に一つも残っておらず、それでも何かないかなと探して出てきた高校生の時の調理実習の資料。当時、世に出回り始めた電子レンジを使っての調理について書いてありました。なんでそんなものが、というのはさて置き、そこに書いてあったのは、
エレックする
これを思い出された方が読者の中にもいらっしゃるでしょうか?
ここにも先回の三余堂の記事にある「話し言葉の日本史」を垣間見たような...
©2010 La plume d’oie 鵞毛庵 能「葛城」
雪はさておき、題のガリガリ。昨年夏には大人気で売り切れ続出だったアレではありません!
鉄筆でガリガリと蝋引きされた謄写版の原紙を切る音です。故にガリ版という名を賜っていたわけで、なんとも懐かしいものに小津和紙で再会。
最近、和紙の博物館以外に公開を始めた特別展示室を、小津文化教室のカリグラフィーの講習会の折に見学しました。
今はもう作り手が絶えてしまった和紙などが展示されています。
その中で、おおおッ、これは!!と思わず声が出てしまったのが謄写版原紙。ロウ紙と呼ばれる薄葉紙は和紙だったと再発見。その薄葉紙にパラフィンなど塗ったものが謄写版の原紙です。
原紙をやすりの板の上に乗せて鉄筆で文字を書くと、原紙を傷つけてロウ状の塗料が削れ その部分に細かな孔が開き透かしのようになります。そして木枠に網をかけたものの下に原紙を置き、ローラーでインクを押し付けると一番下に置いた紙に印刷ができるという仕組み。
電気が要らず、原紙とインクさえあれば印刷できるという手軽さから、日本では学校での印刷物のほか、同人誌、チラシなどいろいろなものに随分と活用されました。
鵞毛庵も中高生の頃、部活の資料づくりなどで鉄筆を手によくガリを切りました。思い起こせば、あの頃の授業で配られる資料や試験の問題用紙などすべてわら半紙にガリ版。
日本でガリ版が大いに普及した理由のひとつに、文字の数。アルファベットに比べて、漢字、ひらがな、カタカナと、今風に言うと「半端ない」。ああ、言っちゃった!この言葉もいずれの日にか辞書に載るのだろうか?
欧米のように活版印刷となると手間ひまかかり、費用もかかり、というわけで、お隣の中国でも同様にガリ版印刷が多く使われていたようです。
自分でガリガリやったものは手元に一つも残っておらず、それでも何かないかなと探して出てきた高校生の時の調理実習の資料。当時、世に出回り始めた電子レンジを使っての調理について書いてありました。なんでそんなものが、というのはさて置き、そこに書いてあったのは、
エレックする
これを思い出された方が読者の中にもいらっしゃるでしょうか?
ここにも先回の三余堂の記事にある「話し言葉の日本史」を垣間見たような...
投稿日 2011年02月20日 0:02:00
最終更新日 2011年02月20日 0:02:00
【修正】