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2011年08月01日
かみの神様
カテゴリ : [案内望遠鏡]
今日から八月だが、梅雨のような陽気に障子は波を打っている。
紙の文化だなぁと その強さを確認するかのように触れてみる。子供なら指を無理やりに押し込むのだが。

中国史上まれにみる名君といわれる光武帝が開いた後漢王朝。
                                       というキャッチフレーズはいつも同じような気がするが … 
この後漢の、明帝の御代に登用された蔡倫という宦官がいた。 この人、皇帝三代ぐらいに仕えたようだが、何しろその頃のお家事情が複雑のようで、皇帝は成人するのかしないのか、君主交代劇が盛。
ざっと200年も続いたこの御代は、諸葛孔明なんぞで馴染の三国志の前の時代になる。
で、ご存知福岡県は志賀島で発見された あの「漢委奴国王」金印の漢がこの時代。
時代の要請だったのか、科学技術の進歩というか、紙というものを開発したという。

それまでは 物を書くって言ったって、木や竹を一定の大きさに切って束ねたものに書き付ける木簡や
竹簡、又は絹布を使用していた。 かさばるワ、重いワ、持ち運びには不向きだワ … で、そのうちには
朽果てるし、絹は絹で非常に高価。 とてもとても 大量に書写材として使うのは不向き。
記録が仕事の役人にとっては実に不合理だった。 孔子様の教えを書き付けて置かないと忘れてしまうし、
文化を担う坊様だって お経の一つも したためなきゃぁならない。

そこで、蔡倫という有能な官吏が御指名に与った。   『 かみぃ つくれぇ〜 !』
樹皮や、麻などの植物繊維を原料として それまでの製法技術を改良したのが「蔡侯紙」と呼ばれる紙。
切り刻んだ樹皮などを水で洗い、草木を燃した、灰でぼろを煮たりして、石臼で砕き、陶土や滑石粉などを
混ぜて水の中に入れ簀の上で漉いたそうだ。

雪のちらつく冷たい朝、水の中の入れ簀を前後にゆする名人。
繊細な紙漉き職人の工房の一角には蔡倫を祭り、精進潔斎して仕事に臨む職人の姿がある。
                                             これはあくまでも我国の和紙製作の話だか゛…  


なんたって 蔡倫は紙の神様。
紙は木と水を繋ぐ神聖なもので、中国でも仕事前に香を焚いて祈る姿が ヒストリーチャンネル
『絹の道、紙の道−文明の礎二千年− MBC+MEDIA製作  』で画面に映し出していた。
軽く小さくなる紙は文化の伝達速度を格段に上げていった。
後漢代のみならず全ての時代と、すべての地域に多大な影響を与える2000年に及ぶ紙の旅路だ。
製紙の技術は大陸から、アジア諸国へ 言葉や仏教、儒教を広める原動力になったし、
西方への文化の橋渡しを担った。 そして、電子化がいくら進もうとも、今の私たちは享受している。


有難くも、障子に指でそっと穴をあけたり出来るのは紙なればこそ。
                                       化学繊維を漉きこんだもので穴はあかねぇ…



かみの神様


古代エジプトではパピルス(カヤツリグサ科)からパピルス紙を作って文字を書いており、輸出品としても重要だった。しかし、政治的な事情からペルガモン王国への輸出を禁じたため、ペルガモンでは動物の皮から作る羊皮紙が発展、やがてパピルスの衰退を招き、ヨーロッパは羊皮紙が主流に。 ヨーロッパで紙が製造されるようになったのは12〜3世紀からで、イタリアが中心となった。

中国からイスラム圏に紙が伝来するのは8世紀になってからで、それによりパピルスの製造や使用が完全に衰退。
近年ではエジプト土産のひとつとして製造されている。このパピルスは鵞毛庵がお世話になっている日本橋の小津和紙の玄関の鉢植え。


                         かみの神様

画像は現代のパピルスに鵞毛庵がブルトン語の歌をケルト文字で書いてみた作品。その詳細はいつかどこかで....

                                
投稿日 2011年08月01日 12:09:14
最終更新日 2011年08月01日 12:11:29
修正