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<title>能楽さんぽ</title>
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<description>能をより親しんで頂くため、「さんぽ」をご一緒に。</description>
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<title>春をまつ</title>
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<description>何だこれは…つんつんと細い針のような葉が　踏みつけられても致し方ないように、ちょこんと顔をだしている。どうも　これは昨秋に植えたものらしい。　いつ植えた……　三余堂は植えてはいない。念のため。春先の庭で　小さく土の上に花を咲かせるための球根が葉を出したのか。　とにかく草の間から細い葉が出て　花芽をつつんでいるというわけだ。あぁ〜　クロッカスだな。足元に見つけた　!!$photo1!!クロッカスは秋植えの球根で、子供の頃は　ヒヤシンスとならべて　水栽培をしたものである。水栽培用の透明な鉢で、根が伸びていく様を見ながらも　花が枯れるまで　ことさら世話をした記憶もない。直径4cmくらいの球茎で、小さな玉葱だと言われれば、これまた　そんなものか…　と皮を剥きたくなる。葉は細長く、花の終わった後も長く、ながく、見苦しく、伸びていたのを思い出す。地中海沿岸から小アジアが原産地だというが、今年の雪に埋もれてもしっかりと芽を出している。もっとも　アルプスの山の麓一面に　野生のクロッカスの花が咲いている写真を見たことがある。要は　ほっておいても、寒くても、時期が来れば春を報せるということなのだろう。地上すれすれのところに咲くと思われるこの庭の花は　何色だろうか。黄色か白か、あるいは薄紫か。  長く赤いめしべのサフラン!!$photo2!!薄紫といえば　似たような花にサフランがある。以前、クロッカスだ、と思いながら　スパイスの本に見つけた。日本へは江戸時代に薬として伝わった。生薬として、鎮静、鎮痛のために使われるという。国内での栽培は、明治になってからで、今では大分県の竹田市の名産だ。小さな花のめしべをひとつ、ひとつ、手で摘み取る作業をしている。１キロのめしべを収穫するためには数万個の球根がいるというから　まことに気の遠くなる話。竹田産のサフランは、有効成分が国外産の数倍もあり、品質の高さは海外でも有名だとか。独特の香りの長く赤いめしべは、水に溶かすと鮮やかな黄色になる。料理のブイヤベースやのパエリアなどでみる、あの色だ。紀元前からヨーロッパでは、めしべが香料や染料として利用されていたというし、古代ギリシアではその黄色がロイヤルカラーとされた時代もあるそうだ。そんな　サフランは秋に咲く。クロッカスは早春に咲く。春サフランとも云うそうである。が、観賞専用。スパイスのサフランとは全くの別物。似て非なるものは何事もご用心、これも念のため。</description>
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<![CDATA[ 
<font style="font-size:14px;">何だこれは…<br />
つんつんと細い針のような葉が　踏みつけられても致し方ないように、ちょこんと顔をだしている。<br />
どうも　これは昨秋に植えたものらしい。　いつ植えた……　三余堂は植えてはいない。念のため。<br />
春先の庭で　小さく土の上に花を咲かせるための球根が葉を出したのか。　<br />
とにかく草の間から細い葉が出て　花芽をつつんでいるというわけだ。<br />
あぁ〜　クロッカスだな。</font><br />
<br />
<b><font style="font-size:11px;">足元に見つけた　</font></b><a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/179-1.jpg" target="_blank"><img src="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/179-1.jpg" border="0" alt="春をまつ"  width = "360" /></a><br />
<br />
<br />
<font style="font-size:14px;">クロッカスは秋植えの球根で、子供の頃は　ヒヤシンスとならべて　水栽培をしたものである。<br />
水栽培用の透明な鉢で、根が伸びていく様を見ながらも　花が枯れるまで　ことさら世話をした<br />
記憶もない。<br />
直径4cmくらいの球茎で、小さな玉葱だと言われれば、これまた　そんなものか…　と皮を剥きたくなる。<br />
葉は細長く、花の終わった後も長く、ながく、見苦しく、伸びていたのを思い出す。<br />
<br />
地中海沿岸から小アジアが原産地だというが、今年の雪に埋もれてもしっかりと芽を出している。<br />
もっとも　アルプスの山の麓一面に　野生のクロッカスの花が咲いている写真を見たことがある。<br />
要は　ほっておいても、寒くても、時期が来れば春を報せるということなのだろう。<br />
地上すれすれのところに咲くと思われるこの庭の花は　何色だろうか。黄色か白か、あるいは薄紫か。</font><br />
<br />
  <br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<b><font style="font-size:11px;">長く赤いめしべのサフラン</font></b><a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/179-2.jpg" target="_blank"><img src="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/179-2.jpg" border="0" alt="春をまつ"  width = "360" /></a><br />
<br />
<br />
<font style="font-size:14px;">薄紫といえば　似たような花にサフランがある。<br />
以前、クロッカスだ、と思いながら　スパイスの本に見つけた。<br />
日本へは江戸時代に薬として伝わった。生薬として、鎮静、鎮痛のために使われるという。<br />
国内での栽培は、明治になってからで、今では大分県の竹田市の名産だ。<br />
小さな花のめしべをひとつ、ひとつ、手で摘み取る作業をしている。<br />
１キロのめしべを収穫するためには数万個の球根がいるというから　まことに気の遠くなる話。<br />
竹田産のサフランは、有効成分が国外産の数倍もあり、品質の高さは海外でも有名だとか。<br />
独特の香りの長く赤いめしべは、水に溶かすと鮮やかな黄色になる。<br />
料理のブイヤベースやのパエリアなどでみる、あの色だ。<br />
紀元前からヨーロッパでは、めしべが香料や染料として利用されていたというし、<br />
古代ギリシアではその黄色がロイヤルカラーとされた時代もあるそうだ。<br />
そんな　サフランは秋に咲く。<br />
<br />
クロッカスは早春に咲く。春サフランとも云うそうである。が、観賞専用。<br />
スパイスのサフランとは全くの別物。<br />
似て非なるものは何事もご用心、これも念のため。</font><br />
<br />
<br />

]]>
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<dc:subject>案内望遠鏡</dc:subject>
<dc:creator>nogakusanpo</dc:creator> 
<dc:date>2010-03-01T01:31:24+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/178.html">
<title>春はまだまだ</title>
<link>http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/178.html</link>
<description>　　　寒明け、立春あたりからものすごく寒くなり、東京でも雪が降り積もったりして、そう簡単に春はまだまだやってきません。でも、日脚も伸びてきたし、鳥の声も少しだけ軽やかになってきたような。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　!!$photo1!!　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　能「老　松」より　　梅の花笠春も来て縫ふてふ鳥の梢かな La Plume d’Oie &amp;copy; 鵞毛庵 200７&amp;Ocirc; fleurs de prunier,coiffure que porte &amp;agrave; sa venue le printemps,Et que l’oiseau, dit-on, tresse &amp;agrave; travers les branches画像はクリックすると大きくなります。　　この書体、ちょっと見慣れないものだと思います。能楽さんぽの記事でも以前にご紹介したメロヴィンガ朝(481〜751年)の頃の書体です。小文字しかない書体で、一文字づつ一応決まった形はあるものの、単語や文章になると崩されて繋がって文字が変化してしまうという厄介な書体です。現存する写本がとても少ないのですが、とても有名なのはフランスのLuxeuilリュクソイユの写本というのがあり、それがこの書体のモデルになっています。!!$photo2!!　　7世紀末のリュクソイユの修道院の写本の部分（パリ国立図書館蔵）リュクソイユの修道院は4世紀にアイルランドの僧侶聖コロンバンによって創立</description>
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<![CDATA[ 
<font style="font-size:14px;">　　　寒明け、立春あたりからものすごく寒くなり、東京でも雪が降り積もったりして、そう簡単に春はまだまだやってきません。でも、日脚も伸びてきたし、鳥の声も少しだけ軽やかになってきたような。</font><br />
<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/178-1.jpg" target="_blank"><img src="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/178-1.jpg" border="0" alt="春はまだまだ"  height = "240" /></a><br />
<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　能「老　松」より　　梅の花笠春も来て縫ふてふ鳥の梢かな<br />
 La Plume d’Oie &copy; 鵞毛庵 200７<br />
&Ocirc; fleurs de prunier,coiffure que porte &agrave; sa venue le printemps,<br />
Et que l’oiseau, dit-on, tresse &agrave; travers les branches<br />
<br />
画像はクリックすると大きくなります。<br />
<br />
<font style="font-size:14px;">　　この書体、ちょっと見慣れないものだと思います<font style="font-size:12px;">。<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/69.html" target="_blank"><font style="font-size:12px;">能楽さんぽの記事</font></a></font>でも以前にご紹介したメロヴィンガ朝(481〜751年)の頃の書体です。小文字しかない書体で、一文字づつ一応決まった形はあるものの、単語や文章になると崩されて繋がって文字が変化してしまうという厄介な書体です。現存する写本がとても少ないのですが、とても有名なのはフランスのLuxeuilリュクソイユの写本というのがあり、それがこの書体のモデルになっています。</font><br />
<br />
<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/178-2.jpg" target="_blank"><img src="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/178-2.jpg" border="0" alt="春はまだまだ"  width = "360" /></a>　　<br />
7世紀末のリュクソイユの修道院の写本の部分（パリ国立図書館蔵）<br />
リュクソイユの修道院は4世紀にアイルランドの僧侶聖コロンバンによって創立<br />

]]>
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<dc:subject>鵞毛庵能の花シリーズ</dc:subject>
<dc:creator>nogakusanpo</dc:creator> 
<dc:date>2010-02-20T01:00:00+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/177.html">
<title>足袋のあーかいぶず</title>
<link>http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/177.html</link>
<description>なにげなく　能楽さんぽを遡ってみた。2008年2月の案内望遠鏡、三余堂月次は続けて足袋の話をしている。装束を付ける時、初めに着け、最後に脱ぐのが足袋である。舞台で使用する足袋は　神田駿河台の店で誂る。足にしっくりと沿った足袋の提供あってこその舞台。どちらも違わず高齢化が物作りに押し寄せて　老舗の足袋店も呑込もうとしている。と、記した足袋屋は 一年後の2009年3月に店を閉じた。そして、また一年。 2010年2月。多くの玄人は　手持ちの物を大事に使い廻し、取って代わる店を探し回りと、情報交換をしながら　長い先々に対応しようと奮戦している。閉めた店は　狂言方の使用する狂言足袋を一手引き受けで調達していたので玄人はもとより、同好の士にとっても苦労の種となった。今後足に沿い、舞台を支える足袋を提供する気に入った店が出てくるだろうか。三余堂の葛籠(2006/12 三余堂月次)は　子供のころから使い慣れた伊勢屋足袋店の足袋のアーカイブズでもある。今、足袋屋のおばさんの笑顔も　新品の足袋と共に仕舞われている。アーカイブズとは、公記録保管所。三余堂月次も遡ると結構記録の保管所になってきた。　</description>
<content:encoded>
<![CDATA[ 
<font style="font-size:14px;"><font style="color:#3300FF; "><font style="font-size:14px;">なにげなく　能楽さんぽを遡ってみた。<br />
2008年2月の案内望遠鏡、三余堂月次は続けて<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/index.php?y=2008&m=02&datefile=200802" target="_blank">足袋の話</a>をしている。</font><br />
</font><br />
<b><font style="font-size:12px;">装束を付ける時、初めに着け、最後に脱ぐのが足袋である。<br />
舞台で使用する足袋は　神田駿河台の店で誂る。足にしっくりと沿った足袋の提供あってこその舞台。<br />
どちらも違わず高齢化が物作りに押し寄せて　老舗の足袋店も呑込もうとしている。</font></b><br />
<br />
<br />
<font style="color:#3300FF; "><font style="font-size:14px;">と、記した足袋屋は 一年後の2009年3月に店を閉じた。<br />
そして、また一年。 2010年2月。<br />
多くの玄人は　手持ちの物を大事に使い廻し、取って代わる店を探し回りと、情報交換をしながら　<br />
長い先々に対応しようと奮戦している。<br />
閉めた店は　狂言方の使用する狂言足袋を一手引き受けで調達していたので<br />
玄人はもとより、同好の士にとっても苦労の種となった。<br />
今後足に沿い、舞台を支える足袋を提供する気に入った店が出てくるだろうか。<br />
<br />
三余堂の葛籠(<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/index.php?y=2006&m=12&datefile=200612" target="_blank">2006/12 三余堂月次</a>)は　子供のころから使い慣れた<br />
伊勢屋足袋店の足袋のアーカイブズでもある。<br />
今、足袋屋のおばさんの笑顔も　新品の足袋と共に仕舞われている。<br />
<br />
アーカイブズとは、公記録保管所。<br />
三余堂月次も遡ると結構記録の保管所になってきた。</font><br />
　</font></font><br />

]]>
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<dc:subject>三余堂月次</dc:subject>
<dc:creator>nogakusanpo</dc:creator> 
