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今年もノエル展の季節となりました。
12月2日(月)〜12月7日(日)
12:00〜19:00 最終日は17時まで
神楽坂セッションハウス 2階 最寄駅 東西線 神楽坂
アクセス
今年もたくさんの作家が集います。
絵画、版画、切り絵、カリグラフィー、創作額、フラワーアート、キャンドル、フェルト、アクセサリー、刺子、陶芸、雑貨など。
期間中、出展者によるワークショップも予定しています。予約不要、¥500から¥1,500、フェルト、ビーズ、カリグラフィーなど各作家在廊時に行います。お気軽にご参加ください。
12月6日(土)は18時から 甲斐圭一郎、小野塚豊によるジャズ・ボサノヴァのミニライブ(ドリンクチャージ¥700)
2015年のカレンダーはラ・フォンテーヌの寓話です。イソップなどでも馴染のある寓話を12話選びました。
文字が宿るツリー
皆様のお越しをお待ちしております。
… 棕櫚のきりぎりすが …
早朝の虫の音もさすがに弱くなり、庭一面に咲きほこっていたホトトギスも、結んだ実の
ふくらみばかりとなった。 今年もいよいよ霜月である。
玄関の香炉に鈴虫か、きりぎりすか、いや 蟋蟀か… キリハタリチョウか…
まっ、くつわむしでも がちゃがちゃでも 松虫でもいいが 兎も角 虫一匹鎮座。
棕櫚の葉で作ったもので、知人からの到来物とのこと。
その尊顔を拝せんと目を近づけて じぃっ〜と覗き込む。
シュロは乾湿、陰陽の土地条件を選ばない為か、結構古くからの庭には植わっている。
子供の頃は、大きくなると椰子の木になると思っていたが、一向に丈が伸びない。
東京は寒いので、南方の植物は大きく育たないのだと勝手に考えていた。
まぁ、当たらずとも遠からず、椰子の仲間には違いない。
そんな棕櫚は棕梠とも書くが 専らシュロ縄やシュロ箒のほうで馴染みだったような気がする。
パイナップルの皮に、ながーい髭がモサモサと生えたような樹皮。それは縄やら箒は勿論、
椅子やベッドのクッション材で、古い家具の端から顔を覗かせていた。
何とも古めかしい香りがする話である。
シュロ縄は植木職には必携だったが、昨今は合成の棕梠縄も巾を効かせる。
確かに朽ち果てず丈夫だろうし、価格面も違うのだろう。庭の手入れに来た親方が、
こんなものが最近あると見せてくれた時は、互いに苦笑いしたものであった。
箒にしても イイものは結構な贅沢品である。所謂工芸品という事だろう。
手入れ方法次第で15〜20年以上使用できるという。
勿論、年に一度くらいは水で洗って 手櫛、ブラシッング、日陰干しに椿油でのお手入れと
なかなかの心遣いが必要なようだが、それだけの価値はある。
棕櫚の皮をぐるぐる巻いてまとめて、それをいくつか束ね、水に浸して柔らかにしたところを
手で一本一本ほぐして、梳いていく。そして、毛先を揃えたり、乾燥干しをしたり。それから
洗って干して、椿油で整えて… そんな御大層な箒は使うところを 先づ掃除せにゃ。
秋の虫になった 深い緑の棕櫚の葉を眺めつつ
そういえば 棕梠の荒神箒は何処へ行ったやら…
2014年11月20日
カテゴリ : [鵞毛庵能の花シリーズ]
今年もノエル展の季節となりました。
12月2日(月)〜12月7日(日)
12:00〜19:00 最終日は17時まで
神楽坂セッションハウス 2階 最寄駅 東西線 神楽坂
アクセス
今年もたくさんの作家が集います。
絵画、版画、切り絵、カリグラフィー、創作額、フラワーアート、キャンドル、フェルト、アクセサリー、刺子、陶芸、雑貨など。
期間中、出展者によるワークショップも予定しています。予約不要、¥500から¥1,500、フェルト、ビーズ、カリグラフィーなど各作家在廊時に行います。お気軽にご参加ください。
12月6日(土)は18時から 甲斐圭一郎、小野塚豊によるジャズ・ボサノヴァのミニライブ(ドリンクチャージ¥700)
2015年のカレンダーはラ・フォンテーヌの寓話です。イソップなどでも馴染のある寓話を12話選びました。
文字が宿るツリー
皆様のお越しをお待ちしております。
投稿日 2014年11月29日 10:35:52
最終更新日 2014年11月29日 10:36:26
【修正】
2014年11月12日
カテゴリ : [三余堂月次]
奈良から平安の御代にかけて行われた宮中の行事に相撲節会(すまひのせちえ)があった。
