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2008年05月20日
巴里も新緑生い茂った季節。この時期になると公園や花壇には薔薇と並んでアイリスが咲き誇ります。
このアイリスを見ると、大概の日本人が 「いずれアヤメかカキツバタ」 と悩むところの 文目 杜若 花菖蒲 が話題に。


        いずれ文目か杜若 
             La plume d’oie© 鵞毛庵 2003
                  
こちらは「杜若」の作品に用いた頭文字の装飾部分の試作。完成品(現在鎌倉能舞台で展示していただいています。)は こちらで。      

ゴティックスタイルで装飾頭文字のバックになっている柄は業平菱模様。「杜若」を演じる際の装束からデザインしています。花はもちろん「かきつばた」で花びらに白い筋、地の色に陰と光を重ねて描いてゆく中世装飾画の技法を用いています。

ではアヤメはどうかというと、花びら中央に黄や白の網目模様が入っているというのが違い早分かりのポイント。

さてはて花菖蒲は?


いずれ文目か杜若 La plume d’oie© 鵞毛庵 2008

初節句のお祝いに描いた装飾文字モノグラムです。羊皮紙に頭文字のCはゴティック風にアカンサスの葉模様、端午の節句なので兜と花菖蒲をあしらいました。 (イグアナは...お祝い先のお宅の家族の一員)。

花菖蒲は青紫系や黄色などで、花びらに黄色い筋。でもここでは筋目に光が当たっているように描いてあるので、こうやって見るとどの花なのか。。。

そして、ここでまた本来は端午の節句には花菖蒲ではなくて菖蒲だというややこしいお話。

菖蒲はサトイモ科の植物で、「尚武」にあやかって発音が同じということから端午の節句に欠かせないものとなり、菖蒲湯にも浸ったりしますね。この菖蒲の葉に似た植物で綺麗な花が咲くものを花菖蒲と呼ぶようになり、両方が混同されてしまい今に至っています。

筋目が白いのもあれば黄色いのもあるし、光琳の燕子花図だって黄色い筋目もあったりして...やはりいずれが何とやら。

しかし、どれもみなアヤメ科アヤメ属の同じ花なのです。

従って西洋ではすべてアイリス(イリス)と呼ばれて、多くみかけるのはジャーマンアイリス種です。色も大きさもさまざまに品種改良されていて綺麗ですが、今風に言うならば、アヤメや杜若が醤油系だとすれば、こちらのアイリスはソース系とでも。


                      いずれ文目か杜若 パリの公園にて

このジャーマンアイリスの日本語名称はドイツアヤメ。アヤメというぐらいですから、花びらの模様は確かに網目です。
投稿日 2008年05月21日 4:48:17
最終更新日 2008年05月21日 4:50:07
修正
2008年05月01日
カテゴリ : [案内望遠鏡]
中国大陸でまだ秦が天下を統一しない頃、書物の材料は竹と木であった。
竹は1メートルに満たない長さの簡 、つまり竹のふだで、それに8字から30字くらいを1 行に書く。
100 字程度を書く時は、木の札を使っていた。
それ以上文字を書くには 竹や木の簡を何本も 鞣革 なめしがわで編み連ねた冊をつくる。
冊 さく という字は簡をなめし革でつらねた象形文字なのだそうである。
中国の最も古い書物の形態だ。


紙が発明される以前は 竹や木の札、竹簡、木簡、が多く用いられてきたが、帛 はくもあった。
秦の始皇帝以前の大陸では帛も書写の材料となった。絹製の布である。
帛を書物とする場合には もっぱら 軸をつけて巻いた巻子本、かんすぼんの形態をとったらしい。
安宅の関で武蔵坊弁慶が … それ つぅ〜ら つぅら … 
と読み上げた巻物の形を思い浮かべられたし。
後に始皇帝となる 秦王政を暗殺に行った 荊軻が剣を忍ばせていったのは 帛の巻子であった。
絹でできた帛は大変に高価で 特別なものであったのだ。
4月鵞毛庵の記事 でも触れているが 書物は内容、形態ともにまさに宝物であった。


紙の発明は ずっと時代が下って後漢時代 、世界中の書物にとっての大革命ということだ。
その後 紙がもっぱら書物の材料となる。書物の形も変化する。
日本へは奈良時代に伝わった巻子本。
仏典などに利用されて 経巻や法帖類で目にすることの多い折本、 おりほんは習字手本や
揮毫帖などにも用いられている。


折本 書物の綴じ


折本の背の部分を糊づけしたもので、広げると風にひるがえるようになる 旋風葉 せんぷうよう。
料紙を二つ折りにして重ね、折目の部分に糊づけした粘葉装 でっちょうそう。
三井家所蔵の古今和歌集などにこの装丁が見られ 平安末期には日本ですでに行われていた。
鎌倉、室町、江戸期に至るまでこの様式は続いていたという。

粘葉装は唐代に盛んで、宋代には益々増大していった。
が、糊を一枚ごとに入れる為 虫害を受けやすい。
そこで 糊で貼り合わせる代りに糸で綴じる方法が案出された。
これらを経て糸で綴じた綫縫 せんぼう に至る。これは大陸から 朝鮮や日本にも伝わって
日本では列帖装れっちょうそう、大和綴 やまととじなど、独自の方法が生まれたということだが。
もっぱら袋綴 ふくろとじと言っている。
普通の和装本に使用されているものである。 


四つ目綴じ書物の綴じ


生活に溶け込んで常に目にする、四つ目綴じの本。 確認すると明治何年、大正何年と印されている。 
そう 謡本。
目にする謡本は 一冊一冊を手で製本、装丁、糸針で綴じる 宝物ということである。
糸の切れた物は 綴じ替えながら受け継がれていく。
華やかに飾る中に 実用の要点を押さえた綴じ方には いろいろな工夫や流行がある。
四つ目綴じの本が 康煕王朝に流行った康熙綴じに、麻の葉綴じにと変身していく。
帰国中の鵞毛庵は 和綴じの講習で腕に磨きをかけていた。





下から 麻の葉綴じ、康煕綴じ、亀甲綴じ書物の綴じ










投稿日 2008年05月02日 7:57:57
最終更新日 2008年05月02日 7:58:24
修正