<dc:date>2010-02-12T00:31:44+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/176.html">
<title>ほんに今夜は節分か</title>
<link>http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/176.html</link>
<description>月も朧に白魚の　篝（かがり）もかすむ　春の空冷てえ風にほろ酔いの　心持ちよく　うかうかと浮かれ烏（がらす）のただ一羽　　ねぐらへ帰る川端で竿の雫か濡れ手で粟　思いがけなく　手にいる百両 　　　　　　　　　　　　(呼び声がする)　　おん厄払いましょう、厄おとし ！　ほんに　今夜は　節分か　西の海より川の中 落ちた夜鷹は厄落とし　豆だくさんに一文の 銭と違って金包み　こいつぁ　春からっ　　縁起が　　いいわえ 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　三人吉三廓初買（さんにんきちさ くるわの はつかい）　　通称三人吉三巴白浪　若く美しい女装の泥棒、ご存知　お嬢吉三（おじょうきちざ）が、夜鷹を殺して百両奪った後の名文句。「厄払い」と呼ばれるお嬢吉三のセリフである。江戸の節分の様を語っている。その頃の江戸の湾の沖では、舟を浮かべて、篝火を焚き白魚を集めて漁をしていた。ひとつの風物詩だったろう。節分は　季節を分ける　ということで、春夏秋冬　のすべてにある。今では春だけを節分と呼ぶようになったが、大晦日という意味合いもあり、鬼やらいの行事として豆まきが現在にも伝わっている。そもそもは宮中での行事　儺（ついな）で、炒った豆で鬼をはらう風習があったそうだ。狂言には　まさに節分という曲がある。節分の夜に、独りで留守番をしていた妻のところへ、蓬莱の島から鬼が来て妻の気を引こうと、歌ったり、踊ったりと、悪戦苦闘。がしかし、妻は鬼から隠れ蓑や隠れ傘を巻き上げて、終いには「福は内へ！鬼は外へ！」と豆をぶつけて鬼を退散させるという話しである。江戸時代、庶民に採り入れられたその行事は、当日の夕暮れ、柊の枝に鰯の頭を刺したものを戸口に立てたり、寺社で豆撒きをしたりするようになったという。季節の変わり目には邪気、邪鬼が生じると考えられ、それを払ったのだ。!!$photo1!! 鬼の準備も怠りなくさて、芝居の場面は節分の夜、満月に近い月の夜の大川端。今の暦なら２月下旬か、海は霞が立ち春を少しばかり感じて、冬から春への何とも言えない微妙な陽気が伝わってくる。その頃は、年の数の豆と一緒に一銭、または十二銭を紙や古い褌に包んで、家の外に捨てたそうだ。これを拾い歩きながら　「おん厄払いましょう」と言いつつ、厄払いの文章を言う人がいたという。その声が聞こえたら豆と一文銭を外に投げたらしい。で、　ほんに　今夜は…　というセリフになる訳だ。厄も夜鷹も西の果てに流して　拾った豆が百両なら　こいつぁ…　春から　！ということである。葛飾北斎は北斎漫画や北斎画譜に江戸時代の節分の様を描いている。これには　追われる赤鬼、青鬼の反対側に、「福は内」の方も描かれていて、恵比寿と大黒の神様が奥座敷で鯛をさかなに　ちくと一杯。なかなか豪勢なものである。今年は２月３日が節分。せいぜい　大声で鬼は外！　というより、三余堂、　福は内で鰯を肴にちくと一杯か。煎り豆のつまみも　なかなか　おつで!!$photo2!!</description>
<content:encoded>
<![CDATA[ 
<font style="font-size:14px;"><b>月も朧に白魚の　篝（かがり）もかすむ　春の空<br />
冷てえ風にほろ酔いの　心持ちよく　うかうかと<br />
浮かれ烏（がらす）のただ一羽　　ねぐらへ帰る川端で<br />
竿の雫か濡れ手で粟　思いがけなく　手にいる百両 <br />
　　　　　　　　　　　　<font style="color:#CC0000; font-size:12px;">(呼び声がする)　　<font style="font-size:14px;">おん厄払いましょう、厄おとし ！　</font></font><br />
<br />
ほんに　今夜は　節分か　<br />
西の海より川の中 落ちた夜鷹は厄落とし　<br />
豆だくさんに一文の 銭と違って金包み　<br />
こいつぁ　春からっ　　縁起が　　いいわえ <br />
<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<font style="font-size:11px;">三人吉三廓初買（さんにんきちさ くるわの はつかい）　　通称三人吉三巴白浪</font>　</b></font><br />
<br />
<br />
<font style="font-size:14px;">若く美しい女装の泥棒、ご存知　お嬢吉三（おじょうきちざ）が、夜鷹を殺して百両奪った後の名文句。<br />
「厄払い」と呼ばれるお嬢吉三のセリフである。江戸の節分の様を語っている。<br />
その頃の江戸の湾の沖では、舟を浮かべて、篝火を焚き白魚を集めて漁をしていた。<br />
ひとつの風物詩だったろう。<br />
<br />
節分は　季節を分ける　ということで、春夏秋冬　のすべてにある。<br />
今では春だけを節分と呼ぶようになったが、大晦日という意味合いもあり、<br />
鬼やらいの行事として豆まきが現在にも伝わっている。<br />
そもそもは宮中での行事　儺（ついな）で、炒った豆で鬼をはらう風習があったそうだ。<br />
<br />
狂言には　まさに節分という曲がある。<br />
節分の夜に、独りで留守番をしていた妻のところへ、蓬莱の島から鬼が来て<br />
妻の気を引こうと、歌ったり、踊ったりと、悪戦苦闘。<br />
がしかし、妻は鬼から隠れ蓑や隠れ傘を巻き上げて、終いには<br />
「福は内へ！鬼は外へ！」と豆をぶつけて鬼を退散させるという話しである。<br />
<br />
江戸時代、庶民に採り入れられたその行事は、当日の夕暮れ、柊の枝に鰯の頭を刺したものを<br />
戸口に立てたり、寺社で豆撒きをしたりするようになったという。<br />
季節の変わり目には邪気、邪鬼が生じると考えられ、それを払ったのだ。<br />
<br />
<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/176-1.jpg" target="_blank"><img src="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/176-1.jpg" border="0" alt="ほんに今夜は節分か"  width = "360" /></a> <b><font style="font-size:11px;">鬼の準備も怠りなく</font></b><br />
<br />
<br />
さて、芝居の場面は節分の夜、満月に近い月の夜の大川端。<br />
今の暦なら２月下旬か、海は霞が立ち春を少しばかり感じて、<br />
冬から春への何とも言えない微妙な陽気が伝わってくる。<br />
その頃は、年の数の豆と一緒に一銭、または十二銭を紙や古い褌に包んで、家の外に捨てたそうだ。<br />
これを拾い歩きながら　「おん厄払いましょう」と言いつつ、厄払いの文章を言う人がいたという。<br />
その声が聞こえたら豆と一文銭を外に投げたらしい。<br />
で、　ほんに　今夜は…　というセリフになる訳だ。<br />
厄も夜鷹も西の果てに流して　拾った豆が百両なら　こいつぁ…　春から　！<br />
ということである。<br />
<br />
葛飾北斎は北斎漫画や<a href="http://www.hum.pref.yamaguchi.lg.jp/ehon/E01/U0014918.jpg" target="_blank">北斎画譜</a>に江戸時代の節分の様を描いている。<br />
これには　追われる赤鬼、青鬼の反対側に、「福は内」の方も描かれていて、恵比寿と大黒の神様が<br />
奥座敷で鯛をさかなに　ちくと一杯。なかなか豪勢なものである。<br />
今年は２月３日が節分。せいぜい　大声で鬼は外！　というより、<br />
三余堂、　福は内で鰯を肴にちくと一杯か。<br />
<br />
<br />
<br />
<b><font style="font-size:11px;">煎り豆のつまみも　なかなか　おつで</font></b><a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/176-2.jpg" target="_blank"><img src="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/176-2.jpg" border="0" alt="ほんに今夜は節分か"  width = "360" /></a></font><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />

]]>
</content:encoded>
<dc:subject>案内望遠鏡</dc:subject>
<dc:creator>nogakusanpo</dc:creator> 
<dc:date>2010-02-01T00:21:52+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/175.html">
<title>光</title>
<link>http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/175.html</link>
<description>  　　毎年恒例になっている御題に添ってのお書初め、今年は「光」です。                                                                                            画像をクリックすると拡大されます。 !!$photo1!!                                     Il n’y a pas de lumi&amp;egrave;re sans ombre. Louis ARAGONLa plume d’oie&amp;copy; 鵞毛庵 2010  　　「影なき光はない」。フランスの小説家ルイ･アラゴンの言葉です。確かに、光と影は表裏一体。光が当たっている裏側には必ず影があり、まるで影に支えられているようです。   　　ヨーロッパの写本の装飾の技術では、単なる光と影以外に、もうひとつ、光の当たっている影というのがあります。光を直接浴びていず、かといって完全には陰になっていない箇所のことです。写本装飾の技法では、まず下地になる色をべた塗りして、次に影を重ねて塗り、さらに光の当たっている影、光と順番に重ねていきます。この三拍子揃わないと描くものが立体化されないのです。!!$photo2!!    スペイン　1398年〜1405年頃　カタロニアの写本から  　　画像の写本のアカンサスの葉模様の青や赤をご覧下さい。影になっているところが一番濃く、お次は少し薄め、そして光が一番当たっているところを白でくっきり描いて立体感を出しています。影がなければこの立体感は成立しません。まさに影なき光はない世界なのです。　　能の面の表情が　演者のしぐさひとつで変わるのも、この光と影のなせるわざ。</description>
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<![CDATA[ 
  <font style="font-size:14px;">　　毎年恒例になっている御題に添ってのお書初め、今年は「光」です。</font><br />
<br />
                                   <br />
                                                         画像をクリックすると拡大されます。 <a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/175-1.jpg" target="_blank"><img src="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/175-1.jpg" border="0" alt="光"  height = "240" /></a><br />
<br />
                                     Il n’y a pas de lumi&egrave;re sans ombre. Louis ARAGON<br />
La plume d’oie&copy; 鵞毛庵 2010<br />
<br />
 <font style="font-size:14px;"> 　　「影なき光はない」。フランスの小説家ルイ･アラゴンの言葉です。確かに、光と影は表裏一体。光が当たっている裏側には必ず影があり、まるで影に支えられているようです。<br />
 <br />
  　　ヨーロッパの写本の装飾の技術では、単なる光と影以外に、もうひとつ、光の当たっている影というのがあります。光を直接浴びていず、かといって完全には陰になっていない箇所のことです。写本装飾の技法では、まず下地になる色をべた塗りして、次に影を重ねて塗り、さらに光の当たっている影、光と順番に重ねていきます。この三拍子揃わないと描くものが立体化されないのです。</font><br />
<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/175-2.jpg" target="_blank"><img src="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/175-2.jpg" border="0" alt="光"  width = "360" /></a>    <br />
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スペイン　1398年〜1405年頃　カタロニアの写本から<br />
<br />
  <font style="font-size:14px;">　　画像の写本のアカンサスの葉模様の青や赤をご覧下さい。影になっているところが一番濃く、お次は少し薄め、そして光が一番当たっているところを白でくっきり描いて立体感を出しています。<br />
影がなければこの立体感は成立しません。<br />
<br />
まさに影なき光はない世界なのです。</font><br />
<br />
<font style="font-size:14px;">　　能の面の表情が　演者のしぐさひとつで変わるのも、この光と影のなせるわざ。</font><br />

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</content:encoded>
<dc:subject>鵞毛庵能の花シリーズ</dc:subject>
<dc:creator>nogakusanpo</dc:creator> 
<dc:date>2010-01-20T12:00:15+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/174.html">
<title>写本発見</title>
<link>http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/174.html</link>
<description>昨年の10月案内望遠鏡で触れた世阿弥の能楽論集は、発見から100年！という内容であった。年明けの読売新聞紙上に　『世阿弥の能楽論　写本一部を発見』　と記事。「却来華　(きゃくらいか)」　の写本の一部が　観世流宗家の倉庫にて発見されたという。一部ではあるが　現存の唯一の写本ということだ。　完全な写本は関東大震災で焼失した、と既述の案内望遠鏡 《時雨月の御案内を》で書いた。世阿弥の著作は洒落た標題で、風姿花伝、花鏡、拾玉得花、夢跡一紙、等々。「却来華」　は世阿弥晩年の著作であるが、これもしかり。能　歌占(うたうら)に　「また蘇命路に却来して」とある。蘇命路は、甦る命の路だと主役であるシテの渡会の某が　ツレの里人に説明するが、梵語でいう須弥山(しゅみせん)の蘇迷盧(そめいろ)　と掛けている。却来とは或る境地に達した後に又、元の境地に立ち返ることをいう。却来の華と表された能楽論の写本は　1509年から1583年に生きた観世宗節が作った書類集の中に見つかった。　世阿息男元雅云々〜と書かれているのが読み取れる。!!$photo1!!  2010.01.05. 読売新聞夕刊世阿弥は子の元雅を若くして亡くしたことが著述の動機と記している。「観世宗節は戦国時代の不安定な状況下で、自らの道しるべとして世阿弥の写本を自筆で残したのだろう」と、発見者の松岡心平東大教授は話しているという。観世宗家は伝わる文書、資料などをデジタル画像化してインターネット上に公開すべく作業をしている。昨秋、東大教養学部60周年記念　−観世家のアーカイブ展−として世阿弥の直筆本なども公開した。　却来華の記事が出た週末に　一遍上人の作ったとされる「踊念仏和讃」が記された写本が見つかったと　やはり読売新聞に出た。観世宗節の写本と同じ時代の写本になろう。やはり、大阪の真言宗御室派大本山金剛寺の総合調査で発見されたらしい。踊念仏は江戸初期に、出雲の阿国が京へ出て大いに流行らせた。阿国歌舞伎である。2010.01.09. 読売新聞夕刊   !!$photo2!!それぞれの　一連の研究作業はまだまだ数百年の時を解明し続けていく。</description>
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<![CDATA[ 
