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2014年04月01日
カテゴリ : [案内望遠鏡]
甲午孟春 花見の季節到来。

能に吉野天人という曲がある。
吉野山の桜見物で出会った不可思議な女が、実は天より降りてきた天人で、
美しい舞を舞い、花の雲に乗って消え失せるという話だ。
どうという、とり止めない話ではあるが、桜の花を愛でる人々それぞれの心の内を感じる

さくらの語源は諸説あるようだが、古事記の「木花開耶姫」 このはなさくやひめが、
転化したという説や「さ」が穀物の霊を表し、
「くら」は神霊が座する所で、穀霊の集まる處を表すという説もあるようだ。
その開花が農作業の目安の一つであることを考えれば、桜に実りの神が宿るのも至極当然。
庭仕事ばかりでなく、ベランダのプランターも桜の開花が仕事を急がせる。

その年で花の早い遅いは言うまでもないが、花色の美しさもまちまちである。
花色は咲初めてから散るまでの短い時を変化していく。
東京で一般的な染井吉野は 咲き始めは淡紅色から白くなり、
散る頃には花の付け根が紅色に染まる。
桜の色と言ったって、種類で白色の桜、.淡紅色の桜もあれば 緋寒桜の.紅色もある。
そうそう、.墨染の桜ってのもある。尤も、花が墨染めな訳ではないが…
同じ種類でも、東北や北海道の桜は関東の桜よりも花の色が濃いという。確かにそんな気がする。
海辺や平地の桜よりも山の桜の方が濃い色だともいう。 

桜の花びらの色素は薄いとはいえ、アントシアニンという、例のポリフェノールの構造の色素。
野菜や果実にも含まれる植物色素で、確か紅葉の赤色もこのお蔭さま。
シアニジン-3-グルコシドと呼ばれる色素が主だそうで、多量なら黒豆やらサクランボの赤い実の色
ということになるそうな。桜の若芽の赤い色もこのシアニジンなんじゃらの量ということ。
お天道様がよく当たるとか、雨が多いとか少ないとか、お若いとか、年増とか、
はたまた管理栄養士がついているとか、いないとか。
どちら様もお手入れひとつで様子が変わるのは当然のことであろう。

光の乱反射の影響で、花弁表面の細胞の形や、並び方が関係して濃淡は出来るようだが、
同じ程度の濃さの花を咲かせるにはそれなりの遺伝子制御という、科学的努力が必要らしい。

とはいえ、見た時の天候、あたりの様子、とりわけ、眺めるその時の心持。
濃きも薄きも気分次第の花の色〜 である。

早くも満開 花の色 ことしの色は〜











四月観世九皐会定例会にて 三余堂 能『吉野天人』を勤める



投稿日 2014年04月01日 17:22:41
最終更新日 2014年04月01日 17:22:57
修正
2014年04月12日
カテゴリ : [三余堂月次]
シリーズ 消えたアーカイヴ掘り起し 2012年4月の記事から

遣唐使の持ち帰った物に 王羲之の搨模本があったと案内望遠鏡(2012-04)で書いた。
その頃は当然、複写機があるわけでなく、書き写すことによって文化を受け継いでいく。
人の手で 次から次へと書き写すのだから、当然、誤字、脱字、加筆もあれば、省略もある。
行を飛ばしたまま気づかないことだって、あったかもしれないし…
原型を如何に正確に伝えるかが勝負だ。

律令国家完成に貢献すべく遣唐使が頑張っていたころ、日本の歴史書も纏められる。
古事記の成立だ。
その序によれば和銅5年712年に太朝臣安萬侶(おほのあそみやすまろ)、早い話が
太安万侶(おおのやすまろ)によって献上された日本最古の歴史書で、上・中・下の全3巻。
で、作成年代は後世の写本で確認されているそうだ。
現存する『古事記』の写本は、大きく、「伊勢本系統」と「卜部本系統」に分かれ、
最古のものは、「伊勢本系統」の1371年から翌1372年にかけて真福寺の僧 賢瑜によって
書写された。南北朝の頃の写本で、 真福寺本古事記三帖というもの。
原型の面影を伝えていると、評価されて国宝に指定されている。

