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2015年02月01日
カテゴリ : [案内望遠鏡]
葛根湯 
         

カゼのひき始めや、肩こりなどに用いる漢方薬に葛根湯がある。
比較的体力のある人が、カゼのひき始めのゾクゾクっと寒気がした時、
頭痛や肩こり、筋肉痛、がある時に先ずは使用。
漢方薬なので空腹時に飲む。 つまりは むっ? きたっ!きたきた!!と、感じたら兎も角飲む。
漢方薬は、自然の草や木からとった「生薬」の組み合わせで、葛根湯は、葛根(カッコン)
麻黄(マオウ) 、桂皮(ケイヒ) 、芍薬(シャクヤク) 、甘草(カンゾウ) 、大棗(タイソウ)と
生姜(ショウキョウ)の7種類の生薬から出来ている。
“麻黄”には、気管支拡張の作用があり、咳や喘鳴をおさえる。“桂皮”には発汗、発散作用。
痛みをやわらげる“芍薬”、炎症やアレルギー症状を緩和する“甘草”などが配合されている。
勿論 今は飲みやすい粉末状態で、白湯で服用が簡単にできるようになっている。
何といったって、漢時代の「傷寒論」という古典書で紹介されている処方が 延々と今に至り…
まぁ、きちんと指示通りに用法を守れば大きな問題はないのだが。
比較的すぐに反応するこの葛根湯も やはり漢方薬。
じわじわと効いてくるので より良く効かせる為に 湿度と温度、栄養に休養を保持して〜
そう思いつつ ついつい時が経つ 先ずは一服 葛根湯。
立春前の極寒の日には必携の葛根湯である。


投稿日 2015年02月02日 23:24:40
最終更新日 2015年02月02日 23:24:40
修正
2015年02月12日
カテゴリ : [三余堂月次]
今年の旧歴で正月元日は2月19日の木曜日になる。
中国では最大のイベント、春節で、近年は中国からの観光客が
銀座通りに買い物に繰り出す。観光バスが列をなして買い物帰りの
客を待つ。 富裕層の家族なのだろうか、老いも若きも子供も手に一杯の荷物だ。
あぁ 春節の休暇か…

太陰暦の時代は日本も、年越しをこの日に設定していた。
まっ、江戸時代までは今頃が正月の陽気だった訳である。
江戸幕府の公式な正月行事として『謡初』 うたいぞめ というのがあった。
徳川家では、徳川家康がまだ、岡崎城にいた永禄の初め頃 既に、『謡初』は催されていた。
武家の正月の大切な行事として、定着していたということだ。
江戸幕府になってからは、徳川家の謡初めを踏襲した形で、観世太夫が出仕して行われた。
徳川家光の時代になると 観世太夫と、北七太夫(後の喜多)の両人が勤め、
寛文三年以降はその両太夫と、金春、宝生、金剛の各太夫の輪番出仕となった。 
  
謡初めの儀式はまず、観世太夫が平伏したまま 能「高砂」の一部分 「四海波」を謡い、
続いて「老松」、次にその年の輪番太夫の「東北」、と新春に相応しいめでたい曲を披演し、
そして、最後に喜多太夫が「高砂」という順に勤めた。
なかなかの豪華なメンバーで 春を寿ぐ。居囃子という形式で、能のように装束を付けた
扮装をせず、舞うこともせず、謡に囃子が入るという形式である。
その居囃子の後に、事前に徳川家からの拝領の白い綸子の時服で 当日出仕した三人の
太夫が弓矢立合という、特別な舞を合舞いした。 毎年 新品の装束を誂える訳である。
この謡初の儀式が済むと、将軍が自ら肩衣を脱ぎ、観世太夫のみに与えたという。
徳川幕府の「謡初」に臨んだ 居並ぶ諸大名も将軍に倣って肩衣を与えた。
年初の大切な「四海波」は観世太夫の担当であったことからも 徳川幕府下でいかに
観世の地位が優位であるかを知ることが出来る。
ちなみに肩衣は後日、金子と交換するという慣習だったということで、
扶持米が幕府から出ていた 能役者にとっては、お年玉… とでもいうことだろうか。

現在年初の初会などで演じられる「翁」は、謡初めでは謡われなかった。
「翁」は能とは元々異質で、あくまでも神事ということで別格だったのである。
さて、江戸幕府の公式行事の『謡初』は、家康が岡崎時代と同様、正月二日に
行われていたが、後に、時の将軍徳川家綱の生母が承応元年、1652年12月2日に
没した為、忌日の2日を避け、以後の謡初は正月3日に変更され、そのまま固定したという。
丁度 今でいうと、二月下旬の幕府にとっては大切な行事 「謡初」であった。








投稿日 2015年02月13日 16:50:14
最終更新日 2015年02月13日 16:50:29
修正
2015年02月20日
               no subject

投稿日 2015年02月20日 10:58:34
最終更新日 2015年02月26日 11:25:32
修正
2015年02月26日
話題になっていた銀座などでの春節のにぎわいをよそに、これ、どうやって書いたんだろうか?!と、このところ連日古い写本とにらめっこの鵞毛庵。それを書いたフランスの17世紀の書家の顔を憎々しげに眺めてはため息。

その書家とは、Louis Barbedorルイ・バルブドール(1589-1670)。ルイ13世と14世に仕えた宮廷お抱えの書家です。当時、ヨーロッパ中から世界で最も美しいと言われた書体のエクスパート。書に関する本も出版しており、そのRONDEロンド体と呼ばれる書体とそこから派生した書体は後々フランスの小学校で習う字の基礎になっています。
以前にもこちらの記事で触れましたが…


3月4日(水)〜10日(火)まで、日本橋の丸善で「世界の万年筆展」が開催されますが、それとタイアップして、3階のギャラリーではカリグラフィー展を行います。日本カリグラフィースクールの講師陣が出品、今年は特別講座からということで、フランスの17-18世紀の書体を担当している鵞毛庵も参加します。講座の内容に沿った作品をとのことで、展示作品制作のためにバルブドールとにらめっこなわけでした。

フランス17世紀の書体

The Art of Lettering 
日本カリグラフィースクール特別講座講師による カリグラフィー作品展
2015年3月4日(水)〜10日(火) 
丸善 日本橋 3階特設会場 9:30〜20:30  最終日は17:00閉場


羽根ペンの奥に覗いているのがその憎々しげな…
フランス17世紀の書体

投稿日 2015年02月26日 11:24:32
最終更新日 2015年02月26日 11:24:32
修正