<font style="font-size:14px;">昨年の<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/index.php?y=2009&m=10&datefile=200910" target="_blank">10月案内望遠鏡</a>で触れた世阿弥の能楽論集は、発見から100年！という内容であった。<br />
年明けの読売新聞紙上に　『世阿弥の能楽論　写本一部を発見』　と記事。<br />
「却来華　(きゃくらいか)」　の写本の一部が　観世流宗家の倉庫にて発見されたという。<br />
一部ではあるが　現存の唯一の写本ということだ。　<br />
完全な写本は関東大震災で焼失した、と既述の案内望遠鏡 《時雨月の御案内を》で書いた。<br />
<br />
世阿弥の著作は洒落た標題で、風姿花伝、花鏡、拾玉得花、夢跡一紙、等々。<br />
「却来華」　は世阿弥晩年の著作であるが、これもしかり。<br />
能　歌占(うたうら)に　「また蘇命路に却来して」とある。<br />
蘇命路は、甦る命の路だと主役であるシテの渡会の某が　ツレの里人に説明するが、<br />
梵語でいう須弥山(しゅみせん)の蘇迷盧(そめいろ)　と掛けている。<br />
却来とは或る境地に達した後に又、元の境地に立ち返ることをいう。<br />
却来の華と表された能楽論の写本は　1509年から1583年に生きた観世宗節が作った書類集の<br />
中に見つかった。　世阿息男元雅云々〜と書かれているのが読み取れる。</font><br />
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<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/174-1.jpg" target="_blank"><img src="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/174-1.jpg" border="0" alt="写本発見"  width = "360" /></a>  <b><font style="font-size:11px;">2010.01.05. 読売新聞夕刊</font></b><br />
<br />
<font style="font-size:14px;">世阿弥は子の元雅を若くして亡くしたことが著述の動機と記している。<br />
<br />
「観世宗節は戦国時代の不安定な状況下で、自らの道しるべとして世阿弥の写本を<br />
自筆で残したのだろう」と、発見者の松岡心平東大教授は話しているという。<br />
観世宗家は伝わる文書、資料などをデジタル画像化してインターネット上に公開すべく作業を<br />
している。昨秋、東大教養学部60周年記念　−観世家のアーカイブ展−として<br />
世阿弥の直筆本なども公開した。　<br />
却来華の記事が出た週末に　一遍上人の作ったとされる「踊念仏和讃」が記された写本が<br />
見つかったと　やはり読売新聞に出た。<br />
観世宗節の写本と同じ時代の写本になろう。<br />
やはり、大阪の真言宗御室派大本山金剛寺の総合調査で発見されたらしい。<br />
踊念仏は江戸初期に、出雲の阿国が京へ出て大いに流行らせた。阿国歌舞伎である。</font><br />
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<b><font style="font-size:11px;">2010.01.09. 読売新聞夕刊 </font></b>  <a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/174-2.jpg" target="_blank"><img src="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/174-2.jpg" border="0" alt="写本発見"  width = "360" /></a><br />
<br />
<font style="font-size:14px;">それぞれの　一連の研究作業はまだまだ数百年の時を解明し続けていく。</font><br />
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<dc:subject>三余堂月次</dc:subject>
<dc:creator>nogakusanpo</dc:creator> 
<dc:date>2010-01-12T01:06:43+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/173.html">
<title>年の初めの御挨拶</title>
<link>http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/173.html</link>
<description>恭頌新禧!!$photo1!!大晦日の夕方からの強い風がすっかり収まった年越しの空は　煌煌と輝く月、堂々と構えたオリオンの星々が美しく辺りを照らす。近隣の八幡宮への参拝者を整理する係の人の声で　年の明けたことを知る。一寸　偵察に出て　八幡様の明かりを確認　　　!!$photo2!!たいして大声でもないのに　青梅街道を挟んで、　家々の屋根を越えて聞こえてくるのは、空気が冷たく澄んでいるのだ。　三余堂前を　初詣に向かう人の声が響く。吐く息は白い。手にした破魔矢の鈴の音は参詣帰りを告げ　いよいよ　平成22年の始動である。身の引き締まる空気の中で　玄関の正月飾りを見上げた。ぅおぉ〜っ　　さぶぅっ！　迎えた年のお詣りは日が高くなってから…　寅の絵馬選びも　おてんとうさまの下でしっかりと見定めんとしよう！　　　　　　　　　　　庚寅の歳 相変わりませず　よろしく御付合いの程を願い上げます。　　三余堂</description>
<content:encoded>
<![CDATA[ 
<font style=" font-size:36px;"><font style="color:#990000; "><font style="color:#990000; font-size:36px;">恭頌新禧</font></font></font><br />
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<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/173-1.jpg" target="_blank"><img src="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/173-1.jpg" border="0" alt="年の初めの御挨拶"  height = "240" /></a><br />
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<font style="color:#006600; font-size:14px;">大晦日の夕方からの強い風がすっかり収まった年越しの空は　煌煌と輝く月、堂々と構えた<br />
オリオンの星々が美しく辺りを照らす。<br />
近隣の八幡宮への参拝者を整理する係の人の声で　年の明けたことを知る。<br />
<br />
<br />
<b><font style="font-size:11px;">一寸　偵察に出て　八幡様の明かりを確認</font></b>　　　<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/173-2.jpg" target="_blank"><img src="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/173-2.jpg" border="0" alt="年の初めの御挨拶"  width = "360" /></a><br />
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たいして大声でもないのに　青梅街道を挟んで、　家々の屋根を越えて聞こえてくるのは、<br />
空気が冷たく澄んでいるのだ。　<br />
三余堂前を　初詣に向かう人の声が響く。吐く息は白い。<br />
手にした破魔矢の鈴の音は参詣帰りを告げ　いよいよ　平成22年の始動である。<br />
<br />
身の引き締まる空気の中で　玄関の正月飾りを見上げた。<br />
ぅおぉ〜っ　　さぶぅっ！　迎えた年のお詣りは日が高くなってから…　<br />
寅の絵馬選びも　おてんとうさまの下でしっかりと見定めんとしよう！<br />
　　　　　　　　　　　庚寅の歳 相変わりませず　よろしく御付合いの程を願い上げます。　　三余堂<br />
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<dc:subject>案内望遠鏡</dc:subject>
<dc:creator>nogakusanpo</dc:creator> 
<dc:date>2010-01-01T03:42:13+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/172.html">
<title>羽ペン</title>
<link>http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/172.html</link>
<description>　　　NHKの教育テレビで、今、久々に人形劇をやっています。アレクサンドル・デュマ原作の「三銃士」。これはダルタニアンという若者が田舎からパリに出てきて、フランス国王の銃士隊に加わり、さまざまな体験をして成長していく物語で、実は3部作からなり、「三銃士」はその一部目にあたります。最初は若者として登場するダルタニアンも、三銃士たちも老齢に達するまで長く話は続きます。もともと新聞小説としてスタートした長編時代劇です。何度も映画化されているし、日本ではアニメもありました。　　　主人公のダルタニアンも三銃士も実在の人物で、ちょっと調べものをしていたら、ダルタニアン直筆の書を見つけました。1672年のものです。!!$photo1!!　　　物語の中でも、密書やら手紙やらいろいろ登場しますが、当時は羊皮紙に羽ペンで書いていて、インクは9月に庵主がワークショップを行った</description>
<content:encoded>
<![CDATA[ 
　<font style="font-size:14px;">　　NHKの教育テレビで、今、久々に人形劇をやっています。アレクサンドル・デュマ原作の「三銃士」。これはダルタニアンという若者が田舎からパリに出てきて、フランス国王の銃士隊に加わり、さまざまな体験をして成長していく物語で、実は3部作からなり、「三銃士」はその一部目にあたります。最初は若者として登場するダルタニアンも、三銃士たちも老齢に達するまで長く話は続きます。もともと新聞小説としてスタートした長編時代劇です。何度も映画化されているし、日本ではアニメもありました。<br />
<br />
　　　主人公のダルタニアンも三銃士も実在の人物で、ちょっと調べものをしていたら、ダルタニアン直筆の書を見つけました。1672年のものです。</font><br />
<br />
<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/172-1.jpg" target="_blank"><img src="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/172-1.jpg" border="0" alt="羽ペン"  width = "360" /></a><br />
<br />
　<font style="font-size:14px;">　　物語の中でも、密書やら手紙やらいろいろ登場しますが、当時は羊皮紙に羽ペンで書いていて、インクは9月に庵主がワークショップを行った</font＞<font style="font-size:12px;"><a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/161.html" target="_blank"><font style="font-size:12px;">酸化鉄インク</font></a></font></a><font style="font-size:14px;">です。</font><br />
　<font style="font-size:14px;">　　当時の一般的な筆記道具であった羽ペン、削り方は覚えてしまえばさほど大変ではありませんが、エンピツを小刀で削るのと同様、得手不得手があるはずだし、字を読み書きする人でも、削るの苦手！という人がいたとしてもちっともおかしくありません。そこで、もうひとつ発見。17世紀には羽ペン削り器なるものが存在していたのです。　何やら調節できるようになっていて、一発で羽の先がペン仕様にカットされるとか。どのような構造になっているのか、写真では詳細は定かではありませんが、なかなか興味深いものです。</font><br />
　<font style="font-size:12px;">パリにあるペンの博物館所蔵　</font>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<br />
　　　<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/172-2.jpg" target="_blank"><img src="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/172-2.jpg" border="0" alt="羽ペン"  height = "240" /></a><br />
　　　　　　　　　<font style="font-size:12px;">拡大には画像をクリック</font><br />
<br />
　　<font style="font-size:14px;">　　羽ペンだと適度に柔らかく、細いラインの装飾のアラベスクなどが書き易く、メタルのカリグラフィーペンとは全く違った書き味です。</font><br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/172-3.jpg" target="_blank"><img src="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/172-3.jpg" border="0" alt="羽ペン"  height = "240" /></a><br />
<font style="font-size:12px;">La plume d’oie&copy; 鵞毛庵2007　能「半蔀」部分<br />
拡大には画像をクリック</font><br />
<br />
<font style="font-size:14px;">いよいよ2009年も余すところわずか。<br />
みなさま、今年も一年間ご愛読ありがとうございました。<br />
どうぞよいお年をお迎えください。</font><br />
<br />
<br />
<br />
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<br />

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</content:encoded>
<dc:subject>鵞毛庵能の花シリーズ</dc:subject>
<dc:creator>nogakusanpo</dc:creator> 
<dc:date>2009-12-20T12:48:12+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/171.html">
<title>じょろうぐも</title>
<link>http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/171.html</link>
<description>金木犀の香りが、あたりに充ち溢れていた十月の初め。　香りの主は何処かと　上方に目をやる。あちらにも、こちらにも、金木犀の枝を縫って立派な巣が掛かっていた。巨大な蜘蛛の巣。三余堂の庭木も見上げると　あった、あった。　今年の十月は　結構激しい天候で、風が強く吹き、暴風雨のような日もあった。にもかかわらず　立派な網を張ったのは女郎蜘蛛。クモ綱クモ目アシナガグモ科に属するクモだという。４、５センチもあるだろうか、美しい網の中央に手足の長い主はじっぃとしていた。こちらも　時に任せてじぃっと見る。天空に手足をいっぱいに広げる　まだむじょろう!!$photo1!!このメスに福岡伸一著(光文社新書)　「できそこないの男たち」でのアリマキを思う。　御一読！主は派手な黄色と緑青色の横しま模様の大きなメス。網を張り始めて十日も経った頃、２センチ程だろうか、色も褐色がかった黄色のオスがやってきた。命を繋ぐ使命を全うする !!$photo2!!餌食となった虫を挟んで　左が雄、右が雌の女郎蜘蛛  只今お食事中この時期は、交尾が行われる成熟期ということで、ことさら大きな巣が目に付いたのだろう。晴天、雨風の日をかいくぐりながら　建築、改築、増築と繰り返し枝と枝の少しづつ安定のいい場所へ移動して網を張る。　直径1m近くもの網は日の光に金色に輝いて見えた。その網は、縦糸が外に行くにつれて二又に枝分かれするように張られ、横糸の長さが中心近くでも、外側でも、それほど変わらない。どうも、横糸を張るときにぐるぐる回らず、往復運動で糸を張っているらしい。円形に近く作られた網の前後には、立体的な補助の網もつくられ、この半月の厳しい天候から館を支えていた。雨風の翌日　倒壊の危機かと覗くが、びくともしていない。!!$photo3!!　立体的に増改築された女郎蜘蛛の館金木犀の香りも、絨毯のように敷き詰められた花殻もすっかり遠のき、街路樹の銀杏の金色に目が奪われるようになった頃、　あの巣は如何に。今年も極月になった。寒暖の変化が激しかった霜月からの日々、雄蜘蛛はもちろん、雌の女郎蜘蛛もいなくなっていた。あの頑強につくられた館もない。　ただ　一筋の糸が山茶花の枝先から、向かいの軒先へ光っているだけである。</description>
