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2013年08月19日
涼しい時期に作ろうと思いつつも、いつも暑い時になってしまうインク作り。今年も酸化鉄のインクを作りました。暑い中、ぐつぐつと五倍子を煮詰めること1時間。

このインクはワインのように長いこと寝かせると熟成してどんどんいい具合になります。

寝かせると好いもの

ワインといえばフランスではそろそろブドウの収穫期。その収穫作業は昔は夏休みの学生アルバイトとして有名でしたが、昨今は収穫も機械化されてそんなに人手はいらないとか。
フランスもこの夏の途中から猛暑になった様子。ということは、今年のワインは結構イケルかもしれません。そして涼しくなって雨が続いたりすると尚よろしいそうな。


寝かせると好いもの

 Septembre humide pas de tonneau vide
 9月の湿り気は樽を空にしない

この作品の文字は酸化鉄のインクで書いています。
これ以外の9月、10月、11月のことわざを書いたミニ作品や世阿弥の風姿花伝のシリーズなど数点を26日(月)から銀座のあかね画廊で開かれる「虹色パレット展」に出品致します。



寝かせると好いもの
投稿日 2013年08月20日 0:13:06
最終更新日 2013年08月20日 0:18:33
修正
2013年08月12日
カテゴリ : [三余堂月次]
最低気温が 夜も30度を下回らない東京に秋が来るものやら…
しかし、立秋を過ぎたとたん 秋の虫の音がしたのには驚かされた。
尤も この虫は几帳面なのか、慌て者なのか。
さすがに 夜を徹して鳴く蝉には負けて 廻れ右をした感である。

せめて思いは涼しい季節へと 秋の寂しさを嘆きながら初瀬川に棹さす女の話を。
急流の初瀬川で 旅の僧が女に話かけるという 能お決まりの型であるが、
先の 夕顔と同様、源氏物語を題材とした 能 玉葛の冒頭である。
“波乱に満ちた人生の迷いを晴らしてね!”僧に頼み消え去る女。  女の跡を弔う僧。
すると、玉鬘内侍が在りし日の姿で現れ、“浮世の流れに流され浮き名ばかり立っちゃって…”
“自分で払えども払えども煩悩は 黒髪の結ぼうれる如く闇路へと入っていくしぃ〜
あぁ〜 お坊様っ。 お弔い頂き、真如の心で妄執を翻す事が出来ました〜  
                どうも、どうも めるしぃ!!”と去っていく。

舞台の初瀬川、奈良県桜井市の北東に位置する 貝ヶ平山という800m程の山近辺が源流で
現在は大阪市と堺市の間で大阪湾に流れ込む 大和川の上流。
現在、河川法上は出発から終点まで大和川である。

奈良盆地を西に向かって流れ、佐保川、曽我川、葛城川、高田川、竜田川、富雄川など
盆地内の大半の河川をまとめて、生駒山系と葛城山系の間を抜けて、大阪平野にでる。
そして、南河内を流れてきた石川と合流する一級河川が 大和川だ。
そんなこんなしている川は地滑り多発の 峡谷を抱えて難儀を経験しているし、
また流域の奈良県などは下水道普及が遅れていた為に 数年前まで水質の悪い一級河川とされた。
古くからシラスウナギの稚魚が採れることでも知られ、アユの産卵も確認され改善が進んでいるという。
よみがえれ! 大和川清流復活大作戦” と銘打って大和川清流復活ネットワークをはじめ
官民協働で 並々ならぬ努力を現在も続けている。

こんな 大和川の上流。泊瀬川とも書く 初瀬川は万葉集にもご登場の川で 奈良県の公式HPにも
大和の川 万葉歌碑をたずねて― という ぺージがあるのでご一読を。
 

初瀬川という詞は 初瀬川の流れが早いところから「早し」にかかる枕詞で、
「はつせがは早くのことは知らねども…」 とか言って 昔のことは知らないけどぉ〜。と、
源氏物語 玉鬘に出てくるし、憂かりける人を初瀬の山おろし… と百人一首でもお馴染。


