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2008年10月20日
カテゴリ : [鵞毛庵能の花シリーズ]
まだ日本では少し早いと思いますが、フランスはかなり色づいて来ています。
紅葉も黄葉もどちらも「こうよう」で、従ってどちらも「もみぢ」。だいたい「もみぢがきれい」などと聞くと、カエデが紅く色づいた方を想像しがちですが、広辞苑を見るに、奈良時代の頃は黄葉と書くほうが多かったとか。
La plume d’oie © 鵞毛庵 2008
紅葉狩 人こそみえね秋は来て...
Personne ne me rend visite, l’automne est déjà là
フランスで身近なところで紅くなる代表は蔦。パリ市内のアパートの壁にもびっしりという光景が見られます。
でも、黄葉のほうが一般的に多くみられ、庵主が住む通りのユリノキも黄色くなってきました。もう少し寒くなるとニレもだんだんと黄色くなり、お天気が良ければ日を浴びて、暗くなると街灯に照らされて、まさに黄金色に。このためなのかどうか?数年前から街路樹がライトアップされるよう新しい街灯が付けられました。黄金色一色の黄葉はそれはそれで美しいものです。
紅葉も黄葉もどちらも「こうよう」で、従ってどちらも「もみぢ」。だいたい「もみぢがきれい」などと聞くと、カエデが紅く色づいた方を想像しがちですが、広辞苑を見るに、奈良時代の頃は黄葉と書くほうが多かったとか。
La plume d’oie © 鵞毛庵 2008
紅葉狩 人こそみえね秋は来て...
Personne ne me rend visite, l’automne est déjà là
フランスで身近なところで紅くなる代表は蔦。パリ市内のアパートの壁にもびっしりという光景が見られます。
でも、黄葉のほうが一般的に多くみられ、庵主が住む通りのユリノキも黄色くなってきました。もう少し寒くなるとニレもだんだんと黄色くなり、お天気が良ければ日を浴びて、暗くなると街灯に照らされて、まさに黄金色に。このためなのかどうか?数年前から街路樹がライトアップされるよう新しい街灯が付けられました。黄金色一色の黄葉はそれはそれで美しいものです。
投稿日 2008年10月20日 20:17:29
最終更新日 2008年10月20日 20:17:29
【修正】
2008年10月01日
カテゴリ : [案内望遠鏡]
10月1日は 都民の日。 東京都立のところは 特別な催しがあったり、都内の学校は休みになったり。
まぶしい秋の日差しの中 ご協力おねがいしまぁ〜す!の高い声が 駅の階段で出迎える。
ボーイスカウト、女子中高生、と衣替えで冬の制服に身を包み 各所で声を張り上げる。
赤い羽根共同募金が始まる日なのだ。
まだやっていたのか、と思う向き、それって なんですか?という御仁、
さまざまあれど 10月1日の風物だった。 鵞毛庵も お願いしまぁ〜す と 立ったという。
そして、夕刊各紙はこぞって その様子を一面に載せていた。
まだまだ 暑さの名残りを身に受けて冬服の紺色は うっとうしい時期である。
が、近年は 紺、紺、紺、と 重苦しく感じない。
温暖化のためだろう、制服も今日から衣替えとはいかないのだ。
季節は10月1日を虫食む。衣替えも都民の日もへったくれも ありゃぁしない。
駅では 毎日何かの募金、署名集め、ティッシュ配りと それぞれの定位置がある。
その趣旨が忘却の彼方にいってしまったような 赤羽根共同募金は 位置取りも大変だ。
ボーイのリーダーが こっち、こっちと 邪魔にならない場所を確保して 団員を立たせる。
地方では 如何なのか。
学校が休みではなかろうし、晴天の下 甲高い声が叫びとぶこともないと思うが。
祭りの準備が進む 秋霖の一日
もっとも この時期は冷たい秋霖 <しゅうりん>で なかなか 晴れないものである。
しとしとと音のあるような、無いような雨の晩はまさに三余である。
読書に利用するべき三つの余暇、 冬は 年の余り 秋は 日の余り 陰雨は 時の余りである。
いつまでも続く陰気な雨は 本を読め、学べ、勉学に勤しめと言っている。
祭りに向けて準備万端整った 御神酒所も 神輿も 祭り囃子の座所も、
秋霖に どこか沈んで浮き立たない。
その横の 公孫樹並木の下では 傘をさしながら せっせとギンナン拾いに勤しむ姿を見つけた。
宵宮の囃子の音が聞こえてくれば 勉学なんぞに勤しんでいられるわけもなく
杏子飴屋のおやじは今年も元気かと 熟して落ちた銀杏をそっと除けながら
傘を手に急ぐ三余堂である!
御神酒所も冷たい雨を静かにうける
秋雨に烟<けぶ>る鴨脚樹<イチョウ>の並木は 東京都の木でもある。
まぶしい秋の日差しの中 ご協力おねがいしまぁ〜す!の高い声が 駅の階段で出迎える。
ボーイスカウト、女子中高生、と衣替えで冬の制服に身を包み 各所で声を張り上げる。
赤い羽根共同募金が始まる日なのだ。
まだやっていたのか、と思う向き、それって なんですか?という御仁、
さまざまあれど 10月1日の風物だった。 鵞毛庵も お願いしまぁ〜す と 立ったという。
そして、夕刊各紙はこぞって その様子を一面に載せていた。
まだまだ 暑さの名残りを身に受けて冬服の紺色は うっとうしい時期である。
が、近年は 紺、紺、紺、と 重苦しく感じない。
温暖化のためだろう、制服も今日から衣替えとはいかないのだ。
季節は10月1日を虫食む。衣替えも都民の日もへったくれも ありゃぁしない。
駅では 毎日何かの募金、署名集め、ティッシュ配りと それぞれの定位置がある。
その趣旨が忘却の彼方にいってしまったような 赤羽根共同募金は 位置取りも大変だ。
ボーイのリーダーが こっち、こっちと 邪魔にならない場所を確保して 団員を立たせる。
地方では 如何なのか。
学校が休みではなかろうし、晴天の下 甲高い声が叫びとぶこともないと思うが。
祭りの準備が進む 秋霖の一日
もっとも この時期は冷たい秋霖 <しゅうりん>で なかなか 晴れないものである。
しとしとと音のあるような、無いような雨の晩はまさに三余である。
読書に利用するべき三つの余暇、 冬は 年の余り 秋は 日の余り 陰雨は 時の余りである。
いつまでも続く陰気な雨は 本を読め、学べ、勉学に勤しめと言っている。
祭りに向けて準備万端整った 御神酒所も 神輿も 祭り囃子の座所も、
秋霖に どこか沈んで浮き立たない。
その横の 公孫樹並木の下では 傘をさしながら せっせとギンナン拾いに勤しむ姿を見つけた。
宵宮の囃子の音が聞こえてくれば 勉学なんぞに勤しんでいられるわけもなく
杏子飴屋のおやじは今年も元気かと 熟して落ちた銀杏をそっと除けながら
傘を手に急ぐ三余堂である!
御神酒所も冷たい雨を静かにうける
秋雨に烟<けぶ>る鴨脚樹<イチョウ>の並木は 東京都の木でもある。
投稿日 2008年10月01日 0:59:56
最終更新日 2008年10月01日 0:59:56
【修正】