原型の面影とは…  それはさて置いて、この真福寺、名古屋は中区大須にある。
寺宝に鬼の面が伝わるので、「福は内、福は内!」と 鬼を締め出すことを遠慮して 
「鬼は外」と云わない節分会。 名古屋では有名な通称、大須観音のこと。
そこの文庫、真福寺文庫が全国屈指の古典籍の宝庫なのだそうだ。

この寺は 鎌倉時代末期の創建。
江戸時代初め現地に移転するまでは 現在の岐阜羽島大須にあった為、木曽川と
長良川の合流地点で、洪水に幾度となく襲われた。
木曽川の東にあった寺は洪水で川の西側になったり、蔵書は常に水に浸り、流出の
危険との戦いだったということである。
そんな折、徳川家康は蔵書保全を考えて、名古屋城下へ寺の移転を命じたといことだ。
さすが、能の伝書だって抱えた蔵書家の家康。
真福寺文庫には一万点を超える蔵書が、百二十もの木箱に納められて現存し、
その中に古事記の写本があるという訳だ。

古事記の研究者といえば、国学者、本居宣長先生。
一生をその研究に捧げた先生、1787年にその写本を見たという。
が、書写の年代はわからなかった。
その後1797年、本居宣長の門弟、尾張藩士 稲葉通邦が藩主の命で、古事校訂本
作成中に粘葉装(でっちょうそう)の紙の合わせ目の内側に 「賢瑜」 という文字を発見!
これで 書写年代が確定か。

真福寺蔵書は初代、二代住職によって形成されたという。
ことに二代住職の信瑜は東大寺東南院の門跡聖珍の弟子で、その関連の書籍も多く、
現在の国宝になる物も伝わっている。
国宝の古事記は そんな信瑜の命で、真福寺の賢瑜が書写し、信瑜へ上程したのでは… と。
その経緯を詳らかにした、尾張藩士 稲葉通邦の発見は今一つ評価されることもなく、
                                               むにゃむにゃ…
真福寺本は明治30年の古社寺保存法で国宝に指定されということである。
今年は古事記1300年 (2012年当時) となにかと古事記が話題になるが、どれだけの人が
正面から古事記を読み込んでいるだろうか。
てんてるだいじんと読まないためにも、せめて自分の子供の為に書いたという 鈴木三重吉の
《古事記物語》ぐらいは 読みたいものだ。
それが 面倒なら手っ取り早く、古事記の電子版もいろいろあるので 検索を〜

                                               














投稿日 2014年04月12日 0:22:59
最終更新日 2014年04月12日 0:22:59
修正
2014年04月20日
no subject


ただいま編集中。しばらくお待ちください。


投稿日 2014年04月20日 11:19:04
最終更新日 2014年04月20日 11:20:13
修正
例年ならば今頃からスタートする蔵書票展ですが、今年は花真っ盛りの時期から今月27日まで、本にまつわる合同の展示となりました。そしてテーマがスイーツ。
         


                    お好きな本に甘い香りを!


ギャラリーUSHIN



鵞毛庵は「不思議な国のアリス」と「鏡の国のアリス」に登場する甘いものなどをいくつか選んで原文を合わせて作品にし、蔵書票やブックカバーに。そして、フランスの代表的なお菓子やイースターのチョコも蔵書票や豆本にしました。お好きな本に甘い香りを!

ご希望の方にはカリグラフィーでお名前書き入れしています。お好きな本に甘い香りを!


蔵書票はEXLIBRISエクスリブリスとも言い、本の見返しに貼って、その本の所有者を表すものです。詳しくは以前の記事をご参照ください。


そんな蔵書票を貼るようような立派な本はないと言わずに、ずっと手元に置いておきたい本や、大好きな本にどんどん貼って楽しんでみては。鵞毛庵蔵書の中には「天才バカボン」だってあります!


 お好きな本に甘い香りを!

今回の展示のために、新しい蔵書票を貼ったお気に入りの2冊。
いたって普通の本、しかも1冊は水木しげるの漫画ですッ。



BOOK ORCHESTRA展は今月27日17時までですが、7月に予定している神楽坂での夏のグループ展にも蔵書票は出展いたします。
投稿日 2014年04月22日 11:18:55
最終更新日 2014年04月22日 11:19:52
修正