あの夕顔の忘れ形見の玉鬘は 夕顔が雲隠れたかのように行方知れずで 乳母に4歳の
時から育てられていた。 乳母の夫が筑紫に赴任といえば 連れて行かれる。
勿論、乳母の息子も娘も一緒で転勤先で それぞれ所帯を構えさせたが、夫は 今一つ気合いが
掛からず、此処って 結構いけてるしぃ、京へ帰ってもぉ… と 筑紫で没す。
二十歳になった玉鬘はなんたって 眉目秀麗の母の娘。その美しさと都の貴人の血を引くのに
こんな田舎に埋もれさせてはなるものか!と 乳母“ 結婚できない体なんでございますよぉ〜 ”と
言いふらしながら ご近所さんの御世話の縁談は断り続けた。
が、肥後一円に広大な土地持ちのおっさんが、懸想して、乳母の息子たちを買収。
縁談成就の工作に出た。それにもめげない 乳母やら息子軍団。
結局 玉鬘ご一行 京へたどり着くも知り人なく、生活も困窮。清水八幡や初瀬の長谷寺へ観音参り。 
そんなこんなの挙句に、結局源氏の君のもとへ。 
なんたって お話しなので、光の君によって…   中略乍、
花散る里の邸で 玉鬘、最高の貴人生活を送る。 そして 婚活開始。
挙句の果て好きでもない 髭黒の右大将にゲットされ、色気のあった冷泉帝と 鳶に油揚げをさらわれた
源氏はあえなく 撃沈。   後略。
玉鬘 二人の息子と太政大臣にまで昇りつめた夫の北の方として 生涯を閉じる。
何処が妄執かとのご感想あろうかと思えども 玉鬘十帖のなが〜い 物語、
                                            ちょうど時間となりました!!


観世九皐会 9月定例会平成25年9月8日(日)  於:矢来能楽堂 三余堂  仕舞 玉葛 出勤 
投稿日 2013年08月12日 11:05:38
最終更新日 2013年08月12日 11:05:50
修正
2013年08月01日
カテゴリ : [案内望遠鏡]
この三日は土用の丑の日にあたる。
ちなみに ことしの土用の丑の日は六回。
1月23日(水) 冬の土用の丑 寒の土用の丑、4月17日(水) 春の土用の丑
4月29日(月) 春の土用の丑、7月22日(月) 夏の土用の丑
8月3日(土) 夏の土用の丑 二の丑、10月26日(土) 秋の土用の丑。
土用は、五行に由来する暦だ。
暦には二十四節気だの、五節句などと色々あるが、季節の移り変りを知る手立てとして
今も生活の中に生きている。 

この土用という言葉の響きは 夏、暑さ、鰻、といったものを連想させて、
他の時季にあるとは考えもせず。 そもそも土用は、立夏、立秋、立冬、立春の前の期間で
本来季節ごとに土用があり、その最後の日が節分となるのだ。
もっとも、節分も 『こいつぁ 春から縁起が〜 』と見得をきって、春呼ぶ節分以外の節分は馴染み無。
今や生活に都合よきことばかりが暦となって…
『土用の丑の日はうなぎ!』は 徳川吉宗の時代に生まれた平賀源内が発案したという説がある。
夏に売れない鰻を何とか売るために 鰻屋が源内に相談したことが事の始まりという。 
苦肉の策だった。 企業努力の結果 21世紀に鰻は当たり前に 夏のものになった。

七月の丑の日の前に 土用餅、土用餅!と叫びながら “あんころもち” を売る姿を菓子屋で見た。
関西での風習らしいが、昔、お公家さんが暑気あたりしないと、食し始めた餅入りみそ汁が
徳川の中期頃から、土用の入りには餅を小豆あんに包んで食し…   
夏季の無病息災、無病息災、となったらしい。
300年たった平成の今、異常に減少した稚魚は 老舗の鰻屋の暖簾を下ろさせた。
一方で、土用の鰻も餅もこの暑い夏に 花を咲かせようと仕掛けている店もある。
勿論 滋養のある土用蜆も参戦している。
載せられてたまるかと 抵抗しながらも身体はしっかり受け止めて、暑苦しい土用を感じているのだ。
夏の土用の丑二の丑はやはり 鰻の香りを運ぶであろう。 あんころ餅に蜆は如何ばかり…

おまけに 土用の後は節分がやってくるのだから ちゃっかり恵方巻きの予約を取る店も出てきた。
きっと アイスクリーム巻きが出てくる。今年の恵方は南南東。




命の限りと暑さに頑張る姿 八朔の午後
  丑の日 

             丑の日 
                                                  八朔の昼下がりの陽にも負けずに頑張る姿






 
投稿日 2013年08月01日 15:52:50
最終更新日 2013年08月01日 15:52:50
修正