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2010年08月20日
読書の秋に....なんて、まだまだ猛暑が続いていますが。

24日から東京の吉祥寺にあるPARADA(パラーダ)で開催される「PARADA書店」という企画に参加します。
本をテーマにした企画展で、大勢の作家が参加しています。

鵞毛庵は豆本三種類と蔵書票を出展・販売。

豆本は「巴里の思い出」という写真とカリグラフィーとエッセイ、五月に展示したシャンソンシリーズから7曲選んで作品にコメントを付けた「シャンソンを描く」の二種に、1冊づつ手書きでデザインの異なる「魔法のアルファベット」は折本タイプでケース付、各10冊づつ出展。

                   読書の秋に

蔵書票はデザインは二種類。カラーとセピアバージョンの魔法のアルファベットシリーズの柄と、ゴティック風のアカンサスの葉模様。

読書の秋に

日本では書物はもとは和紙だったので 蔵書印の方がなじみですが、西洋の蔵書票またはラテン語でEXLIBRIS (エクスリブリス)は、本来は版画で作られ、蔵書する人の名前や、紋章、ゆかりのあるもの、好きな格言などを取り入れるのが正式。でも今回は誰でも名前や日付など自由に書き込んで使えるようにデザインしました。

著名な作家のデザインによる蔵書票になると、本来の蔵書票としてよりも、最近ではこれだけで美術品として収集されていることの方が多いようです。

さらにこの頃話題になっている電子書籍の出没で、ますます蔵書票の存在があやうい。 

蔵書票なんか貼るような立派な本なんか持ってないなァ...という声が聞こえてきそう。

そんな格式ばらずに!

鵞毛庵はパリから大切に持って帰ってきた、ちょっと古ぼけてきた



「天才バカボン」


にも貼ります。


投稿日 2010年08月20日 2:43:37
最終更新日 2010年08月20日 2:43:37
修正
2010年08月01日
カテゴリ : [案内望遠鏡]
今年二月 足袋のあーほかいぶずと題して 三余堂月次を書いた。
ついこの間まで当たり前だったものが すぐにいとめづらし!になる昨今。
時折 繰り返さないと すっかり歴史物になってしまい、晒木綿のことはもはやめづらしとなった。
めづらしとは すばらしいとか、愛らしいとか、新鮮だとか 要は他にはめったにないとの賛美の語。
iPhonやiPadが普段の生活用品になり、科学の子のヒートテックが安価で求められると
晒しの肌襦袢も足袋も おめづらしい物になる。 
三年前にはまだ、まだと思っていた 足袋やが閉じた事情の一つに原材料の問題がある。
開発された新素材が 既存のものを凌駕していく、このことを実感する複雑な酷暑の今夏だ。
なればこそ いまひと たび 晒の効用の一席!  
                             ぱんぱぱっん!! ここで ハリ扇… 
                                         と なればハリ扇についても いづれ一席語らねば なぁ



以下 おさらいもかねて…
さらしもめんの下着は汗取りとして恰好の素材である。
晒しとは、綿や麻の布を日光や雨風に当て 繊維の持つ天然色素を抜いて 純白にしたもの。
吸湿性、通気性に富んだ晒綿布は万能選手だ。
先ず 手で裂くことが出来る。 長さも幅も調節能。
下締め、肌着から 紐、縄、布巾、三角巾、包帯等、等 …
常に一反 備えておけば 必ず役立つからと 三余堂夫人は 女学生時代の恩師に叩き込まれた
とのこと。


晒木綿を今一度
  汗取りの仕事のために待機する晒と三余堂肌襦袢
               晒木綿を今一度

この時期になると 一年分の 肌襦袢が仕上がってくる。
といっても下着を 畳紙 たとうに恭しく包んで 呉服屋さんが運んで来る訳ではない。
単に、子供が夏休の間に まとめて肌襦袢を縫っていた三余堂夫人の習慣である。

そもそも 三大天然素材のうちの一つの綿が 渡来した年代は不明で 
万葉集などに見られる綿は 現在のワタ属の植物ではなさそうだ。
衣料作物としては麻のほうが先輩で、高温と、日照時間が長く必要な綿の生育は
日本では 簡単ではなかったろう。
15世紀後半に朝鮮から綿布が輸入されるようになり、16世紀には 明からの輸入が加わり
上流階級では木綿の着用が流行したそうである。
さらに南蛮貿易によって東南アジア諸国からも 木綿は入ってきた。

国内でも 16世紀になると木綿の栽培が始まったらしい。
その耐久性や 染色などの加工のし易さに、戦国時代の武士たちは
幕や旗差物、袴などの衣料に用いる。
三河などで始まった木綿栽培は、近畿、関東でも栽培されるようになったとか。
江戸初期には農民の着物も麻から木綿へとなっていく。
江戸も中期になると、各地で 銘柄木綿が産出されるようになる。
こうして絹、麻、綿 はその特質を生かして、 季節、身分、用途に合わせて 活躍するようになった。

てなことを記していた…
この年の7月に、九皐会で勤めた殺生石の前ジテで使用した装束の唐織は 享保年間のものであった。 
能装束の下は 羽二重で作られた綿入れの胴着、その下に 晒木綿で縫われた汗取りを着用。
胴着は着付けをよく見せ、その下の晒木綿は 汗や汚れから装束を護る。
何十年、何百年と生き続けるものは 目に見えない使い方と手入れが支える。
なにが何でも 晒木綿の肌襦袢は上に着るものを守って働くということなのである。











投稿日 2010年08月01日 0:04:25
最終更新日 2010年08月01日 0:04:25
修正