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2010年06月20日
                  アカンサスの花が咲いた!


   こちらの記事でも何度か話題に取り上げているアカンサス。コリント式の柱の柱頭の飾り、ヨーロッパ中世の頃の写本の装飾の葉模様のアラベスク、そしてシルクロードを経て日本までたどり着いた唐草模様の原型です。

アカンサスの花が咲いた!

La plume d’oie©鵞毛庵2009  部分
Un moyen de provoquer dans l’esprit des gens une émotion imprévue , voilà ce qu’est la fleur .
人の心に思ひも寄らぬ感を催す手立、これ、花なり。
世阿弥 「風姿花伝」 より

 ↑ こちらの作品の葉模様がアカンサスをデザインしたもの。

今、ちょうど花盛り。鵞毛庵アトリエのすぐ目と鼻の先に、玄関先にアカンサスが植わっているお宅を発見してびっくり。日本でもこんなところに普通にあるなんて!葉っぱは常緑なので、いつ花が咲くか密かに楽しみにしていた鵞毛庵です。


                           アカンサスの花が咲いた!                       

アカンサスについてはこちらをどうぞ。
投稿日 2010年06月20日 0:23:01
最終更新日 2010年06月20日 0:23:01
修正
2010年06月01日
カテゴリ : [案内望遠鏡]
柳というと 〜昔こいしィ 銀座のやなぎ 〜 。
東京行進曲である。
西条八十作詞、中山晋平作曲、佐藤千夜子の唄である。 勿論、流行当時は三余堂存在せず。
日本の映画主題歌の第一号で、昭和4年に発売し25万枚のヒット。どういうわけか、小生口ずさめる。



最近、五月のはじめに銀座の柳祭りなるものを開催している。
その柳も今は緑濃く 衣替えの日を迎えた。

       「道のべに清水流るゝ柳かげ しばしとてこそ 立ちどまりつれ」   山家集・新古今集 
と、ことに桜を愛でた西行が柳を詠んでいる。
室町の初め、西行の庵にある老木の桜を世阿弥が 「西行桜」という能にした。
室町後期に、観世小次郎信光(1435〜1516)は、西行の詠んだ柳を主題に「遊行柳」という能を作った。



La plume d'oie(c)鵞毛庵 2010 能の花シリーズ   老木の柳 
遊行柳 道のべに清水流るゝ柳かげ しばしとてこそ 立ちどまりつれ


遊行上人(一遍上人)の教えを広めようとする僧が、老人と出会い、朽木の柳に案内される。
草の生い茂った古道を進むと、塚の上に柳の老木。昔西行が歌に詠んだ柳であると告げて消えた。
僧が、念仏を唱えると老翁が再び姿を現し、念仏への報謝の舞を心静かに舞う。
夜明けの風に目覚めた僧が目にしたのは、朽木の柳だった。


       そのかみ洛陽や。清水寺のいにしえ。五色に見えし瀧波を。尋ねのぼりし水上に。
      金色の光さす。朽木の柳たちまちに。楊柳観音と現れ。今に絶えせぬ跡とめて。
      利生あらたなる。歩を運ぶ霊地なり。されば都の花盛り。大宮人の御遊にも。
      蹴鞠の庭の面。四本の木蔭枝たれて。暮に数ある 沓の音。
      柳桜をこきまぜて。錦をかざる諸人の。花やかなるや小簾の隙洩りくる風の匂いより。
      手飼の虎の引綱も。ながき思に楢の葉の。その柏木の及びなき。恋路もよしなしや。
      これは老いたる柳色の。狩衣も風折も。風にただよう足もとの。弱きもよしや老木の柳。
      気力なうしてよわよわと。立ち舞うも夢人を。現と見るぞはかなき。




栃木県那須町芦野の国道沿いに とても朽木とは言い難い柳がある。 遊行柳ということだ。
何代も植え継がれてきたのだろう。
西行が訪れたという 言い伝えの地を芭蕉もたずねている。
      「田一枚植えて立ち去る柳かな」  芭蕉
能 遊行柳での設定地は、白河の関を過ぎて程なくした所となっているので
現在の遊行柳がある場所ではない。 念のため …
西行の「道の辺……」、芭蕉の「田一枚…」さらに 蕪村の「柳散清水涸石處々」の句碑も並び、
観光客の名所となっているとか。


今週末5日 秋田の唐松能舞台で薪能公演 「遊行柳 」を勤める。
又、20日には「西行桜」を東京の国立能楽堂 能を知る会で勤める。







投稿日 2010年06月01日 0:17:05
最終更新日 2010年06月01日 0:17:35
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