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2010年10月20日
   あちこちで見かけるハロウィンの飾り。今年は結構板についてきてるかな?と思われるような、秋の自然の光景のようにも。鵞毛庵のカリグラフィーレッスンの教材にも欠かせません。

                       悪霊漂う (c)La plume d'oie 2010

   そもそも、このハロウィン、なんぞや??と思われる御仁も多いことと察し、簡単に解説をば致しましょう。

   もともとは異教徒の民間行事だったものが次第にケルト人の行事とつながっていったもの。ケルト人とは今でいうところのアイルランド周辺に居住していた民族で、フランスでもブルターニュ地方という北西のあたりに住んでいました。
   このケルト人にとって、10月31日というのは一年のおしまい。その年の収穫を感謝するお祭りでもあったわけです。そして、この一年の締めくくりの日に、死者の霊が家族のところに訪れるとか、あの世とこの世の間の門が開いて行き来が自由になり、精霊や悪魔がやってくるいう、と、こう聞くと、まるで日本のお盆のような。

   日本の場合は道しるべに火を焚いて、乗り物(お迎えには足の速いキュウリのお馬さんやら、帰りにはゆっくりのナスの牛さん)をご用意するのですが、ケルト人はそうではない! 

   精霊や悪魔に襲われてしまったり、死者に魂を吸い取られたりと、物騒です。そのため、魔よけとして仮面を被ったり、お迎えじゃなくて追っ払うために火を焚いたりしていたわけです。そこへ7世紀初頭キリスト教の伝播により、民間行事が宗教的にすりかえられていきました。キリスト教では11月1日は諸聖人の祝日で、その翌日が死者の日。10月31日は諸聖人の祝日の前夜祭ということで、英語のAll Hallows Eveから転じてHalloween ハロウィンと呼ばれるようになり、アイルランドを中心にアングロサクソン系の人達の間で行事として残っているのです。

    子供達がtrick or treat! お菓子かいたずら!といいながら人の家を訪ねるのは、古いケルトの風習では死者に食べ物やワインを施すというのがあり、キリスト教徒は死者の日に物乞いをして、その見返りに死者の天国への道を助けるお祈りをするという習慣あったことに由来するようです。

    そしてカボチャのランタン。これはある性悪な男の悲しい顛末。その男が死に際して天国の門へ着いた時、番人である聖ペトロをだましてこの世に甦り成功!さらに悪さを続けたので、再び天国に現れた際に聖ペトロの怒り爆発。
 聖人でも怒るんですな。

天国も地獄もダメ、ただひたすら暗闇に彷徨っていなさい!ということに。それを悪魔が哀れんで燃える石炭を一つ明かりとして分け与えたという話がもとになっています。悪魔の方が慈悲深い。

この明かりが夜な夜なちらりと見え隠れ。ひゅ〜どろどろ。

それがカボチャ(本来はカブだったとか)のランタンへ。
ちょうど季節の野菜なこと、種は炒って食べ、実はスープやケーキなどにと、無駄がない応用なのです。

    フランスでも10数年前に一気に導入を試みましたが、見事沈没! 商業ベースに便乗して云々と相当批判されて、今ではディズニーランドでの秋のイベントぐらいでしょうか?

    日本だと、秋には紅葉の戸隠の鬼女。そうでなくとも能の演目には精霊、亡霊、怨霊と季節を問わず頻繁に出没します。くわばら、くわばら。

悪霊漂う
狂言「武悪」  La plume d’oie(c) 鵞毛庵 2010

主人を脅かそうと亡霊になりすます死んだはずの奉公人武悪。

やっぱり生きてる人間が本当は一番怖い?!
投稿日 2010年10月20日 0:58:19
最終更新日 2010年10月20日 0:58:19
修正
2010年10月01日
カテゴリ : [案内望遠鏡]
例大祭の井草囃子の音が聞こえてきた。今年もこの音色に浮かれて10月の案内望遠鏡を書いている。
2006年9月に始まったWEB能楽さんぽ。
当初は、記事入力で精一杯で どれほどの閲覧があるかなど考えなかった。 
2年ほどたった頃、そのアクセス数を知るところとなる。
スタート時に200もの方に閲覧頂いていたと知って、驚愕の行ったり来たり。 が、よくよく知れば …
開始当時のアクセスは200程だが、同じ閲覧者が何度も閲覧した場合を1と数えると 27人の閲覧。
しかもこれは 一日ではなくて1か月のことであった。

2年目はひと月に2,000以上のアクセス、600以上の閲覧者数になっていた。 驚きモモの木山椒の木。
また2年。 しばらく振りにアクセス数を確認したところ、
月に5,000以上のアクセス 2,000程の閲覧実数があった。 これをどう判断するべきか。
まず、兎にも角にも感謝申し上げる。 
ネット社会の中で海を越えて閲覧の方、日本語に通じた外国の方、老若男女、まったく存じ上げない方に 一介の者の 拙い文章にお付き合い頂いていることを。

仏蘭西在住の鵞毛庵と始めた このWEBは今では形式も古いようで、サポート打ち切りが
いつやって来るやらと 思うばかりである。
ホームページなのか、ブログなのか、こだわり始めたらキリはないが、なるべく、なるべく簡素に!
これが形式への希望で 写真が載せられればオンノジだった。
既存の鵞毛庵のサイト改築ということで始まったが、ネット社会の驚異的な進歩と普及の中
このサイトも5年目に入る。
当初、写真や作品の掲載、文字の色などに心奪われていたら 携帯では写真も何も見ることが出来ない 
と知って驚いたり、機種やブラウザで異なった印象の画面になることも解かった。
最近は携帯での閲覧がとても多く、絵もなきゃ、写真も見られずのサイトでは 下手糞な駄文が
連なることへ反省しきりである。書きゃぁいいってもんではない。
さっぱりと、数百字の洒落た文章にしたいものである。

携帯閲覧の多い中、今でもWindows 95や98というOS利用者がいるのは嬉しい限りである。
これからはiPadの時代なのだろうが、書かれる内容はもっぱら600年も前からの繰返しのことに拠る。
つい先日 平凡社から別冊太陽 《世阿弥》が出た。
1976年に太陽で《世阿弥の生涯》、1978年別冊太陽 《世阿弥》等がでてから30年以上
執筆者はすっかり代替わりし、内容も今現在の社会を強く意識した編集と感じるが、
図書館でも、アマゾンでも活用してそれぞれを読み比べるのも一興だ。 さてさて面白さは如何に…
「能を識る」にはさすがの纏めである。 


五年目の第一稿

昨年は鵞毛庵も三十数年の在仏生活の本拠が東京に移り、能の花シリーズの作品が充実してきた。
時折、ご要望もあるので以前の記事を織り交ぜながらも 能の花を絡ませて徒然に綴っていきたい。
が…

過去を振り返れば あぁでもない、こうでもないと、文章に修正をしたくなるし、先へ進めば壁がある。
《山椒魚》 に手を入れ続けた文豪井伏鱒二先生と ご同様と言ってはとんでもないことは 承知の上で、
ちょっと そんなことを呟いてみたナウ!  と、ネットの新星140字のツイッターなら書くのだろう。





                                                 
投稿日 2010年10月01日 0:00:35
最終更新日 2010年10月01日 0:00:35
修正