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2011年06月21日
今年も鵞毛庵の近所にあるアカンサスの花が咲いてます。
昨年の猛暑ではすっかり枯れて、へろへろになってちょっと心配した庵主ですが、冬の間に再生して、いつの間にか葉っぱは青々繁りました。
そしてただいま開花中。


あじさい




何度かこのブログでも記事にしていますが、ヨーロッパの中世の写本には装飾としていろいろな形や色にデザイン化されて頻繁に登場します。
アカンサスというのは、ギリシャ語の「とげ」が語源で、地中海沿岸が原産。ギリシャの国花。はっぱのぎざぎざから、別名、葉アザミというそうな。

このアカンサスの花が咲く時期は、ちょうど紫陽花の時期。今、あちこちでたくさん咲いているのを見て、写本の装飾にはいろんな花が登場するけれど、はて、紫陽花は見たこと無いな...と。フランスにも紫陽花はたくさん咲いているのに、昔はなかった?


                           あじさい
           
                           パリに咲いてた紫陽花

ということはアジアが原産? そうです、日本が原産でした。フランスにはフィリベール・コメルソンPhilibert Commerson という植物学者によってモーリシャス島から18世紀末にもたらされたとか。ですから、中世の写本の装飾に描かれるはずがありません。

あじさい


中世写本には存在しなかったけれど、1901年刊行されたセギーの「花とその図案化」には登場する紫陽花。

投稿日 2011年06月21日 2:54:22
最終更新日 2011年06月21日 9:54:34
修正
2011年06月20日
ただいま準備中につき、しばしお待ちください。
                      no subject

                能 自然居士  2011(c)La plume d'oie 鵞毛案
投稿日 2011年06月21日 0:41:42
最終更新日 2011年06月21日 0:41:42
修正
2011年06月01日
カテゴリ : [案内望遠鏡]

 えーっ 何事についても、なにか自分の意見を言わないと気のすまない人を一言居士と申しまして、
この 『こじ』という響きがなんともお固そうで、おまけに意固地なんていう言葉が浮かんでくるから
がちがちの『文句言い』のような人を想像いたします。
お勉強なすった ご僧侶ほどに学識はお有りだが、出家はされていない。
そんな坊さまを『居士』と呼ぶようでして〜、 まぁ そんなところから、一原因ガチガチ居士、
なんていう具合に戒名でのご尊称となったらしゅうございます。


  鎌倉時代も終わりの頃、あの訳のわからない、お経の文句や意味をやさしく話してくれる人が
居りまして、世にいう 説教師。 ンまぁ、これがよく判るんでございますよ。
          今なら ナントカ彰さん でございましょうかぁ。
ありがた〜い教えも 聞いて貰わなきゃぁ仕方がない。ただ話したって、面白くもおかしくもない。
人さまの集まりそうな所で、鳴り物で集めようか、身振り、手振りで見せようか、
それとも唄おうかっ、てんで簓を摺り、舞い歌いながらのお説教。 
人呼んで ささらたろう。  簓太郎のご誕生でございます。

  この簓太郎が自然居士と謂われる人でして、《しぜんこじ》 じゃぁございません。 《じねんこじ》。
他に三人の御同業、歌舞説教のご面々が 『天狗草紙』 というものに書かれているんだそうで
ございます。みなさん、なかなかの芸達者。 まぁ、人気が出ればやっかみもあるし、足も引っ張られる。
なんと申しましょうかぁ、正当なお説教とも、ちょいと 違って居りましたんでしょうなぁ〜
なんだかんだで、えら〜い、お坊様方の会議でその四人組、京の都からオン出されちまったそうで。
まぁ そうは言っても、簓太郎さんは 御人気物。
近江の観音寺城で、佐々木頼綱さんのご依頼で額の裏書、奈良の新薬師寺では庇(ひさし)勧進のご説法。  その新薬師寺さんの庇。明治の末に取り外されたようではございますが、それを造ったのが
自然居士さんなんでございますねぇ。
あちら、こちら、とお出向きになったんでしょうなぁ、説教者の祖ってなことで 日本各地に墓があるそうで。
おまけに、子供の頃、青年、壮年と シャレコウベもご点在 …  それはさておきまして、
 この方、お能の主役にまでなったんでございますよ。
説教者の祖を、能の祖、観阿弥って方が作られたんだそうで。
えぇ、えぇ、「自然居士」ってお能でございます。祖が祖を描くってんだから、
古い、古い、お能の形ってことでございましょうかねぇ…


  本物の自然居士さんに、お目もじしたこたぁございませんが。 
観阿弥さん、御自身で「自然居士」をお演じなすったそうで。
喝食(かっしき)という、お若い御在俗の僧を示すっていう面(おもて)をかけて舞台へご登場。
それがねぇ、とっても物まねが御上手だったようで  自然居士が十二三ばかりに見えたって
ものの御本、『申楽談儀』ってのに あるんだそうでございます。
観阿弥さん、結構大柄だったとかで、いくらなんでも十二三とはねぇ。
いえいえ、女になれば細々と見えたんだそうでございますから大したもので。
  この観阿弥って方は、芸もたちますが、作者としても相当なものだったんでございましょう。
「自然居士」じゃぁ 人買いから娘を取り返す ってな、人情味たっぷりのお話を筋立てにして、
ことばの遣り取り丁々発止、ささらに鞨鼓に 舞うは謡うは 見せるわみせるわ。で、ございますよ。
その頃、流行りの曲舞 (くせまい)ってのを お能に取り入れなすったんだそうで、それがまた大当たり!
お勉強も熱心で、あっちで人気と聞けば、教わり、こっちでいけると思えばやってみる。
都も田舎も、上つ方から下々までの 評判のお人気役者。
  座頭としてもご立派だったんでしょうなぁ〜、営業活動も怠りなくなすって、
なんたって、将軍義満さまの御寵愛を一身に受けた世阿弥さんのお父上でございます。
ところが まぁ、お能をなすった旅先の駿河で52のお歳で亡くなったんだそうで、
世阿弥さんが 21か22の時だってぇことで、今から 何年前になるんでしょうねぇ〜
今年は2011年ですから、627年前ってことに…
それより前にできた 「自然居士」 のお能ってものを 今でも見られるってんだから
なにがなんだか 判りませんが、兎にも角にも、有難いことでございます。はい。


2011年6月19日  能を知る会にて 三余堂「自然居士」を勤める



投稿日 2011年06月01日 0:43:06
最終更新日 2011年06月01日 7:28:18
修正