http://nogakusanpo.maya-g.com
記事移動
2012年07月01日
カテゴリ : [案内望遠鏡]
唐へ行くつもりだったのに引き留められた明恵上人がいるかと思えば、
ドラマ“平清盛”では、大陸宋へ渡る算段に、にんまりとほくそ笑む信西入道がいた。
又、後白河が公家と手に手をとり今様に興じる場面もあった。
そこに当時の政治、経済、文化を垣間見た気がする。

たまにドラマを覗き見する程度では、寝ぼけた画面の中、薄汚れた武士が無精髭で昇殿し、
お公家さんたちもむらな白塗りで、誰がだれだか判別がつき難い。
後白河らしき風格の役者は見当たらないが、どうも、コロコロとした愛嬌のある顔立ちの人が
藤原信頼と判断。 後白河というともっとおじさん、と思い込んでいたのがそもそもの間違いで、
後白河は清盛より9年若く、信頼はさらに6年若い。

閑話休題 院の独裁だ、親政だと、白河上皇の時代から始まったごちゃごちゃは
遡ること、天武天皇の御代に。
天皇や皇族だけに権力を集中させた政治をしていた当時、法を整える中、実権が太政官へと移行。
つまり、藤原さんちやその摂関家に移った為に始まったのが
実権を取られたものと、取り返すものの攻防戦!
かの藤原道長は外戚の地位を、道長の嫡流だけにしようとがんばった。
妻は何人かいるし、それぞれに子はあるし、実子でなくても、猶子だ、養子だと世の中、藤原さん
ばかりになりそうな勢いだった。が、直系となるとその血は先細りするし、藤原腹の皇子も…  
「欠けることのない望月」と云ってたのになぁ〜

時代は下って、白河上皇の母君。
この君 藤原摂関家の出ではなかった。で、反撃開始!!
白河院政によって、摂関家は没落へ… となるが。 オッとどっこい、摂関家が巻き返しに出て
院と、藤原摂関家のせめぎ合い。
これは誰が天皇の皇子を生むかの重大事。
皇子の母になる人を御所に上げるべく、藤原さんちの御父さんの大仕事が… 
そんな中をすり抜けて 思いもよらず御はちの廻ってきたのが後白河天皇。

その後白河と仲良くしていた藤原信頼くん…
一族を国司派遣して武蔵国に布石を打つ。又、馬や武器を調達する為の陸奥国を押さえる。
当然、坂東支配を進めていた源義朝への影響も強まる。
それから、平清盛の娘と自分の嫡男との婚姻も成立させている。公卿の家柄とはいえ、
26歳で国政を担う最高幹部の公卿に列せられているし、姉妹は、関白藤原忠通の嫡子の
妻になっている。 しっかり後白河の恋人の座も得ていた。
「文にもあらず、武にもあらず、能もなく、また芸もなし、ただ朝恩のみにほこりて」
と評されるとは… ちとお気の毒。 だったとしても、昇進は人事権を有していた信西の
了承があってこそだろうから なかなかの人物とみた。

平治元年1160年、時に27歳の信頼君。
清盛が熊野詣に出かけた留守に信頼は義朝らと京で挙兵なんぞする。
宋にいく行けると銭勘定をしていたあの、邪魔な信西を斬首して、朝廷の最大の実力者へ。

が、平清盛が帰京すれば あっという間に信頼は反乱者。
清盛の婿となっていた信頼の子は戻されて婚姻解消。
義朝ちゃぁん一緒に行こう!と東国へ落ちようとするも、拒絶に会い、
後白河院にすがるも、許されず、最後に天皇親政派と組みした清盛に敗北。

後白河の寵臣、平治の乱の首謀者は六条河原で斬首された。
                                     
ドラマはどう描くのか、名も判然としないままにコロコロした公家はどう消えるのだろうか…



コロコロした愛嬌ある人 藤原信頼 平治の乱でともに挙兵した「頼政」
能「頼政」より (c)La plume d'oie 2007

投稿日 2012年07月01日 10:37:56
最終更新日 2012年07月01日 10:38:12
修正
2012年07月20日
               ん?鵺の羽根ッ!?



いえいえ、そうではありません。

フランスから昨日やってきた鵞鳥の羽根です。空を飛んではきたのですが、羽根だけ。多分、御本体の方は食されてしまったのでは。そしてその肝臓は世界三大珍味のひとつである「フォアグラ」として、どこかの御仁の舌を喜ばせたかどうか...。

以前に筆記用具として使われていた葦のカラムのことを書きましたが、その後、ヨーロッパで筆記用具の主流となったのが羽根ペン。いつから使われ始めたのかはっきりしたことは判っていません。ただ、ロンドンのブリティッシュミューゼアムにある古代エジプトの絵画に書記が羽ペンを使用している絵があります。 鵞鳥の飼育自体は地中海沿岸地域ではめずらしいことではなく、古代ギリシャやローマ人たちも飼育していました。

恐らく、ローマ字の根源であるローマンキャピタルの発生、文字を書き残すためのパピルスが羊皮紙へと移行していったことなどと関係して羽根ペンの需要が増加していったのではと思われています。

9世紀ごろからアラビア人によって少しづつ使用され始めた金属の酸化作用をベースにしたインクが、酸化鉄とタンニンを合わせて作るゴールインクというものになり、12世紀にはヨーロッパに広がりました。このインクの導入が羽根ペンの使用を一般化したとされています。


ん?鵺の羽根ッ!?  
ん?鵺の羽根ッ!?  画像はクリックすると大きくなります。
     鳥の羽根なら何でもいいかというと、耐久性や柔軟性などから鵞鳥、白鳥などが一般的で、さらに風切り羽根という翼の先の羽根5本が適しています。この風切り羽根は自然に落ちることは無いので、地面に落ちている羽根では耐久性の面からいってペンには不向きです。あ、あそこによく落ちてるから拾って....というわけには残念ながらいきません。また、翼の左右で羽根のカーブが違うので、右利きには左の翼の羽根のほうが手になじみます。 この羽根の先を文字を書きやすいように削ってペンにするのですが、詳しい削り方はまたのお楽しみに!



ここでちょっと豆知識。「羽」と「羽根」の違いをご存知ですか?羽は翼のこと、羽根は羽から離れて一本づつになっているもの、英語ならウィングとフェザーの違いです。日本語では発音が同じなのでつい漢字を間違えがち。 

そして、La plume d’oieラ・プリュム・ドワこと鵞毛庵は、この鵞鳥の羽根ペンからきています。

鵞毛庵は今年の夏も日本カリグラフィースクールのサマーセミナーで羽根ペン講座を担当します。
投稿日 2012年07月20日 0:26:04
最終更新日 2012年07月20日 0:26:04
修正