<content:encoded>
<![CDATA[ 
<font style="font-size:14px;">金木犀の香りが、あたりに充ち溢れていた十月の初め。　<br />
香りの主は何処かと　上方に目をやる。<br />
あちらにも、こちらにも、金木犀の枝を縫って立派な巣が掛かっていた。巨大な蜘蛛の巣。<br />
<br />
<br />
三余堂の庭木も見上げると　あった、あった。　<br />
今年の十月は　結構激しい天候で、風が強く吹き、暴風雨のような日もあった。<br />
にもかかわらず　立派な網を張ったのは女郎蜘蛛。<br />
クモ綱クモ目アシナガグモ科に属するクモだという。<br />
４、５センチもあるだろうか、美しい網の中央に手足の長い主はじっぃとしていた。<br />
こちらも　時に任せてじぃっと見る。</font><br />
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<br />
<b><font style="font-size:11px;">天空に手足をいっぱいに広げる　まだむじょろう</font></b><br />
<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/171-1.jpg" target="_blank"><img src="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/171-1.jpg" border="0" alt="じょろうぐも"  width = "360" /></a><br />
<b><font style="font-size:11px;">このメスに福岡伸一著(光文社新書)　「できそこないの男たち」でのアリマキを思う。　御一読！</font></b><br />
<br />
<font style="font-size:14px;">主は派手な黄色と緑青色の横しま模様の大きなメス。<br />
網を張り始めて十日も経った頃、２センチ程だろうか、色も褐色がかった黄色のオスがやってきた。</font><br />
<br />
<b><font style="font-size:11px;">命を繋ぐ使命を全うする </font></b><a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/171-2.jpg" target="_blank"><img src="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/171-2.jpg" border="0" alt="じょろうぐも"  width = "360" /></a><b><font style="font-size:11px;"><br />
餌食となった虫を挟んで　左が雄、右が雌の女郎蜘蛛  只今お食事中</font></b><br />
<br />
<br />
<font style="font-size:14px;">この時期は、交尾が行われる成熟期ということで、ことさら大きな巣が目に付いたのだろう。<br />
晴天、雨風の日をかいくぐりながら　建築、改築、増築と繰り返し<br />
枝と枝の少しづつ安定のいい場所へ移動して網を張る。　<br />
<br />
直径1m近くもの網は日の光に金色に輝いて見えた。<br />
その網は、縦糸が外に行くにつれて二又に枝分かれするように張られ、<br />
横糸の長さが中心近くでも、外側でも、それほど変わらない。<br />
どうも、横糸を張るときにぐるぐる回らず、往復運動で糸を張っているらしい。<br />
円形に近く作られた網の前後には、立体的な補助の網もつくられ、<br />
この半月の厳しい天候から館を支えていた。<br />
雨風の翌日　倒壊の危機かと覗くが、びくともしていない。</font><br />
<br />
<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/171-3.jpg" target="_blank"><img src="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/171-3.jpg" border="0" alt="じょろうぐも"  width = "360" /></a>　<b><font style="font-size:11px;">立体的に増改築された女郎蜘蛛の館</font></b><br />
<br />
<br />
<font style="font-size:14px;">金木犀の香りも、絨毯のように敷き詰められた花殻もすっかり遠のき、<br />
街路樹の銀杏の金色に目が奪われるようになった頃、　あの巣は如何に。<br />
<br />
今年も極月になった。<br />
<br />
寒暖の変化が激しかった霜月からの日々、雄蜘蛛はもちろん、雌の女郎蜘蛛もいなくなっていた。<br />
あの頑強につくられた館もない。　<br />
ただ　一筋の糸が山茶花の枝先から、向かいの軒先へ光っているだけである。</font><br />
<br />
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</content:encoded>
<dc:subject>三余堂月次</dc:subject>
<dc:creator>nogakusanpo</dc:creator> 
<dc:date>2009-12-12T00:08:10+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/170.html">
<title>師走の御案内はラジオ放送</title>
<link>http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/170.html</link>
<description>12月６日　日曜日　午前7:15　　ＮＨＫＦＭラジオ放送　 能楽鑑賞　−観世流−　《鉢木》　を放送する。この番組は　放送枠の移動はあったが一応、定期的に放送される唯一の能楽関連の時間で、歴史も古い。聴取者の要望に応えて　枠は残ったものの、長年の間に開始時間はじりじりと早くなっていく気がする。要はリスナーからの　メールが殺到すれば　もっと聞きやすい時間帯になり、リクエストのファクシミリがどんどん送られれば　お気に入りの能楽師で、お好みの曲目が放送されるかもしれない。全国の聴取者の御要望があればこそ！現在ラジオは　普段聞き慣れている人にとっては　日常の友であり、分身のようなものであるという。常に携帯し、朝から晩まで情報源として活用する。又、ＦＭ、ＡＭと駆使して音楽や、スポーツを楽しむ。今や、深夜のラジオは中高年がＮＨＫに聞き入る。　そう、《ラジオ深夜便》である。ラジオを手元に持たない人も多いことであろうが、　災害有事のためにも　是非一台！そして、眠れぬ夜に、早朝目覚めた時に　そっーと一人楽しむことが出来るラジオを貴方も一台！！そもそもラジオとは　無線分野では、送受信技術全般を指している。そして電波や無線や放射線を指す言葉である。電波を使って、音声信号を、不特定多数のために放送する仕組みがラジオ放送だ。　最も歴史の古い振幅変調による中波放送の、基本的な方式は100年間も変わっていない。現在でもラジオの主流である。この方式および受信機は一般に「AM放送」「AMラジオ」と呼ばれる。また周波数変調による超短波ラジオ放送も広く聴取され、「FM放送」「FMラジオ」と呼ばれる。てなことを、アマチュア無線の講習で聞いたような気がする。いや、聴いた筈である。一応　三余堂はコールサインを取得して、電波利用料なる税金を納めている。無線での音声放送（ラジオ）を世界で初めて実現したのはエジソンの会社の技師、フェッセンデンだった。1906年12月24日に、アメリカ・マサチューセッツの自分の無線局から、世界初のラジオ放送。自らのクリスマスの挨拶をラジオ放送したという。フェッセンデン以後、実験・試験的なラジオ放送が世界各地で行われるようになる。正式な放送は1920年にアメリカ・ペンシルベニアのピッツバーグで開始されたと言われる。これはAM方式。極長距離を伝送できる短波ラジオ放送を最初に行ったのはオランダの国営放送。1927年に海外植民地向けに試験放送を開始。翌1928年には当時オランダ領だったインドネシア・ジャワ島での受信に成功したという。FM方式による放送はアメリカで1938年から試験的に開始。2000年代に入って、地上デジタルラジオ放送が開始された。今や、衛星放送も、インターネットラジオも始まっている。日本初のラジオ放送は、1925年（大正14年）3月22日午前9時30分、現在のNHK東京放送局が、東京・芝浦の東京高等工芸学校内に設けた仮送信所から発した。第一声は　　　　「アーアー、聞こえますか。（間）JOAK、JOAK、こちらは東京放送局であります。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　こんにち只今より放送を開始致します」　　　　だったという。「アーアー」は、聴取者が感度の良い部分に調節できるようにするための配慮なのだとか。　現在のラジオは　ボタンでチャンネルを一発選局方式のものもある。当時の受信機の性能に対して出力が弱かったため、東京市内でないとよく聴こえなかったそうだ。同年の7月には現在の港区愛宕山の放送局からの本放送が、継いで、大阪、名古屋と放送が始まる。ＦＭ局は下って、１９７０年前後に多くが開局していった。《能楽鑑賞》は　ＡＭ局からＦＭ局に引っ越しをしたように記憶する。そして、より良い音質で放送されるようになった訳である。６日の放送　《鉢木》は　はてさて、どのような具合で音の波に乗りますやら。２月三余堂月並のトピアリーに続いて鉢木ご鑑賞の一席御再読、おん願上げっ！ </description>
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<![CDATA[ 
<font style=font-size:14px;"><font style="color:#663399; "><font style="color:#663399; font-size:14px;">12月６日　日曜日　午前7:15　　ＮＨＫＦＭラジオ放送　 <a href="http://www.nhk.or.jp/nohgaku/yotei.html　　　" target="_blank">能楽鑑賞</a>　−観世流−　《鉢木》　を放送する。<br />
<br />
この番組は　放送枠の移動はあったが一応、定期的に放送される唯一の能楽関連の時間で、<br />
歴史も古い。<br />
聴取者の要望に応えて　枠は残ったものの、長年の間に開始時間はじりじりと早くなっていく気がする。<br />
要はリスナーからの　メールが殺到すれば　もっと聞きやすい時間帯になり、リクエストのファクシミリが<br />
どんどん送られれば　お気に入りの能楽師で、お好みの曲目が放送されるかもしれない。<br />
全国の聴取者の御要望があればこそ！<br />
<br />
現在ラジオは　普段聞き慣れている人にとっては　日常の友であり、分身のようなものであるという。<br />
常に携帯し、朝から晩まで情報源として活用する。又、ＦＭ、ＡＭと駆使して音楽や、スポーツを楽しむ。<br />
今や、深夜のラジオは中高年がＮＨＫに聞き入る。　そう、《ラジオ深夜便》である。<br />
ラジオを手元に持たない人も多いことであろうが、　災害有事のためにも　是非一台！<br />
そして、眠れぬ夜に、早朝目覚めた時に　そっーと一人楽しむことが出来るラジオを貴方も一台！！<br />
<br />
そもそもラジオとは　無線分野では、送受信技術全般を指している。<br />
そして電波や無線や放射線を指す言葉である。<br />
電波を使って、音声信号を、不特定多数のために放送する仕組みがラジオ放送だ。　<br />
<br />
最も歴史の古い振幅変調による中波放送の、基本的な方式は100年間も変わっていない。<br />
現在でもラジオの主流である。この方式および受信機は一般に「AM放送」「AMラジオ」と呼ばれる。<br />
また周波数変調による超短波ラジオ放送も広く聴取され、「FM放送」「FMラジオ」と呼ばれる。<br />
てなことを、アマチュア無線の講習で聞いたような気がする。いや、聴いた筈である。<br />
一応　三余堂はコールサインを取得して、電波利用料なる税金を納めている。<br />
<br />
無線での音声放送（ラジオ）を世界で初めて実現したのはエジソンの会社の技師、フェッセンデンだった。<br />
1906年12月24日に、アメリカ・マサチューセッツの自分の無線局から、世界初のラジオ放送。<br />
自らのクリスマスの挨拶をラジオ放送したという。<br />
フェッセンデン以後、実験・試験的なラジオ放送が世界各地で行われるようになる。<br />
正式な放送は1920年にアメリカ・ペンシルベニアのピッツバーグで開始されたと言われる。<br />
これはAM方式。<br />
極長距離を伝送できる短波ラジオ放送を最初に行ったのはオランダの国営放送。<br />
1927年に海外植民地向けに試験放送を開始。<br />
翌1928年には当時オランダ領だったインドネシア・ジャワ島での受信に成功したという。<br />
FM方式による放送はアメリカで1938年から試験的に開始。<br />
2000年代に入って、地上デジタルラジオ放送が開始された。<br />
今や、衛星放送も、インターネットラジオも始まっている。<br />
<br />
日本初のラジオ放送は、1925年（大正14年）3月22日午前9時30分、<br />
現在のNHK東京放送局が、東京・芝浦の東京高等工芸学校内に設けた仮送信所から発した。<br />
第一声は<br />
　　　　「アーアー、聞こえますか。（間）JOAK、JOAK、こちらは東京放送局であります。<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　こんにち只今より放送を開始致します」　　　　だったという。<br />
「アーアー」は、聴取者が感度の良い部分に調節できるようにするための配慮なのだとか。　<br />
現在のラジオは　ボタンでチャンネルを一発選局方式のものもある。<br />
当時の受信機の性能に対して出力が弱かったため、東京市内でないとよく聴こえなかったそうだ。<br />
同年の7月には現在の港区愛宕山の放送局からの本放送が、<br />
継いで、大阪、名古屋と放送が始まる。<br />
ＦＭ局は下って、１９７０年前後に多くが開局していった。<br />
<br />
《能楽鑑賞》は　ＡＭ局からＦＭ局に引っ越しをしたように記憶する。<br />
そして、より良い音質で放送されるようになった訳である。<br />
６日の放送　《鉢木》は　はてさて、どのような具合で音の波に乗りますやら。<br />
２月三余堂月並の<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/index.php?y=2009&m=02&datefile=200902" target="_blank">トピアリーに続いて鉢木ご鑑賞の一席</a>御再読、おん願上げっ！ </font><br />
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</font></font><br />

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<dc:subject>案内望遠鏡</dc:subject>
<dc:creator>nogakusanpo</dc:creator> 
<dc:date>2009-12-01T00:00:48+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/169.html">
<title>世阿弥の秘伝書</title>
<link>http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/169.html</link>
<description>!!$photo1!! La plume d’oie&amp;copy;鵞毛庵2009Un moyen de provoquer dans l’esprit des gens une &amp;eacute;motion impr&amp;eacute;vue , voil&amp;agrave; ce qu’est la fleur .人の心に思ひも寄らぬ感を催す手立、これ、花なり。世阿弥　「風姿花伝」　より画像はクリックすると少し大きくなります。　　三余堂が何度かその記事で触れている世阿弥の秘伝書はフランス語に翻訳されています。世阿弥の書が発見されて今年で100年なのだけれども、フランス語訳が出版されたのは1960年のこと。すでに半世紀になります。　　その数年前の1957年にはフランスで初めて能が演じられました。これには庵主の父も参加しています。この公演は当時評判は高かったようですが、それは本当に理解されたからでなく、書物からの少ない情報しかなかった観客が、ただただその神秘的な雰囲気に圧倒されていたので、実はまったく理解できなかった、退屈したというのが正直なところだったと、世阿弥の秘伝書の翻訳者が前書きで語っています。　　そこで、日本でもずいぶん研究が進んできたし、これからはフランス人も能を実際に鑑賞することがより一層あるだろうから、演目のテキストの翻訳だけにとどまらず、芸術の理論家としての世阿弥を通して能楽を紹介する時期が来たと、能勢朝次などの著書をもとに風姿花伝等を仏訳することになったわけです。この翻訳が功をなしたかどうかは判りませんが、庵主がパリに住んでいた間に確かに能公演はどんどん盛んになり、チケットもすぐ完売するというほどにまで。!!$photo2!!　画像の本が世阿弥の秘伝書の翻訳版　La tradition secr&amp;egrave;te du N&amp;ocirc;　（能の秘伝）。これは1985年に再版されたもので、庵主はその折に入手し、ちょっと年季が入ってきました。なんだか表紙が内容と合ってないな〜〜〜と気になってましたが、1960年初版の表紙は千仏画、これは大凧の武者絵みたいで、フランスで日本っていうとどうしてこうなんでしょう？　しかし、最新の再版の表紙は能面の写真に替わっていて、それが痩せ女の面っていうところがフランスっぽい。変なこだわりです。この変遷はなんとなくフランスにおける日本文化の浸透の一面を表しているような気が。　!!$photo3!!　　　中はこんな具合。10月1日の案内望遠鏡に載っている本の画像とだいたい同じ部分にあたります。　　長きに渡り埋もれていた書物、震災や戦災による損失があったものがこうやって外国でも翻訳、出版されて後世に残るなどと知ったら、世阿弥はいったいどんな顔をするでしょうか．．．．</description>
