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2015年06月01日
カテゴリ : [案内望遠鏡]
視力が弱く、普通の活字では本が読みづらい場合、ただ文字が大きければ解決する
というものではない。その日の天気が体調に影響するというが、読みづらい活字を追うことは
余計に体調を悪化させ気づかぬうちに 肩も凝るし、頭痛も引起す。
文字の大きさばかりでなく、行間、字間、文字の色、背景の色、印刷物の大きさ等々。                      
加齢による視力の衰えも、単に老眼鏡を使えばいいというものではない。
読みづらさは煩わしさを招き、どんどん活字から離れていく。
大事な用件も文字が小さいと感じただけで、読む気力が無くなるというものだ。
こうして老化が加速するのだが、それをしみじみと感じた頃は手遅れというものである。
空調の効いた快適な湿度を保つ図書館は 適当な日差しと座り心地の良いソファーが
億劫で読みづらい本でも、手にしてみようかという気にさせる。
が、たいして頁を繰らないうちに舟を漕ぎ出す。そんな手遅れ組の輩が多くなった為か、
最近図書館の入り口に張り紙が出た。 “図書館での居眠りはご遠慮ください”


一般的な文庫版の文字は1文字約3〜3.5ミリメートル角程度の大きさ。
これが4.2ミリメートル角にまで拡大し、文字を太く濃くしたり、黒の背景に白抜き文字の
白黒反転本や、リングで綴じてめくりやすく工夫した、小説やエッセイ、辞典、地図など
多種多様な本が “一度お手にいかが〜” と図書館にある。これが所謂 『大活字本』だ。
書架の親分といった感じの近隣の図書館は 手に取りやすい棚に、池波正太郎の鬼平や
山崎豊子の沈まぬ太陽、近年の本屋大賞本などがずらっからと並んでいる。 
ものの見事に書棚の端から端まで、同じタイトルの本が埋め尽くし、こちらを圧倒してくる。
それも当然で、文字が大きい為分冊になるからだ。 一寸した小説が完結するにはどうしても
二、三冊にわたるのは致し方ない。 しかし、居眠りなんかさせません!とばかりに、
あっという間にページが進むのは内容の所為ばかりではない。 見やすい本なのである。 
速読の術を身に着けたかと勘違いしながら読破できるのもこの本ならではだ。

大活字本


現況は大手書店やネット通販で購入可能だ。但し、値段が割高で、かさばる。
その点、電子書籍は個人の好みに文字を設定できるが、普及にはまだまだ時間がかかる。
本来は障害者や高齢者向けに開発されたものだが、活用の仕方はそれぞれの工夫で
いくらでもある。何といっても、居眠りする間もなくさっと小説が読める。一度どんなものか
図書館で、書店コーナーで手にしてみるのも一興。
大活字本の普及を目ざす大活字文化普及協会
            東京都千代田区神田神保町に大活字本専門書店を開いている。 









投稿日 2015年06月01日 18:06:25
最終更新日 2015年06月01日 18:06:44
修正
2015年06月12日
カテゴリ : [三余堂月次]
消えた記事の掘起し  2011-05-12 三余堂月次から



面白人物伝ではないが、業平に続いては明恵上人。 
たまたま 【明恵上人 その生涯と足跡…、】というYouTubeに突き当たった。
この動画、郷土の誇りとばかりに明恵上人を町興しに担ぎ出した。
と、そんなところだろうか…  上人は、和歌山県有田川町が出生地。
有田川町は吉備町・金屋町・清水町が2006年に合併して出来た町で 
有難くも上人は金屋町の歓喜寺の生まれという。 なんたって国道480号にある道の駅は
明恵ふるさと館 と命名されている。
明恵上人 両親とも藤原氏の系図の何処かに名前がある家柄。
お父上はあの後白河法皇の子、高倉上皇さんとこでお勤めだし、お母上も土地の有力者の娘。
そりゃぁ それなりに身分はしっかりしていた。が、数えで九つの時に両親をなくす。
翌年、高雄山神護寺で叔父上の上覚さんに師事。つまり、寺に預けられたって云う訳である。
これが1180年のこと。
高倉上皇から安徳天皇へ交代した年で、平家の雲行きが妖しくなっていく。
源頼政は平氏討伐のため挙兵するも、宇治平等院で敗死。  以仁王の命で源頼朝挙兵。
富士川の戦いで平氏は敗走。 黄瀬川では世にいう 黄瀬川の対面 で義経と頼朝対面。
仏御前って平清盛の寵愛を得た白拍子が亡くなったということになっているのもこの年。
それぞれ 能の題材でも御馴染。治承4年のことであった。

