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2013年02月01日
カテゴリ : [案内望遠鏡]
『贈与の歴史学』という新書を手にした。
中世日本史、流通経済史の研究者である桜井英治博士の著書である。
わが国日本は 先進諸国の中でも贈答儀礼をよく保存している社会として
注目を集めてきたそうだ。
人の営みの中で贈答、贈与は古今東西の文化である。
が、ややもすると 義理や儀礼であったり、賄賂になったり。 やれ、贈らねば、受ねばと。
挙句に、返礼で気が重くなり…
とはいえ やめられない、止まらないとばかり、 昨今は企業戦略にも乗せられて
チョコの準備に、そのお返しに勤しむし、その姿をバカバカしいと思いつつも
ゴディバの限定品を横目でしっかりチェックしていたり。

そもそも円滑な人間関係を築く贈り物。これが、中世日本での贈与慣行は
世界にも類を見ないような、ちゃっかりとしたものだったようだ。
中世は年貢が塩や鮭、鮑といった水産物から林産物、鉄や金やら工芸品に
至るまで種々を極めたそうで、それらを物々交換や、換金の為に、市場が生まれる
と云う訳である。 市場経済といっては大袈裟か、なかなかであったらしい。
13世紀後半に 年貢が物でなく銭で、ということになったと云うから 物の売り買いは
当然盛んになる。当時の資料となる日記類には毎日のように、膨大な量の贈答を
繰り返していたことが書かれていたようだ。
そもそも日記は、公家が儀式のためにメモしたものが家記となり、その家の後継者が
引き継ぐという重みのあるものであった。時代を経て、寺社の日記、武家の日記と出現
するが、それなりの身分や立場の者の間でのやり取りが記されていたことになる。
と、いうことは…  それらの贈答品がどこから来て、何処へゆく。
多少のチョコレートなら 何時の間にやら消えゆくが 当時の贈答品はどのように 
消費されたのか、他人事だからこそ興味津々。

食べ物などはそこそこ自家で消費するにしても、美術工芸の品々はどうしたのか。
第一に 売却。 
第二に 贈り物としてよそ様へ再利用。
同じものばかりが 大量に集まれば当然のことになろうが、神社などには奉納される
神馬が集中して、そこは馬取引の市場となった。
多く一般の人々に馬入手の機会が与えられたという。
いわゆるオークションも行われていたようで、品物が換金されると云う訳だ。

次に 贈答品の再利用。
これについては本願寺の第10世法主 証如上人の日記にこまめな記載が残っているそうで、
誰々から贈られた物を 誰々に贈ったとか、贈られてきた物が以前、自分が贈ったもので
廻り巡って戻ってきたとか…      証如上人は呵々と大笑いしたという。
漫画のような話だが、まぁ、驚くほどの事ではなかったのだろう。 16世紀前半の事である。

これらはある程度の立場での話だが、案外割り切った功利的な社会の一面を見た。
一方、庶民には売却するほど物も集まらなかったろうし、
                               流用するほど贈答先があっただろうか。

ヴィザージュダムールなる今年の限定チョコ。三余堂、一応 確認だけはしておく。


         中公新書 贈与の歴史学 中央公論社







投稿日 2013年02月01日 2:57:30
最終更新日 2013年02月01日 2:57:43
修正
2013年02月12日
カテゴリ : [三余堂月次]
神武天皇が即位したとされる日が、紀元前660年2月11日。
大日本帝国憲法の発布は1889年の2月11日だった。
1979年の2月11日は、イランは革命側が政権を掌握した日で、立派な髭の
ルーホッラー・ホメイニー師を中心とした革命勢力が、政権を奪取した。
現在イランは、この日がイスラム革命記念日で、いわゆる 建国の記念の日になっているそうだ。


神武天皇即位日とする2月11日は、“新暦だ、旧暦だ” その計算方法が “どうだのこうだの”と 
複雑怪奇を乗り越えて決まったようだ。
なんせ、伊邪那岐、伊邪那美の二柱の神が創り賜うた大倭豊秋津島。
二千年もたってから、日付を指定するということが そもそもそ恐れ多い。
とは云え、1872年12月15日、当時の暦で、明治5年11月15日に明治政府は
神武天皇の即位をもってこの国の「紀元」と定め、1月29日を神武天皇即位の相当日とし、
祝日にすることを定めたのだ。
この日は、明治6年 旧暦1月1日で、それを新暦に置き換えた日付。
この年の1月1日から、新暦が施行されることになっていた。なんともはや ややこし!
何をして建国とするのか色々な考えがある。国や時の政府によって異なって然る可し。


   建国記念の日となる日を定める政令をここに公布する!
御名 御璽     昭和四十一年十二月九日
と云う次第で、建国記念の日となる日を定める政令というのが出た。


戦後間もない1947年、片山内閣の祝日の法案では紀元節が「建国の日」となっていたという。
が、GHQに削除されたそうな。当然復活運動がおき、国会へ議案も出され、「紀元節」の復活は
如何なものか…、いやいや、やはり… と、賛否両論。
1966年に、「建国記念の日」を定める国民の祝日に関する法律の改正が成立。
佐藤栄作内閣は、政令で、「建国記念の日」を2月11日とした。
新たに国民の祝日に加えられたのである。 翌1967年2月11日から実施。 
昭和42年のことで、当時は喧々諤々であったが、 学校の休みは増えた。
かくして、「建国をしのび、国を愛する心を養う」という趣旨で、「建国記念の日」が祝日となる。
明治に定められ、戦後1948年に廃止された紀元節と同日の2月11日である。

