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2014年07月01日
カテゴリ : [案内望遠鏡]
先月24日から 東京国立区物館で 台北 故宮博物院展が始まった。
7月7日まで 翠玉白菜の特別展示が限定公開されて話題になっている。
翡翠の色の変化を利用した作品で、精緻な彫りは細部までゆるぎなく、硬い玉材の加工を
ここまで丹念に仕上げる技術に会場は驚嘆の溜息で満る。
作品は両手で包み込めるほどの大きさであるが、原石の半分が白く、半分が緑のヒスイ輝石
というもので、中は空洞などもあるようだ。
しかし、彫刻が白菜の茎や葉の形にうまく活かされているという。

原石の色を生かした工芸品は、人と熊が相撲をしているような 白黒の作品も展示されているし、
九州展では実に旨そうな角煮も展示される。これも原石の形や、色目を生かした工芸品である。
清朝の中期以降、おおいに流行した硬玉工芸で俏色(しょうしょく)と云うそうだ。
そのなかでも翠玉白菜は、俏色の最も完成された作品として門外不出ということであった。
目を凝らして見ると、緑の葉の上にバッタとキリギリスが彫られている。
これは多産の象徴と考えられ、白菜の白い部分は純潔を表し、光緒帝(1875 〜1908)の妃
瑾妃の嫁入り道具という説明がプロジェクターで 会場に映し出されていた。

この彫刻の作者は不明であるが、紫禁城の中の瑾妃の寝宮にあったという。
瑾妃が嫁いだ折の持参品と考えられていて、1911年の辛亥革命で清朝が倒れてからは
紫禁城跡に作られた故宮博物院の所蔵品となった。
しかし、1933年に戦禍を避けて上海に移され、その後1948年に台湾の故宮博物院に移されるまで
度々場所を移動せざる負えない数奇な運命をたどって現在に至っている。


白菜といえば、日本では冬の野菜の代表選手で、鍋物には欠かせないし、漬物としても食卓に
堂々と鎮座する。
紀元前の中国で栽培されるようになった白菜は、長い時間を経て様々な品種の葉野菜を生み出す
ことになった。 江戸時代以前から日本には度々渡来したというが、いずれも品種を保持でずに
品種改良が進んだ末、今日見られるような結球するハクサイが生まれた。
そんな白菜が、一般に食べられるようになったのは、なんと20世紀に入ってからだ。
明治初期に政府によって本格導入されたが、なかなか 栽培に成功しなかったようで、
明治末から大正にかけて、山東白菜の改良を進め、現在のように結球するハクサイができたと
いわれている。それまでは所謂 シロナ と言われる結球しない菜っ葉だった。

故宮博物院展の帰途 雨降りの日没後の上野公園を歩き乍 井伏鱒二の『荻窪風土記』で
リヤカーに白菜を積んでぬかるんだ荻窪駅付近を行く描写があったのを思い出す。
当時は所謂白菜誕生間もない頃のことだったのか、と。







投稿日 2014年07月01日 23:49:09
最終更新日 2014年07月01日 23:49:47
修正
2014年07月12日
カテゴリ : [三余堂月次]
消えた記事の掘り起しシリーズは 『鵺』。
近年の温暖化で異常な暑さも、空調の効いた能楽堂で、うとうとと過ごせる時代となった。
もっとも、この科学の力がなければ 暑い時に装束を付けて難行苦行を
演者、観客になす事は無かっただろう。
見所て゛揺らぐ扇子、絽や紗の涼しげな夏の装いこそが 清涼を呼び、夏の舞台を作ったが…



シリーズ 消えたアーカイヴ掘り起し 2012年7月の記事から

背が虎で足がタヌキ、尾はキツネだとか、サルの顔、タヌキの胴体、トラの手足で尾はヘビ、
または 頭がネコで胴はニワトリとか、諸説は紛々ながら 「ヒョーヒョー」という
気味の悪い声で鳴いたという生き物。 これが、伝説の妖怪、鵺(ぬえ) である
専ら、後白河さんの時代にご出現の もののけ。
元来、鵺とは夜に鳴く鳥のことで『古事記』や『万葉集』にも名が見られるというのだが…
鵺の正体は、現在ではトラツグミとするのが定説だ。
その寂しげな鳴き声は、当時の人々には不吉なもので、天皇をはじめ貴族たちは
鳴き声が聞こえるや、大事が起きないよう祈祷したという。




まだまだ 後白河さまが天皇になられるなど、考えも及ばない遠い頃のことでございます。
後白河さまの弟におわす近衛さまが、天皇となられたのは僅か2歳でございました。
崇徳さまは、その方々のお兄様で、天皇から、上皇となられ、政に関わることのない
閑職になられたのでごいます。これは御父 鳥羽法皇さまの御計らいでございました。
政のおもむき、ごちゃごちゃど真ん中!の様相でございます。
名誉職のような上皇はお若く、即位した天皇は御身お弱くて、15歳の頃には退位を
お申し出になられ、御所の中は大騒ぎでございました。
もちろん近衛天皇のご退位は許されず、お子も無いまま17歳の若さで亡くなられ
鳥羽院はその衝撃か、 間もなく崩御あそばす。 ここに皇位継承問題勃発!