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<![CDATA[ 
<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/169-1.jpg" target="_blank"><img src="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/169-1.jpg" border="0" alt="世阿弥の秘伝書"  height = "240" /></a><br />
 La plume d’oie&copy;鵞毛庵2009<br />
Un moyen de provoquer dans l’esprit des gens une &eacute;motion impr&eacute;vue , voil&agrave; ce qu’est la fleur .<br />
人の心に思ひも寄らぬ感を催す手立、これ、花なり。<br />
世阿弥　「風姿花伝」　より<br />
<font style="color:#660099; ">画像はクリックすると少し大きくなります。</font><br />
<br />
　　<font style="font-size:14px;">三余堂が何度かその記事で触れている世阿弥の秘伝書はフランス語に翻訳されています。世阿弥の書が発見されて今年で100年なのだけれども、フランス語訳が出版されたのは1960年のこと。すでに半世紀になります。<br />
　　その数年前の1957年にはフランスで初めて能が演じられました。これには庵主の父も参加しています。この公演は当時評判は高かったようですが、それは本当に理解されたからでなく、書物からの少ない情報しかなかった観客が、ただただその神秘的な雰囲気に圧倒されていたので、実はまったく理解できなかった、退屈したというのが正直なところだったと、世阿弥の秘伝書の翻訳者が前書きで語っています。<br />
<br />
　　そこで、日本でもずいぶん研究が進んできたし、これからはフランス人も能を実際に鑑賞することがより一層あるだろうから、演目のテキストの翻訳だけにとどまらず、芸術の理論家としての世阿弥を通して能楽を紹介する時期が来たと、能勢朝次などの著書をもとに風姿花伝等を仏訳することになったわけです。この翻訳が功をなしたかどうかは判りませんが、庵主がパリに住んでいた間に確かに能公演はどんどん盛んになり、チケットもすぐ完売するというほどにまで。</font><br />
<br />
<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/169-2.jpg" target="_blank"><img src="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/169-2.jpg" border="0" alt="世阿弥の秘伝書"  width = "360" /></a><br />
<br />
<font style="font-size:14px;">　画像の本が世阿弥の秘伝書の翻訳版　La tradition secr&egrave;te du N&ocirc;　（能の秘伝）。これは1985年に再版されたもので、庵主はその折に入手し、ちょっと年季が入ってきました。<br />
なんだか表紙が内容と合ってないな〜〜〜と気になってましたが、1960年初版の表紙は千仏画、これは大凧の武者絵みたいで、フランスで日本っていうとどうしてこうなんでしょう？　しかし、最新の再版の表紙は能面の写真に替わっていて、それが痩せ女の面っていうところがフランスっぽい。変なこだわりです。この変遷はなんとなくフランスにおける日本文化の浸透の一面を表しているような気が。　</font><br />
<br />
<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/169-3.jpg" target="_blank"><img src="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/169-3.jpg" border="0" alt="世阿弥の秘伝書"  width = "360" /></a>　　　<br />
中はこんな具合。10月1日の案内望遠鏡に載っている本の画像とだいたい同じ部分にあたります。<br />
<br />
　　<font style="font-size:14px;">長きに渡り埋もれていた書物、震災や戦災による損失があったものがこうやって外国でも翻訳、出版されて後世に残るなどと知ったら、世阿弥はいったいどんな顔をするでしょうか．．．．</font><br />

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<dc:subject>鵞毛庵能の花シリーズ</dc:subject>
<dc:creator>nogakusanpo</dc:creator> 
<dc:date>2009-11-20T17:07:00+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/167.html">
<title>七五三雑感</title>
<link>http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/167.html</link>
<description>　　　　!!$photo1!! １１月になると七五三祈願を受け付ける神社。近年は１１月１５日が七五三の日ではなく、１１月が七五三の月なのだ。参道を散歩する保育園児は元気に落葉を拾っている。この中にも　七五三を祝う子供がいる。平安時代中期公家の間で子供の成長を祝う儀式が行われていた。髪置（かみおき）。短くしていた髪を、男女三歳にして伸ばしはじめる儀式が行われた。その他にも　帯解（おびとき）、髪立（かみたて）、紐落（ひもおとし）などの行事もあったという。時代が下るとこれらの儀式は武家社会でも行われる。江戸時代。江戸を中心にした関東地方で今日のような七五三詣がはじまった。関西ではあまり行われていなかったようだ。六代将軍徳川綱吉の子徳松がお祝いをしたことから、それにあやかって一般庶民に広まったという。呉服問屋でも七五三詣用の売り出しが盛んに行われるようになったそうだ。いつの世も同じである。　もっとも、「七五三」とは呼んでいない。「七五三」の語が使われたのは明治時代から。大正期からが、今のような七歳、五歳、三歳でお宮参りの形になっていったという。陰暦の１１月１５日は十五夜にあたり、霜月の祭の日だった。これは現在、１１月２３日に宮中、神社で行われる収穫に感謝する祭祀、新嘗祭にあたる。前記の徳松の祝儀が天和元年（１６８１）１１月１５日であったことが、起源らしく、この日の七五三参りが絶対ではないらしい。幼児から児童になることを祝う行事の七五三。まぁ、人生の通過儀礼の一つということだ。七つ前は神のうち、と、七才までの子供は、この世に命が定着していない状態と考えていた。七歳未満は人別帳に載せなかったという。七歳でようやく人間の仲間入り。氏神さまへのお参りで、氏子となり、すこやかな成長を祈願したという訳である。いかに、貴賎男女ともそこまで生きることが難しかったか。神武天皇の御代に「たがね」と呼ばれる飴があったそうだ。平安時代には京都では売られていたようで、江戸元禄期頃に浅草で七兵衛という飴売りが、長袋にいれて「千歳飴」または「寿命飴」として売り歩いていたという。七五三の千歳飴は千歳という名前が入った飴によく育ってくれた、これからも長生きしてほしいと託したものなのである。美味いか、美味くないかはお好みだ。ペコちゃんのミルキー千歳飴も　千歳飴にはかわりない…</description>
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<![CDATA[ 
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　　<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/167-1.jpg" target="_blank"><img src="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/167-1.jpg" border="0" alt="七五三雑感"  width = "360" /></a><br />
<br />
 <font style="color:#660000; font-size:14px;">１１月になると七五三祈願を受け付ける神社。<br />
近年は１１月１５日が七五三の日ではなく、１１月が七五三の月なのだ。<br />
参道を散歩する保育園児は元気に落葉を拾っている。<br />
この中にも　七五三を祝う子供がいる。</font><br />
<br />
<font style="color:#660000; font-size:14px;">平安時代中期公家の間で子供の成長を祝う儀式が行われていた。<br />
髪置（かみおき）。短くしていた髪を、男女三歳にして伸ばしはじめる儀式が行われた。<br />
その他にも　帯解（おびとき）、髪立（かみたて）、紐落（ひもおとし）などの行事もあったという。<br />
時代が下るとこれらの儀式は武家社会でも行われる。<br />
江戸時代。江戸を中心にした関東地方で今日のような七五三詣がはじまった。<br />
関西ではあまり行われていなかったようだ。<br />
六代将軍徳川綱吉の子徳松がお祝いをしたことから、それにあやかって<br />
一般庶民に広まったという。<br />
呉服問屋でも七五三詣用の売り出しが盛んに行われるようになったそうだ。<br />
いつの世も同じである。　もっとも、「七五三」とは呼んでいない。<br />
「七五三」の語が使われたのは明治時代から。<br />
大正期からが、今のような七歳、五歳、三歳でお宮参りの形になっていったという。<br />
<br />
陰暦の１１月１５日は十五夜にあたり、霜月の祭の日だった。<br />
これは現在、１１月２３日に宮中、神社で行われる収穫に感謝する祭祀、新嘗祭にあたる。<br />
前記の徳松の祝儀が天和元年（１６８１）１１月１５日であったことが、起源らしく、<br />
この日の七五三参りが絶対ではないらしい。<br />
<br />
幼児から児童になることを祝う行事の七五三。まぁ、人生の通過儀礼の一つということだ。<br />
七つ前は神のうち、と、七才までの子供は、この世に命が定着していない状態と考えていた。<br />
七歳未満は人別帳に載せなかったという。七歳でようやく人間の仲間入り。<br />
氏神さまへのお参りで、氏子となり、すこやかな成長を祈願したという訳である。<br />
いかに、貴賎男女ともそこまで生きることが難しかったか。<br />
<br />
神武天皇の御代に「たがね」と呼ばれる飴があったそうだ。<br />
平安時代には京都では売られていたようで、江戸元禄期頃に浅草で七兵衛という飴売りが、<br />
長袋にいれて「千歳飴」または「寿命飴」として売り歩いていたという。<br />
七五三の千歳飴は千歳という名前が入った飴に<br />
よく育ってくれた、これからも長生きしてほしいと託したものなのである。<br />
美味いか、美味くないかはお好みだ。<br />
ペコちゃんのミルキー千歳飴も　千歳飴にはかわりない…<br />
<br />
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</font><br />

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<dc:subject>三余堂月次</dc:subject>
<dc:creator>nogakusanpo</dc:creator> 
<dc:date>2009-11-12T00:10:39+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/166.html">
<title>霜降月の御案内　　佐渡の世阿弥に想いを　　</title>
<link>http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/166.html</link>
<description>吉永小百合が佐渡へ旅するコマーシャルが盛んに流れていた。「ここが今や、日本有数の能の島だと言ったら、彼はどんな顔をするでしょうか」五十歳から行く大人の旅　JR東日本　と。JR東日本　大人の休日倶楽部 TV-CM 佐渡の能篇　秋。　と、いうものらしい。　　　ゆっくりと　吉永小百合と佐渡を旅したい方、こちらで　ご一緒に！大化の改新以後に佐渡国が置かれたという。古代から遠流の地だった。 　順徳天皇、日蓮…都からの流人が、その文化を伝え、西廻りの航路が、西日本や北陸の文化を伝えた。そして貴族や武家、土地の者の文化が渾然となって、佐渡特有のものがつくられていく。吉永小百合の言う 「彼はどんな顔をするでしょうか」　と問われているのは　世阿弥。能の大成者、世阿弥が配流された島が佐渡であった。何故　流されたか…　　晩年、佐渡での世阿弥は瀬戸内寂聴著　『秘花』　新潮社刊　で思いを馳せることが出来る。 世阿弥は　１２歳の時、将軍　足利義満の寵愛を後ろ盾に、頂点を極めた。義満の死を境に、甥の音阿弥に地位を奪われ、長男の死、次男の出家。そして自らは佐渡への流刑。いわれの　判らぬ流刑だった。小説は佐渡へ向かう船中で、自らの前半生を振り返るところから始まる。　米も魚もよくとれ、水も豊富で、他者を受け入れるおおらかさがある佐渡の地。そこでの　寂聴、世阿弥の晩年の世界が　展開する。すぐれた能役者、能作者、能楽論書の著者であった世阿弥も、百年たてば同時代の舞台を見た人は誰もいなくなることを意識していた。だが、能の本は残る。「書いたものの命は強い」と語る世阿弥。「私は死後も自分の小説が読まれるとは思っていません。けれども書いているうちに、世阿弥に自分を重ねた部分はある。小説は結局、自分を書くものですから」と　瀬戸内寂聴。杉本苑子著　『華の碑文』中央公論社刊　では世阿弥の生涯、平岩弓枝著　『獅子の座』　文芸春秋社刊　では足利義満の生涯を　それぞれ義満、世阿弥を絡めて描いている。　秋の夜長に　三人の女性小説家による作品で、世阿弥の生きた時代を読み比べるのも一興。</description>
<content:encoded>
<![CDATA[ 
<font style="color:#660000; font-size:14px;">吉永小百合が佐渡へ旅するコマーシャルが盛んに流れていた。<br />
「ここが今や、日本有数の能の島だと言ったら、彼はどんな顔をするでしょうか」<br />
五十歳から行く大人の旅　JR東日本　と。<br />
JR東日本　大人の休日倶楽部 TV-CM 佐渡の能篇　秋。　と、いうものらしい。<br />
　　　<b><font style="font-size:11px;">ゆっくりと　吉永小百合と佐渡を旅したい方、<a href="http://www.jreast.co.jp/tabidoki/tvcm/index.html?code=otona09" target="_blank">こちら</a>で　ご一緒に！</font></b><br />
<br />
大化の改新以後に佐渡国が置かれたという。<br />
古代から遠流の地だった。 　順徳天皇、日蓮…<br />
都からの流人が、その文化を伝え、西廻りの航路が、西日本や北陸の文化を伝えた。<br />
そして貴族や武家、土地の者の文化が渾然となって、佐渡特有のものがつくられていく。<br />
吉永小百合の言う 「彼はどんな顔をするでしょうか」　と問われているのは　世阿弥。<br />
能の大成者、世阿弥が配流された島が佐渡であった。<br />
何故　流されたか…　　<br />
<br />
晩年、佐渡での世阿弥は瀬戸内寂聴著　『秘花』　新潮社刊　で思いを馳せることが出来る。<br />
<br />
 <br />
<br />
世阿弥は　１２歳の時、将軍　足利義満の寵愛を後ろ盾に、頂点を極めた。<br />
義満の死を境に、甥の音阿弥に地位を奪われ、長男の死、次男の出家。<br />
そして自らは佐渡への流刑。いわれの　判らぬ流刑だった。<br />
小説は佐渡へ向かう船中で、自らの前半生を振り返るところから始まる。　<br />
米も魚もよくとれ、水も豊富で、他者を受け入れるおおらかさがある佐渡の地。<br />
そこでの　寂聴、世阿弥の晩年の世界が　展開する。<br />
<br />
すぐれた能役者、能作者、能楽論書の著者であった世阿弥も、<br />
百年たてば同時代の舞台を見た人は誰もいなくなることを意識していた。<br />
だが、能の本は残る。「書いたものの命は強い」と語る世阿弥。<br />
