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2007年12月20日
カテゴリ : [鵞毛庵能の花シリーズ]
よく頂戴する質問に、作品のデザインなどはどうやって決めるのですか?というのがあります。一番簡単で判りやすいのは、その曲目の内容や装束の色合いからなのですが、いつもいつもそうではありません。
先日の三余堂の記事にありましたが、あの藤田画伯も聞きながら絵を描いていたという広沢虎造の清水次郎長伝、何を隠そう、この鵞毛庵も聞いています
元はといえば、画家の友人が、一緒に唸りながら制作しているといって貸してくれたことが発端。想像の源は虎造にあり! さらには志ん生なんかの古い落語までも。
巴里の空の下、浪曲や江戸弁丸出しの古典落語を聴きながら、謡曲の詞章のフランス語訳をカリグラフィーで表現するという、こうやって文章にしみるとかなり異常行動のような、鵞毛庵ならさもありなんだと思われる方も多いことやら。ま、そんな調子で制作しているので、いきなり脳みそからぽわぁ〜〜んと変なものが浮かび出て然り、それをそのまま紙の上に置き換えるといった次第なのです。
その結果がこんなことになったり
二人静 部分 La plume d'oie©鵞毛庵2007
こんなことになったり。 善知鳥 部分La plume d'oie©鵞毛庵2007
いよいよ年の瀬も押し迫って参りました。クリスマスのイリュミネーションに輝くシャンゼリゼを歩きながら俳句をひねったり虎造や志ん生を聞くのも乙なもんでございますよ。
それでは皆様、どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。
先日の三余堂の記事にありましたが、あの藤田画伯も聞きながら絵を描いていたという広沢虎造の清水次郎長伝、何を隠そう、この鵞毛庵も聞いています
元はといえば、画家の友人が、一緒に唸りながら制作しているといって貸してくれたことが発端。想像の源は虎造にあり! さらには志ん生なんかの古い落語までも。
巴里の空の下、浪曲や江戸弁丸出しの古典落語を聴きながら、謡曲の詞章のフランス語訳をカリグラフィーで表現するという、こうやって文章にしみるとかなり異常行動のような、鵞毛庵ならさもありなんだと思われる方も多いことやら。ま、そんな調子で制作しているので、いきなり脳みそからぽわぁ〜〜んと変なものが浮かび出て然り、それをそのまま紙の上に置き換えるといった次第なのです。
その結果がこんなことになったり
二人静 部分 La plume d'oie©鵞毛庵2007
こんなことになったり。 善知鳥 部分La plume d'oie©鵞毛庵2007
いよいよ年の瀬も押し迫って参りました。クリスマスのイリュミネーションに輝くシャンゼリゼを歩きながら俳句をひねったり虎造や志ん生を聞くのも乙なもんでございますよ。
それでは皆様、どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。
投稿日 2007年12月21日 3:06:29
最終更新日 2007年12月21日 3:08:27
【修正】
2007年12月01日
カテゴリ : [案内望遠鏡]
案内望遠鏡 とはguiding telescope。
写真撮影用の望遠鏡に平行に取り付けてある望遠鏡で、視野広く対象星を
追跡し易くするために添えたものということである。
ということで 三余堂月次の補いにでもと始めたことであったが、反って 邪魔をしているかもしれない。その一つが 記事中の言葉の読みである。
すべて漢字にルビを施せば 事は簡単であったが、 サイト上でルビを打つのは
体裁良く仕上がらず、読めないような小さな字では致し方なく、
まぁ 小難しいことを書くわけでなし 大昔の岩波文庫のように なんでもかんでも
読み仮名、振り仮名は要るまいと判断したわけである。
まてよっ!
作家は漢字にルビを振ることでその小説の雰囲気や自らの主張を伝えんとしている。
貴方、貴女、をあなたと読ませたり、あんたと読ませたり。彼方もあなたと読むし、
我輩だの流石だのの読み方も 破れそうな紙製本にごちゃごちゃとルビをふった
岩波文庫で鍛えられた。
講談本や落語の本にも世話になったが。
既に使われなくなっていた 旧字体や書写体が読めるのは謡本のお蔭ばかりではない。
みんな読み仮名の御蔭で 普段日常的に使わずとも識っている。
しかも その道、その分野で 読みが違うことも 体感していた。
先月の案内望遠鏡の記事にもあるように 女郎花を謡では おみなめし と読ませている。
勿論 辞書でおみなめしは引ける。但し おみなえしへ と゛うぞ!
