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2015年07月20日
COOL クールという英語は涼しい、涼しげ、冷静、冷淡、さらにはいかす、かっこいいなどの意味。

フランスでもこの英語をそのまま取り入れて、人や物事がちょっといかすとかかっこいいの意味に使われています。ある頃から、それが日本語の禅 ZENにとって代わった感も。最初は和風でCOOLな感じでZENだったのですが、段々まぜこぜになっているかもしれません。


COOL

COOL TIME   2015 Aug 5ー30



Gallery USHIN

カリグラフィー作家 五木田 摩耶
切り絵作家 紙屋初瀬
グラスジュエリー 塚本昭子  による3人展

会期:8月5日(水)より30(日)11~17時
*休廊 月・火 8/12〜16はお休み

旧作が中心ですが、久しぶりにシャンソンの作品を展示いたします。 会期中の土日は在廊予定です。

COOL
22,23日は午後2時から、どなたでも参加できる かんたん装飾頭文字のワークショップも行います。 参加費¥3,500

お申し込みはギャラリーまで。
投稿日 2015年07月31日 17:13:35
最終更新日 2015年08月21日 11:24:03
修正
2015年07月12日
カテゴリ : [三余堂月次]
観光都市世界ランキング1位は『京都』 というニュースはまだ耳に新しい。
東京も海外からの旅行客は相も変わらずで、過ごし難いこの季節をものともせず
買い物に忙しそうである。 外貨獲得 有難し有難し、という事か。
先日、銀座で、ウィンドーにへばりついてカメラを覗き込む西洋人の若者を見た。
 “君ィ、そこ高いから〜” と言ってやりたい気がした。一所懸命、学業の傍ら働き
貯めてきたんだろうなぁ と、我ながら、少々古めかしい感覚に ニタッ!として
地下鉄の階段を降りた。


今から ざっと百七、八十年前になるが、日本に憧れてやってきた人がいる。
所謂 文化文政から天保といった時代で、結構、日本近海は潮流の具合で
漂流民が海外へ出たり、来たりと、社会貢献することになる。
そんな中に一人の若者がいた。子供の頃、日本人漂流民に出会った少年、
ラナルド・マクドナルドは、英領時代のカナダで生まれた。 1824年のことだった。
どういう訳だか、この人、親戚のおじさんだかおばさんに、
“お前の祖先は日本人なんだよ!”と言われて その気になっていたらしい。
尤も、彼は毛皮商だったスコットランド人の父と現地人の母との混血で、それなりの
苦労と共に未知の世界への憧れという、お決まりの道が、日本行きを企てたようだ。
1845年、ニューヨークで捕鯨船プリマス号の船員となっていざ、日本へ。
勿論 密航である。 “鎖国する謎の国が 僕のルーツなんだ!”
“日本語や日本の事情を学び ベンチャービジネスの機会を!” と思ったか、
なかなかの覚悟で やってきた。

1848年6月、単身ボートで日本に上陸。母船の船長は、正規の下船証明を与えたという。
不法入国では処刑、が、漂流者なら…  ということで、利尻島に上陸。
ここに住んでいたアイヌ人と10日ほど暮らしたが、その後、拘留されたり、密入国の疑いで
宗谷、松前、長崎へと送られた。 疑いなく密入国なのだが…
ここで、1849年にアメリカの軍艦で本国に帰還するまでの約7ヶ月間を過ごしたという。
マクドナルドは、聞き覚えた日本語を使うなどのアピールが功を奏したのか、長崎奉行は、
オランダ語通詞14名を彼につけて英語を学ばせた。その中の一人、森山栄之助は、
彼から本格的な英語を学んで、阿蘭陀語、英語が使える通詞となった。
何せ、それまでは捕鯨船の漂流民の話し言葉や、阿蘭陀訛りの英語学習であるから
“しっと だうん!” の域を出るとは思えぬ。マクドナルドが最初の英語を母国語とする
英語教師だった。 森山はさすが、通詞の家柄、幼少期から特別培養されて、語学で
御奉公すべく教育されてきただけの事はあり、結構 上手かったようである。
嘉永7年(1854年)のペリー再来航の首席通詞を森山栄之助は務めている。