「私は死後も自分の小説が読まれるとは思っていません。けれども書いているうちに、世阿弥に自分を<br />
重ねた部分はある。小説は結局、自分を書くものですから」と　瀬戸内寂聴。<br />
<br />
<br />
杉本苑子著　『華の碑文』中央公論社刊　では世阿弥の生涯、平岩弓枝著　『獅子の座』　文芸春秋社刊　では足利義満の生涯を　それぞれ義満、世阿弥を絡めて描いている。　<br />
秋の夜長に　三人の女性小説家による作品で、世阿弥の生きた時代を読み比べるのも一興。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
</font><br />

]]>
</content:encoded>
<dc:subject>案内望遠鏡</dc:subject>
<dc:creator>nogakusanpo</dc:creator> 
<dc:date>2009-11-01T00:00:36+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/165.html">
<title>都鳥</title>
<link>http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/165.html</link>
<description>　三余堂の先回の記事で隅田川のことを書いていますが、庵主は時代劇に出てくる大川ってどの川？と、よくパリで日本人に聞かれたものです。他県の人のみならず、東京出身の人にも聞かれたほど！隅田川のことだといとも簡単に答えていましたが、三余堂が語るように、隅田川の変遷はちとややこしい。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　!!$photo1!!　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　能「隅田川」　La plume d’oie&amp;copy;鵞毛庵2009　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（画像はクリックしてご覧ください。大きくなります。）＊この作品はポストカードにしたものを、26日に鎌倉能舞台で、当日の演目の狂言｢茶壷」の作品とセットで販売いたします。　在原業平の古歌に登場する都鳥はユリカモメのことらしいですが、ミヤコドリというカモメもいて、こちらもちとややこしいですね。一応、伊勢物語にある描写に近いものということで、この古歌に登場する都鳥はユリカモメに落ち着いている様子です。｢都の鳥｣ということで、東京都の鳥にもなっています。カモメはパリのセーヌ川にもたくさんいます。あれが、都鳥、ユリカモメですよ、と言った日本人もいましたが、本当はどうなのか。　!!$photo2!!　　こちらは地中海を眺めて物思いにふけるモナコの○○カモメ何を「いざ言問はむ」？　　</description>
<content:encoded>
<![CDATA[ 
　<font style="font-size:14px;">三余堂の先回の記事で隅田川のことを書いていますが、庵主は時代劇に出てくる大川ってどの川？と、よくパリで日本人に聞かれたものです。他県の人のみならず、東京出身の人にも聞かれたほど！隅田川のことだといとも簡単に答えていましたが、三余堂が語るように、隅田川の変遷はちとややこしい。</font><br />
<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/165-1.jpg" target="_blank"><img src="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/165-1.jpg" border="0" alt="都鳥"  height = "240" /></a><br />
　<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　能「隅田川」　La plume d’oie&copy;鵞毛庵2009<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（画像はクリックしてご覧ください。大きくなります。）<br />
<br />
<font style="font-size:12px;">＊この作品はポストカードにしたものを、26日に<a href="http://www.nohbutai.com/" target="_blank"><font style="font-size:12px;">鎌倉能舞台</font></a>で、当日の演目の狂言｢茶壷」の作品とセットで販売いたします。</font></font></font>　<br />
<br />
<br />
<font style="font-size:14px;">在原業平の古歌に登場する都鳥はユリカモメのことらしいですが、ミヤコドリというカモメもいて、こちらもちとややこしいですね。一応、伊勢物語にある描写に近いものということで、この古歌に登場する都鳥はユリカモメに落ち着いている様子です。｢都の鳥｣ということで、東京都の鳥にもなっています。<br />
<br />
カモメはパリのセーヌ川にもたくさんいます。あれが、都鳥、ユリカモメですよ、と言った日本人もいましたが、本当はどうなのか。<br />
<br />
　<br />
<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/165-2.jpg" target="_blank"><img src="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/165-2.jpg" border="0" alt="都鳥"  height = "240" /></a>　　こちらは地中海を眺めて物思いにふけるモナコの○○カモメ<br />
<b><font style="font-size:12px;">何を「いざ言問はむ」？　</font></b>　</font><br />
<br />

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</content:encoded>
<dc:subject>鵞毛庵能の花シリーズ</dc:subject>
<dc:creator>nogakusanpo</dc:creator> 
<dc:date>2009-10-20T11:32:50+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/164.html">
<title>すみだ川</title>
<link>http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/164.html</link>
<description>現在の隅田川は、東京都北区の 新荒川大橋のすぐ下流にある「岩淵水門」で荒川から分岐。石神井川だの、神田川だのと支流河川を合わせ、東京湾に注ぐ全長23ほどの一級河川である。足立区・荒川区・台東区・墨田区・江東区・中央区と 7つの区を通って東京湾に注いでいる。両側はコンクリートで固められ、河原　という語感と無縁な都市の川だ。 隅田川は　住田河として835年の文献に出てくるという。江戸時代以前は、利根川の下流の名前だった。利根川は現在、関東平野を西から東に流れて、 銚子で直接太平洋に流れ出ている。徳川家康の頃の利根川は途中から南に流れ、今の隅田川を通り 東京湾に注いでいたそうだ。 家康江戸入府より、利根川東遷の大工事を行ったという。四代将軍家綱の時代に現在のような利根川、荒川、隅田川の形が完成。大規模な河川工事は、水害対策、関東南部の新田開発、交通、輸送体系の整備であった。古隅田川(ふるすみだがわ)　と呼ばれている埼玉県さいたま市岩槻区からの川も併せると、「隅田川」とは、現在よりも長い区間の荒川を合わせた後の利根川や、その分流を総称していたらしい。明治末期から昭和初期にかけて、洪水を防ぐ為に岩淵水門から河口まで荒川放水路が建設された。これが現在　荒川　とよばれている。1965年に荒川放水路が荒川の本流、分岐点である岩淵水門より下流は俗称であった　隅田川　に改称された。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　ややこしい！要は　時代と共に　隅田川には変遷があった。江戸時代には、吾妻橋周辺より下流は大川(おおかわ)と呼んだ。新大橋周辺までが、あの、ちょっと小粋な響きをもつ大川端(おおかわばた)である。また、宮戸川ともよばれていた。　そうだ、落語の宮戸川は隅田川！ということは　在原業平が、　　　　　　　　名にしおわば いざこととはむ 都鳥 わがおもう人は ありやなしやとと詠んだ隅田川は、利根川の下流になる。そんな　隅田川、江戸時代には二十ヶ所近く渡し舟の渡場があったという。最後の渡し船は佃の渡しで、昭和39年に廃止。勝鬨橋のたもとに　勝鬨の渡しという石碑を見たことがある。隅田川沿いに散歩をすると、渡し跡の石碑を他所にも見つけられるという。この渡しのうちに、橋場の渡しというのがある。　能　「隅田川」の舞台。橋場の渡しは、石浜の渡し、須田の渡し、梅若の渡し、真崎の渡し、と別名を持つ。その昔、源頼朝が石橋山の戦いに敗れて安房の国に逃れ、下総を経て、鎌倉へ向かう時、隅田川に浮橋を架けて渡った所とも言われる。もっとも　渡しの位置は時代により多少移動しているようだが、現在の白鬚橋の南側にあたるらしい。それも　大正初年に地元の人が木橋を架け、橋場の渡しは消滅した。やや北に離れたところに　梅若丸の塚がある、墨田区堤通の木母寺(もくぼじ)だ。我子を人買いにさらわれ　都北白河から武蔵の国隅田川のほとりまで尋ね歩く女。業平の　名にし負わば〜　の古歌と我が子を尋ねる我身を重ねて嘆き悲しむ様子に渡しの船頭が、川向うでの大念仏は、子供が死んだのを人々が回向しているのだと語る。それが尋ねる我が子の梅若丸と判り、女も念仏を唱える。　と、　南無阿弥陀仏と　子供の声が聞こえる。　　　　　あっ！　あたしの梅若丸だわ〜。可愛いあたしのぼうやだわっ。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　おかあちゃまぁ！　おかぁちゃまですよねっ！！その姿が幻のように現れ、夜明けと共に消え失せ、あとには草の生い茂った塚があるのみだった。世阿弥の子、十郎元雅の作品。世阿弥と元雅の間で　この梅若丸を舞台上に登場させるか否かのやりとりがあった。子方として子の幻を舞台に出すか、子方を出さずに幻を見る気持を強く意識させるかと。元雅は我子を亡くしていたという説もある。世阿弥も後年元雅を亡くし、逆縁となった。隅田川と言うと　　　　　銀杏がえしに　黒繻子かけて　泣いて別れた　すみだ川　…　　　を思う御仁もあろう。永井荷風の小説「すみだ川」に題材を採った　御存知　東海林太郎のすみだ川。　　　　あぁ　そうだったわねぇ　あなたが二十歳、わたしが十七の時よ。　　　　いつも清元のお稽古から帰って来ると、　あなたは竹谷の渡し場で　…　　　と田中絹代が台詞を言う。あまりピンとこないなら　島倉千代子の芸者姿のすみだ川もある。文庫本７０頁程の作品、「すみだ川」は明治３５、６年の光景で、荷風の香りをたっぷり。世阿弥父子の頃の隅田川の香りは、今月２６日鎌倉能舞台で。　三余堂が子を思う狂女となる。</description>
<content:encoded>
<![CDATA[ 
<font style="color:#006600; font-size:14px;">現在の隅田川は、東京都北区の 新荒川大橋のすぐ下流にある「岩淵水門」で荒川から分岐。<br />
石神井川だの、神田川だのと支流河川を合わせ、東京湾に注ぐ全長23ほどの一級河川である。<br />
足立区・荒川区・台東区・墨田区・江東区・中央区と 7つの区を通って東京湾に注いでいる。<br />
両側はコンクリートで固められ、河原　という語感と無縁な都市の川だ。 <br />
<br />
隅田川は　住田河として835年の文献に出てくるという。<br />
江戸時代以前は、利根川の下流の名前だった。<br />
利根川は現在、関東平野を西から東に流れて、 銚子で直接太平洋に流れ出ている。<br />
徳川家康の頃の利根川は途中から南に流れ、今の隅田川を通り 東京湾に注いでいたそうだ。 <br />
家康江戸入府より、利根川東遷の大工事を行ったという。<br />
<br />
四代将軍家綱の時代に現在のような利根川、荒川、隅田川の形が完成。<br />
大規模な河川工事は、水害対策、関東南部の新田開発、交通、輸送体系の整備であった。<br />
古隅田川(ふるすみだがわ)　と呼ばれている埼玉県さいたま市岩槻区からの川も併せると、<br />
「隅田川」とは、現在よりも長い区間の荒川を合わせた後の利根川や、その分流を<br />
総称していたらしい。<br />
<br />
明治末期から昭和初期にかけて、洪水を防ぐ為に岩淵水門から河口まで<br />
荒川放水路が建設された。これが現在　荒川　とよばれている。<br />
1965年に荒川放水路が荒川の本流、分岐点である岩淵水門より下流は<br />
俗称であった　隅田川　に改称された。　<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<b><font style="font-size:10px;">ややこしい！要は　時代と共に　隅田川には変遷があった。</font></b><br />
<br />
江戸時代には、吾妻橋周辺より下流は大川(おおかわ)と呼んだ。<br />
新大橋周辺までが、あの、ちょっと小粋な響きをもつ大川端(おおかわばた)である。<br />
また、宮戸川ともよばれていた。　<b><font style="font-size:10px;">そうだ、落語の宮戸川は隅田川！</font></b><br />
<br />
ということは　在原業平が、<br />
　　　　　　　　名にしおわば いざこととはむ 都鳥 わがおもう人は ありやなしやと<br />
と詠んだ隅田川は、利根川の下流になる。<br />
<br />
<br />
そんな　隅田川、江戸時代には二十ヶ所近く渡し舟の渡場があったという。<br />
最後の渡し船は佃の渡しで、昭和39年に廃止。<br />
勝鬨橋のたもとに　勝鬨の渡しという石碑を見たことがある。<br />
隅田川沿いに散歩をすると、渡し跡の石碑を他所にも見つけられるという。<br />
<br />
この渡しのうちに、橋場の渡しというのがある。　能　「隅田川」の舞台。<br />
橋場の渡しは、石浜の渡し、須田の渡し、梅若の渡し、真崎の渡し、と別名を持つ。<br />
その昔、源頼朝が石橋山の戦いに敗れて安房の国に逃れ、下総を経て、鎌倉へ向かう時、<br />
隅田川に浮橋を架けて渡った所とも言われる。<br />
もっとも　渡しの位置は時代により多少移動しているようだが、<br />
現在の白鬚橋の南側にあたるらしい。<br />
それも　大正初年に地元の人が木橋を架け、橋場の渡しは消滅した。<br />
やや北に離れたところに　梅若丸の塚がある、墨田区堤通の木母寺(もくぼじ)だ。<br />
<br />
<br />
<b><font style="color:#660000; font-size:10px;">我子を人買いにさらわれ　都北白河から武蔵の国隅田川のほとりまで尋ね歩く女。<br />
業平の　名にし負わば〜　の古歌と我が子を尋ねる我身を重ねて嘆き悲しむ様子に<br />
渡しの船頭が、川向うでの大念仏は、子供が死んだのを人々が回向しているのだと語る。<br />
それが尋ねる我が子の梅若丸と判り、女も念仏を唱える。　と、　南無阿弥陀仏と　子供の声が聞こえる。<br />
　　　　　あっ！　あたしの梅若丸だわ〜。可愛いあたしのぼうやだわっ。<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　おかあちゃまぁ！　おかぁちゃまですよねっ！！<br />
その姿が幻のように現れ、夜明けと共に消え失せ、あとには草の生い茂った塚があるのみだった。</font></b><br />
<br />
世阿弥の子、十郎元雅の作品。<br />
世阿弥と元雅の間で　この梅若丸を舞台上に登場させるか否かのやりとりがあった。<br />
子方として子の幻を舞台に出すか、子方を出さずに幻を見る気持を強く意識させるかと。<br />
元雅は我子を亡くしていたという説もある。世阿弥も後年元雅を亡くし、逆縁となった。<br />
<br />
<br />
隅田川と言うと　<br />
　　　　<b><font style="font-size:10px;">銀杏がえしに　黒繻子かけて　泣いて別れた　すみだ川　…　</font></b>　　を思う御仁もあろう。<br />
永井荷風の小説「すみだ川」に題材を採った　御存知　東海林太郎のすみだ川。<br />
<br />
　　　　<b><font style="font-size:10px;">あぁ　そうだったわねぇ　あなたが二十歳、わたしが十七の時よ。<br />
　　　　いつも清元のお稽古から帰って来ると、　あなたは竹谷の渡し場で　…　</font></b>　　と田中絹代が台詞を言う。<br />
<br />
あまりピンとこないなら　島倉千代子の芸者姿のすみだ川もある。<br />
文庫本７０頁程の作品、「すみだ川」は明治３５、６年の光景で、荷風の香りをたっぷり。<br />
<br />
世阿弥父子の頃の隅田川の香りは、今月２６日<a href="http://www.nohbutai.com/" target="_blank">鎌倉能舞台</a>で。　三余堂が子を思う狂女となる。</font><br />
<br />
<br />
<br />
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<br />
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<dc:subject>三余堂月次</dc:subject>