草子洗小町という謡に スサノウノミコトが登場するが ソサノウノミコトと読ませる。
以前 神社の老婦人が謡の稽古で 頑として 『私どもは すさのうでございます』 と
最期まで そのように謡っておられた。
まぁ 読み方も時代で変わるもので 他人事とかいて 平気でたにんごとと読む輩が居る昨今、
到頭、辞書もひとごとばかりでなく たにんごと と読むことを容認した。
寝台なぞは今でこそ しんだい特急あさかぜ というが、明治期にはもっぱら ねだい
と云ったそうである。 ちなみに吉行淳之介の小説に寝台(ネダイ)の舟 を見つけた。
同じ文字を書いて どちらが正しいのへちまのと 喧々諤々。
大概 内ではこうでございます、で閑話休題となる。
最近は面白い辞書もででいる
ほとんどの場合 どれも正しい。呉音で読むか、漢音で読むかの違いである。
時は桓武天皇の御世、延暦年間に漢音が奨励された。
行政関連、学者は 遣唐使などによってもたらされた 長安風の発音を用いたという事のようだ。
それまでの呉音は仏教用語などとして今でも使用。
交易があれば言葉も流通する。大陸の地方の発音も伝えらた。
行灯(アンドン)の行は 中国江南地方の発音が伝わったということらしく 難解な読み方
とされても生きている。 漢音は行をコウ、呉音はギョウ。
例の宮内庁御用達は ごようだつが呉音、ごようたつが漢音 なじみの深い ごようたしは
何処から来たのやら ……。
近代アイテム よめねぇやつは 辞書を引け!
もっとも 他人事のごとく多くの人の間違いが 正しいこと になることもある。
云いまわしが時代につれ変わり 文字も換わるからと 勝手に思い込みで読むのは如何かと。
辞書を引く習慣を身に付け わかりきっている字も確認し、他の読み方を探り、言葉を曖昧にしない。
辞書はきちんと案内をしてくれる。 何事も 然り。
山茶花のこぼれつぐなり夜も見ゆ 加藤楸邨
三余堂にも山茶花が咲き始めた。人は はじめ さんさかと謂っていたそうである。
写真撮影用の望遠鏡に平行に取り付けてある望遠鏡で、視野広く対象星を
追跡し易くするために添えたものということである。
ということで 三余堂月次の補いにでもと始めたことであったが、反って 邪魔をしているかもしれない。その一つが 記事中の言葉の読みである。
すべて漢字にルビを施せば 事は簡単であったが、 サイト上でルビを打つのは
体裁良く仕上がらず、読めないような小さな字では致し方なく、
まぁ 小難しいことを書くわけでなし 大昔の岩波文庫のように なんでもかんでも
読み仮名、振り仮名は要るまいと判断したわけである。
まてよっ!
作家は漢字にルビを振ることでその小説の雰囲気や自らの主張を伝えんとしている。
貴方、貴女、をあなたと読ませたり、あんたと読ませたり。彼方もあなたと読むし、
我輩だの流石だのの読み方も 破れそうな紙製本にごちゃごちゃとルビをふった
岩波文庫で鍛えられた。
講談本や落語の本にも世話になったが。
既に使われなくなっていた 旧字体や書写体が読めるのは謡本のお蔭ばかりではない。
みんな読み仮名の御蔭で 普段日常的に使わずとも識っている。
しかも その道、その分野で 読みが違うことも 体感していた。
先月の案内望遠鏡の記事にもあるように 女郎花を謡では おみなめし と読ませている。
勿論 辞書でおみなめしは引ける。但し おみなえしへ と゛うぞ!
草子洗小町という謡に スサノウノミコトが登場するが ソサノウノミコトと読ませる。
以前 神社の老婦人が謡の稽古で 頑として 『私どもは すさのうでございます』 と
最期まで そのように謡っておられた。
まぁ 読み方も時代で変わるもので 他人事とかいて 平気でたにんごとと読む輩が居る昨今、
到頭、辞書もひとごとばかりでなく たにんごと と読むことを容認した。
寝台なぞは今でこそ しんだい特急あさかぜ というが、明治期にはもっぱら ねだい
と云ったそうである。 ちなみに吉行淳之介の小説に寝台(ネダイ)の舟 を見つけた。
同じ文字を書いて どちらが正しいのへちまのと 喧々諤々。
大概 内ではこうでございます、で閑話休題となる。
最近は面白い辞書もででいる
ほとんどの場合 どれも正しい。呉音で読むか、漢音で読むかの違いである。
時は桓武天皇の御世、延暦年間に漢音が奨励された。
行政関連、学者は 遣唐使などによってもたらされた 長安風の発音を用いたという事のようだ。
それまでの呉音は仏教用語などとして今でも使用。
交易があれば言葉も流通する。大陸の地方の発音も伝えらた。
行灯(アンドン)の行は 中国江南地方の発音が伝わったということらしく 難解な読み方
とされても生きている。 漢音は行をコウ、呉音はギョウ。
例の宮内庁御用達は ごようだつが呉音、ごようたつが漢音 なじみの深い ごようたしは
何処から来たのやら ……。
近代アイテム よめねぇやつは 辞書を引け!
もっとも 他人事のごとく多くの人の間違いが 正しいこと になることもある。
云いまわしが時代につれ変わり 文字も換わるからと 勝手に思い込みで読むのは如何かと。
辞書を引く習慣を身に付け わかりきっている字も確認し、他の読み方を探り、言葉を曖昧にしない。
辞書はきちんと案内をしてくれる。 何事も 然り。
山茶花のこぼれつぐなり夜も見ゆ 加藤楸邨
三余堂にも山茶花が咲き始めた。人は はじめ さんさかと謂っていたそうである。
投稿日 2011年05月12日 4:01:00
最終更新日 2011年05月12日 4:01:10
【修正】