明治の御代になった時、太政官布告で「年中祭日ノ休暇日ヲ定ム」として、紀元節や天長節などの祝日が定められた。
初代文部大臣 森有礼文部大臣の時に、祝祭日に学校で式典を試みたそうである。
その後、『小学校祝祭日儀式規定』なるものが制定され、文部省から校長訓話や唱歌合唱などの
式次第が事細かに規定されたという。
戦前、緊張の面持ちで正装の児童は学校での式典に参列。
 “くうもにそびゆるたかちほのぉ〜” と意味も事情も分からずに歌い、紅白の饅頭を手に下校。
とは、子供のころによく聞かされた。 戦後生まれながら三余堂も知る 『紀元節』の歌は、
現東京藝術大学音楽学部前身、音楽取調掛の長 伊沢修二先生作曲、
御歌所初代所長、初代國學院院長高崎正風先生作詞で1888年(明治21年)に発表された。


一、雲にそびゆるちほのねおろしに草も木も
  なびきふしけん大御世を仰ぐけふこそ樂しけれ

二、うなばらなせるはにやすの池のおもよりなほひろき
  めぐみのなみにあみし世を仰ぐけふこそたのしけれ

三、天つひつぎのみくら千代よろづに動きなき
  もとゐ定めしそのかみを仰ぐ今日こそたのしけれ

四、空にかがやく日の本の萬の國にたぐひなき
  國のみはしらたてし世を仰ぐけふこそ樂しけれ


興味のある御仁はYouTube でご鑑賞を! 紀元節の歌

戦後の昭和に 「国民の祝日に関する法律」がとって変わり、学校での儀式も無くなった。
平成の御代 それどころか、なんとかマンデーも加わわると、今やラッキー連休!である。
子供の頃に紅白饅頭を持ち帰った年寄りも、今日はなんで夕刊が休みなのか、と 
ボケてもいないのに言う。
「建国をしのび、国を愛する心を養う」ということが新聞紙面からは読み取りづらい今日。
夕刊もへったくれもない。

労働時間の辻褄合わせの休日となってしまったのだろうか。 
この 「国のできた日」。










投稿日 2013年02月14日 15:48:41
最終更新日 2013年02月14日 15:48:41
修正
2013年02月20日
旧暦では今月10日に新年になったばかりなので、暦とそして四季のお話。

聞くところによると、最近七十二候が注目を浴びているふしが。
この七十二候は古代中国に由来し、季節や気候の変化を細かく分けたものですが、二十四節気のほうが比較的身近かもしれません。たとえば、つい先日の立春に始まり、春分、夏至、秋分、冬至などは今でも日常生活になじんでいるもの。これは一年を半月ごとに季節の変化を二十四に分けているものです。それをさらに5日ごとに区切って気象やそれに伴った動植物の変化などを表したものが七十二候なのです。時代と共に、日本の気候風土に合わせて少しづつ改訂されてきたそうで、読んでみるとなかなか面白いですが、そうかなァ?と思うようなものも。

参考までに、ちょうど今の時期にあたる2月19日頃より3月6日頃が二十四節気では「雨水(うすい)」で、七十二候では 土脉潤起 つちのしょううるおいおこる (雨が降って土が湿り気を含む)、 24日頃より 霞始靆 かすみはじめてたなびく (霞がたなびき始める) だそうな。

昨年暮にフランスの諺を書いた2013年版カレンダーを制作しましたが、それに用いた諺はフランスの農耕作業に関する四季折々の言い伝えの中から選びました。中世の写本の中にも必ず暦の章があり、月ごとの天体の位置や農作業の挿絵が施されていて、気候の変化と農耕と庶民の生活が密着していたのでしょう。

暦 
Les Très Riches Heures du duc de Berry
(ベリー公のいとも豪華なる時祷書:15世紀フランス)3月の暦 春耕の図 

このフランスの四季の諺と二十四節気や七十二候を読み比べてみたら、洋の東西の違いにも関わらず似たようなものを発見しました。

二十四節気の「雨水」の次は「啓蟄」ですが、これは春分までを指し、冬眠していた虫が穴から出てくることです。俳句の季語にも「蛇穴を出づ」というのもあります。そして七十二候は 蟄虫啓戸 すごもりむしとをひらく (冬ごもりの虫が出てくる)。

さて、これがフランスだとどうなるかといいますと、3月17日「聖パトリス(アイルランドの守護聖人である聖パトリック)の日が暖かいと、ザリガニが穴から出てくる」そうです。
今年の暦には復活祭の諺を書いたので、来年の3月にはこれを書こうかな。



2013年版カレンダーの2月は14日聖ヴァレンタインの日の諺。
聖ヴァランタン(ヴァレンタイン)の日の天気はその年の春の気候である。暦

さて、14日はどんなお天気だったか...


立春を過ぎてからのほうが寒さが厳しい東京。「すごもりむし」状態の方も多いかと。暖かい春が待ち遠しいです。
投稿日 2013年02月22日 1:17:26
最終更新日 2013年02月22日 1:17:26
修正