<dc:creator>nogakusanpo</dc:creator> 
<dc:date>2009-10-12T00:11:07+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/163.html">
<title>時雨月の御案内を</title>
<link>http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/163.html</link>
<description>あちらも百年、こちらも百年、「１００年記念の年」になると　昨年末三余堂月次《百萬》で書いた。お陰さまで　全国各地で九皐会百周年の記念会は、無事進行中である。　むっ！もう一つ、百年があった。今年三月には　早稲田大学の演劇博物館で　「世阿弥発見１００年―吉田東伍と能楽研究の歩み―」と題する企画展をやっていた。一般に世阿弥の秘伝書といわれるものは、「道のため、家のため」の書であった。別に数百年もの間、土に埋まっていた訳でなく、自然の惠を人の手が丹精した和紙と墨の力は、過去何千年と生き抜いた証明がある。原本がすっかり朽ち果てるとは思えない。室町から江戸の間は、能役者や一部の権力者、観世家、徳川家康などの大名家に秘蔵され、人の目に触れることはなかったし、その必要もなかった。が、御維新後、世の事情で顔を出した写本があったのだ。　明治４１年に、『申楽談儀』　さるがくだんぎ　を吉田東伍が翻刻・刊行し、その存在が初めて広く知られることになった。数百年間、伝説的であった世阿弥の姿を明らかにする大発見！能の大成期について具体的に知ることができる貴重な『申楽談儀』は、世阿弥の芸談を子息の元能が書き留めたものである。どのような経緯か長い時を経て　実業家・安田善次郎の手元にあった伝書が、吉田東伍によって翻刻・刊行され、一般の人の目に触れた。数百年の間には勿論、それなりに、それなりの人が必要として、写本、写本、写本を繰り返す。。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　なんたって　秘伝書。秘されれば　見なくちゃ、みなくっちゃっ！スキャナー、コピーがあるわけでなし。当然　加筆も、誤筆も、悪筆で訳の判らないものも出てこよう。　　　　　　　　　　　　　　　僕、ここだけでいいから、そっちは君写せば！　ぅっわぁ〜　いいのぉ。でも、メンド！！ 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　やっとの思いで　写本したら　お茶をこぼして駄目にィってなことも　…　あるかもしれない！吉田東伍の業績は　『申楽談儀』の存在を広く伝えることには寄与したが、書写を重ねた本を底本としているし、欠損は他の写本で補ったりして厳密さを欠いたらしい。その上、安田の手元にあった伝書は大正十二年の関東大震災によってすべて焼失！とはいえ、吉田東伍が「能楽創始の根本史料」と記した如く、刊行した『世阿弥十六部集』は、能楽研究の第一級資料として高く評価され、研究者による研究を生んで現在にいたる。戦後は、表章が携わった岩波文庫版『申楽談儀』、『世阿弥 禅竹』で、いろいろな写本を参照して原文を復原する試みを行っているので　興味のある御仁は　図書館ででも…。　書棚から引き出された『世阿弥 禅竹』!!$photo1$photo2!!ツンドクでも結構ケースに焼けがあるなぁ…１０月１０日から東大の駒場博物館で特別展　《観世家のアーカイブ ―世阿弥直筆本と能楽テクストの世界―》と題した展示がある。ここでも世阿弥と歴代の観世太夫に触れることができる。　　　　　　　　　　　　　文中敬称略</description>
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<![CDATA[ 
<font style="font-size:14px;">あちらも百年、こちらも百年、「１００年記念の年」になると　昨年末三余堂月次《<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/120.html　" target="_blank">百萬</a>》で書いた。<br />
お陰さまで　全国各地で九皐会百周年の記念会は、無事進行中である。　<br />
むっ！もう一つ、百年があった。<br />
今年三月には　早稲田大学の演劇博物館で　<br />
「世阿弥発見１００年―吉田東伍と能楽研究の歩み―」と題する企画展をやっていた。<br />
<br />
一般に世阿弥の秘伝書といわれるものは、「道のため、家のため」の書であった。<br />
別に数百年もの間、土に埋まっていた訳でなく、自然の惠を人の手が丹精した<br />
和紙と墨の力は、過去何千年と生き抜いた証明がある。<br />
原本がすっかり朽ち果てるとは思えない。<br />
室町から江戸の間は、能役者や一部の権力者、観世家、徳川家康などの大名家に秘蔵され、<br />
人の目に触れることはなかったし、その必要もなかった。<br />
が、御維新後、世の事情で顔を出した写本があったのだ。　<br />
<br />
<br />
明治４１年に、『申楽談儀』　さるがくだんぎ　を吉田東伍が翻刻・刊行し、その存在が初めて<br />
広く知られることになった。<br />
数百年間、伝説的であった世阿弥の姿を明らかにする大発見！<br />
能の大成期について具体的に知ることができる貴重な『申楽談儀』は、世阿弥の芸談を子息の<br />
元能が書き留めたものである。<br />
どのような経緯か長い時を経て　実業家・安田善次郎の手元にあった伝書が、吉田東伍によって<br />
翻刻・刊行され、一般の人の目に触れた。<br />
<br />
数百年の間には勿論、それなりに、それなりの人が必要として、写本、写本、写本を繰り返す。。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<br />
　　　　　　　　　　　　　　　<b><font style="font-size:10px;">なんたって　秘伝書。秘されれば　見なくちゃ、みなくっちゃっ！</font></b><br />
スキャナー、コピーがあるわけでなし。<br />
当然　加筆も、誤筆も、悪筆で訳の判らないものも出てこよう。<br />
　　　　　　　　　　　　　　　<b><font style="font-size:10px;">僕、ここだけでいいから、そっちは君写せば！　ぅっわぁ〜　いいのぉ。でも、メンド！！ <br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　やっとの思いで　写本したら　お茶をこぼして駄目にィってなことも　…　あるかもしれない！</font></b><br />
<br />
<br />
吉田東伍の業績は　『申楽談儀』の存在を広く伝えることには寄与したが、書写を重ねた本を<br />
底本としているし、欠損は他の写本で補ったりして厳密さを欠いたらしい。<br />
その上、安田の手元にあった伝書は大正十二年の関東大震災によってすべて焼失！<br />
とはいえ、吉田東伍が「能楽創始の根本史料」と記した如く、刊行した『世阿弥十六部集』は、<br />
能楽研究の第一級資料として高く評価され、研究者による研究を生んで現在にいたる。<br />
戦後は、表章が携わった岩波文庫版『申楽談儀』、『世阿弥 禅竹』で、いろいろな写本を<br />
参照して原文を復原する試みを行っているので　興味のある御仁は　図書館ででも…。　<br />
<br />
<font style="font-size:10px;">書棚から引き出された『世阿弥 禅竹』</font><a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/163-1.jpg" target="_blank"><img src="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/163-1.jpg" border="0" alt="時雨月の御案内を"  height = "240" /></a><br />
<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/163-2.jpg" target="_blank"><img src="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/163-2.jpg" border="0" alt="時雨月の御案内を"  width = "360" /></a><font style="font-size:10px;">ツンドクでも結構ケースに焼けがあるなぁ…</font><br />
<br />
<br />
１０月１０日から東大の駒場博物館で特別展　<br />
《<a href="http://museum.c.u-tokyo.ac.jp/exihibition.html#kanze　　" target="_blank">観世家のアーカイブ ―世阿弥直筆本と能楽テクストの世界―</a>》<br />
と題した展示がある。<br />
ここでも世阿弥と歴代の観世太夫に触れることができる。　　　　　　　　　　　　　<br />
<font style="font-size:10px;">文中敬称略</font></font><br />
<br />
<br />
<br />

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</content:encoded>
<dc:subject>案内望遠鏡</dc:subject>
<dc:creator>nogakusanpo</dc:creator> 
<dc:date>2009-10-01T01:29:06+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/162.html">
<title>三余堂と鵞毛庵の能楽さんぽ</title>
<link>http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/162.html</link>
<description>この「能楽さんぽ」が　La plume d'oie ラ&amp;#8226;プリュム&amp;#8226;ドワの兄妹サイトとして誕生したのが2006年10月。　　「でもォ、アイツとじゃなぁ…」　と始めたこの　三余堂と鵞毛庵の能楽さんぽ　は　また、歳を重ねることになった。　表紙の文面も　時移り事去り、そろそろ装束替えをと考えた。ところが　このサイトはそうそう手入れが出来ない代物と判明。半年ごとのリモデル家電製品宜しく　サイトの仕様も、どんどん時代遅れになっていく。こちとらぁ　月に二度や三度のアップで、まだ三年っぱかりでぇ！　と啖呵を切ったって始まらない。!!$photo1!!簡単に　新装できないのは大した内容でもないのに小難しくタラタラ文章を並べず、案内望遠鏡の意に沿って、視野広く対象の星を追跡しやすくするために主望遠鏡を助けるがごとく、ご案内やらお知らせやら、訂正を掲載せよ、と　示唆されたわけだ。そこで　表紙差替えのつもりで　改めてご挨拶を。　　　　　　                   三余堂亭主が「能」についてのあれこれをお話しする「能楽さんぽ」が　鵞毛庵の　　　　　　La plume d'oie ラ&amp;#8226;プリュム&amp;#8226;ドワの兄妹サイトとして誕生したのが2006年10月。　　　　　　　　「でもォ、アイツとじゃなぁ…」　と始めた三余堂と鵞毛庵の能楽さんぽも、また、　　　　　　　歳を重ねることになりました。2009年は日本での活動を展開している鵞毛庵です。　　　　　　当初、能に関する名所旧跡を訪ねるサイトだと思われた方もありましたが、アニハカランヤ！　　　　　　能楽師と西洋の文字を綴って能を表しているカリグラファーとの　掛合漫才。　　　　　　またまた、気儘なさんぽへ出ようと思います。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　2009.10.01. 　三余堂　</description>
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<![CDATA[ 
<font style="font-size:14px;">この「能楽さんぽ」が　La plume d'oie ラ&#8226;プリュム&#8226;ドワの兄妹サイトとして誕生したのが2006年10月。　　<br />
「でもォ、アイツとじゃなぁ…」　と始めたこの　<b>三余堂と鵞毛庵の能楽さんぽ</b>　は　<br />
また、歳を重ねることになった。　表紙の文面も　時移り事去り、そろそろ装束替えをと考えた。<br />
ところが　このサイトはそうそう手入れが出来ない代物と判明。<br />
半年ごとのリモデル家電製品宜しく　サイトの仕様も、どんどん時代遅れになっていく。</font><br />
<br />
<b><font style="font-size:10px;">こちとらぁ　月に二度や三度のアップで、まだ三年っぱかりでぇ！　と啖呵を切ったって始まらない。</font></b><a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/162-1.jpg" target="_blank"><img src="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/162-1.jpg" border="0" alt="三余堂と鵞毛庵の能楽さんぽ"  width = "360" /></a><br />
<br />
<br />
<font style="font-size:14px;">簡単に　新装できないのは大した内容でもないのに小難しくタラタラ文章を並べず、<br />
案内望遠鏡の意に沿って、視野広く対象の星を追跡しやすくするために主望遠鏡を助けるがごとく、<br />
ご案内やらお知らせやら、訂正を掲載せよ、と　示唆されたわけだ。<br />
<br />
そこで　表紙差替えのつもりで　改めてご挨拶を。</font>　　　　　　<font style="color:#CC0066; font-size:10px;"><b><br />
<br />
                   三余堂亭主が「能」についてのあれこれをお話しする「能楽さんぽ」が　鵞毛庵の<br />
　　　　　　La plume d'oie ラ&#8226;プリュム&#8226;ドワの兄妹サイトとして誕生したのが2006年10月。　　<br />
　　　　　　「でもォ、アイツとじゃなぁ…」　と始めた三余堂と鵞毛庵の能楽さんぽも、また、　<br />
　　　　　　歳を重ねることになりました。2009年は日本での活動を展開している鵞毛庵です。<br />
　　　　　　当初、能に関する名所旧跡を訪ねるサイトだと思われた方もありましたが、アニハカランヤ！<br />
　　　　　　能楽師と西洋の文字を綴って能を表しているカリグラファーとの　掛合漫才。<br />
　　　　　　またまた、気儘なさんぽへ出ようと思います。<br />
<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　2009.10.01. 　三余堂　</b></font><br />
<br />
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<dc:subject>案内望遠鏡</dc:subject>
<dc:creator>nogakusanpo</dc:creator> 
<dc:date>2009-10-01T01:29:06+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/161.html">
<title>いにしえの色</title>
<link>http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/161.html</link>
<description>昨日小津和紙博物舗の文化教室でのカリグラフィーの一日講習の後、すぐ近所の三井記念美術館で「夢と追憶の江戸」　を見てきました。慶応義塾の高橋誠一郎浮世絵コレクションです。その多くが青や赤や黒がくっきりととても鮮明な色を保っています。ちょうど先週末、中世ヨーロッパのレシピでゴールインクを作ろうというワークショップを開いた庵主ですが、その前の9月6日にテレビ番組「ザ！鉄腕！DASH！」　で天然顔料の色を探すというのがテーマになっていました。昔の絵から赤、黄、青、緑、紫、白と黒の7色選んでその天然材料を見つけるというもの。そこで黒色は写楽の役者絵「市川蝦蔵」の髪の毛の「黒」。文献を紐解いたり専門家に聞いたりしてたどりついたのが「五倍子（ごばいし）」。おお、なんというタイミング！!!$photo1!!　　三井記念美術館「夢と追憶の江戸」のパンフにある写楽の役者絵　まさにこの絵が[ザ！鉄腕！DASHI！」で黒と黄色、白の見本に選ばれていました。これが展示されるのはこの展覧会の後期ゴールインクのゴールとは、英語で虫こぶのことを指し、ブナにできる没食子（もっしょくし）やヌルデにできる五倍子がそれにあたります。この虫こぶはタンニンを多く含み、それを抽出して、酸化鉄と合わせたものがインクになります。日本では古来から染料として五倍子を使っており、鉄漿（おはぐろ）の原料として知られています。ぬぬぬ？鉄漿とゴールインクは同じもの？？そうなんです。染料以外に、没食子や五倍子は漢方薬としても使われていて、止血、止汗、下痢などに効能があるとか。（でもインクはくれぐれも飲まないように！）ゴールインクの材料　硫酸第一鉄、粉砕された五倍子、丸いのは没食子!!$photo2!!このインクは書き始めは薄めの色合いですが、時間が経つと鉄が空気に触れて酸化し徐々に濃くなっていきます。中近東あたりで発祥し、ヨーロッパには12世紀ごろ広まって、古文書の殆どがこのインクで書かれています。本来は羽ペンで羊皮紙に書くところですが、19日付記事にも掲載した｢清経｣など普通の紙の作品にも庵主はこのインクを時々使用しています。!!$photo3!!La plume d’oie&amp;copy; 鵞毛庵　2007　能「葵上」部分三井記念美術館の展示はなかなか見ごたえあり、いにしえの色をたっぷり満喫。「土蜘蛛」、「安達原」など能の曲目を題材にした浮世絵もいくつかありましたが、題材として選ばれているだけで、どれもなぜかおどろおどろしいものばかり。「景清」も恐ろしい形相で．．．。しかし、それはこれらの曲目や話が当時ポピュラーな題材だったということでしょうけれど。</description>