と、歴史は展開する。
実は、あの若い天皇さんは愛宕山の天狗さんの像の目に釘を打ち付け呪詛されていたので、
眼病で目が見えなくなったとか…   死は呪詛によるものだとか…   
病気平癒の祈祷も、呪詛も、誰がだれを祈祷したやら、呪詛したやら。
その後、朝廷は後白河天皇方と崇徳上皇方に分裂して、保元の乱になっていく。


うなされる夜が続き、病に摂りつかれていた近衛さまは ヒョーヒョーという音、
辺りを覆い尽くす黒雲の光景に ますますのご不怪。 
この時、鵺と思しきもののけ退治の白羽の矢が源頼政どのに。 
頼政どの、大願成就の祈願を行い、清涼殿を覆う黒雲の中で動く影に向かって、
「南無八幡大菩薩」と念じつつ、矢を放つと、頭は猿、胴体は狸、尻尾は蛇、
手足は虎という代物が、奇っ怪な声を上げて落ちて参りました。
摂関家ご兄弟仲はごたごた、兵の家の者が朝廷に根を張りだした頃の事でございます。
戦さならいざ知らず、得体の知れないもののけ退治に推挙された 頼政殿は如何ばかりか。
所謂これが、鵺退治の一度目。
次は 後白河さまが天皇をお子の二条さまに譲ってから。
二条さまを怯えさせ、ご病気にした怪鳥退治でございました。またまた、頼政どのの功で
天皇のご体調、たちまちにしてご回復。
ご褒美に獅子王という刀を頼政殿に貰賜したのだそうでございます。




鵺退治の話を晩年の世阿弥は能にしている。
能では、鵺の亡霊が主役で、源頼政に退治され、救いのない滅びへの姿を語る。
諸説ある物の化だが、その正体は頼政の母だという伝説までもある。
退治した頼政も不可思議なさだめを持っていた。退治された鵺に救いはあったのだろうか。
世阿弥は、中央での華やかな日々、頭領としての思い、佐渡での配流の暮らし、そして
研ぎ磨き上げていった幽玄の世界をすべて背中にして、晩年に 『鵺』のような曲を作り上げた。





鵺の季節到来!この時期の曲目である。
本年2014年7月観世九皐会にて上演。三余堂は仕舞 白楽天を勤める。


投稿日 2014年07月12日 12:43:03
最終更新日 2014年07月12日 12:43:16
修正
2014年07月20日
なんでも某テレビ局の朝の連ドラが結構評判だとかで、なにかの折に観はじめました。小学生の頃に読んだ「赤毛のアン」。それを翻訳した人の自伝のドラマです。

その赤毛のアンの中に出てくる「曲がり角の先には何があるかわからない。だけどきっと一番よいものがある」というくだりがあり、子供の時には恐らく理解できていなかっただろうと思い、という以前に全く覚えていなかったので、ちょっと再読しようかという気になりました。

今はネットであれこれ即調べられて便利な時代!かなり詳しくいろいろ判る上に、2003年に著作権が切れているのでインターネット上で原書が読めてしまう!ということは、カリグラフィーの作品に活用できる、ということで、早速やってみました。

22(火)から開催する巴里祭に寄せたアート展 夏の詩 に他の作品と共に数点出展します。


曲がり角

巴里祭に寄せたアート展 夏の詩

2014年7/22(火)〜7/28(月)

場所 神楽坂セッションハウス

初日14時〜 19時  その他の日  12時〜19時(最終日は17時まで)

絵画、版画、カリグラフィー、切り絵、陶芸、アクセサリー、フェルトなど、さまざまな作家が集います。

ワークショップもいろいろ企画しています。
カリグラフィーでは羽根ペン体験を¥500で行います。
詳しくはこちらへ。


曲がり角
(c)La plume d'oie 2014
投稿日 2014年07月22日 0:55:44
最終更新日 2014年07月22日 0:58:36
修正