16歳で出家した明恵上人はあっちで学び、こっちで学びと学僧人生まっしぐら。
20代では山にこもったり、修行したりと 難しい教学を
修められ… 紀伊国内を転々と御生活。 
そうこうしているうちに天竺へ渡って 仏跡を巡礼しよう!
そんなことを企てるも、病気のため断念。 
3年後の1205年、再度 挑戦。 
が、藤原さんの氏神様である、春日明神のご神託でまた、また断念。

何たって、春日野あたりが、一面に金色の世界になり、八大竜王が百千の眷属(けんぞく)を
引き連れ、他の仏達も会座に参会し、御法を聴聞する。  ぅわぁ〜すごっ  と大感激。
         「これまでなりや明恵上人、さて入唐は」  「止まるべし」
         「渡天はいかに」  「渡るまじ」
         「さて仏跡は」  「尋ねまじや」
上人、入唐渡天を思い止り、竜神は姿を大蛇に変えて、猿沢の池水をかへして失せにけり!
と、能 春日龍神 の題材に。


その頃、大陸ではチンギスハーンがモンゴルを建てた、1206年。 
後鳥羽上皇より栂尾山を賜わり、高山寺を創建して華厳の教学に励んだという。
それらを判り易く、工夫をしたというが、なかなか自らは戒律に厳しかったそうな。
法然、親鸞、道元などの鎌倉新仏教の時代。 明恵もまた、「仏陀の精神に帰れ」との思い。
院政から武士の家の誕生、そして鎌倉幕府の政治へと、社会の大きなうねりの中で
浄土宗を開いた 法然の『選択本願念仏集』に対して、『摧邪輪』 を著したりしている。
内容は難しいので、専門家にお任せするとして、 1221年、後鳥羽上皇が鎌倉幕府に対して
討幕の兵を挙げた。世に云う承久の変。この時、上皇方の敗兵をかくまったとも云う。 
それが縁で、北条泰時との交流もあったらしい明恵上人。 なかなかのご人脈…   。

白洲正子著 『明恵上人』<講談社文芸文庫>、を手にするも良し。

1232年 耳順、自分と異なる意見を聞いても反発しなくなると孔子は云っている。  
寂、享年60。







投稿日 2015年06月12日 0:35:09
最終更新日 2015年06月12日 0:35:09
修正
2015年06月21日
雨降る頃の

今月のカレンダーの寓話は「牛になりたかったカエル」。
梅雨らしくなってきた東京ですが、近頃カエルみかけないですねぇ。
時折、早朝に車に轢かれたおぼしく哀れな姿をさらしていることも。

さて、この寓話、大きくて立派な牛をみかけたカエルが主人公。あんなふうに大きくカッコよくなりたい!と思い、お腹を一生懸命膨らませますが、まだまだと、どんどん膨らませた挙句に破裂してしまいました。

ラ・フォンテーヌ版ではカエルは妹も登場し、どうだい?という兄ガエルに、まだまだよ、もっともっと大きく!と言い続け、悲惨な結末を迎えます。この寓話の教訓はないものねだりをしない、身の程を知れ。

カエルと並んでこの季節の代表選手はカタツムリですが、日本ではアジサイと共に描かれるのが定番。アジサイはどんどん品種改良されて新種が増えていて、あちこちで咲き誇っていますが、カタツムリはどこへ行っちゃったんでしょう?

ところ変わってフランスは15世紀。ベリー公のいとも華麗なる時祷書にキリストの「パンと魚の奇跡」のページの囲みの装飾にカタツムリが沢山描かれています。ただし花はヒエンソウ。なかなかインパクトのある色彩で目を惹きますが、この組み合わせは、中世以来、「急がば回れ」を象徴する文様だそうです。

雨降る頃の


そしてカタツムリのねばねばした体液は、写本の装飾の金箔を置く際に、糊がわりに使用されていたとも。

あ、そしてフランスではカタツムリ=エスカルゴ、食べます!


投稿日 2015年06月21日 11:22:09
最終更新日 2015年06月21日 11:22:26
修正