相撲節会の最古の記録は『宮中行事秘事』などにあり、聖武天皇の頃と考えられている。
文官の人事や、叙位や任官、礼のしきたりやら作法などを統括する式部省という役所があり、
この傘下に相撲司(すまうのつかさ)というところがあったという。
奈良時代は抜出司(ぬきでし)と呼ばれていたというが、その役所はどうも相撲節会に合せた
時季的な臨時の役所であったらしい。
その役所は、左近衛府と右近衛府のそれぞれ12名を人選。
この人々が相撲人と呼ばれた。 何をするかというと、残った 残ったのお相撲である…
彼らは近衛府や兵衛府の役人やその見習いが中心で、他に諸国から推薦された者もいた。
後に諸国からの推挙者となり、優勝者は近衛府や兵衛府などで採用されたり、
国元で役人などに採りたてられたらしい。
この相撲節会は、楽人の演奏やら 入場行進やらとなかなかの華やかな式典があったようだ。
毎年7月の行事だったようだが、桓武天皇の次代の平城上皇が崩御したのを機に
だんだんと衰微し、承安4年(1174年)を最後に廃絶となったという。
この相撲節会が、日本相撲協会の主催する大相撲の基、というわけである。
相撲節会で左右に分かれ相撲を取り、勝った方の立会役が矢を背負って
勝者の舞を演じたのが 弓取式の始まりだそうだ。
現在は作法に従って、下位の力士が大相撲の本場所で、結びの一番の勝者に
代わって、土俵上で弓取り式としておこなっている。
相撲のテレビ中継華やかな時代、 弓取りでの “よいしょっ〜ォ” という場内観客の
掛け声に合わせ、子供は茶の間で大声を出したものだった。
今日の原型は横綱2代谷風梶之助が徳川家斉の上覧相撲で、土俵上で弓を受け
“敬い奉げて四方に振り回した”ことからだとか。 時に1791年、寛政3年。
元来、千秋楽にその場所最後の勝者を称えてのものだったという。
毎日行なわれるようになったのは1952年からで 今年でちょうど60年になる。(2012年時点)
弓取は幕下力士が行うが、特別に十両以上の関取の大銀杏を結い、化粧廻しを締める。
横綱がいる部屋の力士が勤めるものなのだそうだ。結びの一番の勝者の代理なのだから
当然、といえば当然。 相当以前になるが、弓を落としたのを見たことがある。
足の甲に弓を乗せ、弓をチョンと上に跳ね上げて掴み取った。それが作法だそうで、
手を土俵につくと負けとなるからとか。これもしかり。
栃錦の引退相撲では、出羽錦が弓取りをしたという。
朋友だったからなぁ〜 あの二人、しょっきりも上手かったしなぁ。
今年も1年を締めくくる九州場所が 始まった。
栃若時代を相撲と思うと 何日観戦するだろうか。
といったことを、2012.11.12.の 三余堂月次に書いた。それから二年。
まぁ、是非とも現在の “公益財団法人 日本相撲協会のホームページ” を御覧ぜよ。
最近再び活況を呈してきた“お相撲”の様子が窺える。
協会各位の奮励努力、やっと髷の結えるようになったお相撲さんたちの活躍、等々。
諸々の改革努力が伝わる公式サイトである。
このサイト、テレビばかりでなく、パソコン、タブレット、はたまた スマホと
選り取り見取りの観戦提供。
とは言え、昔ながらのラジオ放送もなかなかで ご贔屓健在!
相撲 2012.11.12. 三余堂月次から消えたアーカイヴ とその二年後
相撲節会の最古の記録は『宮中行事秘事』などにあり、聖武天皇の頃と考えられている。
文官の人事や、叙位や任官、礼のしきたりやら作法などを統括する式部省という役所があり、
この傘下に相撲司(すまうのつかさ)というところがあったという。
奈良時代は抜出司(ぬきでし)と呼ばれていたというが、その役所はどうも相撲節会に合せた
時季的な臨時の役所であったらしい。
その役所は、左近衛府と右近衛府のそれぞれ12名を人選。
この人々が相撲人と呼ばれた。 何をするかというと、残った 残ったのお相撲である…
彼らは近衛府や兵衛府の役人やその見習いが中心で、他に諸国から推薦された者もいた。
後に諸国からの推挙者となり、優勝者は近衛府や兵衛府などで採用されたり、
国元で役人などに採りたてられたらしい。
この相撲節会は、楽人の演奏やら 入場行進やらとなかなかの華やかな式典があったようだ。
毎年7月の行事だったようだが、桓武天皇の次代の平城上皇が崩御したのを機に
だんだんと衰微し、承安4年(1174年)を最後に廃絶となったという。
この相撲節会が、日本相撲協会の主催する大相撲の基、というわけである。
相撲節会で左右に分かれ相撲を取り、勝った方の立会役が矢を背負って
