http://nogakusanpo.maya-g.com
記事移動
2014年12月20日
  キリストが誕生したことを祝うクリスマス。Christmasと書き、英語ですが、これはChristがキリスト、masが礼拝の意味でラテン語のクリストゥス・ミサが語源です。
  また、ギリシャ語ではクリストゥスをxristosと書くことから、キリストのことを略してXとすることが多く、それからXmasと表記されることも。従って、X-mas、Xmas、X’masと表記はさまざまですが、中でもX’masとアポストロフィを加えて表記したものはXがすでにキリストの略なのだから実は間違っています。その表記を見るたびに、小学生の時の英語の時間にアイルランド人のシスターが、「略さずにきちんと英語でお書きなさい、ましてやX’masと書いてはいけません!」と言ったのが頭をよぎる鵞毛庵です。

  ではクリスマスを意味するフランス語のノエルNoëlの語源は何かというと、それはラテン語で誕生などを意味するnatalisという言葉からきています。時代を経て母音に変化などが加えられてNoëlになったようです。
  同じようにイタリア語ではNataleナターレ、スペイン語ではNavidadナヴィダー(やはり誕生を意味するラテン語のnativitasが語源)。ではゲルマンのドイツ語では...Weihnachten ヴァイナハテンで聖夜の意味です。

  本来はキリスト生誕を祝う宗教祭日なのですが、宗教に関係なく年末の年中行事化している日本では、みなさま、どうぞ良いクリスマスを!

Merry Christmas !   Joyeux Noël !
     Buon Natale !     Feliz Navidad !    Frohe Weihnachten !




             ノエル?クリスマス?  (c)La plume d'oie2014
投稿日 2014年12月22日 11:03:38
最終更新日 2014年12月22日 11:09:57
修正
2014年12月12日
カテゴリ : [三余堂月次]
仮名の誕生変遷を報せたのは、藤原良相邸跡からの土器片の出土。
我々の世代は 初めて触れる文字が平仮名、少し前の世代は、カタカナ。
覚えるべくして 学んだというより、気づいたら当たり前に使っているのが
いろは 四十八文字、というより、あいうえ 五十音。
戦後 旧かなづかいは なんじゃらかんじゃら… となり、文部省の指導もあって
現在に至っているが、謡本は当然、旧仮名遣いで 変体仮名の表記もあれば
カタカナ表記もふんだんに登場。
しかるに、慣れ親しめばさほど気にせずに読めるし、解することが出来るというものだ。 
能の所作の書きつけやら囃子の記譜などは 旧仮名遣い、カタカナ表記で
書き付ける時には 今も二刀流をこなす。

奈良から平安にかけて 大陸に学び文字、書法、漢文と自国の物にした我国。
役所での公文書は漢文であったし、学問しかり、文芸しかり。
漢文、漢詩が出来なければ話が始まらないのである。
一方、私的な文書は漢文に翻訳することなく 話し言葉をそのまま漢字の音に当て
はめて 表記する方法を編み出した。  これが “万葉仮名”という訳だ。
当時の官吏は 公文書は 漢文、私文書は話し言葉、つまり日本語との、二刀流。
まっ、バイリンガルってところか。
この 万葉仮名も字音を借りてきた 伊、呂、波 のような“音仮名”と、
一字一音とは限っていない字訓を借りてきた 鶴(つる)、鴨(かも)のような
“訓仮名”もある。

法隆寺の五重塔や、正倉院の文書 などに早期の万葉仮名を見ることが出来る。
法隆寺五重塔初層天井組木落書(ほうりゅうじ ごじゅうのとう しょそうてんじょうくみき らくがき)。
通称 法隆寺五重塔落書については、ちと、蘊蓄。
今は聖徳太子と教えないのだそうだが、その厩戸皇子と推古天皇が用明天皇の
病気平癒祈願で建立したといわれる 法隆寺。
この大修復で みつかったものに墨書きの文字があった。
法隆寺は飛鳥時代の様式を伝える最古の木造建築。
その五重塔を解体修復中のこと。 時は昭和22年5月14日。
天井板の組木を外したところ なんとぎゅんぎゅんに詰めて書かれた 墨跡。
どうも 文字のようでもあり、絵のようでもあり。
“奈尓”??? “奈尓波都尓佐久夜己”と 判読。
“なにはづにさくや〜”とは いろは歌のようなもので、手習いに用いられたらしい。
今でいえば宮大工の若い衆が 休憩の時にでも 一寸手遊びか。

