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2013年12月20日
今年もあとわずかとなり、クリスマスが近づいてきました。

クリスマスというと思い浮かべる歌の中に「グロリア」があります。カトリック系の学校に通っていた鵞毛庵にはとてもなじみのある歌なのですが、カトリックでは「あめのみつかいの」という題の聖歌。でも、グロリアと呼んでいたと思います。

この歌はもともとはフランスの16世紀ごろに作られた歌で、原題はLes anges dans nos campagnes 野辺の天使というような意味なのですが、その詩のリフレインの部分がルカの福音の一部より引用されたラテン語で Gloria inexcelsis deo グロリア インネクシェルシス デオ、日本語にすると「天のいと高き処に神に栄光」です。

小学生の頃、リフレインの部分がラテン語だというのでなんだかわくわくした記憶がありますが、はたして歌は何語で唄っていたのかさっぱり思い出せません。日本語の歌詞を見ても聞いてもピンとこないし。フランス語ではなかったと思うし、英語だったのかなぁ...。というのは、「もろびとこぞりて」や「しずけき」をはじめ、クリスマスの歌はみな、英語で習って唄っていたし、フランスではフランス語だったし、とあやふや。

こちらがフランス語のその歌です。 

パリのノートルダム寺院のクリスマスのミサ

こちらは木の十字架少年合唱団のバージョン

               Gloria  あめのみつかいの
                 

Gloria inexcelsis deo et in terra pax hominibus bonae voluntatis
天のいと高き処に神に栄光  地には善意の人に平和あれ
ルカ福音より 
©La plume d’oie 2013
羊皮紙、酸化鉄インク、羽根ペン  
装飾は「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」(15世紀フランス)よりアレンジ

今年も一年間、能楽さんぽをご愛読いただきまして、どうもありがとうございました。
皆様、どうぞ良い年末年始をお過ごしください。
投稿日 2013年12月20日 0:31:00
最終更新日 2013年12月20日 0:33:21
修正
2013年12月12日
カテゴリ : [三余堂月次]
花屋の店先は鉢植えが賑やかに並ぶ。
クリスマスに向けての華やかなシクラメンだのポインセチア。
一方街路樹の銀杏は黄葉の葉が落ちて寒々しくなっていく。
山茶花や椿、柚子の実の色を道々見ながら、緑を満々と湛えた
大きな木にぶつかる。 花は満開。 小さな白い花弁が重なり合って、
ぎっしりとつき、凝らした目には暖かそうな毛に包まれた蕾も見える。
バラ科の常緑高木。枇杷である。
20cmもある長楕円の厚く堅い葉が互生して、枝は年がら年中ぐんぐんと伸びる。
手の入らない枇杷の木は、家の塀を越えて、道を隔てたくましく生き、
花が咲き、実がなり、種が地に落ちれば容易く発芽する。

大きくなる枇杷の木枇杷

          枇杷 満開の花

中国南西部が原産だという。日本には古代に持ち込まれたらしい。
中大兄皇子や藤原鎌足、はたまた額田王も目にしたのか…
時代は下って、江戸の時代には「枇杷葉湯」として、庶民の夏の暑気払に
盛んに飲まれたそうな。てんびん棒を肩に売り歩いたという。
栽培種は江戸末期に導入され、明治から、茂木や田中などの名で今も知る。

ふっくらとした橙の実を掌に包み、みずみずしさと甘さを頬張る 初夏の枇杷の実。
師走の乾いた真っ青な空の下では その素が数で勝負を賭けてきている。 
今日も 東京は乾燥注意報が出た。



投稿日 2013年12月12日 14:14:03
最終更新日 2013年12月12日 14:14:03
修正
2013年12月01日
カテゴリ : [案内望遠鏡]
過去の能楽さんぽの月次記事は一部消滅している。
とは他人事な言いようだが、早い話が、編集中クリックひとつで ぱぁっ〜
保存の原稿をもとに、折にふれぼちぼちと記事として復活させている。

今回は2008年7月の月次の記事から。その月の案内望遠鏡 錦木塚伝説の続きで、 
錦木塚に立ち寄った折のものだった。
真紅の紅葉と割れ出る赤い実が 秋という印象を持つ錦木の話である。
この錦木は秋の季語になっている。

錦木に寄りそひ立てば我ゆかし  高浜 虚子


山野にも自生しているが 秋にならないと気付かずに見過す。
三余堂の小さな庭でもいつの間にか花が咲き、実がはじけ、いつの間にやら木そのものが朽ち果てた。

錦木伝説 その弐 
  
錦木伝説の 錦木はどうも燃えるような赤に変身する あのニシキギ とは限らないようである。
大辞林には 「五色に彩った三十センチメートルほどの長さの木で、男が恋する女の家の戸口に夜ごとに一本ずつ立ててゆき、女は同意するときこれを中にしまう。染め木。」  とある。  
もともと鹿角辺りでは、紫根染が欠かせないもので、それが年貢とされていたらしい。
それが狭布 せばぬの。 幅の狭い布だった。南部織りともいう、百姓の野良着である。

錦木も、狭布も鹿角の地名。
毛布 けふ は鹿角一帯の地名で、毛布の狭布は白鳥の羽を織り込んだものが上物とされた。
ニシキギ科の錦木は 真っ赤に染まるが 白鳥の羽を織り込んだ狭布を染められない。 
たぶん 別物だろう。 
で、この反物は幅が狭く 野良着として襟を合わせない仕立であった。
お互いの心がしっくりあわない意を けふの細布胸あはじ と、言い習わしたそうな。

能の錦木は 狭布(けふ・せばぬの)の里を訪れた僧の前に、
細布を持った女と錦木を持った男が現れてこの辺りの風習を話し
三年の間 錦木を立て続けた男の塚に僧を案内し消えていく。

錦木伝説 その弐 
    


そして 亡霊の姿で現れた男は機を織る女の家に錦木を持って行き、舞を舞い、姿を消す。
錦木伝説のかなわぬ恋の悲しさに絡めて、人の様を描く世阿弥作品となったのである。

錦木伝説 その弐 
  

 
平成25年の師走は 九皐会定例会で錦木の地頭を勤める。
投稿日 2013年12月01日 9:21:47
最終更新日 2013年12月01日 9:22:06
修正