勝者の舞を演じたのが 弓取式の始まりだそうだ。
現在は作法に従って、下位の力士が大相撲の本場所で、結びの一番の勝者に
代わって、土俵上で弓取り式としておこなっている。
相撲のテレビ中継華やかな時代、 弓取りでの “よいしょっ〜ォ” という場内観客の
掛け声に合わせ、子供は茶の間で大声を出したものだった。
今日の原型は横綱2代谷風梶之助が徳川家斉の上覧相撲で、土俵上で弓を受け
“敬い奉げて四方に振り回した”ことからだとか。 時に1791年、寛政3年。
元来、千秋楽にその場所最後の勝者を称えてのものだったという。
毎日行なわれるようになったのは1952年からで 今年でちょうど60年になる。(2012年時点)
弓取は幕下力士が行うが、特別に十両以上の関取の大銀杏を結い、化粧廻しを締める。
横綱がいる部屋の力士が勤めるものなのだそうだ。結びの一番の勝者の代理なのだから
当然、といえば当然。 相当以前になるが、弓を落としたのを見たことがある。
足の甲に弓を乗せ、弓をチョンと上に跳ね上げて掴み取った。それが作法だそうで、
手を土俵につくと負けとなるからとか。これもしかり。
栃錦の引退相撲では、出羽錦が弓取りをしたという。
朋友だったからなぁ〜 あの二人、しょっきりも上手かったしなぁ。
今年も1年を締めくくる九州場所が 始まった。
栃若時代を相撲と思うと 何日観戦するだろうか。
といったことを、2012.11.12.の 三余堂月次に書いた。それから二年。
まぁ、是非とも現在の “公益財団法人 日本相撲協会のホームページ” を御覧ぜよ。
最近再び活況を呈してきた“お相撲”の様子が窺える。
協会各位の奮励努力、やっと髷の結えるようになったお相撲さんたちの活躍、等々。
諸々の改革努力が伝わる公式サイトである。
このサイト、テレビばかりでなく、パソコン、タブレット、はたまた スマホと
選り取り見取りの観戦提供。
とは言え、昔ながらのラジオ放送もなかなかで ご贔屓健在!
相撲 2012.11.12. 三余堂月次から消えたアーカイヴ とその二年後
投稿日 2014年11月12日 0:03:51
最終更新日 2014年11月12日 0:03:51
【修正】
2014年11月01日
カテゴリ : [案内望遠鏡]
… 棕櫚のきりぎりすが …
早朝の虫の音もさすがに弱くなり、庭一面に咲きほこっていたホトトギスも、結んだ実の
ふくらみばかりとなった。 今年もいよいよ霜月である。
玄関の香炉に鈴虫か、きりぎりすか、いや 蟋蟀か… キリハタリチョウか…
まっ、くつわむしでも がちゃがちゃでも 松虫でもいいが 兎も角 虫一匹鎮座。
棕櫚の葉で作ったもので、知人からの到来物とのこと。
その尊顔を拝せんと目を近づけて じぃっ〜と覗き込む。
シュロは乾湿、陰陽の土地条件を選ばない為か、結構古くからの庭には植わっている。
子供の頃は、大きくなると椰子の木になると思っていたが、一向に丈が伸びない。
東京は寒いので、南方の植物は大きく育たないのだと勝手に考えていた。
まぁ、当たらずとも遠からず、椰子の仲間には違いない。
そんな棕櫚は棕梠とも書くが 専らシュロ縄やシュロ箒のほうで馴染みだったような気がする。
パイナップルの皮に、ながーい髭がモサモサと生えたような樹皮。それは縄やら箒は勿論、
椅子やベッドのクッション材で、古い家具の端から顔を覗かせていた。
何とも古めかしい香りがする話である。
シュロ縄は植木職には必携だったが、昨今は合成の棕梠縄も巾を効かせる。
確かに朽ち果てず丈夫だろうし、価格面も違うのだろう。庭の手入れに来た親方が、
こんなものが最近あると見せてくれた時は、互いに苦笑いしたものであった。
箒にしても イイものは結構な贅沢品である。所謂工芸品という事だろう。
手入れ方法次第で15〜20年以上使用できるという。
勿論、年に一度くらいは水で洗って 手櫛、ブラシッング、日陰干しに椿油でのお手入れと
なかなかの心遣いが必要なようだが、それだけの価値はある。
棕櫚の皮をぐるぐる巻いてまとめて、それをいくつか束ね、水に浸して柔らかにしたところを
手で一本一本ほぐして、梳いていく。そして、毛先を揃えたり、乾燥干しをしたり。それから
洗って干して、椿油で整えて… そんな御大層な箒は使うところを 先づ掃除せにゃ。
秋の虫になった 深い緑の棕櫚の葉を眺めつつ
そういえば 棕梠の荒神箒は何処へ行ったやら…
投稿日 2014年11月01日 22:00:51
最終更新日 2014年11月01日 22:01:30
【修正】