マクドナルドは、当然乍ら、観光都市世界ランキング1位の『京都』を見物をすることも
なく、長崎に入港していたアメリカ船に引き渡され、そのままアメリカへ。
帰国後は日本の情報を米国に伝え、後のアメリカの対日政策の方針に影響を与えた
という。アメリカ史ではかなりの重要な人物として、研究や紹介の書籍が公刊されている
そうだ。三余堂にとっては、教科書に名前があったかどうだかも定かでない人物だが、
ペリーはきっと、彼からの情報を分析しているのだろう。

帰国後はそれこそ、起業し、世界へ航海したという。
人生最後の言葉は、「さようなら my dear さようなら」だったというから、
ラナルド・マクドナルドはそれなりの満足な日本生活を送ったのだ。








投稿日 2015年07月12日 16:08:21
最終更新日 2015年07月12日 16:08:40
修正
2015年07月01日
カテゴリ : [案内望遠鏡]
先ごろ話題になった 『昔話は何故、おじいさんとおばあさんが主役なのか』 (草思社) 
という本がある。 その前作が、『本当はひどかった昔の日本』 (新潮社) という訳で、
両方とも ニヤニヤとしながらも 何故か納得し、ふむふむと頁を繰っていく。

昔話や古典文学に描かれた老人を探って、その時代の老人生態を知る!ということだ。
全国の六万話もの昔話から、古典文学まで徹底的に分析して、老人という “人” を
生活の中に見た。三面記事そのままに テレビのワイドショー顔負けの捨て子に
育児放棄、マタハラに介護地獄。まぁ 次から次へとあるワあるワ。

子供の頃に出会う、『むかしむかし〜』とはじまる話は、『それでぇ〜、次はぁ〜、
え゛っ〜』 などとせがむうちに 大抵、眠ってしまう。 
そして、又翌日に『むかしむかし〜 』と始まる。だから、そう深く内容を考えていない。
が、大人になって思い返すと、結構きつい話である。
『むかしむかし〜』 の昔話は何時だか判らない、昔々の物語であった。 
ところが、自らが老境に差掛り、世の中が高齢社会となると 『昔話は何故、
おじいさんとおばあさんが主役なのか』 はいやに興味が湧く題材であるし、
この社会事情では 本当はどうだったのか昔の日本 となるわけだ。
昔話に登場する、したたかに頑張る老人は、返して見れば、したたかに
頑張らなきゃぁならなかったということでもある。
      七十過ぎても“婚活"!   姥捨て山に捨てられても、みごと生還!
極楽往生したくて、井戸にダイブ!   ……昔の老人はやばかった!! 
昔話は何故、おじいさんとおばあさんが主役なのか』 という本の内容紹介は、少々
袈裟を広げすぎるとは思えど、ついつい本の著者 大塚ひかり氏による老人論に
引込まれる。実在したイカす老人として、かの世阿弥の名前も挙がっていた。
まぁ、長く生きりゃぁ それなりにいろいろあらぁな… 

一般にどうも人は 昔は良かった と思いたいようだが、さして昔も今も変りなしと、
本当はひどかった昔の日本』 に突き付けられる。
まっ、この日常茶飯事、事の善し悪しは兎も角、昔から誰かが、何処かで経験済み
ときている。
昔はよかった」なんて大嘘です!?
我らがご先祖様は、こんなにも残酷で、だけど強かった!
みんな古典に書いてある!
と著者は言う。が、この古典の中には勿論 能 もある。 
そう、イカシタ老人の世阿弥の作った能である。



投稿日 2015年07月03日 17:26:17
最終更新日 2015年07月03日 17:26:37
修正