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<![CDATA[ 
<font style="font-size:14px;">昨日<a href="http://www.ozuwashi.net/school/index.php" target="_blank"><font style="font-size:12px;">小津和紙博物舗の文化教室</font></a>でのカリグラフィーの一日講習の後、すぐ近所の三井記念美術館で<a href="http://www.mitsui-museum.jp/exhibition_01.html" target="_blank"><font style="font-size:12px;">「夢と追憶の江戸」</font></a>　</font><font style="font-size:14px;">を見てきました。慶応義塾の高橋誠一郎浮世絵コレクションです。その多くが青や赤や黒がくっきりととても鮮明な色を保っています。<br />
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ちょうど先週末、中世ヨーロッパのレシピでゴールインクを作ろうというワークショップを開いた庵主ですが、その前の9月6日にテレビ番組</font><a href="http://www.ntv.co.jp/dash/tetsuwan_new/past/2009/0906/02/01.html" target="_blank"><font style="font-size:12px;">「ザ！鉄腕！DASH！」</font></a>　</font><font style="font-size:14px;">で天然顔料の色を探すというのがテーマになっていました。昔の絵から赤、黄、青、緑、紫、白と黒の7色選んでその天然材料を見つけるというもの。そこで黒色は写楽の役者絵「市川蝦蔵」の髪の毛の「黒」。文献を紐解いたり専門家に聞いたりしてたどりついたのが「五倍子（ごばいし）」。おお、なんというタイミング！</font></font><br />
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<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/161-1.jpg" target="_blank"><img src="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/161-1.jpg" border="0" alt="いにしえの色"  width = "360" /></a>　　<br />
三井記念美術館「夢と追憶の江戸」のパンフにある写楽の役者絵　まさにこの絵が[ザ！鉄腕！DASHI！」で黒と黄色、白の見本に選ばれていました。これが展示されるのはこの展覧会の後期<br />
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<font style="font-size:14px;">ゴールインクのゴールとは、英語で虫こぶのことを指し、ブナにできる没食子（もっしょくし）やヌルデにできる五倍子がそれにあたります。この虫こぶはタンニンを多く含み、それを抽出して、酸化鉄と合わせたものがインクになります。日本では古来から染料として五倍子を使っており、鉄漿（おはぐろ）の原料として知られています。ぬぬぬ？鉄漿とゴールインクは同じもの？？そうなんです。染料以外に、没食子や五倍子は漢方薬としても使われていて、止血、止汗、下痢などに効能があるとか。（でもインクはくれぐれも飲まないように！）</font><br />
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ゴールインクの材料　硫酸第一鉄、粉砕された五倍子、丸いのは没食子<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/161-2.jpg" target="_blank"><img src="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/161-2.jpg" border="0" alt="いにしえの色"  width = "314" /></a><br />
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<font style="font-size:14px;">このインクは書き始めは薄めの色合いですが、時間が経つと鉄が空気に触れて酸化し徐々に濃くなっていきます。中近東あたりで発祥し、ヨーロッパには12世紀ごろ広まって、古文書の殆どがこのインクで書かれています。<br />
本来は羽ペンで羊皮紙に書くところですが、19日付記事にも掲載した｢清経｣など普通の紙の作品にも庵主はこのインクを時々使用しています。</font><br />
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<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/161-3.jpg" target="_blank"><img src="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/161-3.jpg" border="0" alt="いにしえの色"  width = "360" /></a><br />
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La plume d’oie&copy; 鵞毛庵　2007　能「葵上」部分<br />
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<font style="font-size:14px;">三井記念美術館の展示はなかなか見ごたえあり、いにしえの色をたっぷり満喫。<br />
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「土蜘蛛」、「安達原」など能の曲目を題材にした浮世絵もいくつかありましたが、題材として選ばれているだけで、どれもなぜかおどろおどろしいものばかり。「景清」も恐ろしい形相で．．．。<br />
しかし、それはこれらの曲目や話が当時ポピュラーな題材だったということでしょうけれど。</font><br />

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<dc:subject>鵞毛庵能の花シリーズ</dc:subject>
<dc:creator>nogakusanpo</dc:creator> 
<dc:date>2009-09-20T11:20:06+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/160.html">
<title>お詫び</title>
<link>http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/160.html</link>
<description>ここ数日、能楽さんぽにアクセスできない状態で、皆さまには大変ご迷惑をおかけ致しました。申し訳ございません。本日より、再開致しましたので、引き続きご愛読のほど、どうぞよろしくお願い致します。　　　　　　　　　　　　!!$photo1!!　　　　　　　　　　La plume d'oie(c) 鵞毛庵　2009　　　能「清経」</description>
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<![CDATA[ 
<font style="color:#CC0099; font-size:15px;">ここ数日、能楽さんぽにアクセスできない状態で、皆さまには大変ご迷惑をおかけ致しました。申し訳ございません。<br />
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本日より、再開致しましたので、引き続きご愛読のほど、どうぞよろしくお願い致します。</font><br />
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　　　　　　　　　　　　<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/160-1.jpg" target="_blank"><img src="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/160-1.jpg" border="0" alt="お詫び"  width = "360" /></a><br />
　　　　　　　　　　La plume d'oie(c) 鵞毛庵　2009　　　能「清経」<br />

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<dc:subject>鵞毛庵能の花シリーズ</dc:subject>
<dc:creator>nogakusanpo</dc:creator> 
<dc:date>2009-09-19T09:36:48+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/159.html">
<title>老人必要養草</title>
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<description>《　内閣総理大臣が国の機関などから移管を受けた重要な公文書を、歴史資料として独立行政法人国立公文書館が保存管理しています。》　と、ホームページにある国立公文書館。資料の保存、データベース化、一般公開、インターネットの駆使と広く事業を行う。重要な公文書の適切な保存と利用を図ることを目的とした施設。公文書館は図書館、博物館と共に　文化施設として三本の柱の一つなのだそうだ。                                    ふぅ〜む        ヨーロッパでは、１８世紀以来、近代的な公文書館制度が発達したという。が、我国では　戦後、その必要性の高い声に　準備の末　　　　『公文書等の保存、閲覧・展示などへの利用、公文書の調査研究を行う機関』　を目的として、昭和46年に国立公文書館が設置。　　　結構　近年のことだ。この設置に際して　重要な一部門となった内閣文庫。　明治6年太政官に置かれた図書掛に始まり、明治18年内閣制度創始と同時に内閣文庫となる。和漢の古典籍・古文書を所蔵する専門図書館となった。その蔵書には、江戸幕府の記録等の公文書に類する資料も多いという。平成10年にはつくば研究学園都市内に、つくば分館設置。平成13年独立行政法人国立公文書館となる。独立行政法人への移行後も　内閣文庫の所蔵資料は引き続き国立公文書館で保存されていて…　　　ふむ、　ふぅ〜むこの　国立公文書館のホームページ。時折　覗くと興味深いものを見つける。今月のアーカイブを手繰っていくと　老人必要養草　ろうじんひつようやしないぐさ！に当たった。ご存知、養生訓の著者貝原益軒、その弟子の　香月牛山　かつきぎゅうざん(1656-1740)の著。対象は高齢者限定ときた。もっとも　この時代　いくつが高齢者だろうか。正徳６年(1716)に　出版された書で　高齢者がいる家庭のための家庭医学事典と…三余堂　必携の書のような気がしてくる。養老の総論、飲食やら何やらと続き、鬱屈した心を癒す工夫や高齢者特有の心理を具体的に解説しているのが、本書の特徴。と、ある。老人性のうつ病ということか。現代ならではの状況ではなさそうだ。形体保養の説という項には　手足の屈伸やマッサージが血流を促し卒中風の患いなしと　ある。　　　　ふむ、ふむ、　ふぅ〜む今月の展示を確認すべく覗いたところが　とんだ　敬老の日を前にして心の準備となった。東京、北の丸公園、近代美術館へ御用の向きは　ちょっと　一足！展示会は入場無料、　　　地下鉄東西線竹橋駅下車[1b出口]徒歩5分。矢来能楽堂の地下鉄東西線神楽坂駅から　三つめの駅。　ついでにも便利なところである。そこには文化の必要養草を実践する国立公文書館がある。</description>
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<![CDATA[ 
<font style="font-size:14px;"><font style="color:#660000; ">《　内閣総理大臣が国の機関などから移管を受けた重要な公文書を、歴史資料として独立行政法人国立公文書館が<br />
保存管理しています。》　と、ホームページにある<a href="http://www.archives.go.jp/" target="_blank">国立公文書館</a>。<br />
資料の保存、データベース化、一般公開、インターネットの駆使と広く事業を行う。<br />
重要な公文書の適切な保存と利用を図ることを目的とした施設。<br />
公文書館は図書館、博物館と共に　文化施設として三本の柱の一つなのだそうだ。<br />
                                    ふぅ〜む<br />
        <br />
ヨーロッパでは、１８世紀以来、近代的な公文書館制度が発達したという。<br />
が、我国では　戦後、その必要性の高い声に　準備の末　<br />
　　　『公文書等の保存、閲覧・展示などへの利用、公文書の調査研究を行う機関』　を<br />
目的として、昭和46年に国立公文書館が設置。　　　結構　近年のことだ。<br />
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この設置に際して　重要な一部門となった内閣文庫。　<br />
明治6年太政官に置かれた図書掛に始まり、明治18年内閣制度創始と同時に内閣文庫となる。<br />
和漢の古典籍・古文書を所蔵する専門図書館となった。<br />
その蔵書には、江戸幕府の記録等の公文書に類する資料も多いという。<br />
平成10年にはつくば研究学園都市内に、つくば分館設置。<br />
平成13年独立行政法人国立公文書館となる。<br />
独立行政法人への移行後も　内閣文庫の所蔵資料は引き続き国立公文書館で保存されていて…<br />
　　　ふむ、　ふぅ〜む<br />
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この　国立公文書館のホームページ。時折　覗くと興味深いものを見つける。<br />
<a href="http://www.archives.go.jp/owning/monthly/backnumber.html" target="_blank">今月のアーカイブ</a>を手繰っていくと　老人必要養草　<font style="font-size:12px;">ろうじんひつようやしないぐさ</font>！に当たった。<br />
<br />
ご存知、養生訓の著者貝原益軒、その弟子の　香月牛山　<font style="font-size:12px;">かつきぎゅうざん</font>(1656-1740)の著。<br />
対象は高齢者限定ときた。もっとも　この時代　いくつが高齢者だろうか。<br />
正徳６年(1716)に　出版された書で　高齢者がいる家庭のための家庭医学事典と…<br />
三余堂　必携の書のような気がしてくる。<br />
養老の総論、飲食やら何やらと続き、鬱屈した心を癒す工夫や高齢者特有の心理を具体的に<br />
解説しているのが、本書の特徴。と、ある。<br />
老人性のうつ病ということか。現代ならではの状況ではなさそうだ。<br />
形体保養の説という項には　手足の屈伸やマッサージが血流を促し卒中風の患いなしと　ある。<br />
　　　　ふむ、ふむ、　ふぅ〜む<br />
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<a href="http://www.archives.go.jp/exhibition/index.html" target="_blank">今月の展示</a>を確認すべく覗いたところが　とんだ　敬老の日を前にして心の準備となった。<br />
東京、北の丸公園、近代美術館へ御用の向きは　ちょっと　一足！<br />
展示会は入場無料、<br />
　　　地下鉄東西線竹橋駅下車[1b出口]徒歩5分。<br />
<a href="http://www.kanze.com/index.html" target="_blank">矢来能楽堂</a>の地下鉄東西線神楽坂駅から　三つめの駅。　ついでにも便利なところである。<br />
そこには文化の必要養草を実践する国立公文書館がある。<br />
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<dc:subject>三余堂月次</dc:subject>
<dc:creator>nogakusanpo</dc:creator> 
<dc:date>2009-09-12T00:15:53+09:00</dc:date>
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