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2012年06月01日
カテゴリ : [案内望遠鏡]
平安時代の宮中行事から始まった衣替えの習慣。
一応今日から夏の設えということだが、昨今の陽気ではとっくに夏服、夏仕様。
 唐衣着つつ馴れにしつましあれば〜  と杜若を詠みこんだ季節から 
色づいた紫陽花が梅雨入りを待つばかりの有様となっている。
この、唐衣〜 で有名なのは五月の三余堂月次に登場の ご存知 在原業平。


この在原氏という姓。そもそも、業平時代までは見当たらず。
お父上は平城天皇の皇子 阿保親王、お母上は桓武天皇の皇女伊都内親王。
血筋からすると天皇家の嫡流だった、業平。
が、世に云う薬子の変だの、平成天皇の弟君 嵯峨天皇の方へ皇統が移ったこと
だのが要因で、お兄上の仲平、行平、守平らと共に臣籍に降下している。
時に、天長3年 西暦826年、在原氏を名乗った。

この業平についての史料は『日本三代実録』にあることが ほとんどだそうで
「体貌閑麗、放縦不拘、略無才学、善作倭歌」 と記されているという。
「略無〜 」は 漢学の才はなかったけれど、和歌には秀でていたということだが、
前半の「体貌閑麗、放縦不拘、」によれば、美貌で放蕩。
                                気ままなイケ面というところか…  
故に、恋愛に憂き身をやつす貴公子、そんな姿が描かれることとなった訳だろう。
美男の代名詞のようにいわれて、『伊勢物語』の主人公の、昔男ということになり、
実像の業平と、つくられた業平は時代とともに次第に重なっていく。

室町時代になっても その業平は如何に好ましく、愛おしい男子とされていた。
「能 井筒」で世阿弥は、そのイケ面を前面に押し出す。
在原寺に立ち寄る僧が里の女との問答、後段で女は 実は井筒の霊だと名乗って
業平を偲んで舞う。その時、女は業平の形見の冠と直衣をまとう。
男装の麗人となる。  さながら見みえし昔男の冠直衣は女とも見えず男なりけり
なんとも妖しい香を放ちながら 業平を題材に描く。
そう、「能 杜若」でも精霊になって女の唐衣、男の冠姿で登場。 
交錯と具有の世界が広がる。  業平の 昔男の舞姿  これぞ即ち歌舞の菩薩
菩薩は本来 男でもなく女でもない。が、昔男の姿が重なって えも言われぬ気配を
辺りに伝える。


後世、江戸期 好き勝手に業平を作り上げたにせよ、ふたなりという俗語を掛けて
「ふたなりひらのこれぞ面影」などと云ったそうな…  
まっ、業平を和合神、男女を融和させる色道の神とみる風潮もあったとか。
いろいろに いろに登場の在原業平、享年56歳。
最終官位は蔵人頭従四位上行右近衛権中将兼美濃権守。
降下の経緯もあってか、家系にしては 華やかとは云い難い官位歴であったと思う。

在原業平
能「井筒」 (c)La plume d'oie 2010




投稿日 2012年06月01日 1:21:01
最終更新日 2012年06月01日 1:21:28
修正
2012年06月20日
またまた面白人物伝!次なる御仁はフランスは19世紀末から20世紀初頭にかけて、その名は恐らく世界中に知られているエッフェル塔のエッフェル。

   アレクサンドル・ギュスタヴ・エッフェル(Alexandre Gustave Eiffel)、1832年12月15日生まれ、1923年12月23日パリ市内の自宅で没。もともとはドイツ系で18世紀からフランスに移住、苗字もベニックハウゼン Bönickhausen といったそうですが、この名前がフランス人は読めない。そこでご先祖の出身地だったドイツのアイフェルEifel からとって Eiffelに、そして読み方もフランス流にエッフェルと正式に改名したのは1880年のこと。結構裕福な家庭に育ち、学業は化学系でしたが、縁あって鉄道関係の仕事につきます。当時のフランスは鉄道建設ラッシュ。大規模な鉄橋建設に携わって経験を積み、やがて独立してエッフェル社を設立します。

   ここで、パリ万博のパビリオン、駅舎、鉄橋など鉄骨を用いた建設を手がけ、ヨーロッパだけでなく中国や東南アジアにまで広範囲で活躍。その特徴は鉄骨の構造をむき出しにした大胆な巨大建築。そのひとつがエッフェル塔です。

   エッフェル塔は1889年にパリで開催された万国博覧会のためのモニュメントで、当時は賛否両論でしたが、万博後も取り壊すことなく、今日ではパリを代表するシンボルになりました。実はエッフェル自身は塔の設計は直接手がけておらず、エッフェル社が塔の建設を受注して建設したので彼の名が付いています。

   いつの時代も新しいものができると不評を買うもの。詩人で作家のモーパッサンはエッフェル塔建設中から抗議文を送ったりしたものの、いざ出来上がると、その中のレストランに足繁く通ったとされます。なぜならば...そこが唯一変な鉄の塔を見ないで済むところだったからだとか。

   もうひとつ誰もが知っているエッフェルによるものに、ニューヨークのシンボルである「自由の女神」像。ギュスト・バルトルディの彫刻を元に、鉄の骨組みに銅をかぶせたもので、1886年のアメリカ独立百周年にフランスが寄贈したものです。その返礼として、1889年のフランス革命百周年にはパリ在住のアメリカ人たちがレプリカを贈りセーヌ川にも女神がいます。これもエッフェルが手がけています。


                      エッフェルパリの自由の女神像
最近ではブロンズ製のフランス政府公認のレプリカがお台場にも!


   後にエッフェルはパナマ運河建設に関わるスキャンダルに巻き込まれましたが、晩年はエッフェル塔の4階に専用の研究室を設けて気象や天体観測、無線アンテナの設置、風の研究などにいそしみました。

   エッフェルは、鉄の固まりの塔が、万博で単なる人目を惹くためだけの無用の長物ではなく、あらゆる科学に役立ち、さらには国家防衛に役立つ研究機関の一端を担うものなのだということを、自ら示そうとしていたのです。

   1909年にはエッフェル型とよばれる風洞を造りました。人工的に風の流れを発生させて、実際の流れを再現してさまざまな実験をする装置で、現在はパリ市内の別の場所に移転しています。これは航空機の進歩に多大な役割を果たし現在に至っていますし、最終的には自ら航空機の設計も手がけるに至りました。

   1921年には、その研究のすべてを国に寄贈し、1923年に91歳で永眠。結構長生きですねェ。


元万博会場だったシャイヨ宮からみたエッフェル塔エッフェル


   毎年、7月14日のパリ祭にはエッフェル塔付近で花火が打ち上げられます。2009年のエッフェル塔での花火の様子はこちらで。

そのパリ祭に寄せてのアート展が7月10日から神楽坂で開催されます。鵞毛庵も参加します。庵主はエッフェル塔をモチーフにした作品をいっぱい準備中!

パリ祭に寄せたアート展 巴里の詩

7月10日(火)〜7月16日(月)12 :00〜19 :00

神楽坂セッションハウスガーデン

絵画、版画、カリグラフィー、キャンドル、フラワーアート、ガラスなど、日仏のさまざまなアーティストが展示いたします。
パリ祭当日7月14日16時からは小倉浩二氏によるシャンソンライブ(1ドリンク付¥3500)もありますので、どうぞお出かけ下さい。
投稿日 2012年06月20日 0:49:47
最終更新日 2012年06月20日 0:51:53
修正