  やっと赤外線で判読したというが…   

それにしても そんなところへ書くほど 万葉仮名が普及していたということだし、
なにはづの歌も広く親しまれていたということなのだろう。 
落書きされた材木は天井の組木となり 千年以上解体修理するまで 人の目に
触れなかったのだ。 

法隆寺は607年に創建された。が、天智天皇の御代670年に焼失したという。
その後708年、または711年に再建されたらしい。
年輪から推し量って、五重塔の屋根材は673年のものと判明。
創建時のものではなく、再建されたことが実証されている。
この、一般庶民の筆跡である万葉仮名の落書は8世紀初めのものということだ。



消えた2012年師走の月次記事起こしで
その年その月の案内望遠鏡に続いての雑感。
落書きのあった法隆寺は 因みに1993年に世界遺産となり今日に至っている。
これだけのものになれば 落書きも大した文化遺産で、
落書きの為の手習いをしてからでないと おいそれとは… 





投稿日 2014年12月12日 0:03:09
最終更新日 2014年12月12日 0:03:09
修正
2014年12月01日
カテゴリ : [案内望遠鏡]
何時も師走になると街は忙しそうに装う。
装わないといけないような気分も押し寄せてくる。
近隣スーパーでは、おせちの予約は当然ながら 11月下旬からは鏡餅を販売始めた。
それがまた売れているのだ。 秋をしみじみ感じる間もなく 新年へと突進させられる。
今時、正月の支度だといって障子の張替えや、畳を上げる家など見かけないし、
野菜不足に備えた白菜漬けだといって、大きな株を幾つも干す家庭などあるだろうか。
今年は総選挙を控えているから尚更、拍車が掛るのか。
忙しいこんな時に… と言いながらも ホントに忙しいのか…


今 国立公文書館では “江戸時代の罪と罰” という平成26年の特別展が行われている。
8代将軍徳川吉宗の時に編纂された「公事方御定書」 (くじかたおさだめがき 1742年成立 )から
明治刑法(1882年施行)まで、わが国の刑罰と牢獄の歴史を振り返るという趣向。

公事方御定書は老中を主にして、勘定奉行、寺社奉行、江戸町奉行の三奉行が中心となって編纂、
元文3年(1738年)に完成。その後、追加作業で寺社奉行時代の大岡越前守忠相も関わったそうな。
特に犯罪と裁判についての御定めで、原則は三奉行と京都所司代、大坂城代のみが閲覧を
許されるということであったらしい。 が、そこはどういうことやら、天保12年(1841年)に『棠蔭秘鑑』
という写本が作られ、利用されていたり、諸藩でこっそり写本が流布して、藩の法令制定の参考に。
本来は幕府領内での法だったつもりが、結局、日本国内統一法のようになってしまったとやら。
実質上廃止された田畑永代売買禁止令のように、御定書に載せられていたものが明治4年(1871年)
まで有効な法律とされて存続したものもあった由。
そんな 公事方御定書【棠蔭秘鑑】、当時の小伝馬町牢獄内のお作法の様子やら、
明治初年の牢獄獄内の図などの興味深い展示が特別展である。


ホントは忙しくない、そんな御仁は、歴史の中の生活を見てから投票所に向かうと宜しいかもしれない。
開催最終日は14日で 総選挙投票日当日である。 










投稿日 2014年12月01日 0:53:00
最終更新日 2014年12月01日 0:53:00
修正