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2014年09月20日
世の中、ただいま栗のシーズン真っ最中。フランスでも秋から冬にかけて焼き栗がおいしい季節です。
                
 
                火中の栗を拾う


(c)La plume d’oie2013 聖ジェローの日(10月13日)には栗で暖を取る。

火中の栗を拾うという言葉をみなさんご存知かと思いますが、自分の利益にはならないのに、他人にそそのかされて危険をおかすことの喩です。転じて、あえて困難なことに自ら身を乗り出すという意味にも使われます。

実は、この言葉、17世紀フランスの詩人ジャン・ド・ラ・フォンテーヌの寓話に由来します。ラ・フォンテーヌはイソップ物語をもとに寓話集を書いていて、鵞毛庵も蔵書票や豆本のテーマに寓話をいくつか取り上げています。その寓話集の中の「猿と猫」というお話。

猿はベルトラン、猫はラトンという名前で、名うてのごろつきですが、ある主人に雇われている身。どのみち素性が素性なので楽して稼ごうというようなことに関しては達人なわけで、ある日暖炉にくべた栗がおいしそうに焼きあがっているのを見て、猿は猫をおだてて栗を拾わせます。てっきり二人で栗を食べるものと、必死で火の中から栗を拾う猫。ところが、猿は拾ってもらっては端からむしゃむしゃ。そこへ女中があらわれて、その場を追い立てられてしまいました。猫は不満たらたらというわけです。



火中の栗を拾う
19世紀に出版された寓話の挿絵(フランソワ・ブショ画)

ラ・フォンテーヌの寓話?と云う方も日本には多いかと思いますが、意外に身近だったりします。2015年度のカレンダーはラ・フォンテーヌの寓話をテーマに、この「猿と猫」を掲載予定です。
投稿日 2014年09月20日 11:16:48
最終更新日 2014年09月20日 11:16:48
修正
2014年09月12日
カテゴリ : [三余堂月次]
今月の三余堂月次アーカイヴは2009の9月  老人必要養草 から
敬老の日も近いが、希少価値からすると こどもの日に次いで、青年の日、
壮年の日が祭日として登場しそうな昨今である。
まっ、老いも若きも必要養草…ということで


                                           
《 内閣総理大臣が国の機関などから移管を受けた重要な公文書を、歴史資料として独立行政法人国立公文書館が
保存管理しています。》 と、ホームページにある国立公文書館。
資料の保存、データベース化、一般公開、インターネットの駆使と広く事業を行う。
重要な公文書の適切な保存と利用を図ることを目的とした施設。
公文書館は図書館、博物館と共に 文化施設として三本の柱の一つなのだそうだ。
ふぅ〜む

ヨーロッパでは、18世紀以来、近代的な公文書館制度が発達したという。
が、我国では 戦後、その必要性の高い声に 準備の末 
   『公文書等の保存、閲覧・展示などへの利用、公文書の調査研究を行う機関』 を
目的として、昭和46年に国立公文書館が設置。   結構 近年のことだ。

この設置に際して 重要な一部門となった内閣文庫。 
明治6年太政官に置かれた図書掛に始まり、明治18年内閣制度創始と同時に内閣文庫となる。
和漢の古典籍・古文書を所蔵する専門図書館となった。
その蔵書には、江戸幕府の記録等の公文書に類する資料も多いという。
平成10年にはつくば研究学園都市内に、つくば分館設置。
平成13年独立行政法人国立公文書館となる。
独立行政法人への移行後も 内閣文庫の所蔵資料は引き続き国立公文書館で保存されていて…
   ふむ、 ふぅ〜む



この 国立公文書館のホームページ。時折 覗くと興味深いものを見つける。
今月のアーカイブを手繰っていくと 老人必要養草 ろうじんひつようやしないぐさ!に当たった。

ご存知、養生訓の著者貝原益軒、その弟子の 香月牛山 かつきぎゅうざん(1656-1740)の著。
対象は高齢者限定ときた。もっとも この時代 いくつが高齢者だろうか。
正徳6年(1716)に 出版された書で 高齢者がいる家庭のための家庭医学事典と…
三余堂 必携の書のような気がしてくる。
養老の総論、飲食やら何やらと続き、鬱屈した心を癒す工夫や高齢者特有の心理を具体的に
解説しているのが、本書の特徴。と、ある。
老人性のうつ病ということか。現代ならではの状況ではなさそうだ。
形体保養の説という項には 手足の屈伸やマッサージが血流を促し卒中風の患いなしと ある。
    ふむ、ふむ、 ふぅ〜む



今月の展示を確認すべく覗いたところが とんだ 敬老の日を前にして心の準備となった。
東京、北の丸公園、近代美術館へ御用の向きは ちょっと 一足!
展示会は入場無料、
   地下鉄東西線竹橋駅下車[1b出口]徒歩5分。
矢来能楽堂の地下鉄東西線神楽坂駅から 三つめの駅。 ついでにも便利なところである。
そこには文化の必要養草を実践する国立公文書館がある。



国立公文書館  

   老人必要養草 ろうじんひつようやしないぐさ




投稿日 2014年09月13日 9:18:54
最終更新日 2014年09月13日 9:18:54
修正
2014年09月01日
カテゴリ : [案内望遠鏡]
暑い夏をやり過ごすには人気の図書館。
空調の加減の良いのは新書が並ぶ棚の前であった。
ただ ぽっーと眺める背表紙の漢字。 突然にベトナムも漢字の国だったと思う。
いやっ、今の表記はちがうナァ…  
廻らない頭の中を アオザイの美女やら ハルマキやら ベトナムの僧侶が伝えたといわれる
林邑楽のことやらが駆け巡る。 この林邑楽、大陸を経由しての楽かもしれないが、奈良の東大寺
大仏開眼法要で奏されたというベトナム製。
外は灼熱でここは涼しい、何とかしばらく時を稼ごうと手が棚に伸びて
べ べ べ… ベトナムの歴史 、いや 文化、いや料理だなぁ
あぁ〜 ヴェ ヴェ ヴェトナムかぁ  とますます頭は廻らず、訳の判らないことに感心する。


『物語 ヴェトムの歴史』 よし、これで行こう!
副題に一億人国家のダイナミズム とある。 ほぉ〜 そんなに人がいるのかぁ 
やっと手にしたのは 中央公論社の中公新書 小倉貞夫著であった。
1997年発行とあるので 近年のベトナムの発展ぶりを15年前には
どんな風に予測していたのかなぁ… なんて あとがきをチラチラ。
巻末の年表でざっと 歴史は掴めるかとペラペラ。
が、 近年の統一はおろかベトナム戦争になるまではナカナカ。

歴史の中に国家として登場するのは、紀元前2880年頃で雄王(フンヴォン)の文朗国。   
ベトナムの古代史は、インドシナ半島の全体の歴史に繋がり、その後は中国支配の歴史になる、 
清朝がガタツイテくるといよいよややこしく、厚い歴史は体温上昇を招くばかりだ。

紀元前111年には、ベトナム南越国を、漢の武帝支配。
約千年間ベトナムは政治的にも文化的にも 独自の文化を保持しつつ、言葉も文字も漢化される。
唐代玄宗皇帝に気に入られた、阿倍亜仲麻呂が753年遣唐使藤原清河と共に楚州からの帰国の際
嵐で漂着したのはベトナムだった。
“天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出し月かも”
と、楚州で詠んでやっと日本へ向かったのに、そう簡単には帰れなかった。
また唐に戻るのだが、山岳地帯の部族が反乱を起こしたので 平定を命じられたという。

当時の表記はベトナム語の発音に近い音を持つ漢字を借用していたようだ。
が、知識人が中心になって独自の漢字を開発したという。阿倍亜仲麻呂も同じ漢字で
どれだけの言葉を操ったのか。19世紀までは、ベトナム語は漢字を使って表記していたという。
まっ、音は解らずとも意味が判れば漢字はイイ感じということで…

序章 ヴェトナムとインドシナ  第一章 中国支配の時代 と読み進む。
新書にしては400ページからの厚みで 第四章のフランス植民地になるまでまだまだである。 
汗も収まったので、そっーと 棚に戻して 退出。






    
    

投稿日 2014年09月02日 16:43:29
最終更新日 2014年